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12話 『爆発的に魔力の受け皿を大きくする方法 ステップ1』
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「はぁ~~っ」
離宮の食堂に、ヴィーの深い溜め息がこだまする。 豪華な食堂に、豪奢なテーブルセット、高級食材をふんだんに使われた晩餐。 相変わらず1人で摂る食事。 ヴィーはホークとナイフを掴むと、目の前の肉に集中した。
(寂しいなんて思ったら負けよっ! 何これっ! あれなの? 『押してもダメなら引いてみな』に当たってしまったの?! むぅ~っ! 離宮に呼びつけておいて、何で、離宮の本来の主が帰って来ないのよ!!)
ネロが離宮に帰って来れない理由は、エラの家のお家騒動を片付けているからだが、何も知らないヴィーは、帰って来ないネロに憤りを感じていた。 牛のヒレ肉のステーキを頬張ると、また深い溜め息を吐いた。
「美味しいのに。 全然、美味しくない」
ヴィーは音を立てずに、ホークとナイフを置き、自室の居間に向かった。
「古代語の詠唱の練習でもしよう」
ヴィーにはやらねばらない事が山積している。 取り敢えずネロの事は置いておくとして、主さまから届いた『爆発的に魔力を上げる方法ステップ1』の羊皮紙をソファーに座り、膝の上で拡げた。
何回か結界石の授業を受けて、ヴィーが分かった事、主さまから出された指示書を習得しないと、結界石を作り出せない事だ。 分かっていて主さまは届けてくれたのだろう。
(10文字くらいしかないのにっ!)
ヴィーは、舌を噛む覚悟で何度も挑んだが、どうしてもたどたどしくなってしまう。 今のままでは、古代語に魔力を乗せられない。 離宮に来てから、癖になりつつある何度目かの深い溜め息が出た。
階下から物音がして、階段を上がって来る足音が廊下に響いて来る。 足音はヴィーの扉の前で止まった。 少し、遠慮がちにノックがされて、離宮の家主の声がヴィーの部屋に届いた。
「ファラ、起きてる? 私だけど、夜遅くにごめん。 少し、話をしたいんだけど」
ヴィーは、ネロの声を聞いた瞬間、反射的にソファーから立ち上がり、扉まで歩いて行っていた。 自身の行動に『ん?』と首を傾げたが、ネロの再度の呼びかけに、ヴィーは扉を開けた。 もう、メイドを下がらせた後である。
「殿下? どうされたんですか? 今日は帰って来られたんですね」
ヴィーが無意識化で、フワッとした笑顔を浮かべると、ネロの頬に朱が染まる。
「あ、うん。 あの、ちょっとだけ下のサロンに降りてこないか? 少し、話そう」
ネロは赤く染まった頬を隠すように、視線を外して呟いた。
「はい、直ぐ参ります」
――サロンに、ネロが淹れた紅茶の香りが漂っていた。
ヴィーは、目の前のソファーに座り、洗練された所作で紅茶を飲むネロを眺めた。 やはり、いくら視ても、ネロのチビ煙幕は出て来ない。 ヴィーはネロが淹れてくれた紅茶を一口飲むと、硬くなっていた表情が緩んだ。 もう、休んでいるメイドを呼び出すのは悪いと、ネロが淹れてくれたのだ。 ヴィーは、慣れた手つきで紅茶を淹れるネロを、落ち着かない様子で眺めるだけだった。 相変わらず、2匹の黒蝶はじゃれ合いながら、サロンの中を飛んでいる。
(あ、美味しい! 香りもいい。 王子が紅茶を淹れれるのもびっくりだけど、話って何かしら? もしかして、私が不出来で、全ての授業で惨敗してる事かしらっ)
ヴィーの思考が明後日の方向に向きかけた時、ネロが咳払いすると、留守にしていた理由を説明され、ヴィーはネロの話を黙って聞いた。
「離宮に呼びつけておいて、今まで中々帰れなくて、1人にしてすまない。 実は、エラヴェーラ嬢の家の爵位争いを、王命でアルバと共に片付けていたんだ。 エルヴェーラ嬢の爵位を狙っていたのは、彼女の叔父なんだけど。 婚姻もしていないのに、エルヴェーラ嬢がアルバの離宮に住んでいるのは、彼女の叔父から守る為なんだ」
ヴィーはネロの話に目を見開いて驚いた。 エラの普段の様子からはお家騒動があったなど、想像が出来なかったからだ。
「そうなんですね。 私、何も存じませんでした」
(うわぁ、私、最低だわ。 認めよう。 殿下が帰って来なくて、1人が寂しいとかって、自分の事しか考えてなかった。 殿下が忙しくしているのは知っていたのにっ! 離宮に帰れないくらいエラ様の為に動いていたんだわ。 それに私なんて、正式に婚約してないのに、離宮に住んでるんだけどっ)
「ああ、うん。 いいんだよ、ファラには言ってなかったからね」
優しい微笑みでヴィーを見つめるネロを、無粋だと思いながら、ついつい視てしまう。 何故か分からないが、ヴィーはネロの本心を無性に知りたくなっていた。 ネロはヴィーの様子には気づかない様で話を続けた。
「彼女の叔父の不正とか財産の管理能力とか、領地の経営能力とかを調べていて、それ自体は直ぐに調べがついたんだけどね」
引き続き話し続けるネロに我に返ると、ヴィーはネロの声に耳を傾けた。
「私たちは、15になって直ぐに領地を王から賜っていて、そちらの仕事もしているし、公務や他にもやる事があって、それらを並行して進めていたら。 思いの外、時間が掛かってしまって、さっきやっと終わったんだ。 忙しいのは変わらないけれど、これからは帰って来れるよ」
ネロがすまなそうに微笑んだ。 離宮に帰って来れない理由は分かったのに、何故かヴィーの心は晴れない。
(私ってそんなに心狭かったの? なんだろ? 自分を優先されなかったから? それか、私だけが蚊帳の外だったから? でも、知ってたとしても、私には何も出来なかっただろうし、それは流石に自分勝手すぎるでしょ!)
ヴィーがころころと表情を変えながら、自身の思考に耽っている様子を眺めているネロが、ヴィーのスカートのポケットから出ている羊皮紙の端っこを見つけた。 部屋を出る時に、無意識に主さまから届いた羊皮紙をポケットに入れていたのだ。
ヴィーが思考に耽っていると、人が隣に座る気配がし、顔に影が差す。 ヴィーの心臓が大きく跳ねた。 直ぐ近くにネロが座ったからだ。 細身だと思われたネロだが、意外にも筋肉がついている様で、中々に逞しい身体をしているらしい。 思わぬところでネロと必要以上に密着してしまい、身体が小さく跳ねた。 ネロの動く気配に、ヴィーはピシリと固まり、全く動けなくなった。
「ファラ」
耳に届くネロの甘い声に固まっていた身体が大きく跳ねた。 ヴィーは、見る見るうちに、耳まで真っ赤になっていった。
(ちょっとっ!! 近い、近いからっ! 何処から出るのそんな甘い声!)
ヴィーが動けない様子にネロの口元が緩む。 ネロの手がヴィーの腰に回り、優しく身体を寄せてきた。
(はうっ! 手が早くない?! これはまだ早いでしょ!!)
ヴィーが堪らず、ネロの胸を押して離れようとして両手を突っ張った。 しかし、ネロはびくともしない。 それどころか逆に余計に引き寄せられ、ヴィーの胸の鼓動が速くなった。 ヴィーは全身を赤くさせて小刻みに震えていた。 凄く近くから、ネロの声が落ちてくる。 ヴィーの腰にあったネロの手がゴソゴソと動き、何かを引っ張り出した。 ネロの動きに『ん?』とヴィーは首を傾げてネロを見上げた。
「ファラ? この羊皮紙、何?」
にっこりと笑って首を傾げたネロの瞳の奥は笑っていなかった。 濃紺の瞳に妖しい光を宿らせている。 ヴィーの顔から血の気がサッと引いて、オドオドと説明した。
「あ! それは、あの、主さまからの指示書で」
キョトンとしたネロは、安堵した様に息を吐いた。
「なんだ、他の男からの手紙かと思ったよ」
ヴィーはギョッとしてネロを見つめ返した。
「ええぇ! 何でそう思ったんです?!」
ヴィーの意見に何とも言えない表情をネロは向けて来た。
(なんなの? その残念な子を見る目はっ!)
羊皮紙をじっと眺めたネロが言った言葉に、ヴィーは羊皮紙をネロからひったくった。
「これ、古代語の訳文、間違ってるよ」
「えっ!!」
ネロから奪い返した羊皮紙を眉間に皺を寄せて、まじまじと見ると、本当に1文字だけ間違っていた。 間違っていた部分は、いつも詠唱する時に噛む箇所だった。 ヴィーはネロを見て嬉しそうにお礼を言った。
「本当ですね。 全然、気づきませんでした。 ありがとうございます、殿下」
ふわりと笑うヴィーを、一瞬だけ驚いたが、ネロは優しく目を細めて眺めた。
「じゃ、詠唱して。 アクセントはこうだよ」
ネロはスラスラと古代語を詠唱した。 続いてヴィーが詠唱すると、何処か訛った感じに発せられた。 ネロは根気よく正しいアクセントを教えてくれる。 ヴィーは何十回目かで、やっと正しいアクセントで古代語を詠唱出来るようになった。 次は詠唱する時に、自身の魔力を乗せた。
ヴィーが魔力を乗せて古代語を詠唱すると、ヴィーの受け皿に反応があった。 詠唱の後に、受け皿が拡がり、いつも危うげに魔力が溢れそうになっていた魔力が、受け皿の中で並々と満たされている。 溢れそうな感覚もない。 無事に、『爆発的に魔力の受け皿を大きくする』事に成功したらしい。
ヴィーの様子で魔法が成功した事を察したネロが微笑みかける。 ネロの微笑みに、ヴィーの心臓が鷲掴みにされたのは言うまでもない。
「良かったね。 ファラ」
(ぐはっ! やられたっ! いや、顔面偏差値が良すぎるせいよ! 殿下、自覚してほしいわ。 殿下の笑顔は凶器になる事をっ。 それに私は、もう恋なんてしないって決めたんだからっ!)
そこまで思ってヴィーは首を傾げ、自身の心に疑問を投げつけた。
(ん? 私、いつ恋したっけ?)
ヴィーは10歳からずっと、少しでも魔力の受け皿を大きくする為に過ごしてきた。 ヴィーの能力の事と、溺愛する父の事もあり、異性とも同性とも、踏み込まないように一定の距離を保っていた。 恋なんて一度もした事ないし、異性にときめいた事もないのだ。 異性に見惚れたのも、主さまとネロしかいない。
ヴィーが再び思考に耽っている間に、魔法によって大きくなった受け皿が元の大きさに戻った。 いつもの魔力が溢れそうになる感覚が戻って来る。
「あっ!」
ヴィーの様子にネロが察して声を掛ける。
「元の大きさに戻ってしまった?」
ヴィーはガクッと肩を落として返事を返した。
「はい」
「短い時間だと、結界石を作り出すのは難しいね。 この詠唱呪文よりも長いからね」
「ですね」
ヴィーはまた、深い溜め息を吐いた。 天井から2人の頭上にひらりと羊皮紙が落ちて来た。 ヴィーが手に取ると、羊皮紙は主さまからの指示書だった。 2人で羊皮紙を覗くと、仲良く眉間に皺が寄る。
「これはまた、難問だね」
「ははは」
乾いた笑いを漏らしたヴィーは、ソファーから立ち上がった。
「殿下、申し訳ございません。 私、この古代語と格闘しないといけませんので、御前を失礼致します」
「うん、無理しないでね。 分からなかったら教えてあげるよ。 それに、殿下じゃなくて、ネロだよ。 それと話し方も、もう少し崩して欲しいなって言ったよね」
ネロが笑顔を浮かべると、全身に黒い煙幕が立ち込める。 肩が小さく震えると、ヴィーは何回も頷いた。
「ネ、ネロ様、おやすみなさい」
「おやすみ」
ネロが満足そうに微笑む。 2匹の黒蝶は名残惜しそうに離れると、ヴィーの黒蝶が肩に止まった。 サロンを後にするヴィーの後ろ姿をネロは複雑な気持ちで見送っていた。 ヴィーは気づいていなかったが、先程まで寄り添い合って、詠唱呪文の練習をしていたのに、最後は主さまに持っていかれてしまった。
ネロは溜め息を吐くと『ここで一緒に古代語と格闘してもいいのに』と独り言を漏らす。
「まぁ、18の立太子まで、後、3年ある。 来年は学園に入学するし、今より学業が優先される。 公務もいくらか免除されるから。 勝負は入学してからだね。 学園は寮生活だし、今は距離を詰めつつ、成人の儀式に集中するしかないね」
ネロの濃紺の瞳の奥に、キラリと妖しい光が宿り、黒蝶が肩に止まって羽根を揺らした。
離宮の食堂に、ヴィーの深い溜め息がこだまする。 豪華な食堂に、豪奢なテーブルセット、高級食材をふんだんに使われた晩餐。 相変わらず1人で摂る食事。 ヴィーはホークとナイフを掴むと、目の前の肉に集中した。
(寂しいなんて思ったら負けよっ! 何これっ! あれなの? 『押してもダメなら引いてみな』に当たってしまったの?! むぅ~っ! 離宮に呼びつけておいて、何で、離宮の本来の主が帰って来ないのよ!!)
ネロが離宮に帰って来れない理由は、エラの家のお家騒動を片付けているからだが、何も知らないヴィーは、帰って来ないネロに憤りを感じていた。 牛のヒレ肉のステーキを頬張ると、また深い溜め息を吐いた。
「美味しいのに。 全然、美味しくない」
ヴィーは音を立てずに、ホークとナイフを置き、自室の居間に向かった。
「古代語の詠唱の練習でもしよう」
ヴィーにはやらねばらない事が山積している。 取り敢えずネロの事は置いておくとして、主さまから届いた『爆発的に魔力を上げる方法ステップ1』の羊皮紙をソファーに座り、膝の上で拡げた。
何回か結界石の授業を受けて、ヴィーが分かった事、主さまから出された指示書を習得しないと、結界石を作り出せない事だ。 分かっていて主さまは届けてくれたのだろう。
(10文字くらいしかないのにっ!)
ヴィーは、舌を噛む覚悟で何度も挑んだが、どうしてもたどたどしくなってしまう。 今のままでは、古代語に魔力を乗せられない。 離宮に来てから、癖になりつつある何度目かの深い溜め息が出た。
階下から物音がして、階段を上がって来る足音が廊下に響いて来る。 足音はヴィーの扉の前で止まった。 少し、遠慮がちにノックがされて、離宮の家主の声がヴィーの部屋に届いた。
「ファラ、起きてる? 私だけど、夜遅くにごめん。 少し、話をしたいんだけど」
ヴィーは、ネロの声を聞いた瞬間、反射的にソファーから立ち上がり、扉まで歩いて行っていた。 自身の行動に『ん?』と首を傾げたが、ネロの再度の呼びかけに、ヴィーは扉を開けた。 もう、メイドを下がらせた後である。
「殿下? どうされたんですか? 今日は帰って来られたんですね」
ヴィーが無意識化で、フワッとした笑顔を浮かべると、ネロの頬に朱が染まる。
「あ、うん。 あの、ちょっとだけ下のサロンに降りてこないか? 少し、話そう」
ネロは赤く染まった頬を隠すように、視線を外して呟いた。
「はい、直ぐ参ります」
――サロンに、ネロが淹れた紅茶の香りが漂っていた。
ヴィーは、目の前のソファーに座り、洗練された所作で紅茶を飲むネロを眺めた。 やはり、いくら視ても、ネロのチビ煙幕は出て来ない。 ヴィーはネロが淹れてくれた紅茶を一口飲むと、硬くなっていた表情が緩んだ。 もう、休んでいるメイドを呼び出すのは悪いと、ネロが淹れてくれたのだ。 ヴィーは、慣れた手つきで紅茶を淹れるネロを、落ち着かない様子で眺めるだけだった。 相変わらず、2匹の黒蝶はじゃれ合いながら、サロンの中を飛んでいる。
(あ、美味しい! 香りもいい。 王子が紅茶を淹れれるのもびっくりだけど、話って何かしら? もしかして、私が不出来で、全ての授業で惨敗してる事かしらっ)
ヴィーの思考が明後日の方向に向きかけた時、ネロが咳払いすると、留守にしていた理由を説明され、ヴィーはネロの話を黙って聞いた。
「離宮に呼びつけておいて、今まで中々帰れなくて、1人にしてすまない。 実は、エラヴェーラ嬢の家の爵位争いを、王命でアルバと共に片付けていたんだ。 エルヴェーラ嬢の爵位を狙っていたのは、彼女の叔父なんだけど。 婚姻もしていないのに、エルヴェーラ嬢がアルバの離宮に住んでいるのは、彼女の叔父から守る為なんだ」
ヴィーはネロの話に目を見開いて驚いた。 エラの普段の様子からはお家騒動があったなど、想像が出来なかったからだ。
「そうなんですね。 私、何も存じませんでした」
(うわぁ、私、最低だわ。 認めよう。 殿下が帰って来なくて、1人が寂しいとかって、自分の事しか考えてなかった。 殿下が忙しくしているのは知っていたのにっ! 離宮に帰れないくらいエラ様の為に動いていたんだわ。 それに私なんて、正式に婚約してないのに、離宮に住んでるんだけどっ)
「ああ、うん。 いいんだよ、ファラには言ってなかったからね」
優しい微笑みでヴィーを見つめるネロを、無粋だと思いながら、ついつい視てしまう。 何故か分からないが、ヴィーはネロの本心を無性に知りたくなっていた。 ネロはヴィーの様子には気づかない様で話を続けた。
「彼女の叔父の不正とか財産の管理能力とか、領地の経営能力とかを調べていて、それ自体は直ぐに調べがついたんだけどね」
引き続き話し続けるネロに我に返ると、ヴィーはネロの声に耳を傾けた。
「私たちは、15になって直ぐに領地を王から賜っていて、そちらの仕事もしているし、公務や他にもやる事があって、それらを並行して進めていたら。 思いの外、時間が掛かってしまって、さっきやっと終わったんだ。 忙しいのは変わらないけれど、これからは帰って来れるよ」
ネロがすまなそうに微笑んだ。 離宮に帰って来れない理由は分かったのに、何故かヴィーの心は晴れない。
(私ってそんなに心狭かったの? なんだろ? 自分を優先されなかったから? それか、私だけが蚊帳の外だったから? でも、知ってたとしても、私には何も出来なかっただろうし、それは流石に自分勝手すぎるでしょ!)
ヴィーがころころと表情を変えながら、自身の思考に耽っている様子を眺めているネロが、ヴィーのスカートのポケットから出ている羊皮紙の端っこを見つけた。 部屋を出る時に、無意識に主さまから届いた羊皮紙をポケットに入れていたのだ。
ヴィーが思考に耽っていると、人が隣に座る気配がし、顔に影が差す。 ヴィーの心臓が大きく跳ねた。 直ぐ近くにネロが座ったからだ。 細身だと思われたネロだが、意外にも筋肉がついている様で、中々に逞しい身体をしているらしい。 思わぬところでネロと必要以上に密着してしまい、身体が小さく跳ねた。 ネロの動く気配に、ヴィーはピシリと固まり、全く動けなくなった。
「ファラ」
耳に届くネロの甘い声に固まっていた身体が大きく跳ねた。 ヴィーは、見る見るうちに、耳まで真っ赤になっていった。
(ちょっとっ!! 近い、近いからっ! 何処から出るのそんな甘い声!)
ヴィーが動けない様子にネロの口元が緩む。 ネロの手がヴィーの腰に回り、優しく身体を寄せてきた。
(はうっ! 手が早くない?! これはまだ早いでしょ!!)
ヴィーが堪らず、ネロの胸を押して離れようとして両手を突っ張った。 しかし、ネロはびくともしない。 それどころか逆に余計に引き寄せられ、ヴィーの胸の鼓動が速くなった。 ヴィーは全身を赤くさせて小刻みに震えていた。 凄く近くから、ネロの声が落ちてくる。 ヴィーの腰にあったネロの手がゴソゴソと動き、何かを引っ張り出した。 ネロの動きに『ん?』とヴィーは首を傾げてネロを見上げた。
「ファラ? この羊皮紙、何?」
にっこりと笑って首を傾げたネロの瞳の奥は笑っていなかった。 濃紺の瞳に妖しい光を宿らせている。 ヴィーの顔から血の気がサッと引いて、オドオドと説明した。
「あ! それは、あの、主さまからの指示書で」
キョトンとしたネロは、安堵した様に息を吐いた。
「なんだ、他の男からの手紙かと思ったよ」
ヴィーはギョッとしてネロを見つめ返した。
「ええぇ! 何でそう思ったんです?!」
ヴィーの意見に何とも言えない表情をネロは向けて来た。
(なんなの? その残念な子を見る目はっ!)
羊皮紙をじっと眺めたネロが言った言葉に、ヴィーは羊皮紙をネロからひったくった。
「これ、古代語の訳文、間違ってるよ」
「えっ!!」
ネロから奪い返した羊皮紙を眉間に皺を寄せて、まじまじと見ると、本当に1文字だけ間違っていた。 間違っていた部分は、いつも詠唱する時に噛む箇所だった。 ヴィーはネロを見て嬉しそうにお礼を言った。
「本当ですね。 全然、気づきませんでした。 ありがとうございます、殿下」
ふわりと笑うヴィーを、一瞬だけ驚いたが、ネロは優しく目を細めて眺めた。
「じゃ、詠唱して。 アクセントはこうだよ」
ネロはスラスラと古代語を詠唱した。 続いてヴィーが詠唱すると、何処か訛った感じに発せられた。 ネロは根気よく正しいアクセントを教えてくれる。 ヴィーは何十回目かで、やっと正しいアクセントで古代語を詠唱出来るようになった。 次は詠唱する時に、自身の魔力を乗せた。
ヴィーが魔力を乗せて古代語を詠唱すると、ヴィーの受け皿に反応があった。 詠唱の後に、受け皿が拡がり、いつも危うげに魔力が溢れそうになっていた魔力が、受け皿の中で並々と満たされている。 溢れそうな感覚もない。 無事に、『爆発的に魔力の受け皿を大きくする』事に成功したらしい。
ヴィーの様子で魔法が成功した事を察したネロが微笑みかける。 ネロの微笑みに、ヴィーの心臓が鷲掴みにされたのは言うまでもない。
「良かったね。 ファラ」
(ぐはっ! やられたっ! いや、顔面偏差値が良すぎるせいよ! 殿下、自覚してほしいわ。 殿下の笑顔は凶器になる事をっ。 それに私は、もう恋なんてしないって決めたんだからっ!)
そこまで思ってヴィーは首を傾げ、自身の心に疑問を投げつけた。
(ん? 私、いつ恋したっけ?)
ヴィーは10歳からずっと、少しでも魔力の受け皿を大きくする為に過ごしてきた。 ヴィーの能力の事と、溺愛する父の事もあり、異性とも同性とも、踏み込まないように一定の距離を保っていた。 恋なんて一度もした事ないし、異性にときめいた事もないのだ。 異性に見惚れたのも、主さまとネロしかいない。
ヴィーが再び思考に耽っている間に、魔法によって大きくなった受け皿が元の大きさに戻った。 いつもの魔力が溢れそうになる感覚が戻って来る。
「あっ!」
ヴィーの様子にネロが察して声を掛ける。
「元の大きさに戻ってしまった?」
ヴィーはガクッと肩を落として返事を返した。
「はい」
「短い時間だと、結界石を作り出すのは難しいね。 この詠唱呪文よりも長いからね」
「ですね」
ヴィーはまた、深い溜め息を吐いた。 天井から2人の頭上にひらりと羊皮紙が落ちて来た。 ヴィーが手に取ると、羊皮紙は主さまからの指示書だった。 2人で羊皮紙を覗くと、仲良く眉間に皺が寄る。
「これはまた、難問だね」
「ははは」
乾いた笑いを漏らしたヴィーは、ソファーから立ち上がった。
「殿下、申し訳ございません。 私、この古代語と格闘しないといけませんので、御前を失礼致します」
「うん、無理しないでね。 分からなかったら教えてあげるよ。 それに、殿下じゃなくて、ネロだよ。 それと話し方も、もう少し崩して欲しいなって言ったよね」
ネロが笑顔を浮かべると、全身に黒い煙幕が立ち込める。 肩が小さく震えると、ヴィーは何回も頷いた。
「ネ、ネロ様、おやすみなさい」
「おやすみ」
ネロが満足そうに微笑む。 2匹の黒蝶は名残惜しそうに離れると、ヴィーの黒蝶が肩に止まった。 サロンを後にするヴィーの後ろ姿をネロは複雑な気持ちで見送っていた。 ヴィーは気づいていなかったが、先程まで寄り添い合って、詠唱呪文の練習をしていたのに、最後は主さまに持っていかれてしまった。
ネロは溜め息を吐くと『ここで一緒に古代語と格闘してもいいのに』と独り言を漏らす。
「まぁ、18の立太子まで、後、3年ある。 来年は学園に入学するし、今より学業が優先される。 公務もいくらか免除されるから。 勝負は入学してからだね。 学園は寮生活だし、今は距離を詰めつつ、成人の儀式に集中するしかないね」
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