この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第四章 不屈の精神を養え

38.訪れた試練(1)

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 新堂さんと別々に暮らし始めてひと月と二週間。彼の携帯電話を届けに行った時に一度会って以来、ずっと門前払いされ続け……。
 でもこの日、ついに会う事ができた!

「やあユイ。何度も来てくれてたのにごめんな」
「新堂さん、やっと会えたぁ……」
 確かおみくじの待ち人という欄に、来る。と書いてあった。ついに来たのだ!
 とはいえ、私の方も胃腸炎に罹ったり、奈緒や施設の元職員紺野さんに会いに行ったりと、何かと忙しくしていた訳で彼だけを責める事はできない。

「なあ……ユイ、何だか痩せたんじゃないか?ちゃんと食べてるのか」私の顔を見て問いかけてくる。
 実際あまり食べてはいない。だがここは一つはぐらかそう。
「あなたこそ痩せたじゃない。本当に大丈夫なの?良くなってるのよね?」
 だがこれに対する答えはなかった。

 おまけに、誘導尋問が最高に上手い彼にまたしても誘導されてしまう。
「今回は最低の年末年始だったな。申し訳ない」
 こんな痛ましげな表情の彼を前に、文句が言える訳がない。
「そうでもないよ。一人になって、新堂さんの有り難みを日々実感してる。増々好きになったわ!」この言葉は強がりなどではなく本心だ。

 この時、彼が何か言いかけたように見えた。けれど何も言葉を発する事はなく、ただただ酷く疲れている様子。

「新堂さん、私に、何かできる事はない……?」思わず泣きそうになってしまう。
 何だか様子がおかしい。全然良くなっているように見えない。
「そう心配するな。そんなに精神的に負荷を掛けると、また甲状腺疾患が再発するぞ?病は気からって言うだろ」
「だって……っ!」

 そして彼はそんな事を言った後、目を閉じてしまった。
 元気になっている事を期待していたのに……。青い顔で横たわる彼を見つめる。
 その腕には二本も点滴が入っている。チラリと薬剤を確認するが、聞いた事もない薬剤名が並んでいるばかりでさっぱりだ。

 足音が近づいて、部屋に貴島さんが顔を出した。

「貴島さん!これはどういう事?」
「まあまあ……そう大声出すなよ。お前の言いたい事は分かってる。もう限界だ、これ以上隠せない。いいよな、新堂」眠りに就いてしまった彼に、貴島さんが言った。
 やっぱり何か隠していたのだ。
「向こうで話そう」

 病室を出てリビングへと向かう。

 先に部屋にいたまなみが首を傾げている。「あれ、どうしたの?二人とも、そんな辛気クサい顔して!」
「おいまなみ、タバコ買って来てくれ」
「え~っ!今ぁ?せ~っかくユイが来てるのに?」遊びたい!と続ける。
「悪いな。今欲しいんだ、今すぐに!」
 まなみはブツブツ言った後、渋々出て行った。

 まなみにも言えない事なのか……。私の不安はいよいよピークに達した。

「とにかく座れ」
 促されソファに腰を下ろす。向かい合う私達の間に流れる空気は、どこまでも重い。
「いいか朝霧。病み上がりのところに、追い討ちをかけるようで悪いんだが……落ち着いて聞いてくれ」
「そんなに改まって、何なのよ……」とても嫌な予感がした。

 久しぶりに動悸を感じる。心臓が激しい鼓動を打ち鳴らす。

「新堂は、AMLだ。それも難治性のM0型」
「ちょっと待って、何?そのエー、エム、エル、何とか型って」
「最未分化型急性骨髄性白血病だ」
 それはとても長い病名で、最後の部分だけが頭に残った。白血病。

「白血、病……っ?ウソよ!」両手で口元を覆って繰り返す。嘘に決まっている!と。
「嘘じゃない。疲労だなんて騙してて済まなかった。本人からの、たっての希望でな。病名を伏せていたんだ」
 目の前が真っ白になった。彼の具合の悪そうな顔が、この白血病と言う恐ろしい病気と重なる。
「そん……っ…な!何で新堂さんなの?その疑いがあったのは私なのに……っ」
「疑いって?」

 今年の年末年始に行った草津旅行で、急に息切れや鼻血の症状が出た私は、彼に白血病の疑いをかけられていた。
 そしてあの時、新堂さんは自分が身代わりになると言った。もう私を苦しませたくないからと。けれど……そんな事はあり得ない!

「ねえ、でも助かるんでしょ?移植すればいいのよ!私、血液型も同じだからきっと型も一致するはずよ。……ねえ、貴島さん?」不安に耐え切れずにまくし立てる。
 一方貴島さんは冷静だった。「赤血球の型は必ずしも一致する必要はない。白血球のHLA型さえ合えばな」
「なら、私のそれ調べて!」

 貴島さんは私をじっと見つめるばかりだ。やがて医者の顔となり、現状を淡々と説明し始めた。
「やっとの事で説得して、今は化学療法を試してる。お前も聞いた事があるかもしれんが、この治療はかなりキツイ。そのせいで、お前に会えない日も何度かあった訳だ。悪かったな」
「……そんなに、苦しんでたのね。私に会えないくらいに。ああ、新堂さん!」

 涙を堪えて必死で目を開く。気持ちを奮い立たせろ、私も冷静になるのだ。

「大体、疲労がそんなに長引くのはおかしいだろ」
「そんなの始めから信じてなかったわ。それで、効果は出てるの?」
 貴島さんはただ首を横に振るだけ。そして続ける。「新堂は、お前からの骨髄提供を望んでいない」
 この言葉を受けて、私の型が彼と一致する事を悟った。

 貴島さんが少しだけ申し訳なさそうに言う。「勝手に調べさせてもらった」
「構わないわ。でも、どうして新堂さんは私を……」拒絶するのか。
「医者の立場から言わせてもらえば、確かにそれは納得できる。例えば……」

 私を一通り眺めて、再び目を合わせる。

「もしかして、ウイルス性胃腸炎に罹ったから?あれはもう治ったわ!」
「そうじゃない。ドナーの体重は患者の体重の八十パーセントが必要だ。お前はいくつある?」
「え、体重?……多分、四十五キロくらいかな、あ……でも最近食べてないからもっと少ないかも」呟くように答える。体重など好き好んで宣言したくはない。
「新堂は六十三キロだ。まあ、今は大分減っている事を見込んでも……」

「四十七キロ以上は必要って事?」瞬時に暗算して答えを求める。
 何て皮肉な!体重が増えてほしいと思ったのは生まれて初めてだ。

「他にもある。お前には自己免疫疾患が潜んでる。病気療養中の者。最高血圧八十九以下の者。輸血の経験がある者……」まだまだ出てきそうな勢いだ。
「あれはもう何年も再発してないわ!それに血圧だってそんなに低くない。輸血は彼としかしていない。体重だって二、三キロくらいすぐに増やせる。問題ない!」
「ああ、俺も同意見だ」

 思ってもいない返事に疑問を感じながらも訴える。「だったら!」
「だが新堂の意見はそうじゃない。ヤツはひたすら拒否し続けてる!」ずっと冷静だった貴島さんが声を荒げた。
「なぜ?なぜそこまで拒絶するのよ……っ」拳を握り締めて声を振り絞る。

「お前に負担を掛けたくないとさ」
「負担?そんな事気にしてるの……バカよっ!」自分の命が懸かっているのに?
「確かに負担はゼロじゃない。体だけじゃないぞ、精神的負荷で免疫疾患が再発する可能性だってある。それに心拍異常だってな。ヤツはそれが心配なのさ」

 極限に興奮し続ける私に、貴島さんが横に移動して私の手首を掴んだ。どうやら脈を測っているようだ。
「何してるのよ」
「ちょっと気になってな」
「何がよっ!離してっ」私はそれを振り払った。
 今は私の事などどうでもいい。そんな場合じゃないだろうが?

「脈が速い。今、動悸を感じてるだろ」
「だったら何?こんな死亡宣告みたいな事されて、ドキドキしない人なんている?そんな事より今は彼の話でしょ」
「ははっ!だってお前に何かあったら、俺が新堂に殺されるんだぞ?」
 おどけてそんな事を言う貴島さんのお陰で、ようやく一呼吸置く事ができた。

「ごめんなさい……最初に落ち着いて聞けって言われたのにね」
「いや。お前の言う通りだ。朝霧の反応は当然さ。ここで冷静なのは張本人だけだ」
「やっぱり?だと思った。あの人らしいわ……!」

 私達にやっと笑みが戻った。束の間の、だが。

「もう一つの可能性で言えば……、血縁者の方が成功率は高い」
 兄弟間で型が一致している場合は、死亡率も免疫拒否反応率も減るそうだ。
「朝霧、少し前にヤツの血縁者を調べるとか言ってたが……」貴島さんが聞いてくる。
「本人は何も知らないみたいだし、残念ながら難航してる。でも、もう少し時間があれば、両親の事なら何か分かるかも!」
「いや……もう時間はないんだ。それに両親が見つかったとして、高齢者にはその資格は与えられない。もちろん患者側も五十五を過ぎれば移植は対象外だ」

 そうだ。例え両親を突き止めたとしても、年齢は相当行っていると思われる。少なくとも七十代かそれ以上……。

「だからやっぱり私しかいない。そうよ、私達は遠いどこかで血が繋がってるはず」
 血液型が同じだと知ったあの時から、私はこの人との強い因縁(!)のようなものを感じていた。他人とは思えないくらいに。
 その因縁でこの人を助ける事ができるのなら望むところだ。

「それは同意だ!もしかして兄妹か何かだったりしてなぁ?」
 何を思ってか笑いながらこんなコメントを吐く貴島さん。
 これにはさすがに否定させてもらう。「兄妹であっては困るけどね!」

「それはさて置き。どう考えても私しかいないわ」
「そうなんだが……」
「新堂さんが納得してないって?いいじゃない、強行突破と行きましょうよ!」
「その前に朝霧、お前の方を詳しく調べなきゃならん」
 型の一致だけではないらしい。実際私の体は、過去の怪しげな闇新薬の治験のせいで問題があるのかもしれない。

 途端に不安が襲ってくる。
「どうしよう貴島さん、私……ドナーになれないかもしれない。そしたら彼はどうなるの?どうなるの……っ」
 ついに私の目に涙が溢れ出した。ここまで我慢してきたがもう限界だ。
「落ち着けって!大丈夫だ、心配するな。この貴島総一郎に任せろ。これでも新堂からの信頼は得ているつもりだからな」

 こう宣言した自信たっぷりの顔が、今はとても頼もしかった。

 その日から、私も貴島邸に泊まる事となった。もちろん新堂さんには内緒だ。何が何でも、私の体をドナーとして最適な状態にしてもらわなければ。

「朝霧。そうと決まれば、酒もタバコも当分禁止だ。いいな?」
「当然だわ。分かってる」ここのところやりたい放題だったからちょうどいい。
 あまりにあっさり答えた私に驚いていた貴島さんだが、「その心意気、気に入った!よぉ~し。俺も禁煙、付き合うぞ」と声を張り上げる。
「あら!言ったわね~?絶対よ?」
「ああ。男に二言はない」

 たった今まなみに煙草を買いに行かせている事を、すっかり忘れているソウ先生。

「まなみはこの事……」途中まで口にして貴島さんを見る。
「まだ話してない。俺が話しとくよ」こう言われ、「あまり深刻に話さないでね?」と注文を付けた。
「ああ分かってる。朝霧がしばらく家にいるって知ったら、良く考えもせずに手放しで喜ぶだけさ」

 それからすぐにまなみは帰宅。彼女の部屋から言い合う声が響いたかと思えば、バタバタと廊下を走る音に変わる。

「ユイ~!!」
 リビングにいた私にまなみが抱きついてきた。
「ちょっと……力、強いよ、まなみ!手加減してくれない?」いつまでも小さな子ではない。今の朝霧ユイは弱っている(精神的に!)のだから。
「嬉しいっ、ついに一緒に住める!いっぱい色々教えてね!師匠っ」
 果たしてそんな暇があるかどうか……。「はいはい。こちらこそよろしくね」


 その後、着替えなど必要な物を取りに一旦家に帰り、再び貴島邸へ戻ると、早速検査が始まった。

「時間はたっぷりあるけど、嫌な事はさっさと済ませたいから?」こうおどけたのだが、どうも様子がおかしい。「それがそうでもないんだ」
「どういう事?」
 彼の状態はあまり良くないようだ。準備をする十分な時間がないと告げられる。
 そこまでとは思わなかったので、さらにショックを受けてしまう。

「朝霧、今日の体調はどうだ?」
「まあまあよ」ハードなトレーニングもしていないし?肉体的な疲れは感じない。この心のダメージが問題ないならば。
「なら早速で悪いんだが、今日中に一回目の自己血採取をしたいんだ」
 骨髄移植の際に多量の血液の元を抜いてしまうため、輸血が必要になるとの事。通常は半年くらいかけて、自らの血液をストックしておくのだそうだ。

「問題ないわ。時間がないなら一気に済ませましょう」
 その昔、一度に限度を超える量の献血をした事がある。あのぐったり感は今も忘れないが、その程度ならば耐えられる。あの頃はともかく、今の私はそのままここで休んでいられるのだから。

「バカ野郎!そんな事できるかよ。成人女性が一回にできる献血の量ってのが決まってるんだ。それも次は最低四週間は空けないとできない」
「そんなのは一般論でしょ」
「おまえに例外が適用されるとは思えんがなぁ~」私を眺め回して言ってくる。
「だって、時間ないんでしょ!四週間も待ってられるの?」

 考え込む貴島さん。結論をじっと待つ。

「しかしだな……。今の朝霧の体に負担をかけるのは避けたいんだよ」
「私なら平気よ。献血慣れてるし?ねぇってば!」最近はめっきりしていないけれど。
 考え抜いた末に出された結論は……。「仕方ない、状況を見ながらギリギリまでやる。それでいいか?」
「腕の見せどころね、ソウ先生?」

 こうしてすぐに準備に入り、ベッドに横たわる。

「気分悪くなったら、すぐに言えよ?」
「は~い」
「俺はちょっと新堂の様子を見て来る。すぐ戻る」
「ごゆっくり」

 一人になり、着実に抜かれて行く自分の血液をぼんやりと見つめる。様々な事が頭に浮かんでは消えた。
 そしていつの間にか眠っていたらしい。

「起きたか朝霧。そのまましばらく休んでろ。まなみに何でも言いつけろよ。何かあったら呼んでくれ」
「ありがと……」
 久しぶりの献血は予想以上に堪えた。先ほどまでとは打って変わって、ぐったりとベッドに横たわる。
 身も心も疲れ切ってしまえば、余計な事は考えなくて済むかも?

「それにしても……。あの頃は若かったんだなぁ。ちょっぴり誤算だったわ」
 誰もいない部屋で呟いて、敗北感でいっぱいになる。
 年には勝てない、とはまさにこの事か?


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