この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第六章 見えないところで誰かがきっと

  キセキのような時間(2)

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「ユイお嬢さん」
 目の前にいる年配の男性が、懐かしい呼び名を口にする。声には覚えがあるものの、誰なのか思い出せない。
 首を傾げていると、後ろから母がコルレオーネを連れて階段を上がって来た。

「ユイ、この人を忘れたの?小田さんじゃない。ほら、清志おじさんよ!小さい頃よく遊んでもらったわね」
 朝霧家には大勢の社員(組員)がいたが、この人は特に私をよく気にかけてくれていたのだ。
「おお、これはミサコ奥様、ご無沙汰しております……」小田さんが深く頭を下げた。
 その横には良く似た顔の青年が立っている。こちらは覚えがある!
 母は初対面のようだが、「あら、もしかして……!」とさらに表情を明るくした。

「はい、これは私の息子です。挨拶しろ!」
「そうそう!あなたは講義の時のっ!」名前は聞いていなかったが、神崎さんに頼まれて開いたマル秘講義に出席していた青年だ。
「ユイお嬢さんは、前に一度お会いいただいてましたね。その節は、息子がお世話になりました」
「イヤだ、お世話だなんて?お二人、並んで見るとやっぱり似てるね~!」

 顔を見比べて感心する私に母が詰め寄る。「ねえ?講義って何の話なの、ユイ」
 そこへ口を挟んだのは新堂さんだった。
「ああミサコさん!ちょっといいですか?」
 気を利かせて母を連れ出してくれたようだ。

 そんな訳で、階段の途中にも関わらず私達は別行動になってしまった。
 さらにはいつの間にか教会の階段にゲスト達はおらず、下の広場で歓談の輪がいくつか出来上がっている。
「やっぱこうなったかぁ。まあいっか!」
 楽しそうな皆を一通り見渡してから、私も引き続きその場で昔話に花を咲かせた。
 さらに神崎さん達も交じって盛り上がる。

 ふと彼の方を窺うと、すでに母とは離れて年配の男性と話しているのが見えた。

「これはこれは!来て下さったんですね、光栄です。相変わらず、刑事のお仕事はお忙しいんでしょう?」
 聞こえてきた会話から、相手が刑事だと知る。昔彼を追い回していたというデカだ!
 私も一度だけ会った事がある。
「いやいや。オレももう時期引退だからな。もうあんたみたいなのを追い駆ける元気もないよ」
「またまたそんな事を?私にはお元気そうに見えますがね!」

 この刑事の息子さんが難病で、それを彼が治してから関係は一転。お陰で罪を免れているという話だったか。

「時に、ご子息はお変わりありませんか?」
「ああ。元気にやってるよ。結婚して子供もいる。新堂先生のお陰だ」
「やめてくださいよ、先生だなんて」
「いいだろ、オレが認めたんだ、先生だってな」
「恐れ入ります」

 そして刑事は彼の耳元でおどけて何かを言った。
「ふふ!その助言、ありがたく受け取っておきますよ」そう答えて笑う彼が見える。

 そちらに気を取られていて、呼ばれていた事に気づけなかった。

「朝霧ったら!何ボ~っとしてんの?全く、旦那の事がそんなに気になる?ま~ったく困ったヤツ!」背中を思いっきりド突かれる。
「うっ!ち、ちょっと……砂原!少しは手加減してくれない?」今の私はこんな格好で機敏に動けないのよ?と目で訴える。

「私まで呼んでもらって、申し訳ないわ」こう控え目に言うのは、東北で会った女性海上保安官の弓削ゆげ真澄だ。
「あれ!二人、もしかして意気投合した?」
「そうなの!お互い、体張る仕事だからね~」と砂原が答える。

「私はもう辞めちゃったけど。今は二児の母よ」と弓削が言った。
「ホントに!?あ、そうするともう弓削じゃないのか」私の指摘に頷き、「佐藤です」と答えた。
「そっかぁ。なら下の名前で呼ぶね。真澄の相手は保安官なの?」質問を続ける。
 頬を赤らめて佐藤真澄が頷いた。

「あんたの事も、もう朝霧って呼べないよね~。そんじゃユイ!早く旦那呼びな、そんなにジトっと見てないでさ。あっ、もちろん下の名前でだからね?」
「うっ……そう来たか」何もこんな大勢の前で?

 取りあえず彼に向かって手招きする。
 まだ刑事と話していた彼だったが、私に気づいて来てくれた。

「拳銃の話は終わったみたいだな」やって来た彼が女子の輪を見て言った。
「しん、じゃなくて……和矢、さん」注目を浴びる中、ぎこちなく下の名を口にする。
 気づいていないのか、何も指摘する事なく二人に向かって頭を下げる彼。
「こちらは、とても華やかな面々がお揃いですね。来てくれてありがとう」

「新堂先生!この度はおめでとうございます。この間はお邪魔しました」砂原が言う。
 続けて私が真澄を紹介した。一度会っただけなので、覚えているか不明だが。
「それからこちら、旧姓弓削、今は佐藤真澄さん」
「お久しぶりです、新堂先生。被災地で足の捻挫を診ていただいた弓削です」
 すると彼が何かを閃いた様子。「もしかして君は……人魚姫か!」

「はい?」真澄が首を傾げる。

「……あ、いや。ええと真澄さん、だったね。お元気そうで」
「保安官と結婚退職したそうよ。お子さんが二人いるんですって!」と説明する。
 そうですか、と彼が笑顔で頷く。
「さあ~そうすると、お次は砂原なんじゃないの?」チラリと見て言ってみる。
「え~、私は同僚ムリっ!だったら、新堂先生に紹介してもらいたいな~」

 こんな要望にバッサリ。「私の知り合いは、ろくなヤツがいないから難しいですね」
 そんな事もないと思うが?微妙な表情で彼を見上げていると、砂原がある方向に目を向けた。

「あっ!例えば、あの人とかは?」指で示した先には、何とエリック・ハントがいた。
 そちらを見て彼が言う。「ああ……あれは彼女の方のゲストだよ」
 ずるい!面倒を私に押し付けたわね?と心で罵る。
「そうなの?さすが朝霧、じゃなかった、ユイ!メンツもグローバルだわ。ねえ!紹介してよっ」
「あの人は……、やめた方が?」砂原は案外面食いだったか。

 世界的に名の知れた怪盗だ。現役の警官と対面させる訳には行かない!そのうちに砂原が気づくかもしれないし?
 案の定新堂さんは、自分には関係ないとばかりに軽い挨拶を残して行ってしまった。

「ちょっとユイ!カレ、こっちに来るわ……」砂原が私のドレスを引っ張る。

 近づくや否や、エリックはいつもの調子で私に抱きつく。
 呆気に取られる砂原と真澄。
「(やあユイ!招待ありがとう、クアラルンプールから飛んで来たよ、おめでとう!)」
「(案外近くにいたのね。来てくれてありがとう、エリック)」
 何とかエリックを引き剥がして、二人に目を向けさせる。

「(紹介するわ、私の友人達よ)」
「ユイ!私、英語苦手なのよ、困るんだけど!」真澄が慌てている。
「いい、いい!この人とは関わらなくて大丈夫。向こう行こう!」
 真澄だけでもこの人物から遠ざけなければ。……砂原は、自分で対処できるだろう。

「(エリック、気を付けてね。彼女、現役バリバリの警察官だから!)」
 念のためエリックに事前情報だけは伝える。私は耳元で囁いた。
 その直後にエリックの顔から血の気が失せたのは言うまでもない。

 砂原にウィンクを飛ばしてエールを送ると、真澄を連れてその場を後にする。

「ねえ……、砂原、大丈夫かしら」後ろを振り返って気にしている様子だ。
「平気平気!あの人強いから。それにしても、真澄、ちょっと太った?」
 改めて彼女を見回してしみじみ言う。
「そりゃ~ね~、子供二人も生んだら太るわよ!」
 スミマセン、と小さくなって言うと、真澄がハンドバッグから写真を出した。
 丸々とした女の子が二人写っている。

「いや~ん!カワイイ!夢を旦那さんに託して、それを支えて生きる事にした訳か」
「まあ格好良く言えばね。私のはそんなんじゃない。単に気合、足りなかっただけ」
「そんな事ない!弓削真澄は立派にやったよ?胸張っていいんだよ!」
 その背中をドンと叩いて激励する。
「……ありがと、ユイ。新堂先生とお幸せにね」
 ここは丁寧に頭を下げて礼を返した。

 遠方から来ていた彼女はその後、一足早く子供達の待つスイートホームへと帰って行った。
 その様子を見送っていると、後ろから誰かが肩に触れて来た。

 振り返ると、そこにはとてもとても懐かしい顔があった。日に焼けた褐色の肌が太陽の光に輝いている。
 イラクで大変お世話になったマイク・Jだ。米国の機関で働いているようだが、詳しい所属は今も知らない。

「(ユイ!やっと掴まった。花嫁は人気者だから)」
「(マイク!来てくれると思わなかった。忙しいって分かってたから……)」
 メールアドレスを知っていたので、さり気なく報告したのだ。
「(どんなに忙しくても、君の祝いの席なんだから、何が何でも来るさ!)」

「(あの、それでねマイク、あの時、面倒な事押し付けたみたいになっちゃって……)」
 どうしても言いたい事があった。イーグルとの対決でマイクが勝利した事は、車椅子姿のヤツに会って分かったが、きちんとお詫びをしたい。
 そして、イーグルがまだ生きている事をマイクは知らない。

「(何言ってるんだ、あれはもう解決した。ダメだよ?過去を振り返っちゃ。君は前を向いて、ドクター新堂と幸せにならなきゃ)」
「(……マイク。そうね、うん!ありがと!)」笑顔で返した。

 しばし近況を報告し合った後、彼の姿を探す。「どこ行っちゃったんだか?」
「(ごめんユイ、あまりゆっくりできないんだ。これからすぐに発たなきゃならない)」
「(待って、新堂さ……じゃなくて和矢さん!にも会って行って?)」

 周囲を見回していると、貴島さんと二人で木陰のベンチに腰掛けていた。

「いたいた!新堂さ~ん!」大きく手を振って彼を呼ぶ。
 先に気づいた貴島さんが、彼の肩に手を置くのが見えた。
「こっちに来て!」またも手招き。

 そして黒のタキシードで決めた彼がマイクと対面する。
「(これはこれは!わざわざ来日してくださったんですね!)」
 どこか大袈裟な彼の言いっぷりにハラハラするが、ここは大人な二人のやり取りを見守るとしよう。

「(ドクター新堂、結婚おめでとう。二人の黒の衣装は、何か意味があるのかい?)」
「(常に異彩を放っている、彼女の要望で)」
「(そういうところ、ユイらしいよ。いつも僕等を驚かせてくれるよね!)」

 もう一つ飛びきり驚きの情報が、あるにはあるのだが。言うべきか言わざるべきか。
 チラリと新堂さんを見て様子を探るも、気づいてくれない。

「(あなたにいただいた彼女の第二の人生は、私が責任を持って引き受けますので、どうぞご安心ください)」私を強く引き寄せて言う。
「あっ、ちょっと新堂さん?」戸惑う私。
「(あ~あ~、見せつけてくれるね……ははっ!どうぞお幸せに!)」
 最高の笑顔を見せて去って行くマイクに、私は手を振って答えた。

 その後ろ姿を見送りながら、彼が言う。「ごめん、今のは大人げなかったな」
「そう?カッコ良かったよ。ありがとう」斜め上の彼を見上げて微笑んだ。

 ふと誰かに見られている気がして、彼から視線を外しその先の木の陰に目を向ける。
 そこには車椅子に乗ったブロンドの男性がいた。

「ん?誰だ、あれは」彼も気がついて同じ方を見る。
「ウソっ!だ、誰って、噂をすればミスター・イーグル!何で?」
 あの男に招待状を送った覚えはない!そもそも連絡先など知らない。
 マイクはもうすでに敷地を出て行ってしまった。でも今なら間に合うかもしれない。

「ちょうどいいじゃないか、逮捕してもらおう!」
「待って!……。やめて」
「なぜだ?」
「いいの。アイツはもう、私達の敵じゃないわ。放っておいても害にはならない」
「おいユイ!気は確かか?アイツに何をされたか忘れたのか!マイク捜査官を呼び戻して来る」彼が私を振り切って行こうとする。

 堪らずに声を荒げた。「やめて!……話、してくる。あなたはここで待ってて」
「危険だ!やめろ、ユイ!」彼が大声を上げる。
「し……っ、静かに。お願い、ここは私に任せてくれる?」彼を諫めて訴える。
 緊迫した私達をよそに、あちこちでは和やかな歓談が繰り広げられ、とても長閑な時間が流れている。ここで自分達が騒げば、この時間は瞬時に消え去る。

 状況を理解してくれたのか、彼が小声で聞いて来た。「まさかユイ、今も持ってるのか、……あれを」
 私はただ左手を腰に当てた。飾り着けられた腰元の大きな華のレース。そこに潜ませた相棒コルトに。
「まさかそんな訳ないよな!だから黒のドレスにしたいなんて?さすがのおまえでもそこまでしない、だろ……?」言いながらも自信がなくなったのか勢いが弱まる。

 私は何も答えず、そんな彼を残して車椅子のイーグルの元に足を運んだ。

「(何しに来たの)」
「(やあ。見つかっちまったな。こっそり見てるはずだったんだが)」
「(もう二度と顔を見せないでって、お願いしたはずだけど?)」
「(ああ、ちゃんと覚えてるさ。前に、アイツから頼まれた事を思い出してね)」
「(アイツって?)」
 イーグルはただ笑っただけだった。

 おもむろに懐から煙草の箱を取り出す。かなりの年季が入っているらしく、ボロボロで薄汚れているように見える。
 差し出されて、それが血塗れの赤ラークの空箱だと分かった。赤ラークで連想できるのは、たった一人しかいない。

 警戒しながらも受け取る。「(何よ、血だらけじゃない。これが何なの?)」
「(結婚祝いだ)」
「(どういう意味よ、何かの嫌がらせ?血塗れの贈り物なんて!)」

 いつの間にか新堂さんが私の後ろにいた。振り返って彼にも箱を見せる。
「新堂さん、これ……」
「(貴様からの祝いの品など受け取らん。持ち帰れ)」
「(まあ、そう言うなよ。中を見てくれ)」

 イーグルを見下ろし真意を探るも、ふざけている訳でもなさそうだ。
 中身を出そうと箱を逆さにしてみる。すると、弾丸が一つ転がり出たではないか。
 それには血痕は付いていない。血に染まっていたのは箱だけのようだ。

 その小さな鉄の塊を凝視する。「この弾丸、キハラの……」すぐに分かった。これがキハラの愛用銃の未使用の弾だと!

「おい!どういうつもりだ?冗談にも限度があるぞ!ユイ、そんなもの捨ててしまえ」
 小刻みに震え出す私の手から、新堂さんがそれを奪おうとする。
 それを遮ったのはイーグルだった。
「まあ待て。ドクターは黙っていてもらおう。ユイ・アサギリ、今はまだこの呼び名でいいよな。良く見てみろ」

 私は一度イーグルを見てから、再び視線を落とした。
「ん……何か、彫ってある?」
「そこに、ヤツからお前宛のメッセージがあるはずだ」
「……フェーレ、ズ、モン……」それはフランス語だった。

 これの意味は、幸せになれ。

「ドクターの言うように、捨てちまっても良かったんだがな!可愛い後輩の遺言じゃ断れんよ。……どうしても、この日にそれを言いたかったんじゃないか?」
 何が何だか分からない。
 なぜこの男はあらゆる危険を冒してまで、こんな物を渡しに来たのか。
「遺言って、どういう事?」

「あの日、キハラの亡骸は俺が回収し、望み通りの地に葬った」
「それって……あの場にいたっていうの…?!」
 イーグルは何も言わなかった。

 やがて吐き出すようにこう言った。「いらなきゃ捨てろ。後はお前の自由だ。用はそれだけだ。じゃ、今度こそ消えるよ」
 車椅子を方向転換させて、イーグルが背を向ける。

「待って!」
 止まる事のない車椅子に向かって、私は叫んだ。「キハラ・アツシのメッセージ、しっかりと受け取ったわ。ありがとう!」
 鈍く光るひんやりした弾丸を握り締める。

 キハラは最後のその時、持ち歩いていたこの弾丸を収めた空箱を握っていたのか。
 涙が込み上げてくる。「キハラ……っ」

 新堂さんがそっと私の腰に腕を回して支えてくれる。
「さあ、行こう。皆が待ってる」
「うん……!」
 思わぬサプライズで、胸がいっぱいだ。けれどここからが本番。

「さあ、次はあなたの番よ。新堂さん……」私は彼に向かって小さく囁いた。


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