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第四章 不屈の精神を養え
ワケアリ探偵(2)
しおりを挟む自宅に辿り着き、迷いもなく探偵を家に入れる。
「ドクターが不在だから何もしてあげられないけど……って、そんな事はもう知ってるか」これには案の定の答え。「まあね。お構いなく」
そして探偵は続ける。「だけどマジであんな襲撃があるとは……一人で物騒だな、なんてのは野暮か」
こんな物言いから、私が狙われている事が判明した。ボディガードのために私に張り付いていたようだ。お陰でこの私の強さも分かってもらえて有り難い。
「あなたにガードを頼んだのって、新堂さん?な訳ないよね……とすると」
探偵に濡れタオルを差し出しながら考え込む。
不意に探偵が言う。「朝霧ユイ。どうやらオレは見る目がなかったようだ」
「仕方ないわ。いきなりあんなスプレー攻撃は!卑怯よね」
「いや……、そういう事じゃなくて」
私が首を傾げていると、探偵は静かに身の内を語り始めた。
「俺は昔、刑事をやってた。砂原舞は知ってるだろ?」
「ええっ?!もしかして砂原の同僚!」これは驚いた。やっぱりこの目はデカの目!
「あいつは後輩だ。俺はもう大昔に辞めて探偵をしてる。朝霧ユイって名前、どこかで聞いたと思ったんだ。ようやく思い出したよ」
「……どういうふうに思い出したの?」不安になって聞いてみる。
私の悪事は警察のデータベースにはなかったはず。
「いやぁ、砂原顔負けの民間やり手SPって?」
もしや砂原に聞いたのか?この回答に体中の力が抜けて行った。
「今はもうただのパート社員で、もっぱらデスクワークよ。それより目、大丈夫?」
「ああ。お陰でだいぶ落ち着いてきた。ありがとう。やっぱり君は優しいよ」
「イイ男にはね」ウインクをして私は笑った。
砂原の知り合いとなれば、疑う必要などない。もっと早くに知りたかった。
「また、アイツ等が狙ってくる可能性がある」探偵が言った。
「そうね。殺してもいいか、依頼人に確認してくれる?」
こう言った時の探偵の顔を、何と説明したらいいだろう。
「ヤダっ、何て顔してるの?冗談よ?」
「あっ、あははっ!だよなぁ~。脅かさないでくれよ」
こうは返されたが、満更冗談でもない事は気づいたはず。あの朝霧ユイならばやり兼ねないと。
「依頼人が誰かは言えないが……」体勢を直して、高い天井を見上げる探偵。
「ええ」
「君をとても大切に思ってる人がいるって事だけは、教えておく。もちろん、君の同棲相手の新堂和矢さん以外でって事だが」
「ありがとう。覚えておくわ」
やがて時間の経過と共に視力も回復し、探偵は何度も礼を述べて軽快な足取りに戻って我が家を後にした。
「……あの人、私を庇って催涙スプレーを浴びてくれた」
自分がガードされているという自覚など全くなかったが、あの探偵は完璧に仕事を遂行していたのだ。
「この私がガードされるなんて……前代未聞!依頼したのは一体誰?お母さんとか!」
この国にいない母は可能性は薄い。その考えはすぐに消える。
「神崎さんね!彼しかいないわ。大垣はともかく、彼は私の実力を知らないから」
確証はないがこの線が濃厚だ。
「ま、あの探偵、なかなか腕が立ちそうだし。軽そうだけど、仕事に関しちゃ真面目みたいだからな。退屈してたところに天の恵み?」
かなり持て囃してはいるが完璧とは言えない。私にとって完璧なのは新堂和矢だけだ。
あの探偵に注文をつけるならば……もうちょっと威厳と身長がほしい、か?
その夜、新堂さんから電話が入った。
『何も変わりはないか?』
「ええ。あれ以来眩暈も全くないの。あれは一体、何だったのかしら?」
『良かったじゃないか。だからって無理するなよ?』
「分かってるって」
『ところで、神崎社長から連絡が来たんだが……』
「えっ、用件は?」
この件だとして、狙われているなどと話されていたら堪らない。彼がいらぬ心配をしてしまう。
『今、会合があってイギリスにいるそうだ』
「え、神崎さんも海外なんだ」
『ああ。俺の不在を知って、ユイが寂しがってるかもって心配してたぞ』
「何よ、子供じゃないんだから大丈夫よ!」いつまでも子供扱いで困ったものだ。
『寂しさを紛らすためだからって、もう飲みすぎるなよ?』
こんな言い草には言葉が詰まる。
「……それで、あとどのくらいかかりそう?」
『ああ。恐らく二、三日で帰れるよ』
「そう。待ってるわ」
会話を終えて納得した。自分が海外にいるため、外部の人間にガードさせたのだ。
「私を誘拐して身代金でも要求する気かしら?誰か知らないけど、命知らずね!」
翌日の早い時間、私はある場所に向かった。新堂さんが帰国する前に決着を付けなければならない。
「おはよ~っ!」
「っ!随分早いな……。ターゲット自らお越しとは」寝ぼけ眼の探偵。
髪はまだ整えられておらず、酷い寝グセがついている。これを隠すためにオールバックにしていたのか。
「あなたが遅いのよ。まさか、まだ寝てたとか言わないわよね?」
「ははっ!ご覧の通りだよ。言ってくれるね、相変わらず」
当然のように中に入ってコーヒーを要求する。
「それで今日は?仕事は休みのはずだろ」
「だからこんな所にいるんじゃない」そりゃそうだ!と探偵が大きく頷いた。
コーヒーをカップに注いでそのまま差し出してくる。
礼を言って受け取りながら話す。「もうすぐ彼が帰国してしまうの。それまでにケリをつけたいんだけど」
「って、言われてもなぁ……」寝グセのついた頭を掻きながら私を見る探偵。
こんな緊張感のなさが、逸る気持ちをさらに高揚させる。
「これでも、協力を拒否する?」
ジャケットの下からおもむろにコルトを出して構えた。
「おいおい……!冗談はよしてくれよ。今はもう、こっちは丸腰だぜ?」その昔は持っていたが、と言いたいのだろう。
「これが冗談に見える?なら、試してみましょうか」
ハンマーを起こす音が室内に響く。これが本気で撃とうとする仕草だと、元警官ならば分かるだろう。
探偵は両手を掲げて、これ見よがしに生唾を飲み込んだ。
「わっ、分かった!分かったから撃つなっ!な?」
「協力、してくれるのね?」
「ああ。言っておくが、脅されて仕方なく、だからな?」
「ふふっ!いいわ。依頼人にもそう言って」静かに相棒を元の位置に収めた。
探偵が一瞬で間合いを詰めた。鼻先が触れそうな距離だ。
「っ!ちょっと何よ!」
「いや。ちょっと確認をね」
「イヤらしい事考えてたなら許さないからね?」再びコルトに手を伸ばして言う。
探偵も再び両手を掲げる。「おっと!オレの事務所でドンパチはやめてくれ?」
すぐに体を離して髪を整え始める探偵。その後ろ姿を見つめる。一体何を確認したのやら?まるで匂いを嗅いでいるような仕草。
……そうか、やはりこの男はあの日気づいていたのだ。私から漂う火薬の香りに!
「で?どうする気なんだ」私に背を向けたまま話し出す。
「神崎グループのライバル会社に目星を点けてほしいの。そういうの、探偵さんの仕事でしょ?」
「探し物は得意分野だがね。それなら君にだってできるだろ」
「時間がないの。手分けして進めたいのよ」そういう事にしておこう。
「なるほど。分かった、やってみようじゃない」
乗ってくれて良かった。ならばもう一つ要求を追加。「今日中にお願いね!」
「またまたスパルタだなぁ。で、君は?」
「その間に罠を張るわ」愉悦の笑みを浮かべて言えば、「罠?」と訝し気に確認される。
「ええ。一網打尽にするためにね」自信たっぷりに答えた。
こうして一旦別れ、探偵から連絡が入ったのはその日の午後五時を回った頃だった。
連絡を受けて先回りしてその現場に向かい、敵を待ち構える。
「待ってたわ」定刻通り現れた人物に言う。
「お前はっ!な、なぜここに?!」私の登場に酷く驚いている。
こぞって現場に現れた彼等は、打ち合わせを始めるところだったのだ。一度失敗に終わった、この私をどう誘拐するかの話し合いを!
こんなスーツ姿の集団は一見どこにでもいる会社員。まあ、本当に普通の会社員なのだろう。彼等は神崎さんの会社のライバル企業の人間だ。
善良なはずの彼等が悪事を働くのは、もちろん会社の利益、つまりお金のため。悪人でなくても、人はこうして簡単に悪事を働く。
「ねえ?なぜ神崎社長がお宅との契約を結ばないか分かる?」
「社長の腹違いの妹の分際で、仕事の話に口出しするな!手間が省けた。このままどこかに監禁してしまえ」
「やれるもんならやってみれば?大事な兄の事ですもの、口でも何でも出すわよ!」
「お前は大人しく誘拐されればいいんだよ」
ついに本性を現した。やはりそういう魂胆か。「残念だけど、それはできないわ」
「できるさ」まだ諦めていない様子。
控えていた部下達に指示を出し私を取り囲ませる。小柄な私はあっという間に男達の影に隠れてしまう。
「手荒な事はしたくないんだけど……」せめて手を出されるまで待とう。
そんな事を考えていた時、聞き覚えのある声が響いた。
「あ~あ~!たった一人に何人がかりだ?」こう言ったのは探偵だ。「見た目はどう見てもか弱い女だが……気をつけた方がいいぜ!」などと付け加えて!
「誰だお前は?部外者は引っ込んでろ!」
「ああ、こちらは私が呼んだの。優秀な探偵さんよ」
取り囲んでいた男達を軽くいなして前に出る。
「どうも」紹介されて反射的に挨拶する探偵。
いつものおどけたお辞儀も、今回ばかりは気分良く見ていられる。
「面倒だ、男諸共捕まえろ!」
「何て言い草?まるでヤクザみたいよ!」
ここでしばし小競り合いが続く。もちろん、私があっさりその場の全員をなぎ倒したのは言うまでもない。
その間探偵は高みの見物を決め込んでいた。
「さてと。次はどうするの?」私は最後の一人となった男に向かって言った。
「おのれ……!」
こんな叫び声を上げるも、拳を握るだけで何のアクションも起こさない。
「あれ……次の手、考えてない?なら、こっちから行くわよ」
「なあ朝霧、アレはダメだぞ?アレはっ」探偵が側に来て焦ったように囁く。
うるさい!と目で訴えながらポケットに手を入れる。
私がコルトを出すと思ったのだろう。ヒヤヒヤしていた探偵にも良く見えるように、携帯電話を取り出した。
「これってあなたよね、取締役の横山さん」画面にある写真を映し出して見せる。
「なっ!お前、何でそんなもの……そんなの知らん!」
「良く見て。ここに写ってるの、あなたでしょ!」
探偵もわざとらしく覗いてくる。「どう見てもアンタだよなぁ」
このセリフは演技だ。何しろこれは探偵から先ほど送られたもの。中年男が若い女と腕を組んで歩いている写真だ。
「仲良く腕なんか組んじゃって!おや~?この相手の女、お宅の秘書みたいだ」面白おかしく探偵が言う。
「ここ、どこか分かるでしょ?」それはまさしく、ラブホテルの入り口だ。
探偵が先方の会社に潜入し、女子社員から仕入れた不倫現場の決定的写真だ。
男の顔色は見る見る変化した。「それをどこでっ!?」
「足元を救われたな。女は侮るべからず、だぞ?」探偵が言う。
この言葉、どこか説得力がある。さては女にしてやられた経験でもあるのか。
「まさか彼女が?……あいつめ!もうクビだ!」
「そんな事したら、これ、社内にバラ撒くわよ?」ここぞとばかりに付け込む。「何がクビよ?自分を棚に上げて良く言うわ」心底憎らしく思う。
「クビは撤回する!そ、それだけは勘弁してくれぇ……」ついに男は床に膝を付いてくず折れた。
「いい?ゆすりって言うのはこうやるのよ。……ああ、でもあなたみたいなネタだらけの人に、それをやる資格はないか!」私は探偵の方を見ながら言った。
探偵が大きく頷く。
「それともう一つ。神崎社長はこんな脅しなんかに屈しない。忠告しておくわ。彼を見くびらない方が身のためよ」
「それと、こちらの妹君の方もね」探偵が付け加えた。
いい事言ってくれるじゃない?探偵さん!私は最後にコルトを抜いた。あえて構えずただチラリと見せつける。
「今度こんな真似をしてみなさい。命の保障はしないわよ」
「おお怖い……!なあアンタ、こんな不倫写真くらいなんだ?命さえありゃ、人生やり直せるさ」探偵が蹲る男に近づいて語り始めた。
「アンタだって、家族を支える大黒柱だろ?色々背負ってるもんがあるだろうが。こんなところで道を踏み外すなよ」
何という心に沁みるお言葉?
「どう?約束できるの、できないの?」
「しますっ、約束します!ですから、その写真は……っ」
大の男が何と情けない姿だ。興が冷めて、手にした携帯を男の方に放り投げる。それを地面に這いつくばってキャッチする男。
「……っおいおい、君の携帯だろ?いいのか、渡しちまって」探偵が聞いてくる。
「あれ、私のじゃないわ。プリペイドよ」自分の携帯を出して見せる。
「何だって?!それじゃ、オレに教えた番号は?」
「あれの番号に決まってるでしょ」
ははは……っと探偵の乾いた笑いがこだました。
腰に手を当てて、去って行く男達を見守る探偵。
「どうやら、解決したみたいだな」
「探偵さんのお陰よ。感謝してるわ」
「そういえば、罠張ってたんだろ?ムダになっちまったな!」
「いいえ。そんなものないわ」
「何?それも騙したのか!」
「ふふ!だって、調べるのは探偵の仕事でしょ。それに罠なんていらない。これで脅せば済むもの?」再びコルトをチラリと見せる。
「バカ野郎っ、あんまり人前にそれを出すなって!」
「あらなぜ?あなたにはもう逮捕権はないはずよ」ここには私と探偵しかいない。
ふと新堂さんの顔が浮かんだ。「あの人もこれ、心から嫌ってるのよね……」
探偵が何か言いたそうな顔をしていたが、言葉にする事はなかった。
私の肩にポンと手が乗る。「……ま、この国じゃ、あまり好まれないかもな」
唐突に話題を変えて問われる。「それより!さっきアイツに言ってた事だが……」
「何?」
「なぜ神崎社長がアイツと取引をしないのかって話さ」
「ああ、あれ。探偵さんは、どうしてだと思う?」
「そうだなぁ……不倫するようなヤツとは関わりたくない、とか?」
「ふふ!神崎さんはそんな事を気にするような人じゃないわ」
「なら降参だ!教えてくれよ」
私は思い切り悪戯っぽく笑ってから答えた。「単に取引内容がチッポケだったのよ」
「何だって?」
「彼はね、超、大物なの!」
「ふう~ん。で、それは兄貴自慢か?」
私は嬉しくなって答えた。「気づいた?そうで~す!ねえ探偵さん。今回の報酬、兄からきっちり受け取ってよね」
「やれやれ。依頼人まで分かっちまったか。しかしだな、いくつもミスしたんだぜ?」
話によれば、気づかれずにボディガードするよう依頼されたとの事。
神崎さんも人が悪い!この朝霧ユイに気づかれずに尾行するなど、我が師匠のキハラでもできないと思うが?
「そんな事ない。むしろ、最大の厄介事、解決してるんだから。大手を振って貰いに行けるわ」
「……なら、そうさせてもらうかな」
神崎さんは私のためにしてくれた。気を遣って、こんな私好みのイケメンでお茶目な人を探してくれた事に(!)大いに感謝したい。
「なかなかの暇つぶしになった!」大満足の私なのであった。
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