この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第六章 見えないところで誰かがきっと

57.キンダンの過去(1)

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 新堂さんの病克服カウントダウンも、残すところあと二か月となった。
 今月は私達の誕生月でもあって嬉しい事が盛りだくさんなのだが、もう一つ取って置きのニュースが舞い込んだ。
 その吉報をもたらしたのは彼の両親探しの件で以前会った、園の元職員紺野さんだ。

 新堂さんが仕事に出かけたのを見計らって、早速コンタクトを取る。

「それで、その手紙というのは?」
『園宛の現金書留なんですが、差出人がシンドウ・カズタカという方なんです』
「他に新堂という名前のお子さんは、園にはいなかったんですよね?」
 電話の向こうで興奮気味に続ける。『はい!これって和君のお父様なんじゃないかと』

 私の訪問後に、昔の職員仲間にも話をしてくれたらしい。その中の一人が当時の園に届いた郵便物を保管していて、そこから発見されたのだとか。
 それは新堂さんが高校を卒業したすぐ後に届いたものらしいが、金額の記載もなく、いくら入っていたのかは不明との事。

 彼が園に寄付を始めたのは医者になってからのはずだから、本人とは無関係だ。

「確かにその可能性が高いですね。それで、差出人の住所は?」
『東京都内の病院です。私も是非行ってみたいところですが……今すぐには』
「そちらからは遠いですものね。大丈夫です、私が行ってみます。ご連絡ありがとうございました!」

 こうして私はすぐに、教えてもらった都内の病院へ電車で向かった。
 もうかなり昔の事なので、カズタカ氏は病院にはいないだろう。何か情報が入手できれば良いのだが。


 到着したのは、やや古びた建物ながら結構大きな病院だ。
「まだあって良かった!」なくなっている可能性だってあったのだ。

 ひっそりとしている入口を覗いていると、中から出て来た患者と思われる初老の男性に不審な目で見られた。
 自動ドアが開いた拍子に、中のツンとした消毒の香りが鼻を突く。
「病院ニガテっ!けど、行くしかないよね……」

 意を決して踏み込み、受付に直行してナースを一人呼び止める。
「あの、済みませんが、この病院に新堂先生って方はお勤めではないですか?」
「シンドウ?さあ……ウチにはいないけど。あっ、ねえ看護師長、そんな先生いないですよね?」
 彼女の視線の先にいたのは年配のナースだ。

「新堂先生?昔内科にいたけど。部長になってすぐに退職されたわ」
「ご存じなんですか!それってシンドウ、カズタカ先生ですよね?」
 そうそう、懐かしいわ~!と看護師長が笑みを浮かべる。
「お会いしたいんですが、どちらにいらっしゃるかご存知ですか?」こんな申し出には当然、「あなたはどなた?」と不審な目が向けられる。

 ここは正直に言った方が良さそうだ。
「私、先生の息子さんの婚約者です」
 この言葉に師長は首を傾げた。「あら、先生は確か独身だったはずだけど?」
 息子と決めつけたのはマズかったか。
「あっ、とにかく親族だと思うんです!」すぐにこう言い直す。
「何だか怪しいわねぇ。そう簡単には教えられないわ、個人情報だし」

 ああ……そんな。ここまで来たのに!

 そこへ、さらに年配の男性が事務室から現れた。「どうしたんだね?騒がしい」
「事務長、それがですね……」
 師長がこれまでの内容を話すと、事務長がまじまじと私を見ながら言った。
「新堂先生に子供はいませんよ。お兄さんがいましたけど、彼にも子供がいたなんて聞いた事がない。人違いじゃないですか?どうぞお引き取りを!」

「えっ、お兄さん?」
「病気でここに入院されていましたよね」もう随分昔の事ですが、と師長が続けた。
「本当に息子さんはいなかったんですか?」どうしても諦めきれない。
「しつこい人だね、そう言ってるだろ?もう帰ってくれ。あんまり騒ぐと警察呼ぶよ」
 事務長は心底面倒そうに言い放つ。

 本当に人違いか?いやいや!絶対に違う。産んですぐに施設に預けられたのなら、子供ができた事を周囲が知らなくても不思議はない。きっと何か事情が……。
 さらに問いかけようとしたところを、外から入って来た警備員に引き摺り出された。

「悔しいっ!あと一歩なのに……」
 舌打ちして近くのベンチにドカリと腰を下ろす。

 けれどまたも収穫だ。カズタカ氏には兄がいて、この病院に入院していた。
 園にお金を送ったのは弟だから、やはり兄は無関係か。それで兄はその後どうなったのだろう?
 分からない事だらけで考えが纏まらず、時間だけがどんどん過ぎて行く。

「いけない、もうこんな時間?帰らないと……。新堂さんが帰る前にお夕飯作っておかなくちゃ」
 仕事を辞めた自分は、今や専業主婦も同然の日々を送っている。仕事で疲れて帰宅した彼に夕飯を作らせる訳には行かない。

 出直すしかない、そう諦めかけた時だ。病院の入口からこちらに向かって誰かが近づいて来た。

「あの!ごめんなさいね、さっき偶然お話を聞いちゃってたんだけど。あなた、新堂先生の事聞いてたわね」高齢の女性だ。患者さんだろうか。
「はい……どうしてもお会いしたくて」
「私、昔先生に良くしてもらっていたから、何かお力になりたいわ。先生はいつもどこか寂しそうな人で。何かを抱えているみたいだった」今は幸せに暮らしてくれてるといいのだけど、と続ける。

 私の隣りに腰を下ろして、日の傾きかけた空を見上げながら語る女性。

「あなたさっき、息子さんの婚約者って言ったでしょ。あれは本当なの?」私を真っ直ぐに見つめて問いかけてくる。
 もちろんその視線を逸らす事はしない。「はい。この春に、式を挙げる予定でいます。なので、どうしても報告したくて……でも息子さんはいないんですよね、先生には」

「分からないわよ?そんな事は誰にも。隠し子かもしれないじゃない!養子を迎えたのかもしれないし?」
 瞳を輝かせてそう口にする老女が、急に女学生くらいに若返って見えた。
「ふふっ、そうですよね。きっと新堂先生、カッコ良かったでしょうし……」
 新堂さんの血縁者ならば間違いなく整った顔だ。

 この予想は大当たりのようで、彼女が大きく頷く。「そうなの!実はね、先生は私の初恋の人……っ」
「そうなんですかぁ!」思わず盛り上がる。
「だから、もし先生の役に立てるなら、何かしてあげたくて。あの人の抱えている何かが、少しでも軽くなるなら」

 彼女が心からカズタカ氏を慕っている事が、否応なく伝わってくる。

「それでその方は、今どちらにいるかご存知ですか?」
「この病院を辞める時、お兄さんの奥様と瀬戸内の方に行かれるって聞いたわ」
「え?どうして兄嫁と……?瀬戸内、ですか」
 そこで兄が入院中に亡くなった事を聞かされた。病名は何と、白血病だというではないか!

「新堂先生は、前から言っていたの。こういう都心部じゃなく、離島の医療を受けられない人達のために働きたいって。お兄さんのお嫁さんは、ナースをしていたから」
「ナース!それでか……」一旦納得しかけたが疑問が残る。
 兄が亡くなってすぐ、こんな大病院の内科部長の座を捨てて、離島に兄嫁と逃避行?何だか怪しくないか?

 そして最大の謎。彼の父親はどちらなのか。普通に考えれば、結婚していたのは兄の方なので父親はこちらだが……。この義弟との間に何かありそうではないか?

 結局この日は時間が足りず、止む無く帰路についた。


「ただいま」
「お帰りなさい!夕飯できてるけど、お風呂とどっちにする?」
「ん……、じゃあ、」彼が私にカバンを渡して見下ろしてくる。
 首を傾げていると、額にキスを落とされた。
「先に食べようかな」そう言ってリビングに向かう彼を追って、「何を?」と聞く。

 私を食べるって言って!今日はそんな気分なの……と、素直に言えたらどんなにいいだろう。きっと、あの人なら言えるんだろうなぁ。
 それは今日会ったおばあさんだ。あまりにキラキラと魅力的で、悔しいけれど負けた気がした。あんなにも真っ直ぐに初恋の人、と告げた姿があまりにも可愛らしくて。

「ユイ?何をぼーっとしてるんだ」
「……あ、ゴメンっ!先に食べるんだよね、すぐ準備するわ」
 慌ててキッチンに向かうと、作り終えた料理を温め直しにかかる。

 その人の初恋の男の血縁者と、私は一緒にいる。もうすぐ結婚できる。
 でもカズタカ氏が独身だったなら、どうして彼女の恋は成就していないのだろう?あんなに一途に想っている可愛い人を受け入れないはずがないのに。

「ユイ!味噌汁が煮立ってるぞ?さっきから一体どうした」
 彼が横から手を伸ばしてコンロの火を消した。そんな彼を見上げて言う。「どうしたってね、それはあなた達が、あまりに罪なオトコだからでしょ!」
 私はエプロンを脱ぎ捨てて彼に押し付ける。
「何だって?全然言ってる意味が分からん」受け取ってポカンとする彼。

「なあ、何怒ってるんだ?俺が何かしたか、なあって!ユイ」
 後ろからついて来た彼が真後ろで立ち止まる。「こっち向け」肩を掴まれクルリと向きを変えられた。
 仏頂面の私と無表情の彼の視線がぶつかる。
「可愛くない顔して、何があった?」

 私はその可愛くない顔のまま彼に抱きつく。「謎だらけなの!あなたは!」
「は?」
「上等じゃない?絶対にこのユイ様が解き明かして見せるんだからね!」

 何も知らない新堂さんは、ただただ小首を傾げるのだった。


 翌日は瀬戸内関連の情報収集のため、机に噛り付いてネット検索だ。

「便利な世の中になったものね~。直接行かなくても情報はこうして手に入っちゃうんだから?」キーワードを入力しては、ネット上に現れる情報を吟味して行く。

 集中していたところに、いきなり声がかかる。

「ユイ、買物に行くけど、一緒に行くか?」
 唐突に個室のドアを開けられて慌てる。「あっ、私はいいや。行ってらっしゃい」
 そうか、とつまらなそうに答えてドアが閉まった。

「ビックリさせないでよね?」

 彼は出かけるようだ。電話をかけるなら今だ。
 それはある島の役場のホームページに、興味深いエピソードがあったから。都会から医者と看護師が善意で移住してくれたという話で、二人の氏名は不明だが日付的には合致する。

「本当は直接行きたいところだけど……」
 アップされている美しい風景写真に魅了されてしまった。けれど今は動けない。

 早速そこの役場に電話してみた。話を切り出してみると、その二人の名前はすぐに判明。一人はシンドウ・カズタカ氏で間違いない。
 そしてもう一人はシンドウ・サオリ。彼女が新堂さんの母親か。

 遠巻きに写された写真の中の男女が、穏やかな笑みを湛えて画面越しにこちらを見ている。まるで自分が見られているようで緊張してしまう。
 もしかしたらこの二人が彼の両親かもしれないのだ。

 役場の人の話によると、二人は少し前に島を出たとか。高齢となり、別の場所で隠居生活を送る事にしたそうだ。
「それでどちらに行かれたかは……」ダメ元で聞いてみる。
『憧れだった函館に行くって言ってましたよ、確か。詳しくは知りません』
「ですよね……」函館というだけでは探せない。

 少しの沈黙の後、何かを思い出した様子で「ああ、そういえば……」と切り出す。
「何ですか!何でもいいので教えてください!」電話越しに前のめりだ。
 その後の話で、サオリさんと懇意にしている人が、何度か手紙でやり取りをしたらしいと分かる。その人に聞けば住所が分かる!
 でもこれ以上電話で聞き出す事は不可能だろう。

 不審感が生まれる前に、役場の人に礼を言って電話を終えた。

「お次は函館かぁ。西から北へ、直線距離でも千キロはある。自由奔放ね、全く?」
 私が行きたい場所ばかりで、羨ましい限りだ。
「その前に、やっぱり瀬戸内に行かなきゃならないみたいね」
 これから先は現場に乗り込む必要がある。貴重な個人情報を聞き出すには、信頼関係を築くのが先決だ。

「さあ、問題はどうやって彼に内緒で出かけるか、よ」
 これには大いに頭を悩ませる。せっかくパートを辞めて時間が増えたのに、結局自由に動き回れる時間は大してない。
「どっちも旅行したい場所だし、一緒に行けたら一番いいんだけどねぇ……」
 そこで思いつく。女同士の二人旅なら?と。だが相手がいない。交友関係の乏しい自分が恨めしい!

 ここで一人思いつく。「砂原舞!電話してみよう。彼女の休みに合わせればいいのよ。適任じゃない?」今回は物騒な話は一切ないのだから。

 すぐに留守電に切り替わり、用件を吹き込んで連絡を待つ事にした。

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