恋人の振りを頼んだ彼は皇子様だった

伊織愁

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三十話 『ハオユゥの策略』

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 ハオユゥが欠席する中、皇帝であるズゥハオ・アングイスの指揮の元、叙爵式は滞りなく始まった。
 
 皇帝が広間に現れ、皇帝の玉座に着くと、厳粛な空気が広間を満たす。彼は黒ヘビ族特有の艶やかな黒髪を背に流し、髪を結えた髪紐の先には煌めく宝飾品がつけられていた。女性かと見まごうほどに美しい皇帝だ。

 初めて見たけどっ、綺麗な人、あの人がハオユゥのお父さん……。

 少し口を開けて食い入るように見てしまい、隣でユゥシュエンが面白そうな眼差しで自身を見ている事に気づいていなかった。
 
 皇帝が広間を見渡し、集まった貴族を見て軽く頷いた。皇帝の視線がアヴリルの前を通り過ぎた時、視線があった様な気がしたが、それは気のせいだと努めて思い込むことにした。

 次々と叙爵される人の名が呼ばれ、叔父だけが叙爵されるわけではないのだと、気づいた。
 
 アヴリルは真っ直ぐに壇上を見上げ、皇族の列に並んでいないハオユゥを思い浮かべる。ハオユゥは今、何処で何をしているのだろう。今日、彼と会えていれば、番の刻印が刻まれたかも知らないのにと。

 不意に暗くなったアヴリルの横顔に、ユゥシュエンが声をかける。

「アヴリル、次が親父の番だぞ。顔を上げろ」

 ユゥシュエンの低く気遣うような声で、ハッとしたアヴリルは顔を上げてシャンと背中を伸ばした。

「それでいい」という様な笑みと、ユゥシュエンの含み笑いが耳に届く。ユゥシュエンの含み笑いは直ぐに皇帝の声で掻き消えた。

 「さて、次は我らが帝国に多大なる貢献を果たしたスヴァット商会の会長、ミンシュエン・スヴァットに、男爵位を授ける」

 皇帝の声には、喜びと友人でもある叔父を誇らしく思う気持ちと、少しの意地悪さが混ざっていた。叔父も少しだけ、元の同級生の時に戻った様な雰囲気で仕方ない奴だと、一瞬だけ和んだが、直ぐに真面目なオーラを出した。

「ミンシュエン・スヴァット、御前へ」
 
 荘厳な声が広間に響き渡ると、叔父は叔母と腕を組み、堂々と壇上へ歩み出た。アヴリルは緊張で息を詰めた。

 叔父が皇帝の前に跪き、爵位を授けられる一連の儀式は、彼女の知る平民の世界とはあまりにもかけ離れていた。

 これが貴族の世界か……。私には眩しすぎるかな。

 キラキラと輝く広間を眺め、アヴリルも貴族の一員になったんだと、改めて自覚し、もう逃げられないんだと思った。式典の最中、アヴリルの鎖骨でキラキラと輝くパウダーに、何人かの貴婦人が気づき始めた。

 最も、カウントリムにはない、シェラン国のドレスを着ているアヴリルは既に目立っていた。左右で義妹をガッチリとガードしている美形な双子の近づけない雰囲気に呑まれ、皆は話しかけられなかっただけだった。

 特に若い令嬢たちは、アヴリルが着ている見た事がないオフショルダーのドレスと、その光を放つ肌に興味津々の視線を送っている。アヴリルは、これが自分のビジネスチャンスになることを確信し、緊張の中にも満足感を覚えた。

「やっぱり、気になるよね」と、明日には注文が殺到するのではないかと、満足気に何度も頷く。

「親父が跪く姿なんて中々見られないよな」楽しそうに笑うユゥシュエンをチラリと見上げる。

 儀式が終わり、叔父が無事に男爵となったスヴァット卿として皆が待っている傍らに戻ると、アヴリルはようやく安堵の息を漏らした。皆と一緒に拍手を送った。

 「叔父様、おめでとうございます」
 「ああ、ありがとう、アヴリル」
 
 アヴリルに嬉しそうに微笑む。ずっと渋っていたが、やはり叙爵されれば、嬉しいらしい。
 
 「中々、見物だったよ」とユゥシュエン、瞳には少しの揶揄いがあった。叔父は軽く睨むことで受け止める。
 「まぁ、おめとっうさん」とズゥシュエンが祝辞を送る。アヴリルに比べ、実の息子たちの素っ気なさに少し、寂しさを覚える。叔母は『しょうがない人達ね』と、呆れ気味に眺めている。

 「これでアヴリルも正式に男爵令嬢になったね」と、ユゥシュエンはワインを一気に飲み干し、アヴリルをチラリと見て皮肉めいた笑みを浮かべた。

 「皇族に嫁ぐには、平民よりはだいぶマシになったんじゃない?」

 「ユゥ従兄さん!」アヴリルはムッとしてユゥシュエンの腕を軽く叩いた。しかし、彼の言う通り、身分の差が縮まったことは事実であり、彼女の胸の奥で燻っていた不安が少しだけ和らいだ。
 
 叙爵式が終わり、スヴァット家は多くの貴族からの挨拶や、新しく作られた「スヴァット男爵領」に関する質問攻めにあっていた。余談だが、警戒する双子によってアヴリルは誰にもダンスに誘われなかった。

 パーティーがお開きして、やっと貴族から解放され、スヴァット家の面々は叔父を除いた皆が帰路に着いた。叔父はまだ皇帝と話があると皇帝に連れられて行ってしまった。

 早々にドレスを脱いでベッドへ倒れ込む。慣れない貴族のパーティーは、精神的にも肉体的にも疲れ果てた。

 その夜遅く、『シィユエ』と優しく呼ぶ声が耳に届く。

 慌てて起き上がると、目の前に妖精の伝言が浮かび、優しくと微笑んでいた。今夜はもう、声をかけないだろうと諦めていた。

「ハオユゥ」と、呟いたアヴリルは妖精の伝言に両手を差し出し、掌大の大きさしかない妖精の伝言を乗せた。

 妖精の伝言は、送信者の今の状態や状況、感情をそのままそっくりに模して相手に伝える。ハオユゥの妖精を見たアヴリルは、心配気に金色の瞳を細めた。金色の瞳には、慈愛の色が滲んでいる。

 待ち望んでいたハオユゥからの連絡だったが、彼は疲れ果てている様だった。目の下には隈ができ、笑顔も思いの外、弱々しく見える。ハオユゥの妖精が彼の様子を微細に伝えてくる。

 うわっ、これは相当疲れてるなぁ、何があったの?

 「ハオユゥ……」
 『シィユエ、ごめん。叙爵式に出られなくて。父上からは話を聞いたよ。スヴァット氏、いや、スヴァット男爵、本当におめでとう』
 
 ハオユゥの声は微かに掠れており、心身ともに疲弊していることがありありと伝わってきた。アヴリルは胸が締め付けられるのを感じる。

 「大丈夫?」と、ハオユゥの妖精が一瞬だけ動きを止め、言葉に詰まった。「何があったの? 無理してない?」
 
 リェンファの幽閉や公爵との交渉について話すわけにはいかない。直ぐ安心させる様に笑みを浮かべる。

 ハオユゥの妖精が微笑む姿は、とても儚気だ。

 『ああ、大丈夫だ。少し厄介な案件の処理に手間取っただけだ。君と君の家族に危害を加えようとした者は、もう完全に片付けたから。安心してくれ』
 
 ハオユゥの言葉は、リェンファが逃げ出してからの騒動を示唆していた。アヴリルは、彼が自分を守るために必死に動いていたことを察し、胸が締め付けられるように熱くなった。アヴリルは力強く答えた。

 「ありがとう、ハオユゥ……ユゥ従兄さんが言っていた通り、あなたは私を絶対に裏切らない人だって信じてる」

 『シィユエ...』ハオユゥの妖精は更に優しく微笑んだが、表情にはまだ疲れが残っていた。

 『君に会いたい。今すぐにでも……』ハオユゥは切ない声で呟いた。
 
 アヴリルの頬が熱くなる。彼の愛の言葉は、薬の効果が切れた今、以前にも増して強く響いた。
 
 「私も、あなたに会いたいっ」
 
 アヴリルは一呼吸置いた後、ハオユゥに自身の決意を伝えた。

 「ねぇ、ハオユゥ。私、あなたを待ってる間、ただの男爵令嬢でいるつもりはないから。あなたの領地の薬草を調べて、事業を立ち上げようと思ってるの。私の力であなたの領地を潤すからね!」
 
 ハオユゥの妖精が驚いたように目を見開いた。

 『...ユゥシュエンから聞いていたけど、本気なんだな』
 「勿論、本気よ。貴族の妻になる自信はまだないけど、あなたの事業の協力者ならなれると思うの。それに、私はただ待ってるだけの女じゃないからねっ!」

 ハオユゥの妖精は明るい表情になり、顔から疲労の色が消えた。代わりに赤金の瞳に、熱い感情が宿った。

 熱の籠った熱い赤金の瞳がキラキラと輝く。
 
 『シィユエ...君は、ただの協力者なんかじゃない。俺の未来だよ。君のしたいようにしてくれ。君が動いている間、俺も全速力で貴族社会を片付ける』
 
 「分かったわ。私に任せて!」と、アヴリルは力強く答えた。

 『君の領地調査を手伝うための資料を、近日中にユゥロンを通じて送る』
 
 通信が切れると、アヴリルは胸の高鳴りを抑えられなかった。彼は確かに疲弊していたが、彼の言葉には、彼女を迎えに行くという強固な誓いが宿っていた。
 
 「大人しく待ってるつもりはないけど、ちゃんと待ってるからね。ハオユゥ.」

 ハオユゥの言葉がアヴリルの脳内で駆け巡る。

 『俺の未来だよ』か、小さく呟くと、アヴリルの口元が緩み、小さな笑いが溢れる。彼女の表情には幸せが滲んでいた。ベッドに横たわり、明日からの薬草調査への計画を練り始めた。

 そして皇帝の私室で、秘密裏に皇帝とスヴァット男爵が酒を酌み交わしていた。今宵は、昔に戻って色々な話をしているだろう。大方、子供たちの話ばかりだろう。
 


 一方、皇城の執務室では、ハオユゥがオピス公爵との厳しい交渉を終えた後、夜明け前に一人、静かに窓の外を見ていた。交渉の結果、公爵は娘リェンファの幽閉を受け入れたが、その代償としてハオユゥは多くの譲歩を強いられた。

 「リェンファはこれで終わりだ。公爵もこれ以上、私に逆らえない」
 
 ハオユゥの顔はやつれていたが、アヴリルとの短い通信で活力が蘇っていた。
 
 「シィユエ、出会った時から思っていたが、前向きで元気一杯で」

 初めて会った時の花祭りを思い出していた。リェンファを路地裏で見かけて、『あの趣味』には二人で引くくらい驚いた。
 
 ハオユゥは、アヴリルが他の男と関わっても亜人の血が沸き立たなかったというユゥシュエンの報告を思い出す。
 
 そして、今夜のアヴリルの反応。ユゥシュエンの薬の効果が完全に切れたのだ。
 
「これで俺たちの間には、もはや何も障害はない...あとは時間だけだ」
 
 ハオユゥは執務机の前に座り、新しい書状を書き始めた。書状の宛名は、ハオユゥの長兄である皇太子、ハオランだった。
 
 「ハオラン兄上に私の真意を伝えなくては」
 
 ハオユゥは、自分が帝位を狙う意図がないこと、そして平民出の男爵令嬢(アヴリル)を番として迎えることで、貴族社会の過度な干渉を断ち切るという真の目的を、兄に打ち明ける準備を始めた。貴族の排除とハオランへの理解。ハオユゥの「片付け」は、これからが本番だった。
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