48 / 55
48 覚悟の時(1)
しおりを挟む俺達は病院を抜け出し、一時、自宅に戻った。
月明かりにぼんやり浮かぶ白い壁。明かりを灯していない室内は青白く、どこか夢見心地なユイの目には差し詰め、海の底のようにでも映っているだろうか。
抱きかかえたユイを寝室に運び、ベッドにそっと横たえる。
「気分が悪くなったらすぐに言うんだぞ」
椅子を引き寄せてベッドの側に座ると、ユイが俺の方に手を伸ばした。
すぐにその手を握ってやる。
「そろそろ、覚悟を決めた方が良さそうだ」
薄闇に目が慣れて俺が微笑むのが見えたのか、勝気な瞳が向けられる。
「新堂先生が、でしょ?」私の覚悟は当の昔にできている、と続ける。
「俺の気持ちの問題で、タイミングを逃したくないと思ってね」
「まだ、迷ってるのね……」
俺の躊躇いを断ち切るように、握られた手に力が込められる。
「先生の今の本当の気持ち、聞かせて?」
「覚えてるか?前に、ユイがユイらしくいられる生き方について、話したのを」
「覚えてる。私はとっくに答え、出てたけど」
「いつまでも共に生きたいという想いは、俺だって同じだ。ただ、……」
ああ、ダメだ。新堂和矢!これではまた袋小路だぞ?
俺は一呼吸置いて、話題を変えた。
「ロシアでヴァンパイアにケガを負わされた時の事は、覚えてるな?」
僅かに肩を震わせた後、ユイははっきりと答えた。
「……もちろんよ。それが?」
「転生するためには、あれ以上の痛みに耐える必要がある」
この言葉にユイが明らかに動揺している。そんな中、俺は話を続ける。
「大量の血を吸い取られても、死なずにいる事。毒が体内を巡る激痛に耐え抜く事。この激痛は、肉体を変化させる過程で発生する。それが二、三日かけて完了し心臓が止まる。そして転生する」
ユイは息を潜めて耳を傾けている。
「ユイ、ちゃんと呼吸して」
「あぁ……はい!」
「怖気づいたんだろ。無理もない。無理にする必要はないんだ。考え直し……」
「いいえ!続けて。聞きたいの、お願い!」こんな事でやめたら、キハラに何て説明するの?死んでも合わせる顔がない、とユイが呟く。
全く強がりめ。
俺は数分程無言の診察をした後、する必要のない呼吸を整えてから口を開いた。
「タイミングとしては今だと思う。あまり心機能が落ちると、毒が体内に運ばれる力も弱まってしまう。その分苦しむ事になるし、場合によっては失敗する」
「私的には、死ぬ直前、くらいに思ってたけど。いろいろとあるのね」
「俺が躊躇っているのは、ユイにあの痛みを味わわせなくてはならない事だ。させたくない。できる限り、軽減してやりたい。そう考えてる」
「先生……。ありがとう、嬉しい。そういう事を心配してくれてたのね」
「一つ思いついた事がある。この方法は俺にとっても過酷なやり方だ。全く意味がないかもしれないし、逆効果かもしれない」
「大丈夫、言ってみて」
迷っている俺を、安心させようとでもするように促される。
「痛みを軽減する方法はいくつかある。強力な鎮痛剤を使う方法だ。ただ肉体の痛みは麻痺するだろうが、精神的な苦痛は消えないかもしれない。逆に苦しむ事になりそうだ」
見る見るユイの顔が歪んで行く。
「ううっ……。ほ、他には……?」
「究極の快楽の中では、人は時に痛みを感じない事がある。快楽と痛みを混同させる。つまり脳を欺く方法だ」
首を傾げたユイが、控え目に口を開く。「良く分かんないけど……それってお酒に酔うみたいな事?」
「それに近いかな」
ふいに、ユイが握っていた手を離した。
「ずるいよ、先生……」
「何だって?」心底不安になる。それくらい彼女の表情は悲しげだった。
「私がずっと欲しかったもの、一度にくれるってワケね」
たまたま、そうなってしまっただけだ。欲しかったものが手に入るのに、なぜずるいなどと?疑問符が俺の頭を飛び交う。
だが今は、問いただしている時間はない。俺は念押しのため付け加えた。
「禁欲生活の末の快楽は半端じゃない。何倍にも感じられるはずだ。だがその性的興奮に、今のユイの心臓が耐えられるかが不安だ」
ユイが無言で俺を見つめている。何を考えているのか全く分からず、さらに不安が募って行く。
「ユイ?言いたい事はちゃんと口にして欲しい」
「……うん。先生、……もしかしてだけど、食事、抜いてる?」
どうやら俺が数日間、食事を摂っていない事に気づかれてしまったようだ。
その通り。ユイの血を飲むのは俺にとって禁断の行為だ。自分を追い込んで極限の飢餓状態になれば、躊躇う余裕もなく目の前の獲物に手を掛けざるを得ない。
「気づいてしまったか。……こんな事をして、ユイを逆に傷つけるかもしれない」
「先生……。どうしてそんなに自分を苦しめるの?もっと他にやり方が……!」
「ユイはもっと苦しむんだぞ?俺だって相応の責苦を担うべきさ」
「あなたって、本っ当に律儀すぎるよ……?」
「ユイ。もう後戻りはできない。極力手は尽くす。だが、耐えて貰うしかない」
「もちろんよ。先生がこんなに辛い思いをしてるんだもの。早く解放してあげなきゃ」
ここまで来たら、もう前に進むしかない。
0
あなたにおすすめの小説
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
イケメン副社長のターゲットは私!?~彼と秘密のルームシェア~
美和優希
恋愛
木下紗和は、務めていた会社を解雇されてから、再就職先が見つからずにいる。
貯蓄も底をつく中、兄の社宅に転がり込んでいたものの、頼りにしていた兄が突然転勤になり住む場所も失ってしまう。
そんな時、大手お菓子メーカーの副社長に救いの手を差しのべられた。
紗和は、副社長の秘書として働けることになったのだ。
そして不安一杯の中、提供された新しい住まいはなんと、副社長の自宅で……!?
突然始まった秘密のルームシェア。
日頃は優しくて紳士的なのに、時々意地悪にからかってくる副社長に気づいたときには惹かれていて──。
初回公開・完結*2017.12.21(他サイト)
アルファポリスでの公開日*2020.02.16
*表紙画像は写真AC(かずなり777様)のフリー素材を使わせていただいてます。
たとえ夜が姿を変えても ―過保護な兄の親友は、私を逃がさない―
佐竹りふれ
恋愛
重なる吐息、耳元を掠める熱、そして——兄の親友の、隠しきれない独占欲。
19歳のジャスミンにとって、過保護な兄の親友・セバスチャンは、自分を子供扱いする「第二の兄」のような存在だった。
しかし、初めてのパーティーの夜、その関係は一変する。
突然降ってきた、深く、すべてを奪うような口づけ。
「焦らず、お前のペースで進もう」
そう余裕たっぷりに微笑んだセバスチャン。
けれど、彼の言う「ゆっくり」は、翌朝には早くも崩れ始めていた。
学内の視線、兄の沈黙、そして二人きりのアパート――。
外堀が埋まっていくスピードに戸惑いながらも、ジャスミンは彼が隠し持つ「男」の顔に、抗えない好奇心を抱き始める。
「……どうする? 俺と一緒に、いけないことするか?」
余裕の仮面を被るセバスチャンに、あどけない顔で、けれど大胆に踏み込んでいくジャスミン。
理性を繋ぎ止めようとする彼を、翻弄し、追い詰めていくのは彼女の方で……。
「ゆっくり」なんて、ただの建前。
一度火がついた熱は、誰にも止められない。
兄の親友という境界線を軽々と飛び越え、加速しすぎる二人の溺愛ラブストーリー。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる