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第一章
一ノ巻ー依頼①
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静かな初秋の夜。月が綺麗だ。
兄の兼近が笛を奏で始めた。兄の笛はとてもいい。妹の私が言うのも何だが、やはり神職に就いているせいか音が静謐なのだ。兄が目配せをよこした。私は琴のうえに指を滑らせ、一緒に奏で始めた。
今日はお月見。我が弓弦神社の縁側には15個の餅が供えられ、花瓶には庭のススキを飾ってある。そして、私の側には赤い首紐の黒猫が丸まっている。彼女は兄の笛が大好き。耳を立てているから喜んで聞いているはずだ。
兄は陰陽道も学んでいて邪悪なあやかしを祓うことも、逆に善良なあやかしは遣うこともある。また、式神を従える。
兄は縁側に座っているが、そのすぐそばの草場の陰に狸と犬のあやかしの棟梁である権太と旭丸もいる。狐のあやかしの白藤は女に化けて、兄の世話をかいがいしく焼く。権太と旭丸は命じられれば人間の男になって下働きもする。今日は月見の準備のためみんなで手伝ってくれた。
兄は亡くなった父と同じで霊力が強いのだろう、しっかりあやかしが視えるようだが、私はというとそこまでではない。強い妖力を持つあやかしは視えるのだが、そうでもないあやかしは光がぼんやりと形作る程度にしか視えない。
ただ、人でないことは周りの光でわかる。
あやかしではない人間の気配がして、猫の鈴が眼を開けた。権太と旭丸も静かに座った。
兄は眼をつむったまま笛を奏でていたが、ふと目を開けた。
私は勝手に演奏をやめてしまった。
「邪魔したようだな。すまない」
そこには狩衣姿の左大臣家の長男が立っていた。切れ長の眼。細面。そして、この柔らかい雰囲気が彼の特徴だ。
兄は柔らかそうに見えて、いつも常にどこか緊張感がある。それに比べて晴孝様は見ているだけで癒やされる優しげな雰囲気があるのだ。
そう、彼は頭中将晴孝。現左大臣である藤塚家の長男だ。そして、兄の親友。私の大好きな人。
「晴孝か。どうした?今日は月見だというのにうちに来たりして、大丈夫なのか?」
「父上は宮中の月見の宴に参内している。母上はお気に入りの女房達と宴をするのだと言っていた。そして、私にさっさと恋しい人の所へ行って過ごせと言うんだ」
「ほう。いつから私はお前の恋しい人になったのやら……」
兄は笛を膝において彼に笑いながら言った。
「そう言うなよ。どうせこれから兄妹で美味しい酒を飲むところだったのだろ?混ぜてくれたっていいじゃないか」
横にいる黒猫の鈴がにゃあにゃあと私に話しかけてくる。
『夕月の祈りが届いて彼が現れたのかな?良かったね』
『そうかな』
鈴は猫のあやかし。大抵は子猫のままだが、人になるときがまれにある。一応、鈴は私の専属。小さい頃から側にいて私を守ってくれる。私が鈴の頭を撫でると、身体をすり寄せてきた。私はゆっくりと立ち上がると晴孝様の方を向いて言った。
「どうぞそちらの階から兄の横へお上がり下さい、晴孝様。ただいま、酒を用意致します故……」
すると、嬉しそうに笑顔を浮かべて彼は私を見た。私は狐のあやかし白藤に目配せした。すると、彼女は酒の準備に下がっていった。
「さすが夕月殿。優しいなあ……兼近とは大違いだ」
兄は私をちろりと見て、意味深に笑った。
「お前は夕月の本性を知らないからな」
「……っ兄上!」
「ああ妹よ、どうして怒るのだ?お前の素晴らしさについてこれから語るところだったのに……何か勘違いしているだろう」
兄のあの眼。嘘に決まってる。私にはわかる。
「……兄上は今に神様から見放されます……」
「にゃあ」
すずが右腕を立てて兄に威嚇した。
「鈴。お前は相変わらず夕月が好きだなあ……私のやる鰹節にもなびかない。たいしたものだ。わかった、わかった。白藤、酒を持て」
「あーい。今お持ちしやす」
白藤はすでにお盆に徳利を乗せて運んできている。
衣擦れの音をさせて兄は立ち上がると、円座という座布団のようなものを自分の横にもひとつ敷いた。晴孝は横の階から上がってきた。
「それで……今日は何の相談だ?その顔は……どうせ、ただ月見に来たわけではあるまい」
晴孝は座った。私がお酌をしようと徳利を持つと、杯を手にした。兄には白藤がピッタリ寄り添い徳利を掲げ注いでいる。兄上と晴孝様は杯を持ち上げ目を合わせると、同時に口に運んだ。
「……実は姉上のことだ」
「姉上とは……何番目の?」
晴孝様は兄を睨んだ。
「兼近に話すんだぞ。誰のことかなんてわかっているだろう」
兄は遠くを見ている。晴孝の言う意味がわかっているのだ。
「もちろん、朱雀皇子に嫁ぐ静姉上のことだよ」
左大臣には娘が二人いる。静姫と奏姫。
長女の静姫は二年ほど前まで兄と文通をしていた仲だった。
出会いは大分前だ。父が左大臣家の北の方の祈祷を申しつけられて兄もついて行った。その時に北の方をつきっきりで看病していた長女の静姫と出会った。
病床の母の代わりに、まだ若い彼女が古参の女房を従えて、屋敷の奥を取り仕切る姿を見たそうだ。兄は彼女にとても感心し、その美しさに驚いたらしい。
そして、その後……兄は静姫宛てに薬を送るという名目で花と励ましの文を贈っていたそうだ。
静姫も嬉しかったのだろう。兄とそうやって一年近く文を交わしていた。内緒のやりとりが続いていたが、父の跡を継いで神職となった兄は静姫と距離を置いた。
父から政の中心勢力のどちらかに肩入れしすぎるなと言われていたのだ。有力者のどちらかに近寄るべからず。適当な距離を置けと言い残して父は亡くなった。
静姫は兄と一緒になりたかったのだろう。兄と別れてしばらく気鬱の病を得て、寝込んだと聞く。兄も辛そうだった。静姫はいずれ朱雀皇子に入内させられるとわかっていたはず。
ただ、朱雀皇子の評判が良くないことや最初に嫁いだ楓姫の噂もあり、父親である左大臣は心配でどうするか決めかねていた。
朱雀皇子に正妻として最初に嫁いできたのは右大臣家の娘である楓姫。彼の従兄弟だった。その楓姫が病となり、すでに実家へ戻っている。病の原因は朱雀皇子の女性遍歴にあると言われている。そう、朱雀皇子は好色家なのだ。
風の噂だが、実はあまりにも女遊びが過ぎる皇子を持て余し、心の病になったと言われている。そのせいですでに離縁したようなものと思われており、次の正妻は左大臣家の長女である静姫だろうと世間では言われているのだ。
兄の兼近が笛を奏で始めた。兄の笛はとてもいい。妹の私が言うのも何だが、やはり神職に就いているせいか音が静謐なのだ。兄が目配せをよこした。私は琴のうえに指を滑らせ、一緒に奏で始めた。
今日はお月見。我が弓弦神社の縁側には15個の餅が供えられ、花瓶には庭のススキを飾ってある。そして、私の側には赤い首紐の黒猫が丸まっている。彼女は兄の笛が大好き。耳を立てているから喜んで聞いているはずだ。
兄は陰陽道も学んでいて邪悪なあやかしを祓うことも、逆に善良なあやかしは遣うこともある。また、式神を従える。
兄は縁側に座っているが、そのすぐそばの草場の陰に狸と犬のあやかしの棟梁である権太と旭丸もいる。狐のあやかしの白藤は女に化けて、兄の世話をかいがいしく焼く。権太と旭丸は命じられれば人間の男になって下働きもする。今日は月見の準備のためみんなで手伝ってくれた。
兄は亡くなった父と同じで霊力が強いのだろう、しっかりあやかしが視えるようだが、私はというとそこまでではない。強い妖力を持つあやかしは視えるのだが、そうでもないあやかしは光がぼんやりと形作る程度にしか視えない。
ただ、人でないことは周りの光でわかる。
あやかしではない人間の気配がして、猫の鈴が眼を開けた。権太と旭丸も静かに座った。
兄は眼をつむったまま笛を奏でていたが、ふと目を開けた。
私は勝手に演奏をやめてしまった。
「邪魔したようだな。すまない」
そこには狩衣姿の左大臣家の長男が立っていた。切れ長の眼。細面。そして、この柔らかい雰囲気が彼の特徴だ。
兄は柔らかそうに見えて、いつも常にどこか緊張感がある。それに比べて晴孝様は見ているだけで癒やされる優しげな雰囲気があるのだ。
そう、彼は頭中将晴孝。現左大臣である藤塚家の長男だ。そして、兄の親友。私の大好きな人。
「晴孝か。どうした?今日は月見だというのにうちに来たりして、大丈夫なのか?」
「父上は宮中の月見の宴に参内している。母上はお気に入りの女房達と宴をするのだと言っていた。そして、私にさっさと恋しい人の所へ行って過ごせと言うんだ」
「ほう。いつから私はお前の恋しい人になったのやら……」
兄は笛を膝において彼に笑いながら言った。
「そう言うなよ。どうせこれから兄妹で美味しい酒を飲むところだったのだろ?混ぜてくれたっていいじゃないか」
横にいる黒猫の鈴がにゃあにゃあと私に話しかけてくる。
『夕月の祈りが届いて彼が現れたのかな?良かったね』
『そうかな』
鈴は猫のあやかし。大抵は子猫のままだが、人になるときがまれにある。一応、鈴は私の専属。小さい頃から側にいて私を守ってくれる。私が鈴の頭を撫でると、身体をすり寄せてきた。私はゆっくりと立ち上がると晴孝様の方を向いて言った。
「どうぞそちらの階から兄の横へお上がり下さい、晴孝様。ただいま、酒を用意致します故……」
すると、嬉しそうに笑顔を浮かべて彼は私を見た。私は狐のあやかし白藤に目配せした。すると、彼女は酒の準備に下がっていった。
「さすが夕月殿。優しいなあ……兼近とは大違いだ」
兄は私をちろりと見て、意味深に笑った。
「お前は夕月の本性を知らないからな」
「……っ兄上!」
「ああ妹よ、どうして怒るのだ?お前の素晴らしさについてこれから語るところだったのに……何か勘違いしているだろう」
兄のあの眼。嘘に決まってる。私にはわかる。
「……兄上は今に神様から見放されます……」
「にゃあ」
すずが右腕を立てて兄に威嚇した。
「鈴。お前は相変わらず夕月が好きだなあ……私のやる鰹節にもなびかない。たいしたものだ。わかった、わかった。白藤、酒を持て」
「あーい。今お持ちしやす」
白藤はすでにお盆に徳利を乗せて運んできている。
衣擦れの音をさせて兄は立ち上がると、円座という座布団のようなものを自分の横にもひとつ敷いた。晴孝は横の階から上がってきた。
「それで……今日は何の相談だ?その顔は……どうせ、ただ月見に来たわけではあるまい」
晴孝は座った。私がお酌をしようと徳利を持つと、杯を手にした。兄には白藤がピッタリ寄り添い徳利を掲げ注いでいる。兄上と晴孝様は杯を持ち上げ目を合わせると、同時に口に運んだ。
「……実は姉上のことだ」
「姉上とは……何番目の?」
晴孝様は兄を睨んだ。
「兼近に話すんだぞ。誰のことかなんてわかっているだろう」
兄は遠くを見ている。晴孝の言う意味がわかっているのだ。
「もちろん、朱雀皇子に嫁ぐ静姉上のことだよ」
左大臣には娘が二人いる。静姫と奏姫。
長女の静姫は二年ほど前まで兄と文通をしていた仲だった。
出会いは大分前だ。父が左大臣家の北の方の祈祷を申しつけられて兄もついて行った。その時に北の方をつきっきりで看病していた長女の静姫と出会った。
病床の母の代わりに、まだ若い彼女が古参の女房を従えて、屋敷の奥を取り仕切る姿を見たそうだ。兄は彼女にとても感心し、その美しさに驚いたらしい。
そして、その後……兄は静姫宛てに薬を送るという名目で花と励ましの文を贈っていたそうだ。
静姫も嬉しかったのだろう。兄とそうやって一年近く文を交わしていた。内緒のやりとりが続いていたが、父の跡を継いで神職となった兄は静姫と距離を置いた。
父から政の中心勢力のどちらかに肩入れしすぎるなと言われていたのだ。有力者のどちらかに近寄るべからず。適当な距離を置けと言い残して父は亡くなった。
静姫は兄と一緒になりたかったのだろう。兄と別れてしばらく気鬱の病を得て、寝込んだと聞く。兄も辛そうだった。静姫はいずれ朱雀皇子に入内させられるとわかっていたはず。
ただ、朱雀皇子の評判が良くないことや最初に嫁いだ楓姫の噂もあり、父親である左大臣は心配でどうするか決めかねていた。
朱雀皇子に正妻として最初に嫁いできたのは右大臣家の娘である楓姫。彼の従兄弟だった。その楓姫が病となり、すでに実家へ戻っている。病の原因は朱雀皇子の女性遍歴にあると言われている。そう、朱雀皇子は好色家なのだ。
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