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7話 『ヴィー、黒薔薇王子の婚約者候補になる』
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ヴィーは意識を失った後、いつものように主さまが住まう真っ白な世界に飛び出していた。 軽い音を立てて柔らかいクッションの上に落ちた。 ヴィーは、中々起き上がらずに、くぐもった声が口から零れ出る。
「ぬじざま~~っ。 あんなに、ぐるじいなんて、ぎいでまぜんよ~」
主さまは軽々とヴィーを抱き上げると、いつもはないテーブルセットの椅子に、ヴィーを座らせた。
「ごめんね、ヴィー。 でも、上手く『歓喜の舞』が発動して良かったよ。 ちょっとだけ、確認させてね」
そう言うと主さまは、ヴィーの膝元に膝まづくと、胸に両手を翳した。 主さまの脳裏に、ヴィーの透明な魔力の受け皿が現れると、並々と注がれた魔力の中に、力を宿した黒色の石が数枚の花弁を拡げ、一輪の黒薔薇が咲いていた。
「うん、ちゃんと咲いてるね。 相変わらず、溢れそうになっているから、気を付けてね」
「はい」
「多分、苦しくなったのは、ヴィーの受け皿がギリギリだったんだと思う。 すんなりとはいかなかったんだろうね。 もう、落ち着いてるから大丈夫だよ」
「はい」
ヴィーのどことなく元気のない様子を見て、主さまが苦笑を漏らし、しわがれた優しい声を出す。 主さまはそっと優しくヴィーを抱き寄せた。 優しい主さまのしわがれた声が落ちてくる。
「大丈夫だよ。 ヴィーなら出来るよ。 君はとても優しくて勇敢だからね。 嫌われたりしないし、魔力の受け皿が小さい事で責められたりもしない。 きっと、使命を果たせる。 さぁ、もうお帰り。 御父上が心労で倒れそうだ」
主さまの言葉の後、ヴィーの視界が暗くなり、いつものように自身の身体に戻って行った。 ヴィーが主さまの下に行っている頃、ネロはドナーティ家が何か隠し事をしている事を察して、貴賓室で再び当主と向き合っていた。
――豪華な貴賓室に、ドナーティ家のメイドが淹れる紅茶の香りが漂っていた。
洗練された所作で、ネロとクリスの前に上品なデザインのティーカップが置かれる。 ネロはメイドに礼を言うと、優雅に紅茶を一口啜った。 ネロは微笑んでいるが、瞳の奥には油断ない光を宿している。
「ビオネータ侯爵、私に何か言わなければならない事があるのではないか?」
ドナーティ家の当主は小さく息を吐くと、観念した様に話し出した。
「申し訳ございません、マッティア王子。 いや、もうロンバルディ侯爵でしたな。 無礼を承知した上で申し上げます。 私には姪がいるのですが、私の姉の娘です。 少し、厄介な家に嫁ぎまして。 娘は小さい頃から、姪から色々と聞かされてまして。 すっかり王侯貴族の裏側に怯えてしまい、王侯貴族には嫁ぎたくないと豪語しているのです。 ですから、登城の際の王からの王子との今後の話し合いに拒否反応を起こしまして」
ネロは優雅にティーカップをソーサーに置く。
「なるほど。 私と婚約したくないと」
「勘違いなさらないで下さい。 王子だからではなのいです。 娘は王侯貴族とは婚姻を結びたくないと思っているのです。 貴族の娘ですから、そういう訳にもいきませんが」
「なるほど」
(ものすっごく、面白くない!! なんでだ? さっき初めて実物の姿を見ただけなのに。 正直に言って、あの姿には見惚れた。 黒蝶の羽根を拡げた姿は、とても綺麗で目が離せなかった。 彼女の紋様に、私の瞳の色の魔法石が嵌っているのを見たら、身体が熱くなった)
ネロの頬に少し赤みが差している事に、ドナーティ家当主は気づかずに話を続ける。
「それが無ければ娘は既に登城していたでしょう。 この5年間、ずっとその為に努力して来ましたから」
「それはどういうことだ?」
「ここからは他言無用にして頂きたい。 王には私からご報告いたします」
「分かった。 クリス、結界を張ってくれ。 私も補強しよう」
クリスが頷くと、ネロ専用の従者は退出し、扉の外で待機した。 当主が話す内容は荒唐無稽だったが、当主も『主さま』なる創造主と会ったという。 気絶する寸前にヴィーの口ら飛び出た『主さま』の言葉を思い出し、ネロは真実なのだと理解した。 ヴィーとは会えずに、ネロはドナーティ家の当主と、王に報告する為に王城へと戻った。
王城に戻るとネロは自身の執務室で溜まっていた執務を片付けていた。 執務室の扉の外で話し声が聞こえ、王の侍従が入室してくると、ネロの机の前で臣下の礼をとる。
「マッティア殿下、王が御呼びでございます。 至急、王の執務室まで御出で下さいませ」
ネロは溜め息をついて返事を返した。
「分かった、直ぐに行く。 クリス、後を頼んだ」
「かしこまりました」
クリスが恭しくお辞儀をすると、ネロは王の執務室に向かった。
王の執務室の扉をノックすると中から低い声が響いた。 ネロは扉を開けると中へと歩を進める。 王の前まで来ると臣下の礼をする。
「御呼びと聞き参じました。 お話とはドナーティ嬢の事でしょうか?」
顔を上げると何がおかしいのか、王はニヤリと笑った。
「その前にお前の対の石の持ち主が見つかった事、大変喜ばしい事だ。 おめでとう」
「ありがとうございます」
ネロは深々と頭を下げてお辞儀をした。
「それで、ご令嬢の話はビオネータ侯爵から聞いている。 正直、信じられぬが、私は友の事を信頼している。 マッティアの紋様も完成したのか?」
「はい、こちらに戻って直ぐに確認いたしました」
「うむ。 それで、返事は分かっていたが、ビオネータ侯爵にお前との婚約を打診してみた。 しかし、断られた。 『娘は誰にもやらん』ってね」
(相変わらず、王家に対しての態度が不遜すぎるな。 父上に対しても物怖じしない所は、一層清々しい)
ネロは父王から視線を逸らしてこめかみから一筋、冷や汗が流れた。
「しかし、結界石を作るパートナーとしては誠心誠意、務めるという事だ」
それは仕事上だけの関係だという事だ。 ネロは何故か、他人行儀な態度に寂しさを覚えた。 ヴィーと初めて顔を会せ、黒蝶が舞い踊った時の事が脳裏を掠める。 ヴィーが石が開花するまでの5年間、創造主と修行をし、自身の相方が誰になるかも分からないのに、石を封印させまいと努力して来た事を思うと、胸の奥が熱くなった。 ヴィーはネロと顔を会せた時、何も感じなかったのかと、少し苛だった自身を信じられないでいた。
この泡立つ気持ちが石の影響なのか、ネロの気持ちなのか分からないでいた。
「創造主のお気に入りの娘を逃す気はない。 マッティア、お前にはドナーティ嬢と婚姻を結んでもらう。 お前がドナーティ嬢を口説き落とせ。 期間はお前の立太子までだ。 そして、ドナーティ嬢は婚約者候補として据え置く。 これは王命だ」
「御意、然るべく」
(私もこの気持ちが本物かどうか、確かめたいしな)
翌日、ヴィーを婚約者候補に据え置く事、成人の儀式のお披露目の準備の為、成人の儀式まで王城で過ごすようにという書状をネロ本人から届けられ、ドナーティ家が大騒ぎになった事は言うまでもない。
――ドナーティ家の貴賓室では、ヴィーが気まずげに優雅に紅茶を啜るネロを見つめていた。
ヴィーの手には王からの書状があり、内容を読み進めるうちに、ヴィーの顔色が徐々に悪くなっていった。 ヴィーの顔色が悪いのはそれだけではない。 目の前で座っているネロは、にっこり笑って優雅に紅茶を啜っている。 そんなネロをヴィーはじっと視た。 何を考えているか分からないから、少しでも情報が欲しくて、いけないと分かっていても、つい本心を覗いてしまう。 しかし、いつも出る黒い煙幕が出ない。
主さまと同じで王子も本心が視えないのだ。 いつも本心が視えてしまうヴィーには、初めの事だった。 視えなかった事は今までなかった。 主さま以外は。 だから、意地になって視ると、ネロの周囲に黒い煙幕がネロを纏うように漂っており、黒い煙幕がヴィーの視る力を弾いた様に感じた。 ネロがにっこりと微笑み、弾いたのは錯覚でも何でもないと分かり、ヴィーはネロに恐怖を覚えた。
(ひぃ! 瞳の奥が笑ってないわ!! この人、もの凄い怖いっ! しかも、黒蝶が飛んでるし)
ネロは音も立てずにティーカップをソーサーに置くと笑みを深め、2匹の黒蝶が会えて嬉しいのか、じゃれている様子を眺めていた。 ネロも黒蝶が視えているらしい。
「ドナーティ嬢、自己紹介がまだだったね。 私は、バルディーア王国の第一王子、マッティア・ネーロ・バルドヴィネッティ・ロンバルディだ。 君にはネロと呼んで欲しい」
ネロの自己紹介にハッと我に返り、ヴィーも自己紹介を返した。
「ド、ドナーティ家当主、ビオネータ侯爵が長女、ヴィ、ヴィオレッタ・ファルファッラ・ドナーティです。 で、殿下におかれま、まし、ましては、ご、ごき」
ヴィーは緊張しすぎと、言い知れぬ恐怖の為、舌が上手く回らない。 ネロはヴィーの様子にクスリと笑い、片手を上げてお決まりの口上を止めた。
「堅苦しい挨拶はいいよ。 続けてもこのままだと舌を噛みそうだしね」
(くぅっ、あんなに練習しましたのにっ。 これも、予想外に王子の本心が読めなかったせいだわ!)
ヴィーは膝に置いた手を強く握り締めた。
「書状の内容は納得してもらえたかな? 王家としてはこれが譲歩なんだけど、私も色々と公務や執務で忙しい。 君と距離を縮める為にも、離宮に来て欲しいのだけど」
一瞬の逡巡の末、ヴィーは観念して頷いた。
「はい、誠心誠意、務めさせて頂きます」
(結構、強引な方なのね。 そんな黒い笑顔で言われたら怖いじゃないっ!)
「そう、良かった。 これからよろしく。 あ、ヴィオレッタ嬢は、皆から何て呼ばれているの?」
「家族からはヴィーと呼ばれております」
「そう。 皆と同じ呼び方は嫌だな。 他は?」
「亡くなった祖父母は、ミドルネームのファルファッラを縮めてファラと呼んでおりました」
「ああ、黒蝶博士だね。 私も幼い頃に何度か会った事があるよ。 懐かしいな、そっか、可愛い孫がいるって言ってたけど。 君の事だったんだね」
「殿下は、祖父をご存じなのでございますか?」
ヴィーは『黒蝶博士』として名を馳せた祖父を思い出した。 ネロがにっこり笑って宣った。
「ああ。 幼い頃に少し、遊び相手になってもらってね。 じゃ、これから私は君の事をファラと呼ぶ事にするよ。 いいよね?」
(あの祖父が遊び相手。 虫取りばっかりつき合わせてそうだわ。 私もよく行ったわね。 懐かしい)
ネロの『遊び相手』の言葉に、若干の不安を覚えて頬が引き攣った。 祖父は少し、変わった所がある人物で、ネロの年と祖父の年齢を考えると、遊び相手になったのかどうか怪しい物だと、ヴィーは祖父の事を思い出し、今は亡き祖父に向かって呆れた顔をした。 ネロは『懐かしいな』と何かを思い出しているようだが、ネロのチビ煙幕は出て来ない。
(愛称の事より、その思い出の方に興味があるわ)
ネロに『ファラと呼んでもいいか』と尋ねられても、王子からのお願いを断れるわけがない。 ヴィーは眉を顰めたが、頷いて了承を示した。
「どうぞ、殿下のお好きなようにお呼び捨てくださいませ」
「ありがとう。 ファラも私の事はネロって呼んで。 婚約者候補なのだし、少しは向き合って歩み寄って欲しいな。 それと、話し方ももう少し、砕けてもいいと思うよ」
ヴィーは逡巡した末に返事を返した。
「善処致します」
(無理言わないで下さい、殿下)
にっこり笑うネロに一抹の不安を覚え、王城で上手く暮らせるのかどうか、自信がなくなってしまったヴィーは、乾いた喉を紅茶で潤した。 ただ、結界石を制作するパートナーとして、ヴィーの能力を告白しなくてはならないと思うが、何を考えているか分からないネロには言えないと、小さく身体を震わせた。
そんなヴィーの気持ちに気づいているのか、気づいていないのか、2匹の黒蝶は楽しそうにヴィーとネロの周囲をじゃれながら、まるでダンスを踊るように飛んでいた。
「ぬじざま~~っ。 あんなに、ぐるじいなんて、ぎいでまぜんよ~」
主さまは軽々とヴィーを抱き上げると、いつもはないテーブルセットの椅子に、ヴィーを座らせた。
「ごめんね、ヴィー。 でも、上手く『歓喜の舞』が発動して良かったよ。 ちょっとだけ、確認させてね」
そう言うと主さまは、ヴィーの膝元に膝まづくと、胸に両手を翳した。 主さまの脳裏に、ヴィーの透明な魔力の受け皿が現れると、並々と注がれた魔力の中に、力を宿した黒色の石が数枚の花弁を拡げ、一輪の黒薔薇が咲いていた。
「うん、ちゃんと咲いてるね。 相変わらず、溢れそうになっているから、気を付けてね」
「はい」
「多分、苦しくなったのは、ヴィーの受け皿がギリギリだったんだと思う。 すんなりとはいかなかったんだろうね。 もう、落ち着いてるから大丈夫だよ」
「はい」
ヴィーのどことなく元気のない様子を見て、主さまが苦笑を漏らし、しわがれた優しい声を出す。 主さまはそっと優しくヴィーを抱き寄せた。 優しい主さまのしわがれた声が落ちてくる。
「大丈夫だよ。 ヴィーなら出来るよ。 君はとても優しくて勇敢だからね。 嫌われたりしないし、魔力の受け皿が小さい事で責められたりもしない。 きっと、使命を果たせる。 さぁ、もうお帰り。 御父上が心労で倒れそうだ」
主さまの言葉の後、ヴィーの視界が暗くなり、いつものように自身の身体に戻って行った。 ヴィーが主さまの下に行っている頃、ネロはドナーティ家が何か隠し事をしている事を察して、貴賓室で再び当主と向き合っていた。
――豪華な貴賓室に、ドナーティ家のメイドが淹れる紅茶の香りが漂っていた。
洗練された所作で、ネロとクリスの前に上品なデザインのティーカップが置かれる。 ネロはメイドに礼を言うと、優雅に紅茶を一口啜った。 ネロは微笑んでいるが、瞳の奥には油断ない光を宿している。
「ビオネータ侯爵、私に何か言わなければならない事があるのではないか?」
ドナーティ家の当主は小さく息を吐くと、観念した様に話し出した。
「申し訳ございません、マッティア王子。 いや、もうロンバルディ侯爵でしたな。 無礼を承知した上で申し上げます。 私には姪がいるのですが、私の姉の娘です。 少し、厄介な家に嫁ぎまして。 娘は小さい頃から、姪から色々と聞かされてまして。 すっかり王侯貴族の裏側に怯えてしまい、王侯貴族には嫁ぎたくないと豪語しているのです。 ですから、登城の際の王からの王子との今後の話し合いに拒否反応を起こしまして」
ネロは優雅にティーカップをソーサーに置く。
「なるほど。 私と婚約したくないと」
「勘違いなさらないで下さい。 王子だからではなのいです。 娘は王侯貴族とは婚姻を結びたくないと思っているのです。 貴族の娘ですから、そういう訳にもいきませんが」
「なるほど」
(ものすっごく、面白くない!! なんでだ? さっき初めて実物の姿を見ただけなのに。 正直に言って、あの姿には見惚れた。 黒蝶の羽根を拡げた姿は、とても綺麗で目が離せなかった。 彼女の紋様に、私の瞳の色の魔法石が嵌っているのを見たら、身体が熱くなった)
ネロの頬に少し赤みが差している事に、ドナーティ家当主は気づかずに話を続ける。
「それが無ければ娘は既に登城していたでしょう。 この5年間、ずっとその為に努力して来ましたから」
「それはどういうことだ?」
「ここからは他言無用にして頂きたい。 王には私からご報告いたします」
「分かった。 クリス、結界を張ってくれ。 私も補強しよう」
クリスが頷くと、ネロ専用の従者は退出し、扉の外で待機した。 当主が話す内容は荒唐無稽だったが、当主も『主さま』なる創造主と会ったという。 気絶する寸前にヴィーの口ら飛び出た『主さま』の言葉を思い出し、ネロは真実なのだと理解した。 ヴィーとは会えずに、ネロはドナーティ家の当主と、王に報告する為に王城へと戻った。
王城に戻るとネロは自身の執務室で溜まっていた執務を片付けていた。 執務室の扉の外で話し声が聞こえ、王の侍従が入室してくると、ネロの机の前で臣下の礼をとる。
「マッティア殿下、王が御呼びでございます。 至急、王の執務室まで御出で下さいませ」
ネロは溜め息をついて返事を返した。
「分かった、直ぐに行く。 クリス、後を頼んだ」
「かしこまりました」
クリスが恭しくお辞儀をすると、ネロは王の執務室に向かった。
王の執務室の扉をノックすると中から低い声が響いた。 ネロは扉を開けると中へと歩を進める。 王の前まで来ると臣下の礼をする。
「御呼びと聞き参じました。 お話とはドナーティ嬢の事でしょうか?」
顔を上げると何がおかしいのか、王はニヤリと笑った。
「その前にお前の対の石の持ち主が見つかった事、大変喜ばしい事だ。 おめでとう」
「ありがとうございます」
ネロは深々と頭を下げてお辞儀をした。
「それで、ご令嬢の話はビオネータ侯爵から聞いている。 正直、信じられぬが、私は友の事を信頼している。 マッティアの紋様も完成したのか?」
「はい、こちらに戻って直ぐに確認いたしました」
「うむ。 それで、返事は分かっていたが、ビオネータ侯爵にお前との婚約を打診してみた。 しかし、断られた。 『娘は誰にもやらん』ってね」
(相変わらず、王家に対しての態度が不遜すぎるな。 父上に対しても物怖じしない所は、一層清々しい)
ネロは父王から視線を逸らしてこめかみから一筋、冷や汗が流れた。
「しかし、結界石を作るパートナーとしては誠心誠意、務めるという事だ」
それは仕事上だけの関係だという事だ。 ネロは何故か、他人行儀な態度に寂しさを覚えた。 ヴィーと初めて顔を会せ、黒蝶が舞い踊った時の事が脳裏を掠める。 ヴィーが石が開花するまでの5年間、創造主と修行をし、自身の相方が誰になるかも分からないのに、石を封印させまいと努力して来た事を思うと、胸の奥が熱くなった。 ヴィーはネロと顔を会せた時、何も感じなかったのかと、少し苛だった自身を信じられないでいた。
この泡立つ気持ちが石の影響なのか、ネロの気持ちなのか分からないでいた。
「創造主のお気に入りの娘を逃す気はない。 マッティア、お前にはドナーティ嬢と婚姻を結んでもらう。 お前がドナーティ嬢を口説き落とせ。 期間はお前の立太子までだ。 そして、ドナーティ嬢は婚約者候補として据え置く。 これは王命だ」
「御意、然るべく」
(私もこの気持ちが本物かどうか、確かめたいしな)
翌日、ヴィーを婚約者候補に据え置く事、成人の儀式のお披露目の準備の為、成人の儀式まで王城で過ごすようにという書状をネロ本人から届けられ、ドナーティ家が大騒ぎになった事は言うまでもない。
――ドナーティ家の貴賓室では、ヴィーが気まずげに優雅に紅茶を啜るネロを見つめていた。
ヴィーの手には王からの書状があり、内容を読み進めるうちに、ヴィーの顔色が徐々に悪くなっていった。 ヴィーの顔色が悪いのはそれだけではない。 目の前で座っているネロは、にっこり笑って優雅に紅茶を啜っている。 そんなネロをヴィーはじっと視た。 何を考えているか分からないから、少しでも情報が欲しくて、いけないと分かっていても、つい本心を覗いてしまう。 しかし、いつも出る黒い煙幕が出ない。
主さまと同じで王子も本心が視えないのだ。 いつも本心が視えてしまうヴィーには、初めの事だった。 視えなかった事は今までなかった。 主さま以外は。 だから、意地になって視ると、ネロの周囲に黒い煙幕がネロを纏うように漂っており、黒い煙幕がヴィーの視る力を弾いた様に感じた。 ネロがにっこりと微笑み、弾いたのは錯覚でも何でもないと分かり、ヴィーはネロに恐怖を覚えた。
(ひぃ! 瞳の奥が笑ってないわ!! この人、もの凄い怖いっ! しかも、黒蝶が飛んでるし)
ネロは音も立てずにティーカップをソーサーに置くと笑みを深め、2匹の黒蝶が会えて嬉しいのか、じゃれている様子を眺めていた。 ネロも黒蝶が視えているらしい。
「ドナーティ嬢、自己紹介がまだだったね。 私は、バルディーア王国の第一王子、マッティア・ネーロ・バルドヴィネッティ・ロンバルディだ。 君にはネロと呼んで欲しい」
ネロの自己紹介にハッと我に返り、ヴィーも自己紹介を返した。
「ド、ドナーティ家当主、ビオネータ侯爵が長女、ヴィ、ヴィオレッタ・ファルファッラ・ドナーティです。 で、殿下におかれま、まし、ましては、ご、ごき」
ヴィーは緊張しすぎと、言い知れぬ恐怖の為、舌が上手く回らない。 ネロはヴィーの様子にクスリと笑い、片手を上げてお決まりの口上を止めた。
「堅苦しい挨拶はいいよ。 続けてもこのままだと舌を噛みそうだしね」
(くぅっ、あんなに練習しましたのにっ。 これも、予想外に王子の本心が読めなかったせいだわ!)
ヴィーは膝に置いた手を強く握り締めた。
「書状の内容は納得してもらえたかな? 王家としてはこれが譲歩なんだけど、私も色々と公務や執務で忙しい。 君と距離を縮める為にも、離宮に来て欲しいのだけど」
一瞬の逡巡の末、ヴィーは観念して頷いた。
「はい、誠心誠意、務めさせて頂きます」
(結構、強引な方なのね。 そんな黒い笑顔で言われたら怖いじゃないっ!)
「そう、良かった。 これからよろしく。 あ、ヴィオレッタ嬢は、皆から何て呼ばれているの?」
「家族からはヴィーと呼ばれております」
「そう。 皆と同じ呼び方は嫌だな。 他は?」
「亡くなった祖父母は、ミドルネームのファルファッラを縮めてファラと呼んでおりました」
「ああ、黒蝶博士だね。 私も幼い頃に何度か会った事があるよ。 懐かしいな、そっか、可愛い孫がいるって言ってたけど。 君の事だったんだね」
「殿下は、祖父をご存じなのでございますか?」
ヴィーは『黒蝶博士』として名を馳せた祖父を思い出した。 ネロがにっこり笑って宣った。
「ああ。 幼い頃に少し、遊び相手になってもらってね。 じゃ、これから私は君の事をファラと呼ぶ事にするよ。 いいよね?」
(あの祖父が遊び相手。 虫取りばっかりつき合わせてそうだわ。 私もよく行ったわね。 懐かしい)
ネロの『遊び相手』の言葉に、若干の不安を覚えて頬が引き攣った。 祖父は少し、変わった所がある人物で、ネロの年と祖父の年齢を考えると、遊び相手になったのかどうか怪しい物だと、ヴィーは祖父の事を思い出し、今は亡き祖父に向かって呆れた顔をした。 ネロは『懐かしいな』と何かを思い出しているようだが、ネロのチビ煙幕は出て来ない。
(愛称の事より、その思い出の方に興味があるわ)
ネロに『ファラと呼んでもいいか』と尋ねられても、王子からのお願いを断れるわけがない。 ヴィーは眉を顰めたが、頷いて了承を示した。
「どうぞ、殿下のお好きなようにお呼び捨てくださいませ」
「ありがとう。 ファラも私の事はネロって呼んで。 婚約者候補なのだし、少しは向き合って歩み寄って欲しいな。 それと、話し方ももう少し、砕けてもいいと思うよ」
ヴィーは逡巡した末に返事を返した。
「善処致します」
(無理言わないで下さい、殿下)
にっこり笑うネロに一抹の不安を覚え、王城で上手く暮らせるのかどうか、自信がなくなってしまったヴィーは、乾いた喉を紅茶で潤した。 ただ、結界石を制作するパートナーとして、ヴィーの能力を告白しなくてはならないと思うが、何を考えているか分からないネロには言えないと、小さく身体を震わせた。
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