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2話

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 ルブラルンの王城は幾つかの建物に分かれている。 政務が行われる建物、大聖堂、騎士団の武道場、奥には王族の住まう居住区がある。 居住区は国王両陛下と子供達が住まう宮、側室と異母兄弟達が住まう離宮。 そして、王太子、王太子妃の住まう宮がある。

 エディが近い未来に住むであろう離れでもある。 定期的にあるリュシアンとのお茶会は、国王両陛下が住まう宮、中庭に建てられたガゼボで行われる。 ガゼボは王宮とあって、柱や柵に精緻な彫り物の装飾がされ、とても豪奢な造りとなっている。

 いつものお茶会の一幕の事。

 「お願いします、殿下。 婚約を解消して下さい。 破棄でも構いませんっ、勿論、私の責で」
 「理由は?」

 エディの何度目かの婚約解消の願いに、にっこりと微笑むリュシアンは、静かに怒りを宿している様に見え、エディは身体を小さく震わせた。

 中々、理由を言わないエディを向かいで座っているリュシアンが真っ直ぐに見つめて来る。 静かにソーサーへ紅茶カップを置く仕草さえ、怒りを滲ませている様に感じられた。

 (言えないわっ! 貴方はもう直ぐ他に好きな人が出来て、真実の愛に目覚めて私を捨てる運命だと、そして私を捨てるのだと。 だから、その前に婚約解消して下さいなんてっ! ましてや、この世界は前世で読んでいた小説の話です。 なんて言える訳ないっ。 まだ、悪役令嬢がどんな末路を辿るのか、思い出せていないしっ……)

 一つ息を吐いたリュシアンが提案をして来た。

 「では、こうしよう。 私が君の事を嫌いになったら、考えてあげるよ。 婚約解消したいなら、私に嫌われて見せてよ。 期限は学園を卒業するまでだ」
 「えっ……殿下に嫌われる?」
 「うん、そうだよ。 婚約解消するには、それなりの理由がいるからね。 私が婚約解消したいくらいエディを嫌いになったら、考えてあげるよ」

 (……卒業するまでか……。 卒業パーティーで引導を渡されるのか。 まぁ、悪役令嬢の定番だね。 それまでに穏便に済ませられないかなっ。 私が死なない道を探そう)

 「承知致しました。 私、立派に殿下に嫌われてみせます」
 「うん、頑張って」

 エディは意気揚々と、ハープアップした薄い金髪の長い髪を揺らして宣言した。 何故か生き生きとしたエディの表情を見てリュシアンは小さく笑った。 双眸を細め、深い緑の瞳に愛しさを滲ませる。

 かくしてエディは、リュシアンから嫌われる為、嫌がらせをした事もない、考えた事もない嫌がらせをする為に奮闘するのだった。 裏にリュシアンの思惑があるとも知らずに。

 ガゼボの入り口付近で話を聞いていたサージェントの二人、ロジェとアンリが呆れた様な表情でお互いの主を見つめていた事には、エディだけが気づいていなかった。

 ◇

 舞踏会の翌日、宣言した通り、エディは光の妖精を探しに大聖堂へやって来た。 大聖堂は国民が自由に参拝出来て、密かに恋人たちの逢瀬にも使われている場所でもある。
 
 門を抜け、細かく彫刻された木製の扉を開け、正面の廊下を真っ直ぐに進むと祈りの間がある。
 
 祈りの間は大聖堂の中央にあり、精緻な装飾をされた壁や柱で囲まれている。 天井全体にガラスが張られ、所々にステンドガラスが嵌められていて、とても綺麗に太陽の光を反射させていた。

 エディは眩しいそうに瞳を細めて天井を見上げる。

 「いつ見ても綺麗っ! 天井が全面ガラス張りだと、建物の中なのに外に祈りの場があるみたいに感じるわね」
 「ええ、そうですね。 祈りの間は教会の建物に囲まれてますから、中庭に祈りの間があるみたいですね。 全く閉塞感が感じられません」
 「ええ、創造主様の像もすごい美形だものね」

 中央に赤絨毯が敷かれ、両サイドに長いベンチが並べられた道に足を一歩、踏み入れた。 エディとロジェは真っ直ぐに奥の祭壇へ進み、中央にある創造主の像を見上げる。

 「この像は美化されていなくて、創造主様にそっくりだそうですよ。 学園を卒業したら、お二人はここで結婚式を挙げるんでしょうね。 今から楽しみです」
 「……コーン。 残念だけど、その日は一生、来ないからっ」
 「コーンじゃありませんってっ! もうっ、ちゃんとロジェと呼んで下さいっ」

 コンコンと口を尖らせて物申してくるロジェは、エディを上目遣いで見つめて来る。 怒りで狐耳と尻尾が小さく震えている。 エディの母性に火が付き、ロジェを強く抱きしめた。

 「可愛い奴めっ!」
 「ちょっ、ちょっと、子ども扱いは止めて下さいっ! これでも僕はお嬢様よりも年上ですよっ!」
 「そうなのよね。 見た目は小6の少年なのにね」
 「『しょうろく』って何です? そんな事よりも、本当に王太子に嫌われるおつもりですか?」
 「本気よ。 だから、ロジェも主の言う事を聞いてよね」
 「……それはちょっと、聞きかねますね」
 「どうしてよ~。 手伝ってよ。 私、殿下に嫌われるって何したらいいか分からないもん」
 「『もん』じゃないですっ! 何、可愛い子ぶって、凄い事を言ってるんですか!」

 ロジェの言いように、ムッと口を尖らせたエディが更に言い募る。 しかし、エディのお願いを言う前に、背後から咳払いが鳴らされた。 ハッとしたエディは恐る恐る背後を振り返る。

 大聖堂の少し奥へ行けば、王太子の宮がある。 もしかしたら、リュシアンが居るのかと思ったが、背後に居たのはリュシアンではなかった。

 「美しいご令嬢。 もし、祈りを終えたのであれば、場所を譲って頂けないだろうか?」
 
 エディと同じくらいの青年が優雅に微笑んでいた。 サージェントを連れている事から、貴族の子息だと思われる。 好青年の爽やかな笑みにポッと頬を染めたエディは、慌てて場所を譲った。

 隣で頬を染めるエディに呆れた様な眼差しを向けて来るロジェの事は無視する。 爽やかな好青年に『顔福』と内心で呟く。

 「す、すみませんっ、今、退きますっ」

 祭壇の前から離れると、好青年は丁寧にハットを脱ぎ、綺麗にお辞儀を返して来た。 青年が頭を下げた時、先程の爽やかな笑みとは違い、紳士らしからぬ笑みを口元で広げた事に、エディとロジェは気づかなかった。

 直ぐに祭壇から離れ、祈りの間の壁を見て回る。 祈りの間は、150畳以上の広さがある。 大体、剣道コート二面が取れる広さだ。 柔剣道場よりも一回り広いと思ってほしい。

 「本当にいるんですか? 光の妖精?」
 「分からないけど、祈りの間での目撃情報が多いからね。 やっぱり、創造主様の像付近かしら」

 祈りの間の壁際を歩き、もう直ぐ一周するだろう所で、ロジェは何故か難しい顔をしていた。

 「どうしたの? もしかしなくても、もう飽きた? 妖精が必要ないロジェには退屈かもしれないけど、もう少しだけ付き合ってよ」
 「いいえ、そうではなくてですね。 今更ですが、先程の紳士に話を聞かれたのではないかと思いまして……」
 「あっ! 本当だわっ! いつから後ろに居たのか分からなかったものね」

 周囲を見回すと、先程の青年は大聖堂にまだいた。 エディの様に壁際を歩き、彼自身も何かを探している様だった。 彼が追いついてくる前に、エディは大聖堂を出る事にした。

 「今日は諦めて帰りましょう、お嬢様っ。 何も言って来ないかも知れませんが、彼の連れているサージェントが苦手ですっ」
 「えぇっ?!」

 エディも青年が連れているサージェントを伺い見た。 150センチほどの眼鏡をかけた粘着質そうな雰囲気で、瞳の瞳孔が獣目だった。 身体的特徴に獣人であるものがないので、鳥類系だと思われた。 じっくりとサージェントを観察すると、彼の耳飾りが目に留まった。

 エディの思った通り、サージェントの耳に翼のピアスがつけられていた。

 「あっ、あの子は鷲のサージェントね。 鷲の翼を現すピアスをしているわ」
 「わ、鷲っ! 直ぐ、帰りましょうっ!」
 「あぁ、鷲は狐の天敵だったわね。 そうね、今日は帰りましょうか」
 「一番は狼ですけどねっ」
 「へ~、そしたら、殿下のサージェントは?」
 「アンリ様ですか? アンリ様も白虎で肉食獣ですけど、何故かあまり怖いとか思いませんね。 僕にはいつも優しいですし、あんな風にねっちこい視線は送られませんしね」

 ロジェは視線だけで鷲のサージェントに視線をやった。 ロジェの精神安定上、避難した方がよさそうだ。 光の妖精も出て来なさそうな雰囲気で、今日は諦めるしかないだろう。

 「光の妖精も今日は出て来そうにないわね。 それに、お祈りに来る人が今日は多いし」
 「ええ、そうですね。 光の妖精は人見知りだと聞きますし」

 皆、会話は少なめだが、次々と祈りの為、多くの人が祭壇へ向かって歩いている。 並べられているベンチにもお祈りを捧げている人が多くいた。

 エディとロジェが教会を後にする後ろ姿を青年はじっと見つめていた。 青年の視線に気づかず、二人は教会を出て行った。

 「あの令嬢が、リュシアンが執着している婚約者か」
 「殿下に嫌われるとか、何とか言っていましたね」
 「ふんっ、何やら面白い事をしている様だ。 噂では彼女は虹色の魔力を保持しているらしいな。 彼女を手に入れれば、俺にも王位の座が回って来るかもな」
 「そんなに上手く行くでしょうか? それに、王家の親族だというのに、全くガッド様に気づきませんでしたよ」
 「まぁ、お互いに紹介もされていないし、舞踏会でも挨拶をしていないしな。 彼女は王族に関心がない様だから、知らないのも仕方ない。 俺が王位を狙っている事に気づいているのか、リュシアンには警戒されているしな。 ヨアン、我々も帰るぞ」
 「はい、ガッド様」

 ガッドとヨアンが教会から出ていくと、創造主の像の後ろで隠れていた光の妖精が顔を出した。 まるで、ガッドが出ていってホッとした様な表情を浮かべていた。

 ◇

 エディが王宮の門を出た頃、王太子の宮にある執務室で、リュシアンは任されている領地の報告書類を眺めていた。 執務室の扉、廊下へ続く方の扉が数回、ノックされた。

 「王太子殿下、報告と殿下宛ての荷物を届けに参りました」
 「入れ」
 
 扉を開けて入って来た王宮の下級文官が荷物をアンリに渡し、リュシアンに報告をする。

 「只今、ドゥクレ侯爵令嬢様が王宮を出ました。 大聖堂に訪れていた様です」
 「そう、大聖堂へ来ていたのに、私には会いに来なかったのか……私に嫌われる作戦なのかな」
 「多分、普通にここへ寄る事を思いつかなかっただけだと思いますよ」
 
 アンリはさり気無くリュシアンの胸を抉る事をいう。 己のサージェントを恨めし気な眼差しで見つめても、アンリはどこ吹く風だ。

 「アンリは私には冷たいよね」
 「そんな事はありませんよ」

 アンリが届けられた荷物を机へ置くと、リュシアンは小さな木箱を手にした。 下級文官に労を労って下がらせる。 窓を背にしている事務机は、午後の優しい日差しを受けて暖かい。

 三つの窓以外は本棚に囲まれている執務室は、午後の日差しで明るいというのに、届けられた木箱は禍々しいオーラを纏っていた。 リュシアンの執務室には、業務を手伝っている文官もいる。

 「殿下、その木箱は開けない方がいいですっ、嫌な予感がしますっ」
 「嫌な魔力が漂っていますよっ!」
 「だろうね」
 「殿下っ……」

 二人の文官が危険だと止める中、アンリも心配気な眼差しで見つめて来たが、リュシアンは木箱を躊躇いもせずに開けた。 中から暗い表情の闇の妖精が出て来たのを見て、リュシアンの口元に笑みが広がった。
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