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帆奈美とテオドロの場合(前編)
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講堂の講壇で、校長の長い演説が続いている。 こんなに話が長くては、倒れる生徒や教師が出てきそうだ。 長い夏休みを終えて、今日から2学期だ。 9月だというのに、まだまだ暑い。 ムッとした空気が、講堂内に漂っている。 本日は、始業式の為、恒例の月1回の『ネクタイデー』だ。 生徒たちは皆、窮屈そうにネクタイを緩めたり、無駄にいじったりしている。
普段は、上着は何を着ても自由だ。 ただ、月1回はちゃんと制服を着ましょうという日が設けられている。 校則で上着は自由と決められているのにおかしな校則だ。 生徒たちは、それぞれに好きな物を着ている。
因みに、女子のスカートはグレーの切り替えスカートで、左右の切り替え部分が赤のチェック柄になっている。 ネクタイの色も赤だ。 男子は、普通にグレーのスラックスを履いている。 まだまだ、暑いのでジャケットも長袖のシャツも着れない。 皆、半袖のカッターシャツを着ている。 生徒たちは、校長のだらだらと続く演説が、早く終わらないか気もそぞろになっていた。
――HRの予鈴の鐘が校舎に鳴り響く。
「伊織くん!! おはよう! 今日、帰りデートしようよ」
2年生の一般クラスの教室がある2階の廊下で、伊織の姿を見つけた城ケ崎帆奈美は、いつものように伊織にデートの誘いをかける。 勿論、答えはいつもNOだ。 駆け寄って伊織に腕を絡ませようとして、軽くかわされて不機嫌な表情で口を尖らせる。 ふわふわのツインテールにたれ目がちな顔立ちに、不貞腐れた表情はとても似合っている。
「城ケ崎、相葉先生と呼べ。 生徒とはデートしない」
「むぅ、相変わらず、つれない」
伊織は、教師の中でも一番、顔が整っている。 銀縁眼鏡の奥の涼し気な目元は、冷たそうな印象を受ける。 左の目元に黒子があり、大人の雰囲気を醸し出していて、色香を感じる。 生徒たちの受けは上場だ。
クスっと頭の上から、面白そうな笑いが聞こえて初めて、伊織の隣に人がいるのに気づいた。 そちらに視線を向けた帆奈美が、音を立てて固まった。 目の前の彼を見て、目を見開いて凝視する。
褐色の肌にダークブラウンの柔らかそうな巻き髪、髪と同じ色のダークブラウンの瞳が、帆奈美を捉えてキラキラと光っている。 ほりの深い整った顔立ちは、明らかに日本人には見えない。 制服をスーツの様に着こなしている姿は、同じ年の男子生徒と違い、とても大人の色気を醸し出していた。 帆奈美が通っている私立校は、世界中から生徒を募っているので、外国人が少なくない人数、在籍している。 だから、外国人が珍しくて凝視しているのではない。 帆奈美は彼を知っているからだ。
「テオ……どしてここに?」
帆奈美は何とか声を絞り出した。
「それは、もちろん。 帆奈美に会いたくて来たんだよ。 驚いたよ、凄く綺麗になったね」
テオは、帆奈美のふわふわしたツインテールを手に取って、蕩けるような笑顔で宣った。
「なんだ、城ケ崎の知り合いだったか。 丁度いい、転入するクラスは、城ケ崎と同じクラスだから、案内してやってくれ」
「嫌です!!」
帆奈美はキッパリスッパリ速攻でお断りした。 テオは捨てられた子犬のようにシュンと肩をおとしている。 上目遣いに顔を覗き込まれて、テオの熱い眼差しに、心臓が痛いくらい飛び跳ねた。
「じゃ、頼んだぞ。 本鈴なる前にクラスまで連れて行ってくれ」
伊織は珍しく、にこやかな笑顔でさっさと来た道を戻って行ってしまった。
残された帆奈美は、テオを案内するほかなく、顎でしゃくってついて来るように促す。 廊下を、テオがついて来ているか確かめないで、ずんずん歩いて行く。 帆奈美の態度が悪いのは分かっている。
でも、これには理由がある。 テオとは二度と会いたくなかったのだ。 大人しく帆奈美の後ろをついて歩くテオの口元が、愉快そうに緩んでいく。
――帆奈美とテオが五歳の時の事
帆奈美とテオの母親が親友同士で、テオたち家族も小学校上がるまでは、日本に住んでいた。 帆奈美とテオは良く一緒に遊んでいて、家族ぐるみの付き合いだった。 幼少期のテオは、王子さまが絵本から飛び出して来たような容姿をしていて。 帆奈美はテオに『王子さまみたい』と一目で恋に落ちた。
幼稚園のお迎えの時間に、テオから告白された時は天にも昇る心地がした。 直後、告白して来たテオに、地獄に落とされる事になる。
「ほなみ、だいすきだよ」
告白された後、チュッとテオが唇にキスをして来た。 帆奈美にとっては初めてのキスだった。 だが、次の瞬間、別の女の子に同じ事を言い、キスをするのを目の前で見せつけられた。 固まって動けない帆奈美を他所に、次々と同じように、その場に居た女の子にキスをしていくテオ。 最後の1人の後、帆奈美の所に戻って来たテオは、信じられない一言を宣ったのだ。
「ほなみとのキスがいちばん、よかった。 ぼくとけっこんしよう」
およそ5歳児とは思えない所業である。
(おい!!)
夢の王子様のイメージが音を立てて崩れ去り、帆奈美の初恋は泡と消えてしまった。
「テオなんか、だいっきらい!! もう、あそばない!! けっこんもしない!!」
帆奈美は母親に抱き着いて、大泣きしてしまい。 テオのプロポーズを目の前で見せつけられ、テオにキスされた女の子たちもショックで泣き出し、青ざめて慌てて宥める大人たち、平謝りするテオの母親。
テオも振られたショックで大泣きし、大人たちが大露わで子供たちを宥める光景は中々なカオスだった。 キス事件の後、テオの父親の仕事の都合でスペインに帰る事になったテオ家族。 文通と婚約するまで帰らないと、帆奈美に抱きつき、駄々を捏ねたテオに根負けして、人生で初めての文通友達と婚約者が出来た。
城ケ崎帆奈美、5歳の春の事である。
――何て事もあったなと、遠い目になる今年、17歳になる城ケ崎帆奈美
イケメン転入生の登場にクラスメイトたちが騒めく。 色めき立つ女子を気にする事なく、テオは自己紹介を始めた。 女子の目がキラキラしていたと思ったら、獲物を狙う猛獣の瞳に変わっていく。 猛獣の瞳をした女子たちを見て、帆奈美は身体をビクつかせた。 女子にはテオと知り合いだと、『絶対に知られてはならない』と。 帆奈美は、初めて見る留学生に興味ない振りの演技をした。
「スペインから来ました。 テオドロ・ガルシア・長谷川です。 父がスペイン人、母が日本人です。5歳まで日本で暮らしてたので、日本語は話せます。 仲良くしてください。 因みにガルシア・長谷川が苗字です」
帆奈美の後ろの席の高瀬真紀が、帆奈美の肩に手を置いて一言
「私たちのファーストキスの相手じゃん」
乾いた笑いを漏らす帆奈美の顔は、引き攣っている。 幼馴染の真紀は、幼稚園の時のキス事件の被害者の1人だ。 あの時泣いた女の子は、ストレートな物言いが玉に瑕な、長くて綺麗な黒髪の美人さんに育った。
「……」
「帰って来たんだ。 相変わらず、王子さまみたいねぇ」
(ノーコメントを貫きたい……最近まで文通してたなんて言えない……)
「後、5歳から帆奈美とは、文通をしていて婚約をしている仲なので売約済みです。 悪しからず」
テオは、牽制のつもりなのか、にっこり微笑んでいる。 クラスの皆は、テオが流暢に日本語を話すので唖然としている。
(ぎゃあああああ!!)
「ほぅ」
後ろから確実に真紀が面白がっている様子が分かる。 帆奈美は頭を抱えて項垂れた。 テオと目が合うと蕩けるような笑顔が返って来た。 テオの笑顔に心臓が大きく跳ねる。 再会した幼馴染は、物凄く帆奈美好みに成長していた。 テオの笑顔に嫌な予感がしてならない。 そして、一瞬でクラスの女子たちが帆奈美の敵に回った
――HR終了後
クラスメイトが遠巻きにそわそわしているのが見える。 今日はもう、伊織に猛アタックするのは諦めるほかない。 質問攻めになる前に、女子に吊し上げに遭う前に、テオに捕まる前にダッシュで帆奈美は逃げた。 教室を飛び出し、廊下をダッシュして、飛ぶように階段を下りる。 運動神経がゼロと思えない程、転げるように昇降口まで走った。 学校前にあるバス停に、タイミング良く駅に行くバスが来た。
バスに飛び乗った時、正門前にテオの姿が見えた気がした。 少しの罪悪感を覚えて、胸が締め付けられて痛い。 重い足取りで家路に着くと、何やらリビングが騒がしい。 兄の友達でも来てるのかと思って覗いてみて、目が点になった。 手の力が抜けて、持っていた鞄が床にどさりと落ちる。
(何故に、うちのリビングで寛いでんのよ……テオ。 私の放課後のダッシュの意味は!!)
帆奈美の視線の先には、リビングで帆奈美の家族と寛いでいるテオの姿があった。 長い足を組んで、優雅にコーヒーを愉しんでいる。 テオが物音で帆奈美に気づいて駆け寄って来る姿に、犬の耳と尻尾の幻覚が見える。 徐に、思いっきり抱きついてきたテオのお尻に、塵切れんばかりに振る尻尾が見える。(注:帆奈美の幻覚です)
「おかえり~♪ 帆奈美 酷いよ。 僕を置いて帰るなんて」
にっこり笑うテオの笑顔が黒いように見える。
「な……な……んで。 うちに……」
「隆兄さんに迎えに来てもらったんだ。 今日は仕事は、お休みって聞いてたし。 帆奈美の家、覚えてるか不安だったからね」
テオは、今度は蕩ける笑顔を浮かべた。 ソファーで寛いでいた兄が、溜め息を吐いて帆奈美を諫める。
「お前、テオ置いて帰るなよな。 迷子の子犬みたいに落ち込んでたぞ」
テオを見ると意地悪そうな笑みを向けてくる。 帆奈美を離すつもりがないようで、更にきつく抱きしめる。 帆奈美は何とか抜け出そうとしてもがいたが無駄だった。
「なんで、私が一緒に帰らなきゃいけないのよ。 テオ、離して」
「なんでって、テオも今日から一緒にこの家で暮らすからだよ」
兄が行き成り、爆弾を投げてきた。 帆奈美は目を見開いて、テオを見る。
「私、聞いてない。 手紙に何も書いてなかったじゃない。 留学の事も書いてなかったし」
「うん、サプライズで驚かせようと思って、今日からよろしくね。 帆奈美」
テオは、帆奈美に蕩けるよな笑顔を向ける。 また、帆奈美の心臓が大きく跳ねた。
(私、伊織くんが好きなんだよね? そうだよね~~!! 何で、テオにこんなにドキドキするのよ!!)
テオは、挙動不審になった帆奈美のおでこに口づけを落として、抱きしめる腕に更に力を込めた。
――翌朝の城ケ崎家の食卓
スクランブルエッグとプチトマトに、チーズトースト。 コーヒーの香りが、ダイニングキッチンに拡がる。 いつもの朝食で、いつもの席に座る。 コーヒーを片手に、新聞を拡げて読む父。 城ケ崎家では、いつもの朝の風景だ。 今日からは新たな風景が加わった。
「帆奈美、はい、あ~ん」
テオがキラキラな笑顔で、ホークにスクランブルエッグを乗せて、帆奈美の口元に持ってきた。
「自分で食べれるから!!」
帆奈美は真っ赤な顔で、後ろに引いて避けた。 素気無く拒否されたテオは、眉を下げて悲しい気だ。 上目遣いで、うるうるした瞳に見つめられ、帆奈美の心臓が小さく跳ねる。 無理やり顔を背けて全力で拒否する。
「そんな顔しても、駄目だから!!」
(何故に、家族が見ている前で、イタイカップルみたいなイチャイチャをしなきゃなんないの!!)
帆奈美は、朝食もそこそこに家を出た。 テオも帆奈美の後ろを追いかけてくる。
「帆奈美! 待って! 一緒に学校、行こう」
テオが自然に、帆奈美の手を繋いでくる。 帆奈美は、真っ赤になって腕を高く上げて離そうとするが、中々離してくれない。 テオがにっこり笑顔で、手を離すなんて許さないと訴えてくる。 攻防戦の末、根負けした帆奈美は、テオと仲良く手を繋いで登校する事になった。
――学園の穴場スポット、屋上に、帆奈美と真紀は、昼食を摂る為に来ていた。
外で昼食は、まだまだ暑くて辛いけど、テオに追いかけまわされるよりはマシかと、独り言ちる。 面白そうにニヤニヤしながら見てくる真紀に、帆奈美はうんざりする。
「今日、手を繋いでテオとラブラブ登校だったんでしょ? 噂になってるよ。 テオ、イケメンだからね。 何も知らない女子たちが、あの女誰?って」
帆奈美は、拳を握りしめて唇を引き結ぶ。
「……くっ、本当なら伊織くんと一緒にお昼したいのに!! 来年は、伊織くん、新1年生の担任になるらしいから、今よりチャンスが無くなるのに……3年になる前に落としたい……」
「無理でしょ。 伊織くん、絶対に生徒には手を出さないし、当たり前だけど。 卒業してからが勝負でしょ。 そういう子多いよ。 卒業式で告白、今から楽しみ。 伊織くんの周り、告白待ちの長蛇の列になる事、間違いないしね」
真紀は心底、楽しそうに瞳をキラキラさせている。 ついでに嫌な事も思い出し、帆奈美に現実を突きつけてきた。
「あんた、テオと婚約してるんでしょ? 浮気になるんじゃない?」
「ぐっ、……そんなのただの口約束だし、幼稚園の時の話だし……」
「でもさ、テオが婚約してるって思ってる時点で、口約束だからとかって言えないんじゃない? その気がないならちゃんと答えを出してあげないと、日本まで追って来てるわけだし」
「ぐっ……それは、痛いとこをつかないでよ」
帆奈美は、むぅと口を尖らせて反論した。 ブツブツと小声になり、最後は独り言になる。
突然、屋上の扉が大きな音を立てて開いた。 大きな音に驚いて、帆奈美と真紀の体が大きく跳ねる。 驚きすぎて、お弁当を落としそうになった。
「ひっ」
小さく悲鳴も出してしまって、羞恥に顔に熱が籠り赤くなる。 動悸も早くなって、心臓が痛い。 扉の方を見た真紀の表情で、何となく察した。 振り向きたくはないが、軋む首をなんとか扉の方に向ける。 振り返ると眩しいくらいのテオの笑顔があった。 帆奈美と目が合ったテオは、蕩けるように目を細める。 帆奈美の心臓が大きく跳ねる。 テオの額には、薄っすらと汗が光っていた。 帆奈美を必死に探していたようだ。
「良かった帆奈美、ここに居たんだ」
ホッと安堵の息を吐くテオに対して、帆奈美の頬が引き攣る。
「なんでここが分かったの?」
「伊織先生に訊いたんだ。 屋上じゃないかって……伊織先生のとこに居ると思ったから……」
テオは、寂しそうな切なそうな瞳でじっと帆奈美を見つめてくる。 帆奈美の鼓動が早くなって痛い。
(なんで、そんな顔……私が浮気してるみたいじゃん……婚約だって口約束なんだし……)
テオはにっこり笑って、一緒にお昼を食べていいか、お伺いをかけてきた。 帆奈美が返事をする前に、真紀が返事を返す。
「いいよ」
軽く真紀を睨んだ帆奈美だけど、テオの光る汗に負けた。 嬉しそうに扉の近くにあった椅子を、帆奈美の前まで持ってきて座る。 お弁当を広げて、ホークで食べるテオの所作は綺麗だ。
(イケメンは何しても絵になるんだね……)
帆奈美の視線に気づいたテオが、目を細めて『ん?』と優し気な顔で傾げる。
「な……何でもない」
優しい顔で問われて慌てて顔を背けた帆奈美は、顔が熱くなるのが分かった。
(見惚れてたなんて知られたくない……)
隣で微笑ましそうに真紀が、2人の様子を眺めているのを、帆奈美たちは全く気づいていなかった。
「そうだ。 運動会? スポーツ大会なのかな? 僕、バスケに出る事になった」
(ああ、そんなイベントあったな。 私は、出たくないけど……)
帆奈美は玉子焼きを口に運びながら、遠い目になった。
「帆奈美は何に出るの?」
「私は、借り物競争かな……運動神経ないから、迷惑が掛からない競技に……」
「まぁ、スポーツ特待生が活躍するイベントだしね。 バランス考えて組み分けしてるみたいだけど、私たちは適当に頑張るしかないね」
真紀が話を締めくくったところで、お昼休み終了の鐘がなった。
――運動会当日
体育館に、観戦している生徒の声援が響く。 シューズが、体育館の床を鳴らす。 テオは声を出しながら、チームメイトに発破をかける。 テオに綺麗にパスが通って、ドリブルで右サイドから切り込んでいく。 綺麗なフォームのレイアップが決まった。 テオと相手チームのエースとの攻防戦、テオが隙をついて左から抜き去り、フリースローラインから大きくジャンプして、ダンクシュートを決める。 観客席から歓声が沸いた。
帆奈美と真紀は、観客席からテオの試合を見ていた。 テオに見に来てって請われ、来ていたのだ。 ふとテオが帆奈美の方を見て、嬉しそうに破顔した。 周りの女子たちから悲鳴が上がる。 テオの周りが、何故かキラキラ光っている。 着ているのは皆と同じ学園指定の体操服のはずだ。
「私、生でダンクシュートなんて、初めて見た……迫力あんね」
隣で同じく試合を見ていた真紀が、感嘆の溜め息を吐く。 帆奈美は、テオの嬉しそうな破顔が目に焼き付いて、曖昧に返事をした。 今日は2人とも体操服で、髪を1つに纏めている。
学園の体操服は、太ももまでのレギンス付きのミニスカートか、短パンの2種類 帆奈美たちは、ミニスカートの方を穿いている。 上着は、サブリナ・ネックになっている半袖の体操服に、前開きのジャージを羽織っていた。 腕時計を見た真紀が立ち上がると。
「そろそろ、私たちの出番じゃない? 入場門に行くよ」
「うん」
帆奈美は、まだこちらを見ているテオに向かって、『出番だから』と運動場の方向を指さす合図をして小さく手を振った。 テオは了承の意味を込めて『頑張って』とガッツポーズで合図を返して来た。 テオとのやり取りに胸が高鳴って、心臓がうるさい。
帆奈美たちが通う学園の運動会は、一般的な運動会の競技に出る人と、バスケ、サッカー、バレーのスポーツ競技に出る人に別れる。 運動場が2か所あって、体育館も第3まである。 スポーツの方は総当たり戦で、帆奈美のクラスは早々に、スポーツ特待生の生徒が多いチームに当たってしまい、バスケ以外は1回戦敗退した。
今は、午前の競技が終わり、第1運動場で応援団の演技が始まった所だ。 全校生徒が集まっている中、軽快な音楽が流れる。 演技が始まると、周りから忍び笑いが起きた。 応援団の1人がリズムがずれていて、挙動不審ダンスになっているからだ。 帆奈美は同情するしかない。 きっと、帆奈美が出てもあんな感じになるに違いなかったからだ。
「伊織くん! やっと見つけた!!」
少女の声に帆奈美は、振り返った。 伊織と少女が話す様子に、帆奈美は目を見開いて驚いた。 伊織が笑顔で少女を出迎え、見た事がない優しい目で少女と話していたからだ。 伊織に駆け寄った少女は、ボーイッシュな出で立ちで、ショートパンツから出た生足が健康的で活発な印象を受ける。
「すず!!」
伊織が優し気に目を細めている。
「良かった、見つかって! 坂木さんから、お弁当届けるの頼まれた。 今日って、学食とか開いてないんでしょ?」
「1人で来たのか? 悪かったな。 いつもは弁当なんて持って行かないから忘れてた」
『すず』と呼ばれた少女が伊織にお弁当を渡している。 周りの女子生徒たちも、伊織たちに気づいてざわついている。
「ううん。 ついでに受験する学校の様子も見たかったし、丁度良かったよ」
「あいつらはどうしてるんだ?」
「良人たち? 良人と薫とビリィはゲームしてた。 瑛太は、坂木さんに勉強見てもらってる」
「それは……俺の家でだよな……」
「うん、伊織くん家しかないよね。 良人たちは受験生って自覚がないから……もう、九月も終わるのに……伊織くん、なんとか言ってくれない? 私じゃ言うこと聞いてくれなくて」
「……」
少女は当たり前のように、笑顔でお願いのポーズをしている。 伊織は溜め息吐いて呆れていた。 伊織と少女の仲の良さに、周りの女子たちもざわつき出した。 帆奈美は唖然として伊織たちの様子を見ていた。 話が聞こえた限りでは、少女は中学生と思われる。
周りの様子に気づいた伊織が、少女を正門まで送ると言ってそそくさとその場を後にした。 少女を気遣う伊織の様子は、いつも纏っている近づきがたい雰囲気はない。 帆奈美はショックを隠し切れなかった。
後ろから視線を感じて振り返る。 テオの気遣うような様子が見て取れて、更にショックを受けた。 テオたちのバスケチームは、準々決勝で敗れた。
――すっかりショックを受けた帆奈美は、自室で今日の事を思い出していた。
クッションに座り、ベッドを背もたれにして物思いに耽っている。 もう寝るだけなので、パジャマ替わりに着ているヨレヨレのTシャツと短パン姿だ。 伊織がすずという少女に寄せる優しい表情を思い出す。
(あんな伊織くん、初めて見た……私たちには絶対に見せない顔だった)
部屋のドアをノックする音が聞こえて、ついであんまり会いたくない人の声が聞こえてきた。 帆奈美の今の恰好は、流石にちょっと恥ずかしい。 無視する事にした。
「帆奈美? 起きてる? ちょっと話があって……部屋に、いや……そのままで聞いて。 日曜日に出かけようと思うんだけど……僕、日本に来てまだ観光らしい事してないし、付き合ってくれたら嬉しいかなって……」
「……」
「気晴らしに一緒に行かない?」
帆奈美は、ドアを隔てていたから、テオがどんな顔をしているのか分からなかった。 帆奈美の頭の中で、テオが眉を下げてシュンとしている姿を思い浮かべた。 ついで兄の声が聞こえて、ノックもなしで遠慮なくドアが開けられる。 帆奈美に良く似た顔が眉を寄せて口を引き結んでいる。 パジャマ姿の兄は、度重なる帆奈美のテオに対しての冷たい態度に、物凄く怒っている。
「帆奈美!! 連れて行ってやれ!! テオがまた、捨てられた子犬みたいになってるぞ!!」
「ちょっと!! 勝手に入って来ないでよ!! 馬鹿兄!!」
帆奈美は立ち上がって兄のこれ以上の侵入を阻んだ。
「駅まで送ってやるから。 分かったな!! これは、命令だ」
「ちょっと、もう……分かったわよ。 行くから早く出て行って!!」
1人になりたい帆奈美は、兄の背中を押して追い出した。 廊下に兄を追い出した所でテオと目が合った。 テオもラフな格好だった。 気まずくて直ぐに逸らしたが、行くと言った手前、テオの希望を聞いておこうと思って呟いた。
「行きたい所、考えといて」
帆奈美の言葉にテオは破顔して頷いていた。 テオの破顔に胸が高鳴って、帆奈美は自分の気持ちがどこにあるのか分からなくなってしまった。
テオは閉じられたドアを見つめて、口元に笑みを作って小さく呟いた。 テオの笑みはどこか仄暗い。
「ごめんね、帆奈美 僕はこのチャンスを逃す気はないんだ」
普段は、上着は何を着ても自由だ。 ただ、月1回はちゃんと制服を着ましょうという日が設けられている。 校則で上着は自由と決められているのにおかしな校則だ。 生徒たちは、それぞれに好きな物を着ている。
因みに、女子のスカートはグレーの切り替えスカートで、左右の切り替え部分が赤のチェック柄になっている。 ネクタイの色も赤だ。 男子は、普通にグレーのスラックスを履いている。 まだまだ、暑いのでジャケットも長袖のシャツも着れない。 皆、半袖のカッターシャツを着ている。 生徒たちは、校長のだらだらと続く演説が、早く終わらないか気もそぞろになっていた。
――HRの予鈴の鐘が校舎に鳴り響く。
「伊織くん!! おはよう! 今日、帰りデートしようよ」
2年生の一般クラスの教室がある2階の廊下で、伊織の姿を見つけた城ケ崎帆奈美は、いつものように伊織にデートの誘いをかける。 勿論、答えはいつもNOだ。 駆け寄って伊織に腕を絡ませようとして、軽くかわされて不機嫌な表情で口を尖らせる。 ふわふわのツインテールにたれ目がちな顔立ちに、不貞腐れた表情はとても似合っている。
「城ケ崎、相葉先生と呼べ。 生徒とはデートしない」
「むぅ、相変わらず、つれない」
伊織は、教師の中でも一番、顔が整っている。 銀縁眼鏡の奥の涼し気な目元は、冷たそうな印象を受ける。 左の目元に黒子があり、大人の雰囲気を醸し出していて、色香を感じる。 生徒たちの受けは上場だ。
クスっと頭の上から、面白そうな笑いが聞こえて初めて、伊織の隣に人がいるのに気づいた。 そちらに視線を向けた帆奈美が、音を立てて固まった。 目の前の彼を見て、目を見開いて凝視する。
褐色の肌にダークブラウンの柔らかそうな巻き髪、髪と同じ色のダークブラウンの瞳が、帆奈美を捉えてキラキラと光っている。 ほりの深い整った顔立ちは、明らかに日本人には見えない。 制服をスーツの様に着こなしている姿は、同じ年の男子生徒と違い、とても大人の色気を醸し出していた。 帆奈美が通っている私立校は、世界中から生徒を募っているので、外国人が少なくない人数、在籍している。 だから、外国人が珍しくて凝視しているのではない。 帆奈美は彼を知っているからだ。
「テオ……どしてここに?」
帆奈美は何とか声を絞り出した。
「それは、もちろん。 帆奈美に会いたくて来たんだよ。 驚いたよ、凄く綺麗になったね」
テオは、帆奈美のふわふわしたツインテールを手に取って、蕩けるような笑顔で宣った。
「なんだ、城ケ崎の知り合いだったか。 丁度いい、転入するクラスは、城ケ崎と同じクラスだから、案内してやってくれ」
「嫌です!!」
帆奈美はキッパリスッパリ速攻でお断りした。 テオは捨てられた子犬のようにシュンと肩をおとしている。 上目遣いに顔を覗き込まれて、テオの熱い眼差しに、心臓が痛いくらい飛び跳ねた。
「じゃ、頼んだぞ。 本鈴なる前にクラスまで連れて行ってくれ」
伊織は珍しく、にこやかな笑顔でさっさと来た道を戻って行ってしまった。
残された帆奈美は、テオを案内するほかなく、顎でしゃくってついて来るように促す。 廊下を、テオがついて来ているか確かめないで、ずんずん歩いて行く。 帆奈美の態度が悪いのは分かっている。
でも、これには理由がある。 テオとは二度と会いたくなかったのだ。 大人しく帆奈美の後ろをついて歩くテオの口元が、愉快そうに緩んでいく。
――帆奈美とテオが五歳の時の事
帆奈美とテオの母親が親友同士で、テオたち家族も小学校上がるまでは、日本に住んでいた。 帆奈美とテオは良く一緒に遊んでいて、家族ぐるみの付き合いだった。 幼少期のテオは、王子さまが絵本から飛び出して来たような容姿をしていて。 帆奈美はテオに『王子さまみたい』と一目で恋に落ちた。
幼稚園のお迎えの時間に、テオから告白された時は天にも昇る心地がした。 直後、告白して来たテオに、地獄に落とされる事になる。
「ほなみ、だいすきだよ」
告白された後、チュッとテオが唇にキスをして来た。 帆奈美にとっては初めてのキスだった。 だが、次の瞬間、別の女の子に同じ事を言い、キスをするのを目の前で見せつけられた。 固まって動けない帆奈美を他所に、次々と同じように、その場に居た女の子にキスをしていくテオ。 最後の1人の後、帆奈美の所に戻って来たテオは、信じられない一言を宣ったのだ。
「ほなみとのキスがいちばん、よかった。 ぼくとけっこんしよう」
およそ5歳児とは思えない所業である。
(おい!!)
夢の王子様のイメージが音を立てて崩れ去り、帆奈美の初恋は泡と消えてしまった。
「テオなんか、だいっきらい!! もう、あそばない!! けっこんもしない!!」
帆奈美は母親に抱き着いて、大泣きしてしまい。 テオのプロポーズを目の前で見せつけられ、テオにキスされた女の子たちもショックで泣き出し、青ざめて慌てて宥める大人たち、平謝りするテオの母親。
テオも振られたショックで大泣きし、大人たちが大露わで子供たちを宥める光景は中々なカオスだった。 キス事件の後、テオの父親の仕事の都合でスペインに帰る事になったテオ家族。 文通と婚約するまで帰らないと、帆奈美に抱きつき、駄々を捏ねたテオに根負けして、人生で初めての文通友達と婚約者が出来た。
城ケ崎帆奈美、5歳の春の事である。
――何て事もあったなと、遠い目になる今年、17歳になる城ケ崎帆奈美
イケメン転入生の登場にクラスメイトたちが騒めく。 色めき立つ女子を気にする事なく、テオは自己紹介を始めた。 女子の目がキラキラしていたと思ったら、獲物を狙う猛獣の瞳に変わっていく。 猛獣の瞳をした女子たちを見て、帆奈美は身体をビクつかせた。 女子にはテオと知り合いだと、『絶対に知られてはならない』と。 帆奈美は、初めて見る留学生に興味ない振りの演技をした。
「スペインから来ました。 テオドロ・ガルシア・長谷川です。 父がスペイン人、母が日本人です。5歳まで日本で暮らしてたので、日本語は話せます。 仲良くしてください。 因みにガルシア・長谷川が苗字です」
帆奈美の後ろの席の高瀬真紀が、帆奈美の肩に手を置いて一言
「私たちのファーストキスの相手じゃん」
乾いた笑いを漏らす帆奈美の顔は、引き攣っている。 幼馴染の真紀は、幼稚園の時のキス事件の被害者の1人だ。 あの時泣いた女の子は、ストレートな物言いが玉に瑕な、長くて綺麗な黒髪の美人さんに育った。
「……」
「帰って来たんだ。 相変わらず、王子さまみたいねぇ」
(ノーコメントを貫きたい……最近まで文通してたなんて言えない……)
「後、5歳から帆奈美とは、文通をしていて婚約をしている仲なので売約済みです。 悪しからず」
テオは、牽制のつもりなのか、にっこり微笑んでいる。 クラスの皆は、テオが流暢に日本語を話すので唖然としている。
(ぎゃあああああ!!)
「ほぅ」
後ろから確実に真紀が面白がっている様子が分かる。 帆奈美は頭を抱えて項垂れた。 テオと目が合うと蕩けるような笑顔が返って来た。 テオの笑顔に心臓が大きく跳ねる。 再会した幼馴染は、物凄く帆奈美好みに成長していた。 テオの笑顔に嫌な予感がしてならない。 そして、一瞬でクラスの女子たちが帆奈美の敵に回った
――HR終了後
クラスメイトが遠巻きにそわそわしているのが見える。 今日はもう、伊織に猛アタックするのは諦めるほかない。 質問攻めになる前に、女子に吊し上げに遭う前に、テオに捕まる前にダッシュで帆奈美は逃げた。 教室を飛び出し、廊下をダッシュして、飛ぶように階段を下りる。 運動神経がゼロと思えない程、転げるように昇降口まで走った。 学校前にあるバス停に、タイミング良く駅に行くバスが来た。
バスに飛び乗った時、正門前にテオの姿が見えた気がした。 少しの罪悪感を覚えて、胸が締め付けられて痛い。 重い足取りで家路に着くと、何やらリビングが騒がしい。 兄の友達でも来てるのかと思って覗いてみて、目が点になった。 手の力が抜けて、持っていた鞄が床にどさりと落ちる。
(何故に、うちのリビングで寛いでんのよ……テオ。 私の放課後のダッシュの意味は!!)
帆奈美の視線の先には、リビングで帆奈美の家族と寛いでいるテオの姿があった。 長い足を組んで、優雅にコーヒーを愉しんでいる。 テオが物音で帆奈美に気づいて駆け寄って来る姿に、犬の耳と尻尾の幻覚が見える。 徐に、思いっきり抱きついてきたテオのお尻に、塵切れんばかりに振る尻尾が見える。(注:帆奈美の幻覚です)
「おかえり~♪ 帆奈美 酷いよ。 僕を置いて帰るなんて」
にっこり笑うテオの笑顔が黒いように見える。
「な……な……んで。 うちに……」
「隆兄さんに迎えに来てもらったんだ。 今日は仕事は、お休みって聞いてたし。 帆奈美の家、覚えてるか不安だったからね」
テオは、今度は蕩ける笑顔を浮かべた。 ソファーで寛いでいた兄が、溜め息を吐いて帆奈美を諫める。
「お前、テオ置いて帰るなよな。 迷子の子犬みたいに落ち込んでたぞ」
テオを見ると意地悪そうな笑みを向けてくる。 帆奈美を離すつもりがないようで、更にきつく抱きしめる。 帆奈美は何とか抜け出そうとしてもがいたが無駄だった。
「なんで、私が一緒に帰らなきゃいけないのよ。 テオ、離して」
「なんでって、テオも今日から一緒にこの家で暮らすからだよ」
兄が行き成り、爆弾を投げてきた。 帆奈美は目を見開いて、テオを見る。
「私、聞いてない。 手紙に何も書いてなかったじゃない。 留学の事も書いてなかったし」
「うん、サプライズで驚かせようと思って、今日からよろしくね。 帆奈美」
テオは、帆奈美に蕩けるよな笑顔を向ける。 また、帆奈美の心臓が大きく跳ねた。
(私、伊織くんが好きなんだよね? そうだよね~~!! 何で、テオにこんなにドキドキするのよ!!)
テオは、挙動不審になった帆奈美のおでこに口づけを落として、抱きしめる腕に更に力を込めた。
――翌朝の城ケ崎家の食卓
スクランブルエッグとプチトマトに、チーズトースト。 コーヒーの香りが、ダイニングキッチンに拡がる。 いつもの朝食で、いつもの席に座る。 コーヒーを片手に、新聞を拡げて読む父。 城ケ崎家では、いつもの朝の風景だ。 今日からは新たな風景が加わった。
「帆奈美、はい、あ~ん」
テオがキラキラな笑顔で、ホークにスクランブルエッグを乗せて、帆奈美の口元に持ってきた。
「自分で食べれるから!!」
帆奈美は真っ赤な顔で、後ろに引いて避けた。 素気無く拒否されたテオは、眉を下げて悲しい気だ。 上目遣いで、うるうるした瞳に見つめられ、帆奈美の心臓が小さく跳ねる。 無理やり顔を背けて全力で拒否する。
「そんな顔しても、駄目だから!!」
(何故に、家族が見ている前で、イタイカップルみたいなイチャイチャをしなきゃなんないの!!)
帆奈美は、朝食もそこそこに家を出た。 テオも帆奈美の後ろを追いかけてくる。
「帆奈美! 待って! 一緒に学校、行こう」
テオが自然に、帆奈美の手を繋いでくる。 帆奈美は、真っ赤になって腕を高く上げて離そうとするが、中々離してくれない。 テオがにっこり笑顔で、手を離すなんて許さないと訴えてくる。 攻防戦の末、根負けした帆奈美は、テオと仲良く手を繋いで登校する事になった。
――学園の穴場スポット、屋上に、帆奈美と真紀は、昼食を摂る為に来ていた。
外で昼食は、まだまだ暑くて辛いけど、テオに追いかけまわされるよりはマシかと、独り言ちる。 面白そうにニヤニヤしながら見てくる真紀に、帆奈美はうんざりする。
「今日、手を繋いでテオとラブラブ登校だったんでしょ? 噂になってるよ。 テオ、イケメンだからね。 何も知らない女子たちが、あの女誰?って」
帆奈美は、拳を握りしめて唇を引き結ぶ。
「……くっ、本当なら伊織くんと一緒にお昼したいのに!! 来年は、伊織くん、新1年生の担任になるらしいから、今よりチャンスが無くなるのに……3年になる前に落としたい……」
「無理でしょ。 伊織くん、絶対に生徒には手を出さないし、当たり前だけど。 卒業してからが勝負でしょ。 そういう子多いよ。 卒業式で告白、今から楽しみ。 伊織くんの周り、告白待ちの長蛇の列になる事、間違いないしね」
真紀は心底、楽しそうに瞳をキラキラさせている。 ついでに嫌な事も思い出し、帆奈美に現実を突きつけてきた。
「あんた、テオと婚約してるんでしょ? 浮気になるんじゃない?」
「ぐっ、……そんなのただの口約束だし、幼稚園の時の話だし……」
「でもさ、テオが婚約してるって思ってる時点で、口約束だからとかって言えないんじゃない? その気がないならちゃんと答えを出してあげないと、日本まで追って来てるわけだし」
「ぐっ……それは、痛いとこをつかないでよ」
帆奈美は、むぅと口を尖らせて反論した。 ブツブツと小声になり、最後は独り言になる。
突然、屋上の扉が大きな音を立てて開いた。 大きな音に驚いて、帆奈美と真紀の体が大きく跳ねる。 驚きすぎて、お弁当を落としそうになった。
「ひっ」
小さく悲鳴も出してしまって、羞恥に顔に熱が籠り赤くなる。 動悸も早くなって、心臓が痛い。 扉の方を見た真紀の表情で、何となく察した。 振り向きたくはないが、軋む首をなんとか扉の方に向ける。 振り返ると眩しいくらいのテオの笑顔があった。 帆奈美と目が合ったテオは、蕩けるように目を細める。 帆奈美の心臓が大きく跳ねる。 テオの額には、薄っすらと汗が光っていた。 帆奈美を必死に探していたようだ。
「良かった帆奈美、ここに居たんだ」
ホッと安堵の息を吐くテオに対して、帆奈美の頬が引き攣る。
「なんでここが分かったの?」
「伊織先生に訊いたんだ。 屋上じゃないかって……伊織先生のとこに居ると思ったから……」
テオは、寂しそうな切なそうな瞳でじっと帆奈美を見つめてくる。 帆奈美の鼓動が早くなって痛い。
(なんで、そんな顔……私が浮気してるみたいじゃん……婚約だって口約束なんだし……)
テオはにっこり笑って、一緒にお昼を食べていいか、お伺いをかけてきた。 帆奈美が返事をする前に、真紀が返事を返す。
「いいよ」
軽く真紀を睨んだ帆奈美だけど、テオの光る汗に負けた。 嬉しそうに扉の近くにあった椅子を、帆奈美の前まで持ってきて座る。 お弁当を広げて、ホークで食べるテオの所作は綺麗だ。
(イケメンは何しても絵になるんだね……)
帆奈美の視線に気づいたテオが、目を細めて『ん?』と優し気な顔で傾げる。
「な……何でもない」
優しい顔で問われて慌てて顔を背けた帆奈美は、顔が熱くなるのが分かった。
(見惚れてたなんて知られたくない……)
隣で微笑ましそうに真紀が、2人の様子を眺めているのを、帆奈美たちは全く気づいていなかった。
「そうだ。 運動会? スポーツ大会なのかな? 僕、バスケに出る事になった」
(ああ、そんなイベントあったな。 私は、出たくないけど……)
帆奈美は玉子焼きを口に運びながら、遠い目になった。
「帆奈美は何に出るの?」
「私は、借り物競争かな……運動神経ないから、迷惑が掛からない競技に……」
「まぁ、スポーツ特待生が活躍するイベントだしね。 バランス考えて組み分けしてるみたいだけど、私たちは適当に頑張るしかないね」
真紀が話を締めくくったところで、お昼休み終了の鐘がなった。
――運動会当日
体育館に、観戦している生徒の声援が響く。 シューズが、体育館の床を鳴らす。 テオは声を出しながら、チームメイトに発破をかける。 テオに綺麗にパスが通って、ドリブルで右サイドから切り込んでいく。 綺麗なフォームのレイアップが決まった。 テオと相手チームのエースとの攻防戦、テオが隙をついて左から抜き去り、フリースローラインから大きくジャンプして、ダンクシュートを決める。 観客席から歓声が沸いた。
帆奈美と真紀は、観客席からテオの試合を見ていた。 テオに見に来てって請われ、来ていたのだ。 ふとテオが帆奈美の方を見て、嬉しそうに破顔した。 周りの女子たちから悲鳴が上がる。 テオの周りが、何故かキラキラ光っている。 着ているのは皆と同じ学園指定の体操服のはずだ。
「私、生でダンクシュートなんて、初めて見た……迫力あんね」
隣で同じく試合を見ていた真紀が、感嘆の溜め息を吐く。 帆奈美は、テオの嬉しそうな破顔が目に焼き付いて、曖昧に返事をした。 今日は2人とも体操服で、髪を1つに纏めている。
学園の体操服は、太ももまでのレギンス付きのミニスカートか、短パンの2種類 帆奈美たちは、ミニスカートの方を穿いている。 上着は、サブリナ・ネックになっている半袖の体操服に、前開きのジャージを羽織っていた。 腕時計を見た真紀が立ち上がると。
「そろそろ、私たちの出番じゃない? 入場門に行くよ」
「うん」
帆奈美は、まだこちらを見ているテオに向かって、『出番だから』と運動場の方向を指さす合図をして小さく手を振った。 テオは了承の意味を込めて『頑張って』とガッツポーズで合図を返して来た。 テオとのやり取りに胸が高鳴って、心臓がうるさい。
帆奈美たちが通う学園の運動会は、一般的な運動会の競技に出る人と、バスケ、サッカー、バレーのスポーツ競技に出る人に別れる。 運動場が2か所あって、体育館も第3まである。 スポーツの方は総当たり戦で、帆奈美のクラスは早々に、スポーツ特待生の生徒が多いチームに当たってしまい、バスケ以外は1回戦敗退した。
今は、午前の競技が終わり、第1運動場で応援団の演技が始まった所だ。 全校生徒が集まっている中、軽快な音楽が流れる。 演技が始まると、周りから忍び笑いが起きた。 応援団の1人がリズムがずれていて、挙動不審ダンスになっているからだ。 帆奈美は同情するしかない。 きっと、帆奈美が出てもあんな感じになるに違いなかったからだ。
「伊織くん! やっと見つけた!!」
少女の声に帆奈美は、振り返った。 伊織と少女が話す様子に、帆奈美は目を見開いて驚いた。 伊織が笑顔で少女を出迎え、見た事がない優しい目で少女と話していたからだ。 伊織に駆け寄った少女は、ボーイッシュな出で立ちで、ショートパンツから出た生足が健康的で活発な印象を受ける。
「すず!!」
伊織が優し気に目を細めている。
「良かった、見つかって! 坂木さんから、お弁当届けるの頼まれた。 今日って、学食とか開いてないんでしょ?」
「1人で来たのか? 悪かったな。 いつもは弁当なんて持って行かないから忘れてた」
『すず』と呼ばれた少女が伊織にお弁当を渡している。 周りの女子生徒たちも、伊織たちに気づいてざわついている。
「ううん。 ついでに受験する学校の様子も見たかったし、丁度良かったよ」
「あいつらはどうしてるんだ?」
「良人たち? 良人と薫とビリィはゲームしてた。 瑛太は、坂木さんに勉強見てもらってる」
「それは……俺の家でだよな……」
「うん、伊織くん家しかないよね。 良人たちは受験生って自覚がないから……もう、九月も終わるのに……伊織くん、なんとか言ってくれない? 私じゃ言うこと聞いてくれなくて」
「……」
少女は当たり前のように、笑顔でお願いのポーズをしている。 伊織は溜め息吐いて呆れていた。 伊織と少女の仲の良さに、周りの女子たちもざわつき出した。 帆奈美は唖然として伊織たちの様子を見ていた。 話が聞こえた限りでは、少女は中学生と思われる。
周りの様子に気づいた伊織が、少女を正門まで送ると言ってそそくさとその場を後にした。 少女を気遣う伊織の様子は、いつも纏っている近づきがたい雰囲気はない。 帆奈美はショックを隠し切れなかった。
後ろから視線を感じて振り返る。 テオの気遣うような様子が見て取れて、更にショックを受けた。 テオたちのバスケチームは、準々決勝で敗れた。
――すっかりショックを受けた帆奈美は、自室で今日の事を思い出していた。
クッションに座り、ベッドを背もたれにして物思いに耽っている。 もう寝るだけなので、パジャマ替わりに着ているヨレヨレのTシャツと短パン姿だ。 伊織がすずという少女に寄せる優しい表情を思い出す。
(あんな伊織くん、初めて見た……私たちには絶対に見せない顔だった)
部屋のドアをノックする音が聞こえて、ついであんまり会いたくない人の声が聞こえてきた。 帆奈美の今の恰好は、流石にちょっと恥ずかしい。 無視する事にした。
「帆奈美? 起きてる? ちょっと話があって……部屋に、いや……そのままで聞いて。 日曜日に出かけようと思うんだけど……僕、日本に来てまだ観光らしい事してないし、付き合ってくれたら嬉しいかなって……」
「……」
「気晴らしに一緒に行かない?」
帆奈美は、ドアを隔てていたから、テオがどんな顔をしているのか分からなかった。 帆奈美の頭の中で、テオが眉を下げてシュンとしている姿を思い浮かべた。 ついで兄の声が聞こえて、ノックもなしで遠慮なくドアが開けられる。 帆奈美に良く似た顔が眉を寄せて口を引き結んでいる。 パジャマ姿の兄は、度重なる帆奈美のテオに対しての冷たい態度に、物凄く怒っている。
「帆奈美!! 連れて行ってやれ!! テオがまた、捨てられた子犬みたいになってるぞ!!」
「ちょっと!! 勝手に入って来ないでよ!! 馬鹿兄!!」
帆奈美は立ち上がって兄のこれ以上の侵入を阻んだ。
「駅まで送ってやるから。 分かったな!! これは、命令だ」
「ちょっと、もう……分かったわよ。 行くから早く出て行って!!」
1人になりたい帆奈美は、兄の背中を押して追い出した。 廊下に兄を追い出した所でテオと目が合った。 テオもラフな格好だった。 気まずくて直ぐに逸らしたが、行くと言った手前、テオの希望を聞いておこうと思って呟いた。
「行きたい所、考えといて」
帆奈美の言葉にテオは破顔して頷いていた。 テオの破顔に胸が高鳴って、帆奈美は自分の気持ちがどこにあるのか分からなくなってしまった。
テオは閉じられたドアを見つめて、口元に笑みを作って小さく呟いた。 テオの笑みはどこか仄暗い。
「ごめんね、帆奈美 僕はこのチャンスを逃す気はないんだ」
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