時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

文字の大きさ
47 / 55

47 約束

しおりを挟む

 式の数日後、ユイはまた病院に缶詰となった。
 薬剤の副作用は怖いが、使わなければ症状はさらに悪化する。使ったところで今は、微々たる効果しか見込めないのだが……。

 婚礼イベントの甲斐あって、上向きになっていたユイの気持ちもここ数日で一気に落ち込み、今は笑顔もない。何とかこの状況を打破したい。何かないか?何か!

 途方に暮れていたこの日、ふいに強烈な思考が流れ込んできた。キハラだ。
 あの日彼からは返事を貰えなかったが、俺の願いを聞き入れてくれたようだ。これでようやく、前に進めるかもしれない。


〝よう。思ってたより元気そうじゃないか〟
〝キハラ!?何で?ああでも、来てくれて嬉しい……!〟
 ユイは愛しの師匠の姿に素直に喜んでいる。

〝残念だが、あまり時間は取れないんだ。すぐに帰らなければならない。……時間がないのは、お前も同じみたいだな〟
――こんなにやつれて……。式の時はあんなに元気だったじゃないか!
 キハラの心の声が叫ぶ。

 今見ているそれが、本当のユイの姿なんだよ。騙して悪かったね。

 ユイは何も反応しない。
 キハラは続けた。〝単刀直入に言う。お前の意向を確認に来たんだ〟

〝意向って何の?そういう事は、ちゃんと新堂先生に話してあるよ〟
〝その新堂に頼まれたんだ。お前が本当に望む事は何か。あいつには魔力とやらがあるからな。信用できないんだとさ。それを自分で言うかね!〟
 全くイカれてるぜ!とキハラが嘲りを追加する。
〝キハラにもありそうだけどね、その魔力ってヤツ〟
〝抜かせ!〟

 束の間、二人の笑い声が心地良く耳に響いた。

〝最後にこうしてキハラの笑顔が見られただけで、私はもう思い残す事はないよ〟
〝何を言ってる?大袈裟だ、バカ野郎……っ!〟
 珍しくキハラの声が上ずった。
 その声に被せるようにユイが言葉を発する。
〝あなたが聞きたいのは、私がこのまま人間として死を待つか、人間をやめるか、って事でいい?〟

 キハラの咳払いが聞こえた後、ドアが閉まる音がした。

〝こんな話を、ユイとする事になるとは思わなかったよ〟
〝そうよね。私も。大体、普通モンスターに遭遇したら、殺されて終わるでしょ〟
 その通り、とキハラが応じる。
〝それがバケモノを魅了するとはな!恐れ入ったよ、朝霧ユイ〟
〝そのバケモノに、私もなるとしたら?〟

 ふいに訪れた沈黙。室内の空気が、たちまち張り詰めたのが分かる。

〝本気か〟ドスの利いた、それは恐ろしい問いかけだった。
 けれどユイは怯む事もなく答える。
〝ええ。このまま終わるつもりなんてない。彼を愛してるの。心から。魔力なんかじゃない。……だけど、先生には拒絶されてる。きっと受け入れてはくれない〟

 本当にそれが、おまえの本心なんだな……。ユイは絶対にキハラに嘘はつかない。
 彼女のこの言葉は信じない訳には行かなかった。

〝どうやら、嘘はなさそうだな。心配するな。お前の望みは、俺がちゃんとあいつに伝えてやるから〟
〝……ホントに?〟いいの?とユイの不安そうな声が続く。

〝今さら、しおらしい態度取るなよ!この件ではすでに言いつけを破ってるだろ?〟
〝そうよ。言いつけを破った最初で最後。キハラ、ごめんね、私……っ!〟
 ユイは涙声になり、声を詰まらせる。

〝言うな。何も言うな。俺はお前の幸せだけを願っている。どんな存在になろうと、お前が幸せならいい。ただし、手当たり次第に殺すのだけはやめろよ?〟
〝ふふふっ……!その忠告だけは絶対に守ります、師匠〟
 その場にいずとも、はにかむユイが目に浮かぶようだ。

〝おい、泣くなよ?シバくぞ?〟
〝もう……!鬼教官なんだから〟

 ドアの向こうで二人の会話は続く。

〝ユイ、お前には本当に感謝してる。今の家族はユイに貰ったも同然だ。あの時実は、結構修羅場だったんだ、俺とあいつの関係〟キハラが打ち明けた。
〝そりゃそうでしょ、妊娠してる恋人を放って他の女のとこに行くだなんて?〟
〝……仕事だ。男には時に、そういう時だってある〟
〝そうよ、あれは仕事だった。そしてそれも終わった〟

〝私こそ、キハラに感謝してる、鍛えてくれて。何度命拾いした事か!外国語も役に立ってるし、この肝の据わり方、キハラ仕込みだもんね〟
〝バカ野郎、それは生まれつきだろ。俺のせいにするな〟
 キハラがユイの頭を小突いた模様。
〝あなたの仕事が終わっても、キハラの事、ずっと師匠って思ってていいかな〟

 しばしの間があった。

〝当たり前だ。俺の弟子はお前しかいない。もし、許されるなら……俺にだけは、また会いに来い。例えバケモノになっても、弟子の相手ならしてやる〟
〝キハラ……!〟ユイは感極まったらしく、ついに号泣し始めた。
〝こら、泣くなって言ったろ!〟
〝だってぇ……〟
〝だってじゃない!〟

 やはりここに、俺の入り込む余地はなさそうだ。
 キハラにこの役目を頼んで正解だった。久しぶりに楽しそうなユイの声を聞きながら思った。


 キハラはすぐに、俺の待つ病院の北側駐車場へやって来た。近づく気配を感じ取り、助手席のドアを軽く開ける。
 そこへ、躊躇う事無くキハラが乗り込んでくる。

「どうせ聞いてたんだろ?俺達の会話」顔も見ずにキハラが口を開く。
「ああ」
「聞かなくても、俺には答えは分かってたよ。ユイがお前を選ぶ事はな。妻子持ちの身で言うのも気が引けるが、妬けるよ!全く……」こう吐き捨てる。

「ありがとう、心から感謝する。この恩はいずれ返す」
「おいおい!もう俺に関わらないでくれ!恩など感じる必要はない。お前はユイを必ず幸せにする事。それから、くれぐれもアイツを殺人鬼にしない事。俺からはこれだけだ」

 話した時間はたった数分だった。
 この数分で全ては決まったのだ。それぞれの決意が。



 それから一週間後の深夜、病室にてユイにそっと声をかける。

「ユイ。起きてるか」
「うん……。眠れなくて。だけど注射はいらないからね?」
「分かってるよ」相変わらずのコメントに思わず笑いが漏れる。

「少し話をしたい。場所を移そう」
 そう断ってから、彼女に付けられた配線類を全て外してそっと抱き上げる。
「どこ行くの?」

 ここでは話しずらい、とだけ答えた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...