この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第四章 不屈の精神を養え

  大きな隠しゴト(4)

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 やっと新堂さんに会えると思ったのに、どういう訳か門前払いされた。
 それはこんな具合に。

――「ちょっとぉ~、もうユイさんにウイルスいないってば!何なら調べてもらっても構わないわよ?会わせてよぉ……」勢いが衰え、徐々に情けない声になる。
「それは分かってる。お前のせいじゃない。今日は面会謝絶だ」
「何でよ!そんなに重症なワケ?だってただの……」過労、ではないのか?
「男にだって色々事情があるんだ!悪いが、また来てくれ」――

 一体どんな言い訳だ?信じられない!頭に来たので翌日も押しかけてやった。
 けれどまたも同じ展開に終わる。

「悪く思うな。ヤツも苦しんでるんだ」
「苦しい時にこそ、側にいてあげたい!」
 貴島さんは何も答えてくれなかった。


 二日連続のトンボ帰りとなれば、さすがに気分転換が必要だ。
 寄り道をして昔住んでいたマンション近くの公園に足を運んだものの、全然気分転換にならない。
「風が冷たすぎっ!」ブルっと震えて、なびく髪を押さえつける。「せっかくだから、このまま遠回りして帰ろっと」例のお客に早く見つけてもらえるように。

 なるべく日に一度は車を動かすように努めている。そしてこの日も、目的もなく一人ドライブだ。

「ああっ!それにしても、大型セダンはこれだからキライよっ!」
 狭い路地を曲がってしまい、回り切れず何度も切り返している所に後続車が来て、クラクションを鳴らされる始末。
「あ~もう、イライラするっ」

 曲がるんじゃなかったと後悔しつつ、ようやく切り抜ける。怒りのあまり思い切りアクセルを踏み込んでしまった。
 周囲が驚くほどのスピードがあっという間に出た。さすがはマセラティだ!
「関心してる場合?こんなんじゃ、また大人げないって新堂さんに叱られるわ……」
 苦笑してスピードを落とし、ため息をついた。

「さあ、早く見つけてちょうだい!私達は逃げも隠れもしないわよ!」


 けれど、結局いつも何も起こる事なく家に着いてしまう。

 背にしたクワトロポルテを振り返る。夕陽に黒光りするボディは、埃で薄っすら白い。「新堂さんがこれを見たら、さぞや嘆くでしょうね……」
 頻繁に洗車をしていた彼。とはいえ負傷中のポルテちゃんだ。「この状況でピカピカにしてもねえ……?」

「色んな意味で、本気で彼が帰る前にケリを付けないとな」
 そんな決意を新たにして、今日も一人ぼっちの夕飯を整えた。

「こんなもんでいいや」
 彼が不在になってからというもの、メインは大抵ワインだ。胃腸炎以来あまり食欲が湧かないのは確かだが、今は単に気分的な理由なので念のため。
 これのどこが夕飯だ?と呆れる彼の顔が目に浮かぶ!

「あなたが悪いのよ?追い返すなんて酷いわ!ヤケ酒よ、ヤケ酒!乾~杯っ、私の一番の相棒!」腰から抜き取ったコルトをテーブルに置き、カレに向けてグラスを傾ける。
 こんな真似は、新堂さんがいる前では絶対にできない。
 カレを抱きしめて呟く。「あなたは絶対に、私を見捨てたりしないもんね。新堂さんのバカ……っ」

 不意にリングがコルトに当たり、カチンと音がした。
「あっ!傷付いちゃったかな……」
 恐る恐るリングを見下ろすと、今付いたのか不明な傷が結構ある事に気づいた。
「ずっと着けてるんだし、傷くらい付くよね?」もう開き直る事にしよう。

 それにしても、飲んでも飲んでも酔えず、ため息ばかりだ。「もう寝よっと……」
 何しろ今日は大晦日。一人寂しい大晦日!
 世間がカウントダウンを始めるよりも前、早々に床に就く。

 ベッドに入ったものの、もぬけの殻のお隣りのベッドを見てはまたもため息。

「うう……っ。眠れない!」
 結局零時の三十分前に起き出して、テラスで一服を始めた。遠くの方からは除夜の鐘が聞こえている。
「新堂さん、会いたいよ……。もう今年、終わっちゃうよ?」

 そのままテラスで一人、年を明かしたのだった。


 年が明けて今日は元日。めげずに再び貴島邸を訪問する。今日こそは彼に会う!

「あ~ユイ、ごめんね、今いないのよ」
 出迎えてくれたのはまなみだけ。二人で外出中らしい。確かに庭にクワトロがない。
「え~?!いないってお正月早々?検査にでも行ってるんでしょ。戻るまで待つわ」
 こう訴えるも、まなみは玄関から動かない。
「ねえ、中、入れて?」

「ごっ、ごめんねユイ!私もこれから出かける用があって!」
「そうなの?お買い物なら付き合うわ」車を顎で示して言う。
「違うの!ごめんね。それじゃまたね、ユイ!」
 引き止める間もなく、まなみは玄関横に掛かっていたハンドバッグを引っ手繰り、慌てて駆け出して行った。

「一体何なの……っ!?」そんな様子に呆気に取られる。
 携帯を取り出し貴島さんの携帯にかけてみたが、運転中で出られないとのメッセージが流れるだけだった。

「ウソでしょ、またトンボ帰り?……いい加減にして」
 しばらく敷地内で待っていたが、バカバカしくなった。

 入れ違いで帰宅したクワトロが反対側からやって来た事にも気づかず、私はその場を後にしたのだった。

「せっかくだから、神社にお参りでもして行こうかなぁ」
 神頼みなんてらしくない。けれど今は、何かに縋りたい気持ちでいっぱいだ。
 だがしかし。初詣で客の渋滞に阻まれてあっさり断念した。
「らしくない事はするもんじゃないって事ね!」

 この日はどこもかしこも渋滞続きで、家に着いた頃にはもう暗くなっていた。
「あ~、疲れた!この一日って何だったの?」

 一息ついてから、貴島邸に連絡を入れる。

「もしもし」もはや愛想の良い声など出せるものか。不貞腐れた第一声を放つ。
『おお朝霧。明けましておめでとう!今日来てくれたんだってな。留守にしてて悪かったな』対して、律義に年始の挨拶から始める陽気な貴島さん。
「あ、ええ……おめでとう。連絡せずに行った私も悪いから。ところで彼の様子はどう?話ができるなら代わってくれない?」
『ああ、ちょっと待ってろ』

 しばらく待たされた。けれど電話口に現れたのは貴島さんだった。

『済まん、眠ってるんだ。だが、ここんとこ調子はいいよ。近々会いに来るといい』
「本当に?会わせてくれるのね?今度門前払いしたら、押し倒してでも乗り込んでやるんだから!」
 貴島さんの乾いた笑い声を聞きながら続ける。「じゃあ明日ね!」

『あっ、明日?!車で来るんだろ。せめて三が日は避けた方が賢明だぞ。今日だって大変だったろ』どこか慌てた様子だ。
「そんなの関係ない。何なら空から行くわ」渋滞が何だ。だったらヘリがある!
『朝霧!まなみじゃあるまいし、子供みたいな駄々をこねるな。週明けにしろ、そう、せめて週明けだ!』
「はあ~?さっき近々いいって言ったじゃない。今調子いいんでしょ?」

『う~ん……、とにかくっ!五日……、いや六日だ。六日に来い!いいな?』
「あ、ちょっと!……切れたし。一体何なの?この一方的な会話は!」
 六日はパート先の仕事始めなのだが?「ユイさんにだって、予定ってもんがあるのよ?」皆、私が勤め人だって事を忘れているようだ。


 翌日、暇を持て余して近所の神社に徒歩で向かった。

「昨日行こうとした所とは随分規模が劣るけど。神仏に大小は関係ないでしょ!」
 人でごった返しているでもなく、ほのぼのとした昔から住民に慕われる神社。

 そして人生初の、おみくじなるものを引いてみた。
「……末吉?何これ」
 大中小の他に、こんなモノまであったとは知らなかった。内容は、前半は困難あり。くじけずに前進すれば後半道は開ける、とある。
「困難かぁ。前進あるのみって事ね。がむしゃらに突き進むのは得意な方よ!」

 自虐的に突っ込みを入れつつ所定の位置に結びつけている時、不意に鳴った携帯。知らない番号だったが取りあえず出てみる。
「はい、朝霧です。どなた?」
 電話越しに聞こえてきたのは、私と同年代くらいの女性の声。名前を聞いて驚いた。
「奈緒ちゃん!?嬉しい、電話待ってたのよ~!」ついに真打ち登場だ。

 この年末年始も働き詰めと聞いて、私が彼女の勤める病院近くまで出向く事にした。勤め先はあの震災のあった東北だ。自ら志願して行ったそうだ。
 やっぱり奈緒は偉い子だ。兄巧が誇りに思うくらいに。


「あなたが、朝霧ユイさんなのね!」視力が戻ってからは初対面となる。
 上から下までじっくりと見られて、少々照れながら返す。「そう。元気そうね、良かった。忙しいのにごめんなさい」
「想像通りの美人さんっ!」
「ちょっとやめてよ……っ」奈緒の肩に軽く体を当てて言い返す。

「お兄ちゃんから聞きました。和兄ちゃんのご両親の事、知りたいって。ごめんなさい、それについては、私も何も話せる事はないんです」
「そうよね……。でも、いいのよ。奈緒ちゃんに久しぶりに会いたかったし。ナース姿、似合ってる。バリバリやってるのね!」第一線での活躍、何とも羨ましい限りだ。
「これも全て、ユイさんのお陰です。感謝してます」深々と頭を下げて言う。

 慌てて彼女の両肩に手を置いて顔を上げさせる。
「やめてったら!あなたはナースとして、一人でも多くの人を救ってあげて。それが私の望みよ」
 顔を上げた奈緒が、強い瞳を私へ向けた。「だったら問題ない。私もそれが望み」
 私達は笑顔で頷き合った。

「そうだ、ご両親の事を知ってるか分からないけど、あの園に勤めてた人となら連絡取れるよ」今でもたまにやり取りをしている仲だそう。
「それホント?!凄く助かるわ!」
 早速その人の連絡先を聞き出した。

「それと、和兄ちゃんの子供の頃の話なら、いくらでも教えてあげられるけど?」
「それもかなり興味あるけど……やめとく。本人のプライバシーに関わるしね」
 きっと彼は嫌がるはず。過去の自分を嫌っているなら、知られたいはずがない。

「そっか。優しいのね、ユイさん。和兄ちゃんは幸せ者だ!二人、憧れちゃうな~」
「え~?そうかしら」
「そうだよ!ねえ、ところで和兄ちゃんは元気?」
「え……、ええ。ちゃんと生きてるわよ」元気とは言えないが。

「今度は二人で遊びに来てよ!その時は私、何とか休み取るから。ね?」
「ええ、もちろん!彼に伝えとくわ」今は何も言えない。彼の状況が全く分からないのだから。来られる事を祈るばかりだ。

 でもこれで、かなりの有力情報を得られた。
 早速教えられた番号に連絡を入れてみると、目的の人物は帰途に住んでいる事が判明。運良くこのまま向かえる事となった。


「突然お邪魔して申し訳ありません、私、朝霧と言います」

 中年女性を前に深々と頭を下げる。こんな年明け早々に、見知らぬ客を迎え入れてくれた彼女には感謝だ。
「紺野です。こちらこそ、こんな田舎にお越し下さり嬉しく思います」寒いので中へどうぞと家の中に案内してくれる。
 小綺麗に片付けられた室内には誰もいない。

 私の考えた事を察したのか「今、皆で近所の神社に初詣でに行ってるんです」と説明された。
「ごめんなさい、私が来たせいで一緒に行けなく……」言いかけて遮られる。「いいのよ、気にしないで。あなたに会う事の方が重要だって思ったので」
「え……?」
「知りたいのは和君の事ですよね。奈緒ちゃんから聞きました。ご結婚は?」
「いいえ、その、まだですが……」
 俯いた私に、ごめんなさいと謝って来た。すぐに首を振って否定する。

「私があの園に入ったのは、ちょうど彼が熱心にピアノに向かっている頃だった」
 当時はまだ二十代前半で、彼女もピアノに憧れていたのだと打ち明けてくれた。
「それは上手だった。いつも園内にピアノが響いていて」懐かし気に頬を緩める。
「私もあの人のピアノ、好きです」
「あら、まだ弾いてるのね!そう、良かった……」医学部を目指すからと、やめてしまったみたいだったからと続ける。

「あの、それで彼のご両親については……」
 これ以上彼の幼少期を探るのは心苦しい。無断でしている事だから。
「そうね。昔話はこれくらいにしましょう。本人が一緒じゃないという事は、あなたが内緒でしてるって事だもの」こう言って笑う。知ったらきっと怒るでしょうね、と。

 この人は本当に彼の事を良く知っている。そして何て察しのいい人だろう。

「私が知っているのは、園長夫人が言っていた事だけ。確か、小雪が舞うような寒い日に、薄着に突っ掛け姿で、若い女性が赤ん坊を抱いてやって来たって」
「そんな日に、そんな格好で?」近所に住んでいたのだろうか。
 紺野さんが頷く。「お金に困っていたんじゃないかしら。赤ん坊だけを寒さから守って、自分は薄着だったって聞いたわ。産み落としたばかりの子に、もう名前も付いてた」

 そんな光景が思い浮かぶようだ。この状況からも彼は、母親に大切に扱われていたではないか!彼はそれを知っているのだろうか?

「その事は、本人には……?」
「ええ。高校を卒業する時に園長夫人が伝えたそうよ」
 新堂さんはその時どう思ったのだろう。
 感慨に耽っていたところで声がかかる。「ごめんなさいね、私が話せるのはこれだけ。これでは手がかりにならないわね」
「いいえ!十分です。貴重なお話、ありがとうございました」

 また何か分かったら連絡くださいと伝えて、紺野さんと別れた。


 長い旅を終えて帰宅したその夜、寝室の窓を全開にして、一人煙草を吹かす。

「新堂さんの子供の頃かぁ……。きっと可愛かっただろうな」
 そして一人笑う。「カズ兄ちゃん、か。もう奈緒ってばカワイイんだから!きっと新堂さん、あの子をずっと近くで見てて、年下好きになったに違いないわ」
 手が凍えるように冷えてしまった。急いで窓を閉める。
「うう……、寒いっ!東北も寒かったけど、こっちも寒いよ~」

 自分が感じているよりも、思ってくれている人は結構たくさんいる。ただ気づいていないだけで。その事を、早く彼に教えてあげたくなった。



 そうして待ちに待った仕事始めの朝、会社に電話を入れ、年明け早々休みを申請した。ここは手っ取り早く、自分自身の体調不良という事にする。

「あ、もしもし朝霧です。ボス……じゃなかった、支社長をお願いします」
 ボスが出る。いつもより声のトーンを下げたりと念入りに取り繕うも、疑われるどころか、心配の素振りさえ見せずに了解をくれた。
「案外あっさりしたものね。フリでもいいから心配してよ?」とっくに切れている電話に向かって言い放つ。
 新しい年を迎えてテンションが上がり、心ここにあらずのボスを想像してため息をついた。

 例えどんな扱いを受けようとも、今日はどうしても行きたいところがある。今日こそは新堂さんに会うのだ!私は喜び勇んで身支度を整えた。


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