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31話 『いよいよ、春休暇へ』

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 ヴィーがネロに飛ばされた部屋は、言葉通りネロの寮の私室だった。 ネロの濃紺の瞳が、ヴィーを見定めるように光っている。 ヴィーはネロの瞳から視線を逸らせず、身体も動かなかった。

 「ファラ。 さっきの事、説明してくれる?」
身体を小さく跳ねさせると、ヴィーはそろりと視線を外した。
 「えと、それはですね。 私も最近、知りまして。 主さまの指示書の通りにしていたら、どうやらそれが浄化の魔法だったようで」
 「じゃ、ファラは知らずに浄化の魔法を使ってたって事?」
こくんとヴィーは頷いた。
 「ファラ、浄化の魔法を使える人間は、この世界にはいない。 もしいたとしたら、それは『神の愛し子』だ。 愛し子は王家からしか生まれないんだけど。 ドナーティ家の家系にも、大昔に降嫁した王女が居るからありえなくはないよね」
『神の愛し子』の言葉に、ヴィーの瞳が最大限に見開かれ、全身が固まった。
 (えっ! 愛し子?!)
 「でも、『神の愛し子』って、確か身体の何処かに印の痣があるんじゃ、私にはその痣はないですけど」
じっとネロが目踏みするように眺めてきて、嫌な予感が過ぎり、ヴィーが硬直した。
 (えっ?! まさか、ここで確かめるなんて言い出さないですよねっ!)

 ヴィーはその可能性に危機感を覚え、ネロから1歩、後ずさりした。 ヴィーの様子に察したネロは、意地悪な笑みを浮かべ、ヴィーが離れた分、詰め寄って来た。 ネロから妖しい空気が漂う。

 ヴィーが身構えた後、おでこに柔らかい感触が触れた。 頭上から、ネロの堪えるような笑い声が落ちてきた。 顔を上げると、可笑しくて仕方がない言う笑みが、ネロの顔に浮かんでいる。 揶揄われたと分かったヴィーが、目を細めて口を尖らせる。 ヴィーが不機嫌になったのを感じて、ネロが眉を下げた。

 「ごめん。 でも、一応、痣がないか確かめさせて貰うね。 成長してから出る事もあるから。 ノワール」
天井から黒装束の女性が音もなく降り立った。
 「はい、殿下」
 「ファラの身体に痣がないか調べて。 私は書斎に居るから」
 「承知致しました」

 ネロが居間を出て行き、ノワールと2人だけになった。 ノワールは、淡々とヴィーの衣服を脱がしていく。 他人に肌を晒すのは、恥ずかしかったが、何処にも『神の愛し子』の痣はなかった。 ネロは不安だったのか、結果を聞いてホッとした様に『そう、良かった』と呟いた。

 「ネロ様?」
 「ファラ、後は隠し事ないよね?」

 きらりとネロの黒い笑顔が光る。 ヴィーの頬がひくりと引き攣った。 ヴィーの脳裏に『ゲーム』の事が思い浮かぶ。 アワアワしているヴィーの様子に、まだ隠し事があると察したのか、ネロの瞳が妖しく光った。

 ネロの黒い煙幕に静かな怒気が混じる。 ネロの殺気に、血の気が引いたヴィーは、洗いざらい吐かされ、心の中で主さまに懺悔した。

 (主さま、ごめんなさいっ! 主さまの言う通り、ネロ様には内緒に出来ませんでしたっ!)

 バレンタインに用意したネロへのチョコクッキーは、洗いざらい吐かされた後に無事に渡せた。 バレンタインの説明をすると、ネロは嬉しそうに目を細めた。

 「へぇ~。 チョコで愛の告白をするなんて、ロマンティックな行事だね。 ファラからの告白なら、この日だけじゃなくて、いつでも聞きたいな」
ヴィーはネロの言葉に真っ赤になったが、顔を思いっきり横に振って否定した。
 「これは義理チョコで、お世話になっているから、それのお礼ですっ!」
 「ふ~ん、そうなんだ」

 ハート型の手作りのチョコクッキーを一つ摘まむと、にっこりと満面の笑みを浮かべて『義理なんだ』と一口で頬張った。 ネロの表情は『ハート型なのに』と言っていた。 ヴィーの顔は益々、真っ赤になっていった。

 「それで、フォルナ―ラ嬢が作ったチョコレートは、全て浄化出来たんだね?」
 「はい、間違いなく浄化出来ました」
 「そう、良かった。 チョコクッキーをありがとう、ファラ」
 「いえ」

 ネロがにっこり微笑み、何故かチョコクッキーとはっきりと言っているのに、『ファラの気持ちをありがとう』と聞こえて、ヴィーの頬の熱が上がった。

 一方、又もやフォルナ―ラの媚薬入りのチョコが、ヴィーの浄化の魔法により無効化され、怒り心頭だった。 ファルナーラは1人、寮の部屋でせっせと凝りもせず、次なる媚薬を制作していた。

 (もう! 何でこんなに上手く行かないのよ!  何で、媚薬が無効化されてるのよ!! 早く春休みになってよっ! 休みに入ったら真っ直ぐに洞窟に行くんだからっ!)



――翌日、ネロは父王と謁見していた。
 王はネロの姿を見ると『久しいな』とネロに微笑みかけてきた。 ネロは挨拶もそこそこに、ヴィーが浄化の魔法を使える事を報告した。 ネロの話を聞いた王は、眉間に皺を寄せる。 王の脳裏に浮かんでいるのは、ヴィーの父親の顔で、30年来の友人だ。

 「そうか。 しかし、痣はなかったのだな」
 「はい。 それに、瘴気を出す結界石を浄化出来るのか、確認が出来ておりません」

王は顎に手を当て、眉間に皺を寄せた。

 「では、確かめねばならないな。 ヴィオレッタ嬢が結果石を浄化出来る証拠を持って来い。 もし、ヴィオレッタ嬢が『神の愛し子』だとしたら、お前たちの婚姻は白紙に戻さないといけないぞ。 『神の愛し子』は創造主の花嫁なのだから」

 「はい、必ず。 春休暇に母上の実家に行きますので、その時に確認します」

王は重々しく頷いた。

 「もうそろそろ、魔物の暴走が始まるかも知れないと、創造主から啓示があった。 それにも備えないといけない。 マッティア、急がないといけないが、慎重にな。 確認が取れるまで他言無用だ」
 「御意」

 (魔物の暴走も危ういとのに、もしファラが『神の愛し子』だったら、私は自分がどうなるか分からない。 ファラを無理やり奪ってしまうかもしれない)

 王の執務室を出て行った自身の息子を見送ると、王は深い溜め息を吐いた。 ネロが自滅する未来が視えるようだった。



――学年行事である『音楽会』も終わり、春休暇が始まる。
 時が経つのも早いもので、ヴィーたちが入学して2か月以上が経っていた。 音楽会も滞りなく終わり、数日後には、17日間の春休暇に入る。 休み前の試験はなく、夏休暇前と冬休暇前に、試験は2回だけ行われる。

 ヴィーはいつもの様に、主さまの手伝いをしていた。 本当に毎回、どうしたらこんなに大量の書類があるのか分からない。 学園側に業務改善を訴えたいと、ヴィーは切に思っていた。 今は、やっと休憩出来た所で、2人とも応接セットのソファーで寛いでいる。 主さまは何もしていないけどねと、ヴィーは内心で呟いた。

 「主さま 来週から春休暇に入りますので、私は実家に帰ります」

 ヴィーの声にカップから顔を上げた主さまは、チラリと横目で黒蝶を見ると口元に弧を描いた。

 「そう、ゆっくり休んでって言っても、ゆっくり出来ないよね」
 「はい、結界石の巡業がありますから」
 「巡業とはいえ、ヴィーにしたら、初めての旅行なんじゃない? 楽しみだね」
 「はい、実は楽しみなんです。 美味しい物いっぱいあればいいな」

 ネロと2人だけではないが、ヴィーは生まれてこの方、他の領に行った事がなかった。 弟のヴィオは、父の仕事の手伝いで、何度かついて行くのを見かける度に、ヴィーは羨ましく思っていた。 ヴィーは本当に楽しみにしていた。 巡業とはいえ、自由な時間もあると聞いており、何をしようか、何処へ行こうかと、物思いに耽っていたヴィーに、主さまが意地悪い笑みを浮かべ、宿題を出して来た。

 「ヴィー、宿題だよ。 瘴気を出す結界石もそろそろ浄化しないと危ない。 小さい物でもいいから、この春休暇中に浄化して来てくれないかな。 あっちこっちに行くんでしょ? 王妃の実家の領地にも確かあったよね? 王国に報告がされてるはずだし、頑張ってね。 ヴィーなら出来るって信じてるよ」

 にっこりと微笑んで、主さまはいつもの無茶ぶりをしてきた。 まさに今、口に含んだ絶品のカップケーキの味がなくなり、ごくっと飲み込んだ。 楽しみだった初の旅行、正しくは巡業だが、主さまからの宿題に嫌な予感がするのだった。

 (主さま~! そんなの一発本番で出来ませんよつ!)
 

 女子寮へ戻ると、エントランスには、荷造りした荷物が運び込まれていた。 寮母のマルコが、書類を手に侍従と学生から選出された寮長と、学生たちが自分の荷物の確認をしている。 選択授業によっては、もう春休暇に入れる生徒が、帰省準備をしているのだ。

 マルコがエトンラスに入って来たヴィーに気づくと、人の良い笑顔で『お帰りなさい』と声を掛けてきた。

 「ただいま、マルコさん。 大変そうですね」
 「いえ、これも仕事ですから。 ドナーティ嬢も早めに荷物をまとめて下さいね。 春休暇に入る間際は、もっと混雑しますから」
 「はい、分かりました」
 (マルコさんの笑顔、癒されるわ)

 にっこり微笑むマルコに、少しだけときめいたが、直後、背筋に悪寒が走った。 何故か、黒蝶から怒気が漏れたように見えたのは気のせいだろうかと、ヴィーは首を傾げた。

 部屋に戻ったヴィーは、ネロの怒気を含んだ笑顔に出迎えられていた。 また、転送魔法でヴィーの部屋に不法侵入したらしい。 ノワールが何処からともなく現れ、素早く赤いメイド服に着替えると、紅茶の用意をした。

 「お帰り、ファラ」
 「ネロ様っ!」
 (あれ? 何か怒ってる?)
ヴィーの考えを読んだのか、あっさりとネロは宣った。
 「実はファラについてる黒蝶は私の黒蝶なんだ。 で、私についてる黒蝶がファラのなんだよ。 全然、気づかなかったでしょ? だから、寮母のマルコさんに、可愛らしく頬を染めたファラも視えたんだよ」
そう言うとネロは、黒い煙幕を描き出し、ヴィーの部屋の画像が映し出された。
 「この映像は、私の黒蝶が視ている映像なんだ。 黒蝶を通して見えるようにしているんだよ」
ヴィーの瞳は飛び出さんばかりに飛び出た。

 (い、いつの間にっ! この人、何でも出来るなっ! 私なんてやっと、意思疎通が出来てきたばっかりなのにっ!)

 「ファラ、私以外を見て頬を染めるなんて駄目だ」
口を尖らせて、ネロに抗議の声を上げた。
 「監視するおつもりですか?」

 ネロは眉毛を下げて、物理的に距離を詰めて来た。 悲し気な笑みは、ネロ自身も恥じ入っている様子だった。 ネロの手がヴィーの頬に触れる。 視線を合わせると、ネロの熱い視線とぶつかった。

 「ごめんね、ファラ。 でも、ファラも悪いんだよ。 隠し事が多すぎる。 これ以上の隠し事は許せない。 黒蝶を交換したのは、チョコを貰った時だよ」

 (なるほど、あの時ですかっ! 全然、気づかなかったわ。 もしかして、私、飼い主失格?!)

さぁっと血の気が引く音が聞こえた気がした。
 「大丈夫だよ。 黒蝶たちも納得して、交換してくれたんだ。 ファラの黒蝶からは、ファラを守って欲しいって言われたよ」
 「そうなんですね」

 落ち込んでいるヴィーに、2匹の黒蝶たちが次々と頬にキスを落としていく。 黒蝶たちに刺激されたネロも、ヴィーの頬に顔を近づけてきた。 予期せぬネロの美貌が迫って来て、ヴィーは瞼を硬く閉じた。

 唇に軽く触れた様な感触があったが、ネロの唇はヴィーの唇近くに落とされた。 小さくヴィーの肩が跳ねる。 そっと瞼を開けると、先程のネロの熱い視線とぶつかる。 ヴィーの頬に熱が上がるの分かった。

 (うわっ! ネロ様の色気にやられるっ!)

 ゆでだこみたいに真っ赤になったヴィーに、ネロは満足したのか、意地悪な笑みを浮かべ、本題を切り出した。

 「こちらに来たのは、巡業の話をしたくて来たんだよ。 最近は忙しくて、ちゃんと話せてなかったからね。 さぁ、座って計画をたてよう。 主さまからの宿題もあるでしょ?」
 (ネロ様っ! 切り替え早すぎるでしょ!!)

 ネロの切り替えの早さに、ヴィ―は上がった熱をどうすればいいのか、その場で固まるのだった。 ネロを挑発した2匹の黒蝶は、相変わらず仲良しで、じゃれ合いながら部屋を飛び回っていた。

 

――ヴィーが帰省する日が来た。
 ヴィーは、大勢の侍従と寮母のマルコに見送られていた。 春休暇の日程は、17日間で、最初の3日間は実家で過ごし、王妃の実家の領地で4日間の巡業、小国を4日間で周り、ネロの領地で4日間を過ごす。 最後の2日間はまた実家で過ごすという予定で、中々に忙しい。

 各地の4日間で何処を回るか、ネロと話し合った。 時間があれば観光名所も回ろうと話していた。 各地への移動は、転送魔法があるので、一瞬で移動できる。 そして、領地内は、魔道具で移動するので、馬車のように時間もかからず、お尻も痛くならないらしい。

寮母のマルコが優しい笑顔で別れの挨拶をする。
 「マッティア殿下、ドナーティ嬢。 ご無事の帰還と、滞りなく巡業が行われる事を祈っております。 どうぞ、お気を付けていってらっしゃいませ」
ネロが片手を上げて返事を返す。
 「ああ、そなたらも休暇中はゆっくり休んでくれ。 休暇が終わったら、また会おう。 行くよ、ファラ」
 「はい、ネロ様。 マルコさん、皆さん。 ご丁寧に、お見送りありがとうございます」
 「いえ、寮生の皆さまにしている事ですから」

 ふわりと笑うマルコの笑顔に、ニヤケそうになる頬を抑え、ヴィーは学生寮を後にした。 馬車の中で並んで座ると、腰に手を回してきたネロに、ヴィーの心臓が大きく跳ねて胸が高鳴る。 転送魔法陣がある街までは、数時間で着く。 転送魔法で王都まで移動すると、ヴィーの屋敷までは直ぐだ。

 束の間の馬車の中では、巡業の話で花を咲かせた。 朝早くから、帰省準備をしていたヴィーは、いつの間にかネロの肩に寄りかかり、寝息を立てていた。 ヴィーの無防備な寝顔に、ネロの瞳が愛し気に目を細める。

 (やばいなぁ。 完璧に、はまってしまってるな。 ファラは私の事をどう思っているんだろう。 嫌われてはいないと思うんだけど、ファラはそういう事、言ってくれないしね)

 「ファラが『神の愛し子』でない事を切に願うよ」

 ネロは、ヴィーを抱き寄せ、口づけを落とすと、ヴィーの身体にタオルケットを巻き付け、瞼を閉じた。 馬車の心地よい揺れに、ネロも眠りに誘われ、寄り添いながら眠りについた。
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