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33 秘めたる思い
しおりを挟む翌朝、寝室に様子を見に行くと、顔色の優れないユイが起き上がるところだった。
「まだ寝ていろ。今日は仕事は休んだ方がいい」すぐにこう指摘する。
「え?大丈夫よ、少しだるいだけだし。これくらいで休めないわ」
「これくらい?鏡を良く見てみろ。そんな顔で行ったら、すぐに追い返されるぞ」
訝しげにドレッサーに向かい、鏡を前にするユイ。
「誰これ。いかにも病人ですって顔の女が映ってる!」
後ろからその様子を見ていると、ユイがヘン顔をしてこっちを見た。
何をしている?「百面相してないで、いいから寝ろ」
「あれ~、今の、面白くなかった?」
不服そうに言いながら振り返る彼女を残して、俺は一人寝室を出た。
その後すぐに、ユイが食卓に現われる。
「先生」
「何だ。今日は仕事には行かせないからな?」
「分かってる。そうじゃなくて。寝込むほど辛くないから、起きててもいい?」
無言で彼女を見下ろしてから結論を出す。まあいいだろう。
「食欲は?」
「ない事もないけど、あるとも言えない」
こんな曖昧な答えに困惑していると、ユイが言い直した。「ああ!食べれるから!心配しないで」
「そうか」それならば始めからそう言えと、心底思う。
食事をしているユイを眺める事が日常になった。
この時間は、いろいろな事に気を削がれて落ち着かない。ユイが食物を噛む音、飲み込む音、消化する音はなかなか魅力的だし、ユイが食事中に俺からいつまでも目を離さないため、何を訴えようとしているのか思案したり。
そんな姿が物思いに耽っているように見えるのか、何を考えているんだと聞かれるが、説明が面倒なのでいつも煙に巻いて済ませている。
様々な考え事の末、ユイに伝えたい事があればきちんと口に出して言う。例えばこんな事を。
「もしかすると、俺との行為は、ユイの体には負担が大きすぎるのかもしれない」
「どうしたの、いきなり。さては、無断で診察してたわね?」
俺は肩をすくめて一旦口を結ぶ。当たらずとも遠からず、かな。
「例え激しく性行為をしたとしても、おまえみたいに長く疲労感に苛まれる事は考えにくい。それこそ毎日一晩中、激しくしてるならば別だが」
「一晩中?毎日?!ムリムリ!」
じっくりと彼女の顔を観察し続ける。どんな些細な事も見逃さない。それこそ細胞の中まででも見てやれる。あえて目を見つめる事は避けて。必要のない時に魔力に掛かられても困るので。
「待って?それって、先生はもう私と……しないって事?」
「しないとは言ってない。しばらく様子見として控えようと、提案してるだけだ」
ここで最後にユイの目を強く覗き見る。
どこか構えている様子の彼女に、構わず視線を送り続ける。ユイは目を反らす事もなく、微動だにせず俺の瞳を見ている。
「そのくらいは、我慢できるね?ユイ」
「は……、あ。んん~!ダメ!」答えを途中で切り替えようとしているようだ。
これが魔力に逆らうってヤツか。なかなか厄介だ!
「何がダメなんだ?それはできないって事か。おまえはそんなに自制心がないのか」
「ダメなのは先生の提案じゃない。こっちの話!分かりました、主治医の仰せのままに」
自分に厳しく、また強い自分を何よりも意識しているユイには、自制心がないという言葉は効果てき面だったらしい。
こうして夜の営みのない日々が続いた。
病院での仕事を予定通り終えて、ユイを迎えに行く。ベンツの助手席に納まるなり、彼女が深いため息をついた。
「疲れてるみたいだな。昼食はきちんと摂ったのか?」
「食べたよ。ちゃんと。今日さ、新婚さんでしょって言われちゃった。あなたが迎えに来てる事、なぜだか皆知ってて。どうなってるの?」
「どうって、始めに言ってあるからだ」
「は?何を言ってあるって?」
俺は、採用時に人事担当に約束させた条件の事を説明した。契約書に書いてないのか?と思いながら。その内容は、必ず定時に上がらせる事。残業や出張や休日出勤は認めない。自分が送迎するからと。
「何でそんな事……!だから私は、会社でも箱入り娘的扱いを受けてたのね」
「言っただろ。おまえが心配なんだ」
「言っとくけど、私は自分で対処できるよ?先生に面倒見て貰わなくても!迷惑よ、はっきり言って!」語気を強めて訴えられる。
車を走らせたまま、俺はユイを凝視して硬直した。
「危ないからどこかで停まろう」ユイは一転して落ち着いた声で言うと、横からハンドルを掴んできた。
そこまでされて、ようやく我に返って前を向く。「分かった」
沈黙の中、人気のない公園の駐車場に車を入れる。
「こんな事は言いたくなかったけど。この際だから言うわ」
口を開いたユイの方に体を向け、姿勢を正して言葉の続きを待つ。
「先生は私に普通の生活をして欲しいって言ったけど」ここまで言って俺を窺ってくる。
何も言わずにユイを見続ける。
「それを自分が妨げてるって、気づいてる?過保護な親だってここまでしないからね」
それはしないのではなく、できないのだ。人間には様々な雑事がある。例え愛する者の事であっても、常にそれだけを考えているのは不可能だ。
ましてや、追跡する事や瞬時に現われる事だってできない。ヴァンパイアだからこそ、ここまで執着できるのだ。
それを思えば、キハラのあの執着ぶりは人間業ではないと言えるか。
「気づいていなかった。済まなかった」俺は素直に謝った。
そっと彼女の頬に手を伸ばす。「ユイに嫌な思いをさせていたんだな。気がつかなくて申し訳なかった」彼女を笑顔にするどころか、こんな気持ちにさせてしまった。
俺の態度を受けて、ユイが急に慌てたように落ち着かなくなる。
「あの、新堂先生?違うの、だからね……矛盾してるんだけど、迷惑って言いつつ嬉しいの。怒りもあるけど、同時に大事にされてる優越感に浸ってるっていうか……」
俺には彼女の言っている事が理解できなかった。
なので自分の心の内を素直に話した。
「ユイには人間としての無限の可能性がある。俺との時間よりも、今はその可能性に向かって生きて欲しい。それを邪魔するものは俺が取り除く」
「だから手始めに就職したじゃない」
「ああ。どんなに条件を付けても、ユイの事が心配で仕方がないんだよ。強い弱いの問題じゃない。ただ大切で、不安なんだ。失うのが……」
「失うって、私が死ぬのが?だったらやっぱり仲間にした方がいいじゃない」
「その通りだ。それはもちろん理解している」
「だったら!」
「永遠に生きるなど、並みの精神力では耐えられない事だ。例え仲間がいてもね。ヴァンパイアに孤独は付き物。決してユイが思ってるような、楽しいもんじゃない」
「それは先生にパートナーがいなかったからでしょ?私達が一緒なら大丈夫よ!」
「そうであっても……俺はユイから何も奪いたくない。何一つ、奪っていいものなどないんだ……」人間としての未来や可能性、家族。まだまだある。
「奪うだなんて!先生との未来に比べたら何でもない!」
一歩も引かない彼女を前にして、思わず瞳の魔力を発揮する。
「ユイを苦しめるような事は、二度としたくないんだ。分かってくれ」
呆然とするユイ。その後彼女は静かに頷いた。
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