この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第四章 不屈の精神を養え

33.ワケアリ探偵(1)

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 新堂さんはまだシカゴにいる。前回一ヵ月も離れ離れだった事もあって、一人の生活もすっかり慣れた。そして今回は、体調を崩す事もなく快適だ。
 日頃の過剰な監視体制(!)から解放され、自由に行動できるのは嬉しい。

 そんな自由満喫中の仕事帰りの道すがら、背後から不審な気配を感じた。
 すぐに付けられている事に気づき、立ち止まらずにいつもとは違う路地を曲がる。

「私に何かご用?」
 ひょっこりと角から顔を出したサングラスの男に、おもむろに声をかけた。
「うわぁっ!ビックリした……」
 この驚きようから、私が待ち伏せていた事に気づいていなかったようだ。

「あなた、何者?」動じる事もなく詰問する。
 男は痩せ型で身長は新堂さんよりも低いが、チビの私は見下ろされている。それでも動じているのは男の方だ。
「あ、いえ……何でもありません、失礼」
 男は一刻も早く立ち去ろうと身を翻す。

「待ちなさいよ」
 男が肩に掛けていた上着を勢い良く引っ張った。
「おっと……っ!」
 体勢を崩した男の体が私の方に傾く。

 不意に鼻先を近づけられて焦る。

 実は先ほど、相棒コルトと少々遊んでいたので!お相手は、勤勉な学生に絡んでいた柄の悪い若者だ。威嚇のためにチラつかせただけでは飽き足らず、特別サービスで威嚇発砲した。新堂さんが不在とあって、こんな事も心置きなくできる。
 つまり、今の私からは火薬のニオイがバッチリするという事。

「あ、あの。離してもらえませんか?」
 そう訴える男の顔を無言のまま凝視する。サングラス越しでは判別が難しいが、漂う火薬臭に気づいた様子はなさそうだ。
「……引き止めて悪かったわ」すぐに手を離して解放した。

 すると男は律義にお辞儀をすると、軽快なステップを踏んで去って行った。
「気が弱そうに見えたのは演技?」
 あっという間に人混みに消えた男を訝しがりつつも、今しがた入手した財布を見下ろす。ジャケットを掴んだ時に、内ポケットから拝借したのだ。もちろん盗み目的ではないので念のため!

「何なの、あの男。この私を尾行しようなんて?隙だらけだし……財布の中身もシケてるわね!」
 中には千円札が三枚と、どこかのポイントカードが数枚入っているだけで、身元を割り出せるようなものはなさそうだ。

 諦めて交番に届けようとした時、一枚の名刺を見つけた。肝心の名前の記載がない。「印刷ミスかしら?」
 だが住所はまともな場所を示しているようだ。
 こんな名刺を配る人間はいない。つまりこれはあの男のものだ。
「明日にでも乗り込んでみよっと!」

 仕事も休みだし、暇するところだったからちょうどいい。


 そして翌日。電車に乗るのが億劫だったので、車で乗り込む事にする。
 近辺に着いてみると幸いコインパーキングを発見。そこに停めて探し歩く事数分。

「ここね」

 石造りの三階建ての建物。想像していたよりもセンスがあるレトロな造りだ。一階は不動産屋。名称から、先ほど車を停めたパーキングもここが運営している模様。
 そして記載のあった二階へと足を運ぶ。
 お目当ての部屋のドアには、看板とは言い難い張り紙があるばかり。

「〝探偵社 よろず相談賜ります〟だって。胡散クサっ!」
 呼び鈴もないためノックしてみると、反応良く男の声がした。
「は~い?どうぞ、入ってくださ~い!」軽いノリだ。
 躊躇なくドアノブを回す。

 ドアを開けると、奥のデスクから立ち上がった男がこちらに向かうところだった。
 昨日の男に間違いない。サングラスで隠れていて分からなかったが、とても魅力的な瞳をしている。細身で身軽そうな男は、まるでステップを踏むように進む。

「先日はどうも」
 声をかけた私を見るや、男が固まった。
「これはこれは……どうしてここがお分かりに?」気を取り直した様子で口を開く。
 さすがにこれは演技ではないだろう。

「これよ」私は財布を差し出した。
「ああ、確かにそれは僕のですね……」
「勘違いしないでよね?何も盗んでないから。ちゃんと確認して」

 男はしばらく私を見つめていたが、財布を受け取ると中を確認し始めた。

「ええ、ちゃんとあります。それで……」顔を上げて改めて私を見る。
 腕組みをしたまま言い放つ。「何?わざわざ届けに来てあげたんだけど?」このまま玄関先に立たせておく気?と目で訴える。
「ああ……!これは失礼。中へどうぞ、お茶でも入れますよ」
「ありがと!」どうやら鈍くはないようだ。

 男の横を通り抜けて、遠慮もなく中に入る。

「いやあ、助かりましたよ。失くしてしまって、困っていたんです」
 財布を見下ろして言う姿は、どこかわざとらしい。
「やっぱり、あなたと会った時に落としたんですね、僕!ヤダなぁ~」
 ここは話に乗ってやろうじゃない?
「そうみたいね。でもそんな名刺しか入ってないから、困ってたの」
「ああ。これミスプリです。使えないんで弾いといたんですよ。でも入れておいて良かったな!」予想通りか。

 コーヒーポットからカップに熱い液体を注いでいる様子を眺めていると、顔を上げて男が言う。「どうぞ、その辺に掛けてください」
「何もお構いなく」一応こう伝えて、すぐ側のソファに腰を下ろした。
 カップを素のまま二つ盆に載せこちらへ運んでくると、男は私の正面に座った。

 改めて目の前の男を観察する。髪は整髪料でオールバックに整えられ、すっきりとした印象だ。やや日に焼けた健康的な肌の色は、外仕事の証。一見弱々しいがどこか抜け目なく感じるのは、やはり目だ。
 その眼光は時折鋭くなる時がある。それはまるで、警察関係者のように!

「交番に届けていただいて良かったのに。わざわざ済みませんでした」
「……そうね」
「あなたみたいな美人にそんなに見つめられると、誤解しちゃいますよ」
 こう告げられて、見すぎていた事に気づく。
「それはごめんなさい。サングラス、ない方が素敵よ」
「ははは……っ!」

 私はまだ笑みは見せない。一旦男から視線を外した。

「それで名無しの探偵さん。ちゃんとした名刺はくださらないの?」
「実は今切らしてましてね。それに、名乗るほどの者じゃないですから」
 こんな主張も嘘っぽい。「名乗れない訳でもあるの?」
「そんなんじゃありませんよ!本当に」

 ふうん、と適当に返事を返した。まあいい。それよりも問題はこちらだ。

「一応聞いてみるけど。私を尾行して何をする気だったの?依頼人は誰?」
「申し訳ないが、それは言えない」
「でしょうね!まあいいわ。言っておくけど、尾行を撒くのなんて、私にとっては簡単な事よ?」
「はい?」
「だ~か~ら~!協力してあげるって言ってるの。私の何を知りたいの?」

 言葉の意味が理解できない様子で首を傾げる。「なぜ僕に協力してくれるんです?」
「付き纏われるのは好きじゃないのよ」
「そりゃそうでしょうけど!そうであっても、依頼内容を話す訳には行きませんね」
「いくら?」
「はい?」
「今回の報酬よ。内容を話してくれたら倍出すわ。悪い話じゃないはずよ?」

 昔の自分ならともかく、今の私に払えるのだろうか。いざとなったら新堂さんのクレジットカードを使ってしまえ!

「失礼だが、ご婦人に出せるような額ではないんですよ。それに今回はターゲットに……ああ、これまた失礼を」
 ターゲットを前にしてターゲットと呼ぶ辺りはただのうっかりか。
「気にしないで。続けて」
「あなたの協力は必要ないんです」
「どういう意味?」
「それ以上は言えない」

 目を眇めて男の真意を探るも、向こうも負けずに私の目を真っ直ぐ見てくる。
 どのくらい経っただろうか、またしても私の方から視線を外した。

「お分かりいただけたようですね」
「もういいわ。時間のムダみたいだから!」

 立ち上がると、そのまま振り返りもせずに部屋を出た。


 翌日、遅番勤務に向かうため昼過ぎに家を出る。

「朝霧さ~ん!」
「ああ。こんにちは」
「ねえ、あの男の人、さっきからずっと朝霧さんの事見てない?」
「男?……そうですか?気のせいじゃありません?」

 会社前で顔を合わせた同僚が示した方向には、例の男がいた。視線を向けると、頭に押しやっていたサングラスを掛けて慌てて姿を隠した。

「そんな事より、早く行きましょ!遅刻しちゃいますよ」
「あらホント、もうこんな時間?大変っ!」

 私はもう一度男を睨みつけた。軽く手を上げて堂々と男が答えてくる。
 全くどういうつもりだ!

 そして夕方の休憩時間となり、一人で外に出た。いるのは分かっていたので、カツカツとヒールの音をわざと響かせて近づく。
「ちょっと」
「よっ、お疲れサマ。休憩時間か?」
「ちょっと!」心なしか馴れ馴れしくなっているではないか?

「迷惑なの!同僚が怪しんでたじゃない。警察呼ばれても知らないから」
「それはないじゃない?知らない仲じゃないんだし!」
「こんな所まで来ないでくれる?しかも徒歩って……。どうせなら車にしてよ。あなたみたいなのがこの辺ウロウロしてたら目立つの!」この薄暗がりにサングラスなんて?

「冗談言っちゃいけない。こんな駅前の繁華街で、徒歩の人間を車で尾行?笑うぜ」
「とか何とか言って、もしかして車持ってないんじゃないの」負けずに返す。
「ご想像にお任せします」芝居がかったお辞儀を返される。

 こんな言い合いを繰り広げながらも、男は終始辺りを警戒していた。この行為が何を意味しているのか……。

 不意にこんな事を言ってくる。「オレ達、知り合いって事にしないとマズイぜ?」
 会社のオフィスビル入口に女性の姿が見えた。
 同僚だ!「んな……っ!」

「あっ、朝霧さん!何だ、その人知り合いだったのね!」同僚が言う。
 何てこと!言葉にならずに男を睨みつけていると、「それじゃ、僕はこの辺で失礼。どうも~!」と軽い調子で背を向けた。

「ねえねえ朝霧さん、あの人どう見ても旦那さんじゃないよね、誰?この時間にサングラスもちょっと変……」同僚の言葉を遮る。「もともと私に旦那さんはいませんけど?さあさ、食事行きましょ、時間ありませんよ!」

 同僚に隠れて男に向かって舌打ちをしたが、またも大袈裟に頭を下げておどけられた。


 勤務が終了すると、誰よりも早く外へ出た。

「お疲れ様でした、お嬢様。家までお送りいたします」恭しく頭を下げて言う。
 今度は執事気取りか。
「そんな事言って、一緒に電車に乗るだけでしょ?」
「ご名答」
「カッコ悪!もう……何でもいいわ、早く行くわよ!」

 そう言って駅に向かって一目散に走った。もう誰にも見られる訳には行かない!

 男が小走りに後を追ってくる。
「もうバレてるんだしっ、別に、いいんじゃ、ないのかっ?」息を切らしながら訴える。
「ふざけないで!夕暮れの暗がりにサングラスかけてるオールバックの男が、どれだけ怪しく見えると思ってんのよ!」しかもムダにイケメンとあっては?
「誤解されたなら、申し訳ない」珍しく素直に謝ってきた。

 何とか電車に飛び乗る。ここまで来れば安心だ。大きく息を吸い込んで呼吸を落ち着ける。

「……せめて車で現れてくれたら、彼だって言い張れたのに」
「君の同棲中の恋人か?」
「何でもお見通しって訳ね!気に入らないわ」ご丁寧に同棲中の、なんて?同僚達よりも詳しいかもしれない。
「それが商売なんでね。申し訳ない」再び謝ってくる。

「車って言っても、オレはあんな高級外車持ってないぞ?軽トラでもいいかな」
「ふ、ざ、け、な、い、で!」
 周囲の乗客が、大声を出した私に目を向けるがどうでもいい。腹が立ってどうしようもない!
 気づけば男が私に代わって周囲に謝罪していた。

 それきり会話もなく、最寄り駅に到着する。

「なあ、歩いて帰るのか?夜道は危険だから、バスで帰ったら?」
「あなたに関係ない!」
「関係大アリだ、君は……。クソっ、オレは探偵失格だな」言おうとした先は濁された。
「何ですって?」
「何でも。こっちの話」

 男は後ろではなく私の横に並んで歩き始める。

「探偵失格、分かってるじゃない。ターゲットに見つかるなんてね。バカじゃない?」
「確かになぁ~」外したサングラスを胸ポケットに突っ込みため息をつく。
 さらに黙りこくる男に、思わずこんな言葉をかけていた。
「ちょっと……。返しずらいじゃない?そんなに落ち込まないでよ、探偵さん」

「やっと探偵って呼んでくれた。認めてくれたのかな?案外優しいじゃない、朝霧さんって」
「案外って何よ。別に認めた訳じゃないから。呼び名がないのは不便でしょ!」

 やがて大通りを渡ると、やや薄暗い小道に入る。

「ホントに、夜は危ないぞ?朝霧さん美人だから、変な男に襲われちゃうかもな」
「例えばあなたみたいな?」
「おお……、そう来たか」
 また変に落ち込まれても困るので言い直す。「冗談よ。だけど、これで意味あるの?」
「え?」
「これって、すでに尾行じゃないわよね」

「ああ。いいんだ。君と一緒にいさえすればね」そう言って笑う探偵が、悔しいけれどカッコ良く見えた。
 どういう意味かも分からないというのに?全くイケメンに弱い自分には呆れる!

 そんな事を考えていた時には、すでに不審車両が背後に迫っていた。
 どうやら私は一歩遅れを取ったようだ。
「危ない、朝霧さん!」探偵が私を庇って正面に立った。

 その直後、車の窓が開いてこちらに手が伸びてくる。
 探偵はそれを阻止しようとさらに前に躍り出る。その直後、スプレーを顔面にかけられた。

「オレに構わず逃げろっ!」車両の男の腕を掴んで食い止めながら、探偵が叫ぶ。
 あれは恐らく催涙スプレーだ。視界は奪われているはず。私の安否を気にして周囲を探っている。

「何よ、あなた達は?」
 そうこうするうちに、車からは男が数人降りて来た。
「早くっ、逃げるんだ!」男達の気配に気づいたのか、私を必死で逃がそうとする。
 探偵さん、それは違う。「誰に言ってるの?逃げる必要ないでしょ」
「何だって……?」

 それを証明するため、手始めに一人を華麗に投げ飛ばした。探偵の目の前で大の男が宙を舞う。視界が利かない今の探偵には確認しようがないのだが。
 探偵が次に耳にしたのは、何かが折れるような鈍い音。私が男の一人の肋骨を折ったのだ。

「あなた達、何が目的?……って、私に決まってるか」けれど何も語らない男達。これ以上痛めつけても意味はないと判断。
 大勢いたはずが、いつの間にか私への攻撃は止んでいた。どうやら諦めたらしい。
 ケガ人が車に引き上げられたかと思うと、あっという間に不審車両は去って行った。

「……大丈夫?探偵さん」視界を失った探偵に近づいて尋ねる。
「ははっ!平気平気。参ったな、朝霧さんにカッコいいとこ見せたかったのに?」
「ねえ、私の家すぐそこだから、休んで行って」

 まだ視力が回復していない様子の探偵の手を掴んで立ち上がらせる。
 そのまま腰を支えて一歩踏み出すと、探偵の手が私の肩に乗った。
「悪いな……」
 どうやら素直に私の好意を受け取ってくれたようだ。

 こうして探偵を連れて、ゆっくりと自宅へと向かった。


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