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第一章
二の巻ー女房になる①
しおりを挟むひと月後、とりあえず左大臣家へ静姫の新入りお付き女房として入った。もちろん鈴もついてきた。鈴の姿は子猫だ。皆から可愛がられてあっという間に私より人気者になった。そして、今の一番の鈴の庇護者は……。
「夕月、こちらへいらっしゃい」
今日も静姫は、膝にのせた鈴の背中を撫でていた。もはやすっかり鈴は私の猫ではなくなった。ここに来てずっと観察していたんだろう。
しばらくすると、ここで一番偉い人が誰か認識したようで、すぐにその人に媚びを売った。そして今に至る。鈴は結構ずるかった。そう、日和見が得意の猫だということをすっかり忘れていた。
「はい、ただいま」
私は慣れない女房衣装を着ているせいで、立ち上がるのにまだ時間がかかる。裳や唐衣を羽織るので、裾を後方に引いて歩く。
ドタッ!ばったり前に倒れた。
やってしまった。裳を踏んでしまって、つっかかってしまったのだ。
「……っ!うふふ」
姫が口元に扇を立ててこちらを見て笑っている。
「もう、何しているんですか、夕月さん!」
先輩女房の志津さんが私を見てため息をついている。後から助け起こしてくれた。
「す、すみません……」
「もう、こんな姿を他の人に見られたら何を言われるかわかりませんよ」
「あ、はい。申し訳ございません……」
「志津。それくらいにしておやりなさい。夕月はこんな生活していなかったのですからね」
前はこういうことがあると、鈴はすぐに私の側に駆け寄って心配そうにしていたのに、今はすっかり知らんふりをしている。姫の膝の上で背中を撫でられて気持ちよさそうにして、片眼を開けて私のドジぶりを見て笑っている。おのれ、鈴。夕飯を減らしてやる。
「志津、少し下がっていなさい」
「はい」
じろりと私を睨む志津さん。すみませんという気持ちを表して、彼女に頭を下げる私。
志津さんは私達の母親くらいの年齢。左大臣の北の方の女房だったが、静姫が裳着の式を迎えたときから彼女に下されたそうだ。志津さんは静姫の礼儀作法なども指導してきた。
もちろん、静姫のいる西の対では全てを彼女が取り仕切っている。左大臣家では常に静姫の側にいる。最近は姫が私をお側に召されることも多い。一緒に琴を演奏したり、雑談をしたりで仕事はほとんどしていない。やはり、私の方が歳も近いし、兄上へのお気持ちもあるからなのだろう、とても可愛がって下さる。
「ごめんなさいね、夕月」
「え?」
静姫は私を見ながら言う。
「志津は昔から私の全てを把握したがる。あなたの兄上との文のやりとりもすべて把握して父上の報告していた。そしてとても危惧していたのよ。私がどんどん兼近様に惹かれていくのに気づいていたんでしょうね」
「……姫様」
「あの頃はまだ楓姫がいたから、父上は私にそこまで期待されておられなかった。でも、楓姫が病となられて退出されてから、風向きが変わってきた。あなたの兄上はその後家督を継がれて、お忙しくなり距離ができてしまった」
「でも、兄は変わりません。姫様への気持ちも……あっ!」
私は周囲を気にして口に手をやった。まずい。静姫は嬉しそうに私を見た。
「ありがとう。だからこそ、あなたをこんな危険なところへよこしたのでしょう?私はあなたには悪いけれど、あなたが私付の女房になってくれると聞いて本当に嬉しかった」
「姫様のことは色々兄上から伺っていました。とても聡明でお美しく、歌もお上手とか。お目にかかったことはなかったのに、どこかお慕いしていたのは晴孝様を見ていたせいもあります」
「……ふふふ」
扇で口元を隠した静姫は笑っている。綺麗だな。目元しか見えないのにこんなにお綺麗ってすごい。
「夕月は晴孝のことを本当に慕ってくれているのね」
私はびっくりして膝立ちになった。バタン!また裳がからまって前へ倒れた。
「にゃ、にゃにゃあ(夕月何してんだよ!)」
鈴を睨むと、チリンと首輪についたスズの音を立てて、鈴が姫の膝を降りて私のほうへ歩いてきた。私のひどい有様に呆れて心配になったのかしら。
「ふふふ……もう、面白い子ね。いいのよ、隠さなくて。そこがあなたのいいところよ。あなたがそうだから私も隠さない。あなたの前では私も素でいられる」
「姫様……」
姫は庭の遠くを見ている。
「とりあえず、朱雀皇子が帝と伊勢に行幸されているひと月は時間があるわ。晴孝から聞いている朱雀皇子の乳母子である桔梗が留守の間の皇子の寝殿を取り仕切っている。十日後には東宮殿の東の対に入ります。頼むわね」
私は姫に頭を下げた。
「お任せ下さいませ。では、私はこれで……」
「ありがとう」
私は奥へ下がると、志津さんに目配せをする。彼女は頷いて、姫様のところへ行った。
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