満月に魔力が満ちる夜 ~黒薔薇と黒蝶~

伊織愁

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32話 『いざ、巡業へ』

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 王都の外れにあるドナーティ家についたのは、正午を回った時間だった。 玄関前に王家の馬車が止まると、最初にネロが降り立つ。 ネロに手を取られて、ドナーティ家の長女であるヴィーが馬車から降りた。

 「ネロ様、お送り頂きありがとうございます」

 家族の前なので、丁寧な言葉使いのヴィーに寂しさを感じたが、ネロはヴィーの手に口づけを落として馬車に乗り込んだ。 きちんとした言葉使いをしないと、メイド長の雷がヴィーに落ちるのだ。

 「じゃ、三日後に迎えに来るよ。 それまでゆっくり過ごしてね」
 「はい、ネロ様も王宮までお気を付けて」
 「ああ」

 王家の馬車がドナーティ家の門を出たのを見送ると、ヴィーはホッと息を吐いた。 ドナーティ家の当主である父親は、今日は領地で仕事があり居なかった。 出迎えてくれたのは、母と先に戻っていた双子の弟のヴィオ、ドナーティ家に仕えている者たちだ。

 「お帰りなさい、ヴィー。 少し見ないうちに大人っぽくなったわね」
 「ただいま戻りました。 お母様、2か月くらいでは何も変わりませんよ」
 「あらそうかしら? さぁ、あなたの学園生活がどうだったか聞かせて頂戴」
 「はい、お母様」

 やっと終わったかというように、小さく溜め息を吐いたヴィオが挨拶もなく、自身の部屋へ戻っていった。 相変わらず塩対応なヴィオである。 しかし、ヴィオの背中らかは、チビ煙幕が出ており、ヴィーが無事で戻った事にほっとしている様子だった。

 (あら、最近は視えなかったのに。 相変わらず心配性だなぁ、ヴィオは)



 ヴィーが実家でゆっくりしている間、フォルナ―ラは瘴気を出す結界石がある洞窟目指して移動していた。 その洞窟は、森深くにある為、暫くは森を彷徨う事になる。 奇しくも洞窟がある場所は、王妃の実家のアルシツィオ領だった。

 (ふふふ、待ってなさい! 結界石!! 直ぐに浄化してあげるからね!)



――巡業へ出発する朝
 本日も仕事で父親は留守にしている。 家族と侍従たちに見送られ、王家の豪華な馬車に乗り込んだ。 転送魔法陣が設置されている街までは、数時間で着く。 そこで王妃の実家であるアルシツィオ侯爵領に転送される。

 アルシツィオの領主館までは、数刻で着くはずだ。 転送魔法は、何重も転送魔法陣を重ね、対象物を固定して転送させる。 ゲートマスターに御車が行先を告げると、身長ほどある杖を器用に振り回し、転送魔法陣を展開させる。 車窓から見える転送魔法陣がキラキラ光り、ヴィーはうっとりと見惚れていた。

 瞬きの間に、ヴィーたちを乗せた王家の馬車は、ふわんとバネの上に跳ねたような感覚の後、アルシツィオ領の転送魔法陣の台の上に転送されていた。 車窓からは、王都の街並みではなく、広場の様な場所に停車していた。 再び馬車が動き出し、馬車は郊外へと進んで行く。 暫く走ると、丘の上に到着し、豪奢な屋敷がお目見えした。

 (うわぁ、門から建物が見えない?! 同じ侯爵家だけど、家格が全然違うわ)

 『はぁ~』と感嘆の声をあげていると、門が自動で開き、馬車が動き出した。 また、暫く馬車を走らせると、やっと建物が見えて来た。 玄関前には、大勢の使用人がずらりと並んでいる。 ネロに手を引かれて馬車から降りると、使用人たちが丁寧に挨拶をした。

 「「「「「「「「「「いらっしゃいませ、マッティア殿下、ヴィオレッタ妃殿下」」」」」」」」」」

 ヴィーは、あまりもの迫力に後ずさりしかけた。 ネロは慣れている様子で、平然とにこやかに挨拶をする。

 「やぁ、皆、元気だった? お邪魔するよ」
ヴィーも慌てて挨拶をする。
 「お邪魔します」
 (妃殿下って、まだ結婚してないんですけどっ)

 玄関に入ると、少し広い小ホールの様だった。 豪華なインテリアなど、ヴィーの家にもあり、慣れているつもりでいたが、ドナーティ家とは比べ物にはならない。 つい、物珍しそうに周囲を眺めまわしてしまっていた。 ヴィーの耳に重低音の心地いい声が届いた。 声がする方を振り返ると、仕立ての良い衣服を身に着けた紳士が佇んでいた。

 「マッティア殿下、ヴィオレッタ妃殿下、ご機嫌麗しく。 健やかそうでなりよりでございます。 ご無事に到着され、安堵しております」
 「伯父上も元気そうでなりよりだ。 暫く、世話になる」
 「こちらこそ、結界石の設置をして頂けるとお聞きし、領民一同喜んでおります」
 「その話はまた後で。 紹介しよう。 伯父上、こちらは私の婚約者で、私の対の石を授かった者だ。 ファラ、こちらは私の伯父で、母上の兄君にあたる」
ネロの伯父がにこやかに挨拶をする。
 「お初にお目にかかります、ヴィオレッタ妃殿下。 アルシツィオ領の領主をしております、ジュゼッペ・バルドヴィネッティと申します。 アルシツィオ侯爵を拝命しております。 お見知りおきを」
ヴィーは淑女の礼をし、微笑んだ。
 「アルシツィオ侯爵、お初に目にかかります。 ビオネータ侯爵の長女で、ヴィオレッ・ドナーティと申します。 お会い出来て光栄です。 どうぞ、ヴィオレッタと御呼び下さいませ。 まだ、婚姻も結んでおりませんので、妃殿下と呼ばれるのは恐れ多い事でございます」
伯父は、にっこりと柔らかく微笑んだ。
 「では、ヴィオレッタ様と御呼び致します。 しかし、婚姻までの3年間など、あっという間に経ちますよ。 今のうちに慣れると良いです」
ヴィーは、真っ赤になって俯いた。
 「いえ、分を弁えさせて頂きます」

 ヴィーの様子に、ネロと伯父、使用人の面々は微笑ましそうに見ていた。 伯父の先導で、サロンに移動すると、今後の日程の話し合いがなされ、翌朝に結界石がある場所に行く事になった。

 晩餐は、アルシツィオ領に暮らしている貴族たちも集まり、お屋敷のホールで行われた。 ネロは参加した令嬢たちに囲まれ、一歩も歩けない状態になっていた。 政治的背景もあり、無下にも出来ないようで、ネロの顔には、貼り付けたような笑顔が浮かんでいた。

 (ネロ様っ。 目の奥が笑ってないわっ。 あれはもの凄い不機嫌ね。 助けた方いいかしら?)

 しかし、令嬢たちのチビ煙幕は、お互いを牽制し合い、獰猛な獣の様に瞳を光らせていた。 そんな獰猛な令嬢たちを見て、ヴィーは腰が引けていた。 目の奥が笑っていないネロの笑顔と視線が合う度に、ヴィーはそっと視線を逸らしていた。 ネロの笑顔は益々深まるが、後が怖いと肩を震わすヴィーだった。



――アルシツィオ領の結界石は、領都の聖堂の中庭にあった。
 聖堂は、中規模くらいの広さだった。 敷地内に聖堂と孤児院など、聖職者が暮らす建物や音楽堂があった。 音楽堂はステンドガラス張りで、太陽の光を浴びてとても綺麗だった。 舞台上にピアノがあり、すり鉢状に椅子が並べられている。 ネロの伯父と聖堂の司祭に施設内を案内され、ヴィーは感嘆の声を上げた。

 ネロは見慣れているのか、感動しているヴィーを優しい笑顔で見守っていた。

 「すごいっ! 凄い綺麗です。 私、初めて見ました、総ステンドガラス張りなんてっ!」
 「そうでしょ。 少し、魔法も使われてるんだよ。 また、夜に来よう。 どんな魔法が使われているかは、その時まで内緒だよ」

 唇に指を当てて、にっこりと笑ったネロは、色気がダダ洩れていて、ヴィーはタジタジになった。 ヴィーの頬に熱が上がる。 わざとやっているのか、ヴィーは腰を取られ、ネロにピッタリと身体を寄せられている。

 スケジュールが伝えられているのか、昨晩の晩餐に来ていた令嬢たちも、聖堂に来ていた。 ヴィーとネロのイチャイチャバカップルの様子に、令嬢たちはネロに近づけず、遠巻きに見ていた。 令嬢たちから黄色い悲鳴が上がる。 ネロは朝からスキンシップ過多だ。 どうやら昨晩、ヴィーにほっておかれた事がお気に召さず、大分ご立腹のようだ。 にっこりとネロが黒い笑顔をヴィーに向ける。 音楽堂内にネロの伯父の声が響く。

 「殿下、ヴィオレッタ妃殿下。 次は、結界石が設置されている場所に案内致します。 こちらからお進み下さい」
 「ええ、伯父上。 今、行きます。 さぁ、行こうか。 ファラ」

 『ファラ』と呼ぶネロの声が殊更に甘い。 ネロが寄せ合っていた身体を少し離し、ヴィーに蕩けるような表情を見せる。 腰に当てていた手をネロは離す事はなかった。

 (これって、自分たちの間には誰も入れないよってご令嬢たちに見せつけてるのよね? それとも、昨晩、ネロ様を放置したから、もの凄く怒ってるのかしらっ)

 更に今日のお出かけ用のドレスは、胸元が開いたデザインで、鎖骨下に刻まれている黒蝶の紋様が見え、キラリとヴィーとネロの瞳の色の石が光り、とても目立っている。 ヴィーの胸は、エラの様に豊満ではなく、ささやかなものだ。 夜会で着るドレスは、胸元が開いたものを着る事はあるが、普段着では着ない。 着慣れないヴィーは、落ち着かなく、もじもじとしていた。 

 オドオドしたヴィーの背中に、令嬢たちの刃物のような視線が突き刺さり、チビ煙幕がヴィーの周囲に纏わりつく。 令嬢のチビ煙幕だとは思えない程、表情がどこぞの破落戸の様だった。

 (ひぇ~っ。 こわいっ! 怖すぎですってっ!)

 破落戸の様な令嬢のチビ煙幕を引き連れて、中庭にある結界石が設置されている場所まで来た。 綺麗に手入れされた芝生の中央に結界石は鎮座していた。 淡い紫色の結界石からは、黒い煙幕が上がり、瘴気を出す結界石に変貌を遂げようとしていた。 異様な結界石の様子に、ヴィーの足が竦む。 破落戸なような令嬢たちのチビ煙幕も異様な様子を無意識に感じ取ったのか、ヴィーから離れ、霧散した。

 (こんなに酷い状態になってたなんてっ!)

 隣で喉を鳴らして、怯えているヴィーを見たネロも、結界石の不穏な空気を感じ取っていた。 結界石を眉間に皺を寄せて見つめる瞳には、少し焦りが視られた。 直ぐにネロは決然とした表情で結界石を見つめる。

 「間に合って良かった。 始めるよ、ファラ」
 「はい、ネロ様」

 ネロの真剣な様子に、ヴィーも気合を入れ、力強く返事をした。 2人、手を繋ぐと頷き合う。 周囲は固唾を飲んで見守った。 古代語の呪文に魔力を合わせ、詠唱する。

 芝生にヴィーとネロの黒曜石の様な結界石が出来上がって行く。 キラキラと光りながら形成される結界石は、我ながらとても綺麗だと、ヴィーは見惚れていた。 最後に黒蝶が形成され、ヴィーとネロの結界石が出来上がり、アルシツィオ領の魔除けの結界が張り直された。

 役目を終えた淡い紫の結界石から、製作者の王女が黒い煙幕に描き出される。 前の時みたいに微笑むのかと思ったが、ヴィーを心配気に見つめると、口を開き何かを言ったが読み取れなかった。

 「ファラ? どうしたの?」
 「あ、いえ」

 言葉に詰まったが、隠し事は許さないと説教された事を思い出し、ヴィーは今、見た事を話した。 周囲の人たちは、新しい結界石に歓喜を表し、ヴィーとネロが内緒話をしている事に気づいていなかった。

 「そう、何かあるのかな? もしかしたら、魔物の暴走に関係する事とか?」
 「分かりません。 こんな事、初めです。 視えた煙幕を読み取る事が出来なかったなんてっ」
 「あまり深く考えすぎない方がいいかも知れないよ。 主さまの宿題のこともあるし、この領地には結界石が、後2つあるからね。 今日はそちらも回らないといけないから。 その時にまた、何か視えたら教えて欲しい」
 「はい、ネロ様」

 ヴィーは、力強く頷くと、周囲の人達がヴィーを囲み、お礼を述べている。 その様子を見ながら、ネロは優し気に見つめた。

 「クロウ」
ネロが『影』を呼ぶと、何処からともなく、黒装束の男が音もなく現れた。
 「はい、殿下」
 「ここの瘴気を出す結界石の様子と、周囲の魔物の様子を、もう一度調べてくれ。 もしかしたら、漏れた物があるかもしれない」
 「御意」

 クロウは現れた時と同じように、音もなく姿を消した。 新たな結界石の設置は、令嬢たちの虫除けにも役立った。 成人の儀式の時に、国中に中継されたので、見た者は知っていると思うが、何処か神秘的で、現実味が沸かなかったのか、現実として受け止められない者も居た様だ。 実際に2人が結界石を創り出す様子を見た令嬢たちは、2人の間に入る隙間もなく、自身を第二夫人にと言う声は上がらなくなっていた。

 (思った通りだね。 予めスケジュールを漏らしておいて良かった。 これで周りが静かになる)

 他の2つの結界石の設置も上手く行き、ぞろぞろと付いて来た令嬢たちもいなくなっていた。 しかし、前任者の結界石の制作者の煙幕が現れたのは、最初の時だけで、他の2つの結界石の時は、現れなかった。

 アルシツィオ領で残された課題は、主さまから出された宿題だけになった。 明日の3日間で瘴気を出す結界石を浄化しないといけない。 ヴィーは宿題の事を思い出すと胃がキリキリと痛むのだった。



――主さまは、春休暇の間、自身の住処に戻っていた。
 岩を積み上げて作った池のへりに腰掛け、いつもの様に水面を覗き込んでいた。 クスリと笑いを浮かべる。 
 
 「ヴィーと王子は、上手くいったみたいだね。 弟王子の方も順調だね。 さて、あの子はどうしてるかな? ちゃんと洞窟に辿り着いたかな」

 水面に手を翳すと、水面が揺れ、波紋が拡がり、森の中に少女が映し出される。 ヴィーたちが結界石の巡業をしている頃、フォルナ―ラは慣れない森の中をあてもなく彷徨っていた。 『ゲーム』の知識と現実の地理では齟齬があったようで、洞窟に辿り着けないでいた。 森の奥深くで、フォルナ―ラの叫び声がこだまする。

 「うそでしょっ! 森で遭難するなんてっ! 『ゲーム』では森の入り口を入ったらすぐにあったのにっ!!」

 『ゲーム』なので当たり前である。 フォルナ―ラは現実とゲームが区別がつかず、未だに現実を見れていなかった。 本当は、心の底では分かっていも、認められないのかも知れない。

 「おやおや、しょうがない子だねぇ」

 主さまはクスクスと笑いを零す。 『助けてあげて』と声が何処からか、聞こえてきそうだが、主さまはこの手の転生者を一番嫌っている。 昔々に散々な目に遭ったからだ。 主さまは、時として非情な決断を平然とする。 果たして、フォルナ―ラは洞窟に辿り着ける事が出来るのだろうか、出来なくては困ると主さまは小さく息を吐いた。
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