さよならはまるいかたち

香澄 翔

文字の大きさ
上 下
25 / 40
三.白は嘘つきの言葉

25.つながった電話

しおりを挟む
 ひとまずは矢上やがみ宛に電話をかけてみる。しかし携帯からは電波が届かないところにあるか電源が切れていると無情のメッセージが流れるだけだ。

 この辺りは田舎町だけに少し電波が弱い場所もある。もしかしたら電源を切っているのかもしれない。そうであってくれればいいのだけれど、何か事件に巻き込まれたのだとすれば大変な事になるかもしれない。

 今度は大志たいしに電話を掛けてみた。こちらはすぐに電話がつながっていた。

『あ、浩一こういちくん。よかった。浩一くん携帯部屋においてたから、つながらなくってどうしよかって思ってたんだ。実は矢上さんがまだ戻ってこなくて。それで』

 やや早口になりつつも大志が話し始めていた。しかし僕はすぐにそれを遮るようにして口をはさむ。

「さっき楠木くすのきに聞いた。その様子なら、矢上はまだ見つかっていないのか。どの辺を探しているんだ。僕も探してみるよ。ただ見つかった事を知らずに探し続けて迷ったりしたら元も子もないから、必ず三十分おきに楠木に連絡する事。いいね。楠木も誰もいないって心配していたから」

『あ、うん。わかった。ぼくたちは駅の方に来ているんだ。あ、ひびきくんも一緒にいるよ』

「そうか。じゃあ僕は山の方にいってみる。それから、ときどき矢上の電話にかけてみてくれ。もし矢上も移動しているなら電波が通じる瞬間があるかもしれない」

『うん。じゃあ見つかったら連絡するね』

 そこまで話したところで通話が切れていた。向こうも電波状況が悪いのか、あるいは大志も焦っていて言う事を言ったと思って電話を切ったのかもしれない。どちらにしてもこれ以上に特に話す事がある訳ではない。響も一緒にいるのなら、二人は心配する事もないだろう。

 もともといなくなったのは山の中だ。もしかしたら少し離れた場所で怪我をして動けなくなっているのかもしれない。

「矢上、いるか、矢上!」

 声を上げながら歩く。もう少し探しても見つからないようなら、警察に届けて本格的に探してもらう必要があるかもしれない。

 嵐も近づいてきている。もしも山の奥や海で遭難しているのだとすれば、僕達の手には負えないかもしれない。

「矢上。いるなら返事しろ。矢上っ」

 叫ぶが返事はない。それでも諦めずに矢上の名を呼び続けて、気がつくとあの洞窟の前までやってきていた。

「矢上、いるか。いるなら返事しろ」

 僕は大きな声を上げる。同時に、背中側の茂みが揺れてがさがさと音を立てていた。

「矢上か!?」

 振り返り、懐中電灯の光を当てる。

 しかし返答はない。何か獣か何かだろうか。さすがに熊という事はないだろうけれど、猫や犬、あるいはたぬきやいたちなどかもしれない。しかしもしかしたら矢上が声が出せないような状態で倒れているのかもしれない。

 少し緊張しながらも、茂みの方へと近づいてみる。
 その瞬間、茂みの中から何かが飛び出してきていた。

 僕は何かに押されてバランスを崩して倒れる。すこし斜面になっていたせいで、僕はそのまま下へと転がっていく。

 身体中が痛む。懐中電灯を離さずに済んだのは幸いだったかもしれないが、傘はどこかに落としてしまっていた。

 なんとか体勢を整えて、慌てて顔をあげる。
 ちらりと去って行く帽子を被った男の姿が見えた。遠目ではあったが麗奈れなを襲った犯人がかぶっていた帽子と同じようにも思えた。

 麗奈を襲った奴が僕を襲ったのか。今度は僕を狙っているのか。

 やられてたまるものか。絶対に捕まえてやる。心に誓って拳を握りしめる。
 追いかけようと思ったのもつかの間、スマホが震え始める。あわててディスプレイを確認すると、矢上真希まきの名前と共に電話の呼び出しが表示されていた。

「矢上かっ!?」

『……やぁ、浩一こういちか。すまないが迎えに来てくれないか。この雨に戻るに戻れなくてな、さっきまでいた場所が電波も届かなくて。結局、少し移動したから濡れてしまったが、ずっと濡れネズミでいるのも辛いしな。ほら浜辺のあたりにいちおう海の家があっただろう、あの辺りにいるから傘をもって頼む』

「やぁ、浩一か。じゃないだろ。みんな心配していたんだぞ。それに矢上がいない間に、いやそれは戻ってきてから話す。とにかく迎えに行くからじっとしててくれ。……あ、でも僕はいま山の方にいるんだ」

 何事もなかったように告げる矢上の声に、僕は安堵半分呆れ半分で応える。ただ少なくとも麗奈のように誰かに襲われたという訳ではなさそうなので、それには安心する。

『ほぅ。それはまたこの深夜の雨の中、なぜそんなところに』

 矢上はそう言いながらもあまり関心がなさそうな感じで訊ねてくる。電話の向こう側でも雨の音と、それが弾くようなばしゃばしゃという音が響いてきていた。雨を避けようと走っているのかもしれない。

「あのな、矢上がいつまでも戻ってこないから探しにきてたんだよ。あの時もなんで勝手に移動して、いや、それも後で話すとして、とにかく僕は少し遠い場所にいるから時間が掛かる。響と大志も駅も方にいるはずだから僕よりも遠いし。ああ、楠木が旅館にいて一番近いから楠木」

『いや、それなら君が来てくれ。女が深夜に一人歩きするのもよくないだろう』

 半分怒りを覚えながらも答える僕の声を遮って、矢上は僕に迎えにくるように告げていた。確かにこの雨の中で、しかも夜間に女の子を迎えに行かせる訳にはいかないかとも思う。

「君だって女だろ。でも確かに楠木にいってもらうのも危ないかもな。なら急いでいくけど、十分くらいはかかると思う。その間に他の皆にも矢上が無事だと連絡しておくよ」

『それなら皆への連絡は私がしよう。それに慌てて来てもらって怪我しても困るしな。この雨の中だ、ゆっくり来てくれ。よろしくな』

 矢上はそう言葉を返すと、それからすぐに電話を切っていた。確かに雨の中、傘と懐中電灯を持ちながら電話をするのは難しいから矢上に連絡してもらった方が助かる。それに響と直接話さなくともすむのは、今はありがたいとも思う。

 とにかく僕は落とした傘を拾って海辺へと急ぐ。自分を突き飛ばした犯人らしき男の事も気にかかるものの、それよりも今は矢上の方が大切だ。

 これ以上仲間うちに何も起きない事を祈っていた。もしも矢上を放っておいて何かが起きたりしていれば、僕は後悔してもしきれないだろう。

 雨の中、早足で駆ける。気持ちは急いているのだが、雨の中では足を取られてあまり速くも走れない。

 それでもしばらくすると海が近づいてきていた。ただ雨に紛れて潮の香りはまるで感じなかった。

 波はかなり高くなってきている。まだ嵐がくるまでには時間があるはずだけど、すでに影響は出てきているのだろう。ただいますぐ危険というほどではなかった。

 すぐに海の家も見えてくる。その軒下で雨を避ける女性の姿を認めて、僕は安堵の息を吐き出していた。

「矢上!」

 彼女の名前を呼んで駆け寄っていく。

「ああ、浩一。雨の中、わざわざ来てくれて悪いな」

 僕の方へと振り向く彼女は、よく見ると少し濡れたどころではなく、実際には上から下まで完全に濡れ鼠になっていた。まさか桜乃さくののように海に入った訳でもないだろうから、雨にかなり濡れていたのかもしれない。

「それはいいけどさ。一体どこいってたんだよ。みんな心配してたんだぞ」

「そうか。悪いな。まぁ、私にも事情というものがあったのだけれど、それはまた後でゆっくり話そう。いくら夏場でも、いいかげん寒いし疲れた」

 心配してかけた声に、矢上はあまり悪そうにも思っていない声で応える。

 ただ僕へと投げかけてきた笑顔が、どこかぎこちない事に気がついて僕は少し不安を感じていた。

 まさか麗奈のように襲われたんじゃと心配になって彼女を見つめる。はっきりとおかしいところがある訳ではなかったが、この雨の中だけにしっかり見て取れている訳じゃあない。とにかくまずはいったん旅館に戻ろう。たぶん他のみんなも心配しているはずだ。

「わかった。矢上の分も傘を持ってきているから。って、あれ」

 気がつくと僕はもっていたはずの傘を手にしていなかった。
 おそらくは犯人につきとばされた時に落として、そのまま置いてきてしまったのだろう。

「なんだ。なくしたのか。まぁ、仕方ないな。それなら一緒に入っていくか」

 矢上は言いながら僕の差している傘の中に入り込んでくる。
 ぎこちない笑顔が溶けてしまうかのような、どこか楽しそうな顔をした矢上に、何も言う事は出来なかった。

「この雨に傘一つだと二人ともびしょ濡れだよ。矢上使えよ」

 僕は矢上の方へと傘を差し出すが、しかし彼女は顔を背けて見えていないふりをする。

「まぁ、いいじゃないか。どうせ君も私ももうずぶぬれだ。二人とも少し防げればそれで十分だろ」

 矢上は僕へと少しだけ身を寄せてくる。
 それがなんだかくすぐったくて、僕は恥ずかしさと共にため息をもらす。
 そしてすぐに矢上は濡れるのも構わずに歩き始めていた。

「あ、矢上。待てよ」

 仕方なく僕も矢上を追って歩き始める。いくらすでにずぶぬれだとはいっても、放っていく訳にもいかなかった。

 一つ傘の下で僕達は旅館へと向かって歩き始める。幸いここからはそこまで遠くはない。すぐにたどり着くはずだ。

 雨脚は少しずつその強さを増していく。風もやみそうもなく、海が激しく波を打ち付けている。

「雨も風もすごいな」

 矢上はぼそりとつぶやくと、海の方を見つめていた。
 間違いなく台風が近づいてきているのだろう。残念ながら明日は直撃になるかもしれない。

 そうなれば電車も運休になって、両親の到着は遅れるかもしれない。残念ながらうちには車がない。だから朝一の電車でくると言っていたけれど、もしかしたらそれも無理かもしれない。

 そうすれば麗奈のそばについていてあげられるのは僕だけになってしまう。

 犯人が何を思って麗奈れなを襲ったのかはわからない。さっきの男が犯人なのだとしたら、まだこの近くにいるだろう。そうであればこの手で捕まえてしまいたいとは思う。

 でもそれよりも今は麗奈のそばにいたいと思っていた。また朝になったら病院に向かおうと思う。

「麗奈」

 思わず僕はつぶやいていた。

 命に別状はない。たぶん明日には意識を取り戻すだろうし、幸い傷もそれほど深くはなかったようだ。その傷は麗奈にとって強いトラウマになってしまうかもしれないことが気に掛かるけれど、死んでしまう事に比べればずっと良かったと思う。

 僕が見た未来は必ず別れを伴う。だけど今はまだ麗奈と別れを感じさせる事態にはなっていない。それなら傷を負った事実は変わらないけれど、少しでも未来を変えられているのかもしれない。

 もしかしたら桜乃の力が未来を変えていたのかもしれない。
 矢上と二人歩きながらも、いつの間にか違う事ばかり考えていた。矢上が無事だった事で、麗奈や桜乃の事に意識を向ける余裕が出来たのかもしれない。

「寒いな」

 不意に矢上が声を漏らす。

 気温はそれほど低くはないが、濡れてしまったせいだろうか。少しでも早く戻って暖をとった方がいいかもしれない。

「わかった。急ごう」

 うなずいて少しだけ足を早める。

 矢上もそれ以上には何も言う事もなくて、ただ雨音と風の音だけが僕達の世界を包んでいく。

 この豪雨の中、二人で差した傘なんて有るも無いも変わらなかったけど、ただ一つの傘の下で歩き続けた。
しおりを挟む

処理中です...