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1話

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 湯煙が昇る街中に降り立った少女は、感動で胸と青色の瞳を輝かせていた。

 肩甲骨辺りまで伸びた金髪を靡かせ、弾む様に歩く。 楽しくて自然と頬が緩む。

 「やっぱり来て良かったっ!」

 目の前に広がる異世界だと思わせる光景に、声が震えた。 少しだけ胸に罪悪感が過ぎるが、考えても仕方ないのでそっと奥にしまう事にした。

 「そう、今日、私は風邪で学校を休んでいるけれど、どうしても我慢できずに来てしまったっ!」

 拳を握りしめ、力一杯空に向かって突き上げる。

 本日はずっとやっていたVRオンラインゲームで、新たなフィールドの開放日だ。

 開放日が平日だった為、初日からの参加は諦めていたが、偶然にも少しだけ風邪を引き、高くはないが熱を出した。

 ならば大人しく寝ていろよと思うだろうが、どうしても我慢が出来なかった。

 周囲の人々は、皆がイノシシの精霊を連れている。 成獣やウリ坊だったり、大きさも違えば、付けられるオプションにより、色々な装飾が付けられる。

 少女は高校二年生で、17歳になったばかりだ。 しかも本日が誕生日だった。

 誕生日なのに、風邪で寝込むなんて最悪って、思ってたけどVRゲームがあって良かったっ!

 少女の名は、猪俣綾。 黒目黒髪の純日本人だ。 今の姿はゲームの中で作ったキャラの姿だ。 校則が厳しくて、髪も染められないし、カラーコンタクトも入れられない。 小さい頃から憧れた金髪に青色の瞳の美少女キャラを作った。

 ゲームは始めたばかりなので、まだまだレベルも低い。 装備も最初に貰える初期装備を身につけている。

 まぁ、仕方ないよね。 でも、新しいフィールドは、レベルとか関係なく、皆が初期に戻るって説明があったもんね。

 青い瞳を輝かせ、再び周囲を見回した。

 よく見ると、イノシシの精霊だけでなく、色々な精霊を連れている人も見かける。 温泉街という観光地なので、他の街から来ている人達もいるのだろう。

 「よし、先ずは守護精霊を迎えに行って、それから温泉に入ろうっ!」

 綾は気づかなかった。 ちゃんと見れば分かったはずだ。 プレイヤーが皆、新たなフィールドへ入るとステイタスが初期化されるなら、開放されたばかりなら、皆が初期装備をつけているはずなのだ。

 しかし、温泉街を歩いている冒険者たちは、様々な防具を付けている。 中にはレアな精霊を連れている者もいた。

 綾は拳を突き上げた後、温泉街へ駆け出して行った。

 ◇

 綾が通う女子校は私立で、規律が厳しく、文武両道を掲げている世間では有名な学校だ。

 「猪俣は風邪で休みか……誕生日なのに最悪だな」

 2時間目も終わり、3時間目の授業の鐘が鳴らされ、保健室にも鐘が響く。

 時計を確認した保険医は、腰を上げた。

 帰りに様子を見に行こうかと思っていたが、今から少しだけ見に行こうかと腰を上げた。

 保険医と生徒という立場上、一生徒を贔屓にする事は憚れる。 咳払いをした後、他意はないと言い聞かせ、学校の門を出た。

 彼は高校の保険医だ。 受け持ち授業もなく、保健室登校の生徒も、本日はまだ登校していない。

 生徒のカウンセラーもしているので、あまり保健室を空けられないが、今日は専門のカウンセラーが来ていた。 少しだけ彼女に任せ、虎谷圭一朗は学校を出た。

 圭一朗が気にかけている生徒、猪俣綾は、以前に友人とのトラブルで保険室登校をしていた。

 学年が上がってクラスが変わると、綾は徐々に元気を取り戻し、クラスへと復帰した。

 学校の近くの駅から電車で30分の距離だ。 綾の自宅近くまで来ると、圭一朗の黒い瞳が見開かれた。 猪俣家であろう家が眩く光を放っていた。

 圭一朗の足が無意識に反応して駆け出す。 ごく普通の一軒家なので、日差しに反射して光る物など壁に取り付けられてはいない。 家自体が光を放っていた。

 「これは……どういう事だっ」

 猪俣家の前を通るご婦人は、ご近所の人だろう。 訝しげにチラチラと圭一朗に視線を送って来る。 インターホンを鳴らしたが、返答がない。

 あぁ、風邪で寝込んでいるなら、身体が辛くて出られないかっ。 母親も仕事に行ってるだろうしな。

 いつまでも光り輝く猪俣家は、ご近所の人たちには見えていない様だ。

 こんなに光っていたら眩しいし、目に煩いだろうに、誰も気づいていないのか、というか見えていないのか。

 溜め息を吐いて門扉に手を掛ける。

 中に入ると玄関の取手を握って扉を引いた。 玄関の扉は何の抵抗もなく、簡単に開いた。

 「鍵が……開いてる?」

 小さい音を鳴らして鍵が開かれる玄関扉を眺める。 嫌な予感が胸に広がり、玄関前の階段を駆け上がった。

 不安だけが胸に広がっていき、周囲が見えなかった。 家の中も光っていたが、圭一朗は全く気づいていなかった。

 以前に、二階の廊下の突き当たりが綾の部屋だと聞いていた。 他の家族が居るかもしれない事など考えずに、綾の部屋の扉を開けた。

 圭一朗の視界に飛び込んで来た光景は信じられないものだった。 ベッドで寝ている綾の身体が光を放っている。

 綾はヘッドマウントディスプレイをつけていて、VRゲームをしているのだろう事が分かった。

 「な、何だこれっ……」

 綾はVRゲームに夢中になっている様子で、周囲の変化に全く気づいていなかった。 圭一朗が部屋へ入って来た事にも気づいていない。

 綾の身体が光に溶けていく様子をただ眺め、無意識に手が伸びた。 頭の片隅で声が聞こえる。

 『このまま何もしなければ、不味い事になる』

 「猪、俣っ……」

 綾の腕を掴んだ瞬間、圭一朗の身体も光を放ち、綾が消えたと同時に、圭一朗も消えた。

 ◇

 新たなフィールドの温泉街へ駆け出して行く前、綾はフィールドへ入る前に選択画面で悩んでいた。

 新たなフィールドは、12の精霊が守る街がある。 プレイヤーは自身を守護してくれる精霊と、契約する精霊を選ぶ。

 契約精霊を大精霊にする為、大陸にある国を周って魔法石を集めて回る。 契約精霊はいずれは実体を持ち、精霊王となる。

 選んだ精霊によっては、相性が悪く反発する様だ。

 「う~ん、ここは慎重に選びたい所だけど……やっぱり守護してもらうのは、自分の干支の方がいいよね。 架空世界の中だし、説明文では干支とはあまり関係ないみたいだけど、精霊の種類が干支なんだよね。 まぁ、いいか」

 綾は守護精霊を馴染みのある自身の干支、イノシシに決めた。 大精霊にする為に契約する精霊は、虎にした。

 「うん? 精霊って人型もあるんだ。 虎の精霊もかっこいいと思ってたんだけど……。 ただ、二つ共が火属性なんだよね。 でもなぁ、寅は虎谷先生の干支だし……。 人型なんだったら、キャラデザが作れたらいいのにっ」

 思いっきり悩んだ末、綾は自身の直感を信じる事にした。

 二つの精霊を選んだ綾は、新たなフィールドに足を踏み入れた。 一瞬、誰かの声が聞こえ、腕を引かれた様な気がした。

 「ん? 今、呼ばれた?」
 
 違和感を覚えたが、綾は気のせいだと思い、目の前で浮かんでいる円盤に飛び乗った。 綾の姿が作ったキャラである青い瞳、肩まで伸ばした金髪の美少女に変わっている。

 頭の中で機械音声のアナンスが流れる。

 『これより、選択された守護精霊が守る街へ転送します。 転送先は炎の国フィアンマ、サングリエです。 神殿へ行き、守護精霊と出会いイベントをクリアして下さい。 フィアンマは三つの火山と二つの鉱山に囲まれ、中心部には温泉街が栄え、主な収入源は観光業です。 転送されるサングリエは温泉の街です。 どうぞ、お楽しみ下さい』

 綾が飛び乗った円盤は少し変な揺れ方をしたが、無事にサングリエへ転送した。

 温泉街であるサングリエは、日本の温泉街というよりも、古代ローマの街並みに似ていた。

 綾は守護精霊を迎えに行く為、神殿へ向かった。 神殿はサングリエの街の外れにある。 綾が選んだ精霊はイノシシの姿をしているが、ゲームの中ではサングリエと言われている。

 「ふむ、サングリエの姿をした精霊が守る街だから、名前がサングリエなのね」

 開放されたばっかりだから、神殿の中、混んでるかな? 楽しみだなっ! イノシシは可愛いし、ウリ坊だと、なお可愛いいっ! 行列が出来てなかったらいいけど。

 しかし、先に守護精霊との出会いイベントを熟さないと、先へ進めない。 守護精霊を取得した後、契約精霊のクエストがある。

 「神殿の後は、冒険者ギルドね」

 街外れにある神殿に近づくと、数人の年齢が様々な人が参拝していた。 観光地なので、他の12の精霊たちを連れた人達もいる。

 辿り着いた神殿は、古代ローマにあったかもしれないような神殿だった。 見上げた綾の口から感心する様な声が漏れた。

 可愛い精霊たちを眺めながら、綾は神殿の中へ入って行った。

 神殿の中へ入った綾は、思っていたよりも人が少なくて驚いていた。 まだ、守護精霊を迷っている状態なのか、綾が思っているよりも、イノシシが人気がないのか。

 「う~ん、自分の干支が人気ないとか、ちょっと残念っ。 でも、干支じゃなくても、温泉とか入りたいとか思わなかったのかな?」

 独り言を呟いて入り口で立っていたので、後ろから人に押された。

 「お嬢ちゃん、入り口で立っていられたら邪魔だよ。 ボケっとしてんな」

 ガラついた声が頭上から降りて来て、振り返った綾は、青い瞳を見開いた。
 
 声からしておじさんだとは分かっていたが、言葉が日本語ではなかった。 言葉が分からず、口を半開きにしている綾を見つめて来た。 焦茶の天然パーマ、金の瞳を鋭く尖らせた厳ついおじさんは、訝しげに眉を顰めている。

 雰囲気でおじさんが言っている事が分かり、慌てて謝罪しようとしだか、言葉が分からないのに、日本語が通じるのか。

 と、取り敢えず、思いっきり頭を下げよう。 お辞儀で通じるでしょうっ!

 綾は深く頭を下げて、慌てて身体を引いた。 綾の謝罪の気持ちが通じたのか、おじさんは一言だけ何か言って離れて行った。 ホッと胸を撫で下ろす。

 ちょっとだけイケオジっ、おじさん、冒険者なのかな? 何で言葉が分からないんだろう? 神殿に来るまで全く気づかなかった私もアレだけど。 大分、浮かれてる?

 ちょっとだけ恥ずかしくなり、顔が熱くなって頬を赤く染める。 離れて行くおじさんの背中を見つめ、肩の上に乗っている猿の守護精霊を確認した。 精霊は成獣の姿で、高位だと思われる装飾を沢山付けていた。

 「……うん、プレイヤーじゃないよね? だってプレイヤーだったら、高位精霊なんてまだ連れてないはず。 このフィールドは皆が初期装備から始まるんだから、開放されたばっかりだから高位精霊なんていないはずなんだけど…….。 NPCだよね?」

 綾は、おじさんはNPCだと自身を納得させ、神殿の奥へ入って行った。

 猿の守護精霊は、森の国シルウァにあるサンジュという街を守っている。 サンジュで生まれた人達が猿の守護を取得出来る。

 「という事は、あのおじさんはシルウァ出身なんだ。 確か、大陸の西の方にある国だよね。 フィアンマは南だから、そんなに遠くはないのか。 まぁ、大陸って言っても、今は四つの国しかないけど。 今後は増えるのかなぁ」

 綾の足は自然と前へ進んでいた。 石で建てられた建物の通路から、突然、自然が生い茂る森の中へ入って行く。 一気に冷たい空気が霧散して、緑の匂いが鼻をついた。 家族でキャンプへ行った事を思い出した。 周囲の森を確認しながら道なりに進み、暫くして開けた場所に出た。

 開けた場所の丁度真ん中に、岩を積んで出来た丸い池があった。 水面に顔を映して青い瞳を瞬かせる。 何時もの黒髪黒目で、地味な顔立ちの綾ではない。

 顔立ちがハッキリした美少女の顔が映し出されていた。 金髪がサラリと肩を滑り落ち、小さく揺れている。 じっと見つめていると、池の水中なのか底なのか、魔法陣が描かれていた。 水面と魔法陣が眩しいほど煌めいていた。

 綾からうっとりとした大きな息が吐き出された。

 「綺麗っ……」
 
 澄んだ池の水を眺め、綾の口から素直に感情が溢れ、言葉が水面に溢れ落ちる。

 水面の中にある魔法陣が光を放ち、波紋が広がっていく。 守護精霊の出会いイベントが始まった。

 綾が何かを言葉にする前に、光が魔法陣の中央に集約していく。 光が細長くなり、縦に割れて消滅した。

 綾は光が眩し過ぎて、瞼をキツく閉じていた。 目の前から動物の鳴き声が聞こえ、綾はキツく閉じていた瞼を開けた。

 目の前に居たのは、掌サイズのウリ坊だった。 小さいのに、鼻息荒く息を吐き出す様子は、とても可愛らしい。

 「可愛いいっ!」

 綾がそっと両手を開いて差し出すと、守護精霊のサングリエことウリ坊は、綾の手に乗って来た。 感動して涙目で打ち震える。

 「可愛すぎるっ! 名前、どうしようっ! もう少し待ってね。 良いのを考えるから」
 「ナマエ? ナマエならもうあるじゃない」
 「えっ!」

 生まれたばかりのウリ坊なのに、もう流暢に言葉を話している。

 「マスター、はじめまして。 ボクはサングリエの民をまもる守護精霊、サングリエだ。 まだ格は低いけど、頑張って強くなるね。 今日からはマスターの守護精霊で、ナマエは『綺麗』だよ」
 「えっ?! 名前が綺麗っ?! なんでっ?!」
 「それはね。 マスターが池をのぞいた時、一番はじめに言った言葉が、ボクたちのナマエになるからだよ」
 「えぇぇっ! そんな事、何も説明に書いてなかったよっ! 何でそんな重要なとこ見逃すかなっ」

 悔しそうに顔を歪める綾を見て、自身の名前が綺麗だと宣うウリ坊は首を傾げた。

 物凄く、可愛いっ!

 「せつめい? マスターは親から何も聞いていないの?」

 ウリ坊の鼻が小さく鳴らされる。

 『可愛いっ』、とニヤケそうになる顔を引き締め、綾は脳みそをフル回転させた。 

 親と言ってもゲームの世界なので、勿論、いる訳がない。 頬を掻くと、綾は左手の人差し指を上げた。

 「えと、居ないかな。 この世界には、だけど」
 「この世界?」
 「うん、そうよ。 この世界は作られたの世界だしね。 そんな事を言っても分からないわよね。 まぁ、それは置いておいて、名前って後で変えられるよね?」
 「ううん、むりだよ。 だから、皆、ボクたちを迎えに来てくれる時に、もうナマエを決めているよ。 たまにマスターみたいな人がいるけど」
 「……貴方、他の人が守護精霊を迎えに来る所をずっと見ていたの?」
 「うん、そうだよ。 見えないと思うけれど、ここにはサングリエの守護精霊たちが沢山いるんだ。 迎えに来てくれる人との魔力の相性で、誰が守護精霊になるか決まるんだよ」
 「そうなんだ…….知らなんだ」
 「ボクのナマエ、変なの?」
 「あ、」

 ウリ坊のつぶらな黒い瞳に涙が溜まり、悲しそうな色を滲ませる。

 「ううん、変じゃない、とても綺麗よ」
 
 綾の言葉を受け、綺麗は『へへっ!』、と得意気に胸を張った様に見える仕草をした。

 「ボクも気に入ったよ」
 「そう、気に入ってもらえて良かった。 じゃ、取り敢えずここを出ましょう」
 「うんっ!」

 綺麗が掌から右腕をトコトコと駆け上がり、右肩に乗って落ち着いた。 綾は元来た道を戻って森の道に入って行った。

 ◇

 綾と一緒に光に包まれた虎谷圭一朗は、何もない白い空間で目を覚ました。

 「……ここは何処だ? 何でこんな何もない所で寝ていたんだっ」
 『やあ、起きたようだね』
 「……っ」

 サッと起き上がった圭一朗は、何もない白い空間をキョロキョロと見回す。

 しかし、圭一朗の視界には何処までも続く白い空間だけだった。

 『そんなに警戒しなくても、何もしないよ。 危害を加える気もないし、君を殺める気もない』

 再び嗄れた声が頭上に落ちて来る。

 「ここ何処だ? 俺は一体どうなったんだ? 猪俣は無事なのかっ?」

 『落ち着いて、ちゃんと説明をするからね。 君がいる場所は、現生とあの世の中間くらいの場所だね。 この場所で魂の意見を聞いたりするんだけど』

 嗄れた声は、重そうな話を軽い調子で宣っている。 堪らず圭一朗は口を挟んだ。

 「待ってくれ、いや、下さいっ」

 魂がどうのって言っているって事は、この声の主は神様なのかっ?!

 『ん? なんだい?』

 「魂という事は……私は死んだんですかっ?!」
 
 圭一朗の疑問に、嗄れた声の主は暫し考えているのか、答えに窮していた。

 『うん、そうだね。 君の転生先を考えれば、そういう事になるね』

 転生っ!! って、それって輪廻とかの概念かっ。 本当にあるんだな。 俺が死んだのは確実だなっ。

 「あ、あの、俺の前に17歳くらいの女の子が来ませんでしたか?」

 『ああ、君を巻き込んだ子だね。 実は彼女は、異世界の歪みに落ちちゃってね』

 「い、異世界の歪みっ?」
 
 『うん、たまにあるんだよ。 ごく稀に歪みが出来てしまって、異世界同士が繋がってしまう事がね。 で、君の言っている彼女が出来た歪みに落ちて、君は彼女を助けようとして、巻き込まれて一緒に落ちたんだ。 落ちた時に、転移の衝撃に耐えられなくなって君の身体は消滅したんだけど』

 話の内容に圭一朗はポカンと口を開けた。 とても信じられない話だが、綾が光に包まれて消える所を見た圭一朗は、信じるしかないだろうと、項垂れた。

 「で、猪俣はどうなったんですか?」

 『うん、彼女も身体が消滅したんだけど、彼女は異世界に落ちてしまったから、身体を与えたよ。 ただね、話が出来なくて、彼女は死んで転生した事に気づいていないんだ。 落ちる前にやっていたVRゲームだと思って、異世界を楽しんでいるね』
 
 「……えと、待って下さい。 あいつが気づいていないという事は……」

 『うん、落ちた異世界は、彼女がやっていたVRゲームの世界に酷似している。 だから、彼女は気づけていないんだ』

 「……そうですかっ」

 『でも、そろそろ気づくと思うんだ。 当然だけど、ログアウトは出来ないし、ゲームと違って死ぬしね』

 ハッとして圭一朗は顔を上げた。 焦茶色の瞳に不安の色が滲む。

 猪俣がゲームだと思っているのなら、死んだとしてもやり直せると思って、多少、無理な事に挑戦するんじゃっ。

 圭一朗の脳裏で、綾が無謀な冒険をして死ぬ事が予想された。 綾を放置したままだと、確実に死ぬ未来しか見えない。

 眉尻を下げた圭一朗は、嗄れた声が聞こえる方角を見上げた。

 圭一朗の気持ちを察したのか、優しい嗄れた声が落ちて来た。

 『不思議なものでね、君と彼女の運命が繋がっていて、君の転生先も彼女が落ちた異世界だ』

 「えっ……」

 『君たち繋がっているから、確実に会えるよ。 だから、彼女に伝えて欲しい。 歪みに落ちた事、死んだ事、そして現実なんだという事を。 君たちが早めに出会える様にしておくよ』

 嗄れた声の主は、圭一朗の返事も聞かずに転生させようとしている様だ。

 白い世界が急激に遠くなり、暗闇が下から迫って来る。 綾を助ける事に異論はないが、重い話を物凄く軽い調子で言われた。

 『じゃ、頼んだよ』

 子供にお使いを頼む調子で嗄れた声が落ちて来る。 圭一朗は手を伸ばし、『せめて、転生先を教えろっ! 後、猪俣はどんな姿をしてるんだっ』と、内心で叫んでいた。

 圭一朗は下へ下へと落ちていき、意識を手放した。

 ◇

 守護精霊との出会いイベントを終え、神殿を出ようと、綾は入り口へ向かった。

 入り口では先程、注意された猿の精霊を連れた厳ついおじさんが立っていた。

 さっきのおじさんっ! まだ、何か用があるのっ!

 おじさんは、じっと綾に物言いたげな様子で見つめ来る。 形の良い眉を歪め、青い瞳を細める。

 「マスター、あの人、マスターに用があるみたい」
 「……うんっ」

 じんわりと綾の背中に汗が流れる。

 綾が話しかける前に、おじさんの方から話しかけて来た。

 「よう、無事に守護精霊と出会えた様だな」
 「は、はい」
 
 何で分かったんだろう? ん? 私、今おじさんが言った事が分かったっ! やっぱりこの人、NPCなんだ。 もしかして、何かのクエストが始まるっ?!

 綾の青い瞳をが期待で煌めき、好奇心が湧いて来る。

 「そうか、もしかしてこの後、冒険者登録をするのか?」
 「はい、そのつもりです」

 おおっ! 私も喋れてるっ?! 良かった、何かのバグだったのかもっ!

 綾は小さく頷いた。

 「俺はサングリエの冒険者ギルドでギルドマスターをしている。 シユウだ。 訳あって家名は捨てた。 ただのシユウだ」
 「あ、はい。 よろしくお願いします。 私はっ」

 『猪俣綾』と言いかけ、ゲーム内で本名を名乗るのは危険だ。 キャラクターの名前を何にしたのか、確認しようと、ステータス画面を出す事にした。

 心の中でステータスを呼び出したが、ステータス画面は出てこなかった。

 あれ? また、バグかな? 運営に報告しないとだね。 ログアウトしたら、メールしよう。 で、名前……。

 名前は何だったかと、考えた瞬間、綾の脳裏に知らない家族の顔が浮かんできた。

 言われなくとも分かる。 両親と兄だ。

 脳裏に浮かんだキャラの名前は、ソルティだった。 父がソルト、母がシオ、兄がソール。 家名はサルトゥだった。

 塩じゃんっ!!

 何で塩なのっ!! 家族の名前の意味が全員、塩だしっ!

 「どうした、まさか自分の名前が分からねぇなんて事はないだろう」
 「あ、はい。 ソルティ……サルトゥです」

 何でこんな名前にしたかなっ? 私っ!! もっと可愛いのにすれば良かった。 ってか、家族いるんじゃんっ! でも、そんな設定なかった様な気がするんだけどっ。

 「ああ、サルトゥ家か。 嬢ちゃん、ソルトのとこの子か」
 「……ええっと、父をご存知で?」

 私にしたら全く知らない人なんだけどっ。

 「勿論だ。 嬢ちゃんとこの土産物屋は老舗だからな。 さ、行こうか」
 「はい」
 
 土産物屋……っ。 流石、NPCっ! 何でもお見通しなのね。 それにしても面倒見がいい人だ。

 「すみせん、ギルドマスターに案内させるなんてっ」

 綺麗は人見知りなのか、さっきまでお喋りしていたのに、全く話さなくなった。

 肩に乗ったまま、じっとシユウを見つめている。 何も話さない綺麗の事は、シユウも特段、気にしていない様だった。

 「いいって事よ。 新人は無理しがちだから、危なっかしいんだ。 最初にちゃんと見てやらんと、直ぐに死ぬからな」
 「そ、そうなんですねっ」

 まぁ、死んでも街に戻るだけだから、別にいいんだけど。 回数制限あったかな?

 前を歩くゴツい背中を眺め、綾は思案する。 温泉街の通りでは、明らかに初心者でない冒険者が歩いている。 勿論、新人もいるのだが、何処か違和感を感じる。

 シユウの案内で受付へ行き、無事に冒険者登録を済ませた。 ランクは一番下であるランクから始める。

 冒険者のランクは、実力によって幾つかのランクで分けられている。

 受付のお姉さんの話を素直に聞いた。

 ゲームやラノベを読み漁っている綾には、今更な説明だが、違う部分があってはならないので、綾は真面目に聞いていた。

 説明が終わった後、契約精霊の事を訊ねた。 すると受付のお姉さんはキョトンとした後、信じられない事を宣った。

 「契約精霊ですか? 聞いた事がありませんね。 皆、守護精霊を持っていますし、もう一体の精霊と契約しようとは思いませんから」
 「そうですか……」

 う~ん、クエスト発生に条件があるのかも? やっぱり寅の街に行った方が早いっ? 早く契約して精霊に会いたいんだけどな。

 「マスター?」
 
 守護精霊である綺麗がウリ坊の姿で不安そうに鼻を鳴らす。 綺麗の頭を優しく撫でると、綾の手に鼻を擦り寄せて来る。

 「綺麗、取り敢えず街へ繰り出そうっ! そして、私の実家を見てみないとっ」
 「うん、ボクもマスターの家族と会いたいっ!」

 綾は受付から離れ、ギルドを出て温泉街へと繰り出した。

 ◇ 

 神様なのか分からない存在に、転生させられた圭一朗は、森の中で目を覚ました。

 濃い緑の匂いが辺りに充満し、視界に入って来た深い森を見て、自身がいる場所が街中ではない事が分かった。 自身の身体が無事なのか確認して、周囲に同じ様に透き通った物体というか、様々な虎の姿を視界に捉え、圭一朗の頬が引き攣った。

 「……嘘だろっ……何だよ、これっ! 身体がないじゃないかっ! 転生したんじゃないのかっ?!」

 森の中心で叫んだ圭一朗の頭上に、一枚の羊皮紙がヒラリと揺れながら舞い降りて来る。 虹色の瞳を細め、圭一朗は落ちて来る羊皮紙をキャッチした。

 白紙だった羊皮紙を掴んだ瞬間、文字が浮かび上がる。 内容を読んだ圭一朗は、ガクッと膝から崩れ折れた。

 圭一朗の周囲に仲間が落ち込んでいると気づいた様々な虎の姿をした精霊たちが集まって来る。

 羊皮紙を送って来たのは、先程の嗄れた声の主だった。

 『やぁ、無事に異世界に着いたみたいだね。 私は先程、君と話をした者だよ。 一応、色々な世界を生み出している創造主だ。 皆、主さまと呼ぶから、君も私の事を主さまと呼んでくれたまえ』

 羊皮紙を破りたくなったが、何とか耐えた。 何とも軽い調子の手紙だ。

 『そろそろ我慢の限界だろうから、話を進めるよ。 君が転生したのは、虎の姿を形取っている精霊だ。 君は珍しい種類で人型をしている。 顔立ちは前世の時と同じ顔だよ』

 「まじかっ! 人じゃないのかっ! どうやって猪俣を見つけるんだよっ」

 『君と繋がっている彼女だけど、彼女は隣の街、温泉街にある土産物屋の娘として生まれ変わっているよ。 というか、その娘も歪みに落ちて彼女と同化させたんだけどね。 彼女は虎の精霊を探してチィーガルの街に来るはずだ。 今、君が居る場所がチィーガルの山だよ。 三つの火山がある麓だね。 彼女が始めたゲームは、守護精霊を育てて、契約精霊を連れて旅をするゲームだ。 で、色々な魔法石を契約精霊に与えて精霊王にするんだ。 魔法石を集める為に世界各地を回らなければならないんだ。 ゲームでは予め守護精霊と契約精霊をどれにするか決められる。 彼女が選んだのは、自身の干支と虎の精霊だ』

 「……成程、猪俣に今の状況を知らせるには、俺が契約精霊に選ばられる必要があるのかっ」

 『色々と大変かも知れないけど、頑張ってね。 精霊王になると、実体を持てるし、人と結ばれる事も出来る。 色々なしがらみも無いから、君の悶々とした物が解消出来ると思うよ』

 「な、何の事だっ」

 圭一朗は分かりやすく狼狽えた。 羊皮紙に浮かぶ主さまの文字が何もかもを察している様で、内心かなり焦っている。

 しかし、主さまの文字はまだまだ、続く。

 『そうだ、君の持ち物で想いが強かった物があったから届けるよ。 私が持っていても意味がないからね。 では、健闘を祈っているよ』
 
 圭一朗が読み終えると、羊皮紙は軽い音を鳴らして消えた後、見た事がある物が現れ、圭一朗は虹色の瞳を見開いた。

 圭一朗の手に落ちて来たのは、綾に用意していた誕生日プレゼントだ。

 まじかっ~~っ!!

 「物凄く恥ずかしいんだがっ」

 身体が無いにも関わらず、プレゼントを握る事が出来ている。 しかも、服のポケットに入った。

 圭一朗が今着ている服は、立派な物ではないが、布を巻き付けた様な服装だ。

 項垂れていた圭一朗は、深い溜め息を吐き出した後、立ち上がった。 空を見上げ、きっと同じ空の下にいるであろう綾に想いを馳せる。

 猪俣が来ると言うのなら待つか? 入れ違いになったらややこしい事になるしな。

 しかし、ただ待っているだけでは大人としては憚れる上に、年上として駄目だろう。 圭一朗は自身に何が出来るか考える事にした。
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