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4話

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 王族専用食堂への招待を断ったヴァレリオは、広い学園寮のカフェテリアを眺め、小さく感嘆の声を上げた。 新入生は色々な説明や手続きがある為、入学式の一週間前に入寮していた。

 周囲を見回しながら、ヴァレリオはカフェテリアの様子を眺めた。 三か所にカウンターがあり、出しているメニューの看板が出されていた。 小さな子爵領では食べられないメニューもあり、お値段はまぁまぁな値段だった。

 豊富なメニューを全てを確認し、ヴァレリオは海の幸のディナーセットを選んだ。
 山ばかりで海が遠いジェンマ領では中々食べられない。 番号札を受け取り、空いているテーブルを探して再び周囲を見回す。

 何処か空いてる席はっと。 そう言えば、ダミアーノは何処だ? あいつも、もう来てるだろう。

 ダミアーノは寮の同室で三年間、一緒に生活する相手だ。 ダミアーノを探して見回した先に、知っている顔を見かけた。
 見知った彼女は、黒髪の男女に挟まれて楽しそうに談笑しながら食事をしていた。

 いつ見ても、ヴァレリアのカトラリー捌きは綺麗だな。

 先程ファブリツィオの部屋で話題に出た令嬢だ。 ヴァレリオは姉上と呼ぶが、実際の血筋関係で言うと、彼女にとってヴァレリオは年下の叔父だ。 ヴァレリオも前ストラーネオ侯爵には、酷い目に遭わされたが、ヴァレリアも随分と酷い目に遭っていた。 笑っている彼女は珍しい。

 そうだ、姉上にはまだ挨拶をしていなかったな。 迷惑になるかもしれないけど、貴族社会で全く会話をしないというのもおかしいし、挨拶をしたら直ぐに立ち去ろう。

 「姉上、トロヴァート子息、ご令嬢。 こんばんは」
 「あら、貴方……」
 「君は……」
 「ヴァレリオっ!」

 ヴァレリアは近づいてきたヴァレリオに気づき、勢いよく椅子から立ち上がった。
 そして、琥珀色の瞳と口を開け、淑女らしからぬ姿を晒している。 ヴァレリオは眉尻を下げて微笑んだ。

 「お久しぶりです、姉上」
 「……本当に……久しぶりね、ヴァレリオ」

 ヴァレリアの左右に座っている双子の姉弟が『美男子になってるっ!!』と声を揃えた。 美男子という言葉に、ヴァレリオは何とも言えない表情を浮かべた。
 ヴァレリオの容姿はストラーネオ侯爵によく似ていて、ストラーネオ家では恐怖の対象でしかないだろう。

 ヴァレリオは姉を怖がらせない様、最大限に優しく微笑んだ。

 「いえ、僕は別の席で摂ります」
 「あら、いいじゃない。 折角なんだし、前の席に座ったらいいわ、年下の叔父様」
 「そうそう、先輩後輩とか、身分とかも学園では気にしないでいいよ、年下の叔父様」
 「……っ」

 『年下の叔父様』とは、幼い頃にトロヴァート姉弟から揶揄われて呼ばれていたあだ名だ。 彼らには悪気はなく。 親愛の情の印だと、昔に言われた事を思い出して眉尻を下げて苦笑を零す。

 お二人とも相変わらずだな。
 
 「ヴァレリオ、座って。 ほら、貴方が注文したメニューじゃない? 後ろで貴方が席に着くのを給仕が待っているわ」

 ヴァレリアの言う通り、注文した料理が出来ていた様で、背後で給仕がディナーセットを乗せたプレートを持って彼が席に着くのを待っていた。 ヴァレリオは給仕を待たせるのも申し訳ないので、ヴァレリアたちの言葉通り、甘える事にした。

 「すみませんっ、姉上、トロヴァートご姉弟、お言葉に甘えさせてもらいます」
 「ええ、どうぞ」
 「「どうぞ、どうぞ」」

 暫く皆で昔話をした後、ヴァレリアが笑顔を向けて来る。 祖父が生きていた頃、ヴァレリオが成長する毎に、目が合わなくなっていた。 よく見ると、口の端と手元が緊張して震えている。

 姉上……やっぱり僕と居るとあの男を思い出すんだろうなっ。 僕も殿下の事、偉そうに言えないんだ。 僕も姉上をあの男から守れなかったんだからっ。 早く食べ終えて部屋へ戻ろう。

 ヴァレリオは食事を終えると、逃げる様にカフェテリアを出て行った。 ヴァレリオの背中を申し訳なさそうに見つめるヴァレリアに気づく事はなかった。

 ◇

 数年振りの元弟との再会は、無難に乗り越えた様だ。 ただ、ヴァレリオは聡い子なので、ヴァレリアが祖父を思い出して内心は震えている事に、彼は気づいていただろう。 ヴァレリオは終始、元姉を気遣う様な素振りを見せていた。

 「ヴァレリア、大丈夫?」
 「ヴァレリア、大丈夫か?」

 左右から同時に、双子の姉弟である友人から心配気に顔を覗かれ、ヴァレリアは眉尻を下げた。 二人の親友に心配を掛けたくなくて、ヴァレリアは笑みを張り付ける。

 「大丈夫よ、フィオレラ、フリオ」

 彼らはトロヴァート伯爵家の双子で、幼い頃のお茶会で知り合った。 艶のある黒髪と、神秘的な灰色の瞳を持つ美麗な双子だ。 双子は両端からヴァレリアの手に優しく自身の手を重ねて来た。

 本当は大丈夫ではなかった。 ヴァレリオの一つ一つの仕草が祖父を思い出し、手足が震えた。

 ヴァレリアの祖父は、恫喝と暴力を振るい、周囲の人を従わせる人だった。 自身に気に入らない事があれば、周囲に八つ当たり、物にも当たるのは日常だった。

 そして、祖父にかしずく事を周囲に強いた。

 『大丈夫、僕がヴァレリアをストラーネオ侯爵から守ってあげる。 絶対だよ、だから笑って、ヴァレリア。 僕はヴァレリアの笑った顔が好きなんだ』

 幼い頃、ヴァレリアの盾になっていてくれた少年の笑顔が脳裏で浮かぶ。 今はもう、ヴァレリアの事を見てくれない婚約者を想い、眉尻を下げる。 ヴァレリアの視界に、細くて綺麗な指が映る。

 フィオレラがテーブルを人差し指で軽く数回、叩く。 我に返ったヴァレリアは顔を上げた。

 「ヴァレリア、ごめんね。 無理をさせてしまったわ。 でも、貴方も久しぶりにヴァレリオと話したいかなって思ったからっ」
 
 フィオレラの心配そうな顔を見て、ヴァレリアは顔を横に振った。

 「僕もごめんね。 君を悲しませるつもりはなかった」

 もう一度、顔を横に振ると、ヴァレリアはちゃんと笑顔を浮かべ、『大丈夫だ』と二人を安心させた。

 「私もヴァレリオとは、話したいと思っていたから、二人とも気にしないで」

 祖父は、もう居ないのだから、私もいい加減に祖父の事は忘れないといけないわっ。

 ◇

 翌日、突然、ファブリツィオから呼び出しがあった。 ヴァレリアは、久しぶりに会う自身の婚約者を前に、とても緊張していた。 学園寮にあるカフェテリアの三階は、王族専用の執務室だ。

 ファブリツィオに呼び出され、ヴァレリアは執務室の前で固まっていた。 深い溜息がヴァレリアから吐き出される。

 少しだけ後悔している。

 あぁ、やっぱり、フィオレラに付いて来てもらえば良かったかなっ。 でも、公務の話だったら、フィオレラには関係ない事だから、申し訳ないしっ。 いつも執務室で公務を手伝っているんだから、いつも通りに入ればいいのよっ……まぁ、いつもファブリツィオ様はおられないけど。

 一年の間、ファブリツィオはずっと学園の四階の多目的室を借りて公務の仕事していた。 勿論、学園の許可を得てだ。

 学園寮に王族専用の執務室を用意しているので、最初は難色を示したが、ファブリツィオが押し通したらしい。 因みに、ヴァレリアがファブリツィオの公務の補佐をするように言ったのは、マウリツィオだ。

 一つ、深呼吸すると、ヴァレリアは扉をノックをした後、入室を知らせて中へ入った。

 「失礼します、ファブリツィオ殿下。 お呼びとお聞き、ヴァレリア・デル・ストラーネオ参りました」
 「ああ、ソファーへ掛けてくれ。 ピエトロ、紅茶を頼む」
 「はい、承知致しました」
 「あっ、私がっ」
 「大丈夫だ、紅茶はピエトロに任せて、ヴァレリアには話があるから」
 「……っはい」

 ヴァレリアは、話があるというファブリツィオを前に、もしかして婚約破棄を言い渡されるのかと思い、身体を硬直させた。 

 つい、顔を俯かせてしまう。 ファブリツィオの噂は、今や大きな尾ひれがついており、ヴァレリアが婚約破棄されるのではないかと囁かれていた。 大人しくソファーへ座ったヴァレリアは、膝に置いた拳を強く握りしめた。

 ファブリツィオも緊張しているのか、何度も咳払いをした後、話を切り出した。

 「ヴァレリア」
 「はい、殿下」
 「いつも公務を手伝ってもらって……んんっ、あり、あ」

 ファブリツィオの様子がおかしいと思い、顔を上げたヴァレリアの瞳の先に、頬を引き攣らせて奇妙な表情を浮かべているファブリツィオが居た。 ヴァレリアは目を丸くして、ファブリツィオとピエトロを交互に見た。

 そして、ヴァレリアは見てしまった。

 紅茶を淹れて運んできたピエトロが、ファブリツィオにもの凄い冷めた目で見つめている姿を。 ピエトロの冷たい眼差しを受けたファブリツィオは、顔を青ざめさせて見事に固まっていた。

 突然、肌を打つ音が執務室で鳴り、ヴァレリアの身体は大袈裟なくらい飛び上がった。

 な、なにっ! 今、誰かをぶつ音がしたわっ!! もしかして、ピエトロ様がファブリツィオ様からぶたれた?

 しかし、ピエトロは呆れたような顔を浮かべて、自身の主を眺めていた。 更には呆れた溜息を落としている。 そっとファブリツィオの方を見たヴァレリアは、目を見開いた。 ファブリツィオの両頬が真っ赤に晴れている。

 そして、『よしっ!』と声を上げたファブリツィオが真剣な眼差しでヴァレリアを見つめて来た。 ファブリツィオの真剣な眼差しを受け、ヴァレリアの姿勢も伸びた。

 ちょっとだけ胸を高鳴らせた。

 「ヴァレリア、話というのは、君に生徒会の仕事を頼みたいんだ」
 「えっ……生徒会の仕事ですか?」
 「ああ、そうだ。 君が暇な時でいい。 俺の公務も手伝ってもらっているしな。 両方はしんどいだろうし、ヴァレリアには公務を優先してほしいんだけどなっ」
 「あの、生徒会のメンバーでは業務が間に合わないのですか?」

 私が生徒会に入るという事は、彼女と嫌でも顔を合わせないといけないわよね。
 二人が想い合いながら、見つめ合う姿は見たくないわ。 うん、断りましょう。

 膝の上で拳を強く握りしめる。

 「あ、あの、私っ」
 「大丈夫だ、ヴァレリアはこちらの部屋で手伝ってくれたらいい……俺もこちらで生徒会の仕事もするから」
 「……」

 今、ファブリツィオ様は、なんて言いました? こちらの執務室で生徒会の仕事をなさる? では、生徒会の方たちもこちらへ来るのかしら? でも、執務室には大事な公務の書類もあります……よ?

 「あ、あぁ、それも大丈夫だっ! 俺だけがこちらに来るからっ。 公務の合間に手伝ってほしいんだ」
 「……承知致しました。 出来るだけ手伝わせて頂きます」
 「ありがとう、ヴァレリア」
 「……っ」

 久しぶりに笑いかけてくれたっ、あの事があって以来、あまり瞳を合わせてくれなかったのにっ。

 幼い頃、ヴァレリアに笑いかけて来てくれたファブリツィオの笑顔と重なる。
 成長して少しだけ大人っぽくなったが、笑顔には幼い頃の面影がある。 ヴァレリアの口元が少しだけ緩む。

 嬉しいっ、少しだけ昔に戻れた気がした。

 ファブリツィオの瞳が僅かに見開き、頬を染めて咳払いをしている様子も幼い頃に見た光景だ。

 しかし、何故かピエトロが青筋を立てて笑顔を貼り付けている様子に、ヴァレリアは頭上に疑問譜を浮かべた。 二人は何か言い合っていたが、久しぶりにファブリツィオと話せた事に、ヴァレリアは心を躍らせていた。

 ◇

 「それってちょっとおかしくないかしら?」

 足首までのネグリジェ姿のフィオレラは、ベッドの横に置かれたドレッサーへ座り、艶のある長い黒髪に櫛をとおす。

 本来は連れて来ている侍女にやってもらうのだが、フィオレラと内緒話をしたくて、侍女は下がらせていた。 ファブリツィオとの会話の後、心配したフィオレラが提案して来たので、今夜はヴァレリアの部屋で二人っきりのパジャマパーティーだ。

 フィオレラは寮の三階に部屋があり、彼女の部屋も一人部屋で間取りも同じだが、ヴァレリアの部屋よりは一回り程、小さい作りになっている。

 「おかしいってどんな風に?」
 「だって、あの二人、あんなに一緒だったのに、別々の部屋で生徒会の仕事をするって事よね?」
 「そうね」

 ヴァレリアが腰かけているベッドへ、フィオレラも腰かける。

 「喧嘩かしらね。 面倒な事にならなければいいけど」
 「大丈夫よ」
 「それにしても、まだ新学期も始まっていないのにっ、公務はいつもの事だとして、生徒会の仕事まで手伝わせるなんてっ! 横暴ではなくて?」
 「仕方ないわ、王太子殿下のご命令だから……」
 「……私、王太子殿下って苦手だわっ」
 「……っ」

 眉尻を下げたヴァレリアは『それは私も同意するわ』の言葉を飲み込んだ。 彼がそばに居なくても、マウリツィオには聞こえている様な気がして怖いからだ。

 皆が苦手な爽やかな笑みを浮かべている王太子は、可愛い弟であるファブリツィオが右往左往している様子を聞き、嬉々としてピエトロから情報を引き出していた。
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