この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第四章 不屈の精神を養え

39.似た者同士(1)

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 貴島さんに押されて車椅子で登場した私に、新堂さんは第一声で謝罪を口にした。

「ユイ。……体調、良くなさそうだな。俺のせいで……済まん」
「何言ってるの!本当は全然大丈夫なんだけどね、この人が大袈裟なのよ。ねえ?」
 首だけ後ろに向けて貴島さんに話を振る。
「貧血が思いのほか酷くてね。ふらついて倒れられて、頭でも打たれたら厄介だろ」

 調子を合わせて答えてくれたのはいいが、どこかトゲを感じる。

「それより、新堂さんはどう?調子は」
「ああ、熱も下がって順調だ。ユイも発熱したって聞いたが、大丈夫だったか?」
「ええ。ただの微熱よ」
「ユイ、本当にごめん……」改めて車椅子を見下ろしながら呟く。

「さっきから謝ってばかりよ?」明るく言い放つも、彼の気は晴れそうもない。
「俺のせいで、またそれに乗る事になったんだ。もう二度と見たくなかったんじゃないかと思ってね……」
 図星だ。だがここは悟られないようにしなければ。
「バカね!子供じゃないんだから、誰かにおんぶって訳にも行かないでしょ。単なる移動手段よ、何とも思ってない」
 きっぱりと自分でそう言ってみると、本当にそんな気がしてきたから不思議だ。

「さあ朝霧、もう出るぞ。今の新堂は免疫力がないから、外部との接触は勧められない」
「そうね。それじゃ、またね」
「ああ、また」
 彼に笑顔を向けて別れた。

 ベッドには戻らず、リビングに連れて行ってもらう。これからの事をきちんと把握したいと思ったからだ。

「ねえ、もし私の細胞が受け入れられなかったらどうなるの?」
「GVHD移植片対宿主病を発症する。その場合はほぼ助からない。長くてひと月だな」
「……!何だか分からないけど、よくそんなにあっさり言えるわね!」あまりの冷酷ぶりに大声を上げてしまった。

「落ち着けって!ホンット、導火線短いよな、お前は。まあ最後まで聞け」
「ごめんなさい……」
 そして貴島さんは一般的な事例を語った。
 移植後百日以内に三十パーセントが死亡する。四十パーセントが免疫反応異常を起こし、残りの三十パーセントは運良く社会復帰できると。

「復帰の確率、たったの三割なの?ああ!新堂さん……」両手で顔を覆って嘆く。
「まあ今のは一般論だ。安心しろ、ここに名医が二人もいるんだぞ?そんな数値はクソ食らえだ」一人は患者自身だがね、と続ける。
「そうよね、そうよ、強気で行かないと!」

 貴島さんは頷いた後「それとさっき言ったGVHDも絶対悪って訳でもない。再発を防止するためには、ある程度の攻撃力を養う必要もあるからな」と続けた。
 首を傾げつつ「つまり、戦って強くなれって事?」と私なりの意見を言ってみる。
「そういう事。……しかし楽観視はできない。それだけは言っておく」

 私は拳を握りしめて断言した。「新堂さんは、私を受け入れるわ。絶対に!」


 それから一週間後。新堂さんは徐々にではあるが食欲を取り戻し、回復の兆しを見せていた。私の祈りは天に届いたようだ。
 しかし、当の自分は相変わらず車椅子生活のままだ。さすがに彼も疑い始める。

 そしてついに、廊下越しにこんなやり取りが聞こえてきた。

「俺が診察する。呼んで来てくれ。症状がこんなに続くなんてどう考えてもおかしい」
「まだ一週間だ。貧血は人によってはひと月近く回復しない事だってあるだろ?」
「だからって、立てないほどじゃないはずだ。診察させてくれ」
「バカ言うなよ!お前はまだ患者だ。そんな事させられない」
「気遣いは無用だと言っただろう?」
「そういう問題じゃないだろうが……」

 彼の頑固さを身に沁みて知っている貴島さん。もう限界だと悟ったのか、大きなため息をついた。
 自ら打ち明けるべきか迷ったが、私はあえて顔を出さなかった。

 立ち聞きもやめて庭に出る。
 気晴らしに庭を車椅子で行ったり来たりした後、ぼんやりと二台の車を見比べる。どちらも重厚感たっぷりで自分には似合わない。
「どうせ、どっちも私のじゃないし?」

 そんな事を考えていると、背後に人の気配を感じた。

「朝霧、ここにいたのか」
「うん。ねえ……私、もう運転できないのかな……」本当はそれが怖かった。
 目の前の車が似合おうが似合うまいがどうでもいい。私は単に運転が好きなのだ。
 こんな不安に耐え切れずに俯く。

「何言ってる、すぐに治るって。だけどお前、よくも大嫌いなベンツ選んだよなぁ」
 落ち込む私を元気づけようとしたのか。こんなコメントには肩の力が抜けた。
 そう、私が乗り換えた車はメルセデス・ベンツだ。
「いいでしょ?何だって。これの良さにも気づいたのよ」
「とか何とかいって、新堂のためだろ?あいつ、熱狂的ベンツ愛好家だからなぁ」

 肯定するでもなく少しだけ笑った。
 そして、やはり意識は自分の両足に向いてしまう。

「一本どうだ?」唐突に煙草を差し出された。「え、いいの?」
「もう解禁だろ?お前は立派にドナーの役目を果たしたんだ」
「そっか……。私、ちゃんと果たせたのね」何だか色々あって忘れていた。
「ああ。ご苦労さん」

 優しく頷く貴島さんから一本いただくと、早速火を点けてもらう。
「欲を言えば、メンソールが良かったけどな~」とパッケージを見つめながら呟く。
「そりゃ気が利かなくて悪かったな!」
「ウソ、ウソ!ありがたいわ。それと禁煙、付き合ってくれて、ありがとね」

 照れているのか、笑いながら何度も首を振って自分も吸い始める。
 煙を吐きながら、私の背中を軽く叩く。「悪いな朝霧。さっき、新堂に話しちまった」
「知ってる」
 こう返されて驚かないはずはないだろう。固まる貴島さんに、立ち聞きしてしまった事を打ち明けた。
「あれだけ迫られたんじゃ、どんな凶悪犯でも白状しちゃうわよ」
 敏腕刑事の尋問を想像して笑う。

「新堂の言うように、朝霧をドナーにするのは避けるべきだったのかもしれない」
「冗談でしょ?彼を見殺しにしろって言うの!私は絶対に認めない」強い眼差しを向けて抗議する。
「例え自分が死ん……」本心からの言葉なのに先が続かない。そこへ貴島さんが口を挟んだ。「朝霧!それ以上言ったら怒るぞ?」

「……死ぬ訳じゃないんだから、こんな事で負けないって言おうとしたのよ」
「ああ……そうか。それなら問題ない」

 しばらく沈黙が続く。

 先に口を開いたのは貴島さんだった。「なあ朝霧。きっとお前は、死ぬ事よりもずっと辛い事をたくさん経験してるだろ?」
「辛いの尺度は人それぞれ。答えようがないわ」
「新堂が言ってた。今の自分はお前みたいだって。こんな姿は見せたくないとか、こんな薬はどうせ効かないとか?散々言ってやがったが自覚はあったんだな!」
「どうせ私は無自覚で困らせてます!」透かさず言い返す。

 私に少しだけ笑みを向けて、貴島さんは続けた。「似た者同士だな!って笑ったさ。けどヤツは悲しそうに言うんだ。自分には朝霧のような強さはない、って」
 死の淵にあった私がいかにして這い上がったのか。それも一度ではない。自分にそんな事ができるのか分からないと、彼は言ったそうだ。

 これに対する答えはただ一つ。
「私一人だったら乗り越えられてない。彼が……新堂さんがいてくれたから、私は今ここにいるのよ」

「だよなぁ。愛の力ってヤツだ!朝霧にはいつだって新堂がついてる。いつもお前を救ってきたのは新堂だ。その新堂を、今度はお前が救った。今もお前は一人じゃない」
 こんなに素敵な話をしてくれているのに、ひねくれ者の私は茶々を入れる。
「まだ、本当に救えたか分からないけど」
「大丈夫さ。そんなセリフは朝霧らしくないぜ?」

 庭にしゃがんでいる貴島さんは、車椅子の私よりも目線が下にある。
 そんな貴島さんが私を見上げた。

 そして強い口調で言う。「お前達はどんな事でも、そうやって二人で乗り越えて来たんだろ?忘れるなよ」
「っ!そんなの……忘れる訳ない。もう二度と」
 記憶を失い、一度は失くしかけた彼との愛。もう二度と手放したりしない!
 私は前を向いて気持ちを新たにする。

 そして、無意識に立ち上がっていた。

「おお朝霧……、立てたじゃないか!」貴島さんが立ち上がって私の肩を掴んだ。
「本当だ……立てた。立てたっ!」
 片足を持ち上げて振ってみたり、曲げてみたりして動きを確認する。
「完全に戻ったな」
「ええ、戻ったわ!ありがとう!」
 思わず貴島さんに抱きつく。それに答えて私の背中に腕を回してくれる。

「良かったよ、これで失敗の濡れ衣は着せられなくて済むな」いつもの調子でおどけたコメントを吐く。
 体を離して貴島さんを見上げる。「失敗なんて言ってないけど?」
「おいおい、忘れたのか?」
「忘れた!」私は高らかに笑った。

「これだよ……、俺との事は忘れてもいいんだろ!」ああそうですか!と不満げだ。
「冗談よ!謝るわ、ミスなんて疑ってごめんなさい。あなたは最高のドクターよ!」
 もう一度抱きついて、お詫びのしるしに頬にキスを贈る。

「バ、バカ!まなみに見られたら厄介だぞ……?」こう言いつつ顔は心なしか赤い。
「ごめん、つい……」確かにまなみは厄介だ。ここはまず謝ろう。
「それに新堂も嫉妬するだろうしな。アイツもあれで、結構なヤキモチ妬きだろ?」
「意外と鋭いわね、気づいてたんだ」

 ここまで騒いでいては見つかる。案の定まなみが庭に現れた。

「大声出して二人で何やってんの!あっ!ユイ、立てたの、良かったね~!」
 用済みになった車椅子に正座して、まなみが私を見上げる。
「ありがと、まなみ!貴島先生が治してくれたのよ。さすがまなみのダーリンね!」
 ウィンクを交えて答えると、まなみは嬉しそうに貴島さんを見た。
「おい、ちょっと待て。誰が誰のダーリンだって?」

 貴島さんだけが納得行っていない様子だったが、私達はそれを無視して手を繋ぐ。
「さっ、新堂さんとこ行こっか!」
「行こ、行こ~!」
 後ろでため息が聞こえた。「何でもいいが、お前らちゃんとマスクしてくれよ?」

 室内から二人で声を揃えて答えた。
 マスクは当然する。そうすれば煙草の匂いも隠せるので?


 病室のドアの隙間から控えめに顔を出す。

「新~堂~さんっ」
「ユイ?外で何を騒いでたんだ」
「何か聞こえた?」

 なかなか室内に入って来ない私に、待ち切れない様子で呼びかけてくる。
「そんな所で何をしてる、早くこっちに来てくれよ」
「うふふ……っ!」
 これだけご機嫌な顔をしていたら、すぐに察してしまうだろうが。

 彼の前に姿を見せて、確かな足取りでベッドに近づく。

 私を見上げて彼が言った。「良かった、貧血、治ったんだな」
 こんな言葉に一瞬戸惑ったが、笑って頷いた。貧血ではないと知っているはずなのに、彼はわざとこう言ったのか。
「そうなの!貴島さんがね、治してくれたの。やっぱりあの人凄いわよ」

「……ああ、そうだな」アイツに治せるとは思わなかった……と小さく呟く彼。
 呟きの方は聞こえないふりをして、私は続けた。「新堂さん、早く良くなってね。早く、私達のお家に帰ろう」
「ああ、帰ろう」私の頭を優しく撫でながら答えてくれる。
 その手が離れて、さり気なく手首に移動した。脈を取っている仕草にも見える。

 けれどすぐに手は離された。「元気そうで安心したよ」
「うん」気のせいだったか。

 そこへ貴島さんが入って来た。「朝霧、そろそろ出てくれ」
「あ、そっか、はい……っ」
 ベッド脇にしゃがみ込んでいたところを、慌てて立ち上がる。

「まだいいじゃないか……大目に見ろよ、貴島先生!」
「ダメだ。あまり外部と接触する事は許可できない」
「やれやれ!」
「少なくとも、あと二週間はな?」

 彼に手を振って早々に部屋を出た。
「うふふ、ホントに新堂さんたら私みたいな事言ってる!」

 部屋からこんな会話が聞こえる。

「お前まで我がままな患者になるつもりか?」
「滅相もない!冗談に決まってるだろ?……貴島、感謝するよ、ユイの事」
 点滴バッグを交換し始めた貴島さんが、手を止めて彼を見下ろす。
「……。大袈裟だ!俺は大した事はしてない」

 こう返されても彼は気にも留めず満足げだ。「本当に良かった。で、何をやった?」
「だから何も。ただ話をしただけだ」
「話?」
「ああ。前から思ってた事を言っただけ!さあ、採血するぞ」

 その後、新堂さんが採血針の刺入角度に文句をつけた事で、新たな言い合いが始まったようだ。
 そんな彼らしい姿に思わずクスっと笑い、覗き見をやめてそっとドアを閉じた。


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