花嫁シスター×美食家たち

見早

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entrée:狂食

1.「晩餐会」

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 あらゆる趣向を凝らした美食、厳選された気の置ける賓客、そして宴を華やかに彩る催し。聖誕祭が間近に迫った、12月19日の今夜――秘密に満ちた「狂食の館」の晩餐会が今まさに始まろうとしていました。
 そして今夜晩餐会が行われるというのことは、明日が花嫁修業の締めくくり――選択の時が迫っています。
 当主ギュスターヴの挨拶が行われる前に、選り抜きの招待客たちはテラスでの軽い立食を開始しました。
 夕方の立食による歓談、深夜のコース料理、そして夜明けのデザート。3部構成のパーティーのうち、抜け出せるのは今しかありません。

「モア、標的ゲットです。行きましょう」
「うん……」

 50名あまりの招待客が自由に行き来する中、2人で談話室に潜り込みました。ようやく捕まえることのできた、飼猿のヴェーダを抱えて。

「お願いします、ヴェーダ。とってきて欲しいものがあるの」

 モアのアドバイス通り、台所からくすねた高級ラム酒チョコを渡したのですが。ヴェーダは首を傾げるだけで受け取ってくれません。

「このナイフとフォークの紋章が目印で、黒いカバーのついた名簿です」

 以前ギュスターヴの部屋で見かけた名簿の特徴を、指輪の紋章を見せて説明しますが。やはりヴェーダは首を傾げるだけです。

「ねぇモア。名簿と言っても、ヴェーダには分からないのでは?」
「ううん。ヴェーダはご馳走があるテーブルから無理やり離されて、すねてるだけ」

 幼い頃から一緒にこの屋敷で暮らしているモアが言うのですから、きっとそうなのでしょう。ですが機嫌が直るのを待っているわけにもいきません。どうしたものでしょうか、と首を捻っていたところ。
 モアが礼装のポケットから取り出したのは、私が差し出しているものと微妙に違うチョコレートでした。包みの色だけでなく、入っているお酒の種類が違うようです。

「これ、聖誕祭の期間限定品」

 ヴェーダは横目でモアの手のひらを見ましたが、すぐにそっぽを向いてしまいました。それほどまでに晩餐会の料理は特別なのでしょう。それでもモアが3つ目、さらには4つ目のチョコレートを手のひらに増やすと、ヴェーダは迷いながらもすべてのチョコレートを奪い取りました。それを大事そうに抱えたまま、換気口の蓋を外して消えていきます。

「お見事ですね。モノで釣るのは心苦しいですが」
「まぁ、晩餐会の間に戻って来てくれるかは分からないけど……」

 ギュスターヴが確実に部屋を留守にしている今夜。グルマンディーズの会員名簿を手に入れられれば、招待客の中から容疑者を絞れるのでは、と思ったのですが。以前天文塔で再会したパイルが言っていた、「特別会員」についてまで載っているかは分かりません。

「容疑者が一堂に会するのは今夜だけです。必ず手掛かりを見つけましょう」

 この屋敷の外に食人鬼(グルマン)がいるとしたら――ですが。この家の誰でもないとすれば、もう外に目を向けるしかありません。

「うん。アンタが本当に家族を信じてくれるようになって、嬉しい」

 信じている――その言葉に、今度こそ確信をもって頷くことができます。
 第1部の会場になっているテラスへ戻る前に、モアは身支度を整え直してくれました。
 今日のドレスを縫ってくださったのはマダーマム家御用達の仕立て屋さんですが、デザインはモアが考えたと聞いています。そのために「人形契約」の件を存分に生かし、この1か月着せ替え人形として働かせられたのですが。
 ドレスを眺めるモアの満足げなお顔を見ていると、疲れも若干は緩和されます。

「やっぱり黒に銀糸飾りで良かった……ほら、行こう」

 差し出された手に左手を重ねると。サイズの合わない指輪が、いつの間にか薬指にはめられていました。今は争っている暇もありませんから、後でこっそりモアのポケットに返しておきましょう。

「モア、どこに行っていたのですか? サリーナさんも、ノットが探していましたよ」

 誰かと思えばリアン――というほどに、眼鏡をかけていない彼は見知らぬ人に見えます。モアも同じく油断していたのか、あっさり捕まってしまいました。
 どうやら天文塔のお偉い方たちに、モアを紹介しているようです。モアは卒業後、御用達の仕立て屋さんに弟子入りすると話していましたが。

「こう見えて彼は、兄弟の中でも特に処刑術に優れておりまして。ウチでは母に次ぐ実力なのです」

 結局追いかけっこをした後も、リアンはモアの天文塔就職を諦めていないようです。モアが横目でこちらに「助けて」のサインを出していますが、ここで私が横入りしても状況は変わらないでしょう。ひとまずその場を離れ、ノットを探すことにしました。
 テラスと庭はいつもの黒と銀の装飾に加え、ゴシックかつ背徳的な彫像に囲まれています。
 会場設営はすべてアールが取り仕切ったとモアから聞いていますが、実際に見ずともここまでできるものなのでしょうか。
 さらに今夜のために設営された床板の上では、ドレスコードの銀を身に着けた客人たちが独特なステップを踏んでいました。踊りには決まった型があると思っていたのですが、割と皆さん自由に回っていらっしゃいます。

「ふぅ。格式高いお方の相手は疲れますね」
「それはそうで――」

 すぐ横からの声に、つい返事をしかけたところ。見上げた先には見知らぬ男性――と思いきやリアンが並んでいます。

「モアはどうしたんですか? まさか押し付けて逃げて来たのでは」

 リアンは口を開く代わりに、満面の笑みで答えてくださいました。

「どうです? 私と1曲」
「別に構いませんけど。知らないご令嬢と踊るのが面倒だから、私を誘っているのですね?」
「ははははは」

 まったく誤魔化せていないリアンに手を引かれ、ステージへ足を踏み出しました。自然な流れで他の方たちと混ざり、オーケストラの演奏に合わせてステップを踏む――ここまではアグネスに習った通りですが。リアンはアグネスよりもかなり背が高いせいか、上手く足を合わせられません。

「すみません、足を8インチほど削っていただいてもよろしいでしょうか?」
「それよりもっと早い方法がありますよ」

 珍しく楽し気なリアンの声に身構えた瞬間。腰を持ち上げられ、リアンの革靴の上にヒールのつま先を乗せられました。これはアレです。初心者や子どもと踊るときにする、アレです。それでもアグネスから教わった踊りよりもずっと、バランス感覚が鍛えられそうでした。

「リアン! 彼女を笑い者にするつもりですか!?」

 演奏の音にも負けない怒声を振り返ると、ステージの縁ギリギリにまで詰め寄ったノットの姿がありました。黒い礼装が多い中で、ノットの金髪と白い礼装はひと際目立っています。

「その通りですが?」

 煽るようなリアンの回答に、ノットはまんまと乗せられています。後から「冗談ですが」と付け加えていましたが、それも逆効果になりました。

「ほぼ身内だけの会ですし、誰かのために踊るわけでもないでしょう? 彼女と私が楽しければ構いませんよ」

「ね?」と飾らない笑みを向けるリアンにつられて、少し緊張気味だった頬が緩みます。

「はい、楽しかったです。リアンの靴に穴が空いていないか心配ですが」

 するとノットはため息混じりに、「あなたが楽しそうで何よりです」、と肩を落としました。
 やがて他所のお嬢様方が呼ぶ声を聞きつけたのか、リアンは私の手をノットへ受け渡します。

「では、これから営業に行って参ります。ノット、こちらのお嬢様をきちんとエスコートするように」

 いくら関係がぎくしゃくしていても、名前を呼び合うくらいはするのですね。そう呟きながらリアンの背中を見つめていると、繋いでいた手に力が込められました。

「ノット、踊りますか?」
「……え? ええ」

 ゾッとするほど真剣な表情も、遠い目でぼうっとするのも、ノットらしくありません。体調が優れないのか、と尋ねても曖昧な返事があるだけです。それでも音楽に合わせて回り出すと、ベールに覆われていた碧眼がようやくこちらを捉えました。
 安心して身を委ねるうちに見えた景色――こちらを微笑ましく見つめるルイーズ。ご令嬢方に囲まれているリアン。ロマンスグレーの中年男性と話すモア。そして美食を貪る当主、ギュスターヴ。
 王室のご意見役でありながら、裏社会にも精通するマダーマム家の当主。鉱物を好む異食家で、グルマンディーズの一員――ですが、彼自身には完璧なアリバイがあります。
 ギュスターヴをじっと見つめていたその時。人懐こい赤眼と目が合ったかと思うと、ウインクが飛んできました。

「ロリッサ、どうかしましたか?」

 一時帰省してからというものの。ノットと視線を重ねる度に、正体不明の違和感を覚えるようになりました。その目には心地良いどころか、熱いくらいの感情が宿っていると気づいたのです。
『真実はあり得ないことの向こう側にある』――ノットがいつか語った言葉が、ふと頭を過りました。



 立食が続く中、マダーマム家の一族が食堂へ招集されました。いよいよ、第2部がはじまります。
 黒いカーテンで外部から遮断された大広間に集ったのは、50名あまりの招待客の中からさらに厳選された方々。これから行われるコース料理の味を知るのは、選ばれし10名のみ――彼らがもしや、「特別会員」なのでしょうか。
 円卓を囲む仮面の紳士、淑女を見回すうちに、部屋が暗闇に包まれました。

「夜の香が流涎を誘うこの時間に、ようこそお集まりいただきました。これより『狂食の宴』――この世の贅を尽くした晩餐会をはじめたく存じます」

 モアから事前の段取りは聞いていましたが、このゴシックかつ背徳的な会場は――想像していた通り、というべきでしょうか。
 相変わらず味覚は動きませんが。食卓を囲むメンバーの顔を覚えながらも、少しは真面目に味わっているフリをしましょう。

 1品目。極東から取り寄せたというお酒は、こっそり袖口に流し込むとして。2品目は、皿の中心にちょこんと乗った楕円形の白いもの。粘り気のある感触のため、カイコの繭ではなさそうです。
 3品目は見慣れない野菜を固めた黄金色のゼリー。4品目は薄暗闇の中では紫色に見えるスープ――特に「美味しい」とは思いませんでしたが、食べ進めるうちに不思議と食欲が湧いてきました。
 皆さんの反応を見る限り、これらの食材を見慣れないのは私だけではないのでしょう。ざわめきの中、いよいよ5品目の料理が運ばれてきたのですが。

「美食において食材、調理法、盛り付けはもちろん重要ですが。食卓を囲む人、空間の演出、そして料理を盛り付ける『器』も同様――どれも手を抜くわけにはまいりません」

 どこかで聞いたことのあるセリフが、右耳から左耳へ抜けるうちに。燭電灯の下、ポワソン(魚料理)がテーブルの中心に登場しました。リアンの用意した陶器、それから、麗しい肉の器に盛られて。
 まさかとは思いますが――これはパイルの時と同じことをするのでは、と身構えていると。食べ方への指示はないまま、全ての明かりが落ちました。

「この空間にルールはありません。どうぞお好きにご堪能ください」

 ざわめきが止み、ここにいる16人の息遣いだけが静寂に響く中。この屋敷へ来てから嫌というほど耳にした音――咀嚼と喘鳴。それらが温かに香り立つハーブと白身魚に混じり、胃を刺激しはじめました。
 抑圧している食欲が、無理やり呼び起こされるこの感覚――美食を愛する彼らならば、もうすでにテーブルへ飛び乗り、外聞も関係なく食事を貪っているのではないでしょうか。つまりこの音は、彼らの立てている食事の合図。それもひと皿ずつ分けるのではなく、みんなで大皿に手を伸ばすなんて――とても、とても、いけないことをしています。

「……ロリッサ」

 背後からの声に振り返ると、慣れてきた目にぼんやりと光る赤が映りました。肩に触れる冷たく細い指は、モアに違いありません。

「そろそろ『sorbet(ソルベ)』の時間でしょ。準備しに行きなよ」

 課題はあくまで、調査のおまけでしかないと思っていたのですが。突然、粛正任務の前に感じる緊張と似た震えが起こりました。
 ぎゅっと肩に力を込めるモアの手を握り返し、いよいよ「お口直し」に入ります。
 空間は真っ暗なまま。一度部屋の空気すべてを入れ替え、お客様のことを着席させたまま放置します。そうしてポワゾン(魚料理)の熱が冷めるのを待つこと四半刻。
 不安と焦燥混じりの声が上がる中。記念すべき1番目の若紳士の横から、指先で唇を突きました。まさか任務以外で夜目の役立つ日が来るとは思いませんでしたが――「口を開けて」の合図だと分かってくださった紳士の口に、シャーベットの乗ったスプーンを滑り込ませます。
 予想通り。普通のソルベを思い描いていた紳士は首を傾げました。こちらは「無味」のソルベですから。
 そこですかさず、紳士の鼻と口を枕カバーで覆ったところ。

「これは――シャロン?」

 気づいていただけたようです。この枕カバーは、こちらの紳士の奥方からお借りしたもの。
 お口直しは味覚と嗅覚のリセット――そしてメインディッシュを楽しむため、食欲を掻き立てるものが相応しいはず。
 何よりもそそる香りとは、初代ファウストの言葉通り「愛する者の放つ芳香」。以前「気持ちいい」を感じながらアールの甘い香を嗅いだ時、食欲を掻き立てられたことがヒントになったのです。

「ソルベにフルーツもリキュールも使わないとは」
「だがこれは斬新な手法だ! そう、偉大なるファウスト公の言を体現させた、まさに至高の味わい……」

 狙いが上手くはたらいたのか、お客様10名の大切な方々からお借りした「香り」は食卓を騒然とさせました。
 あぁ神様、お父様。やりました。味覚が満足に分からずとも、この局面を乗り切ったようです。

「サリーナ様。こちらへ」

 耳慣れた声に振り返ると、ノットがグラスを二つ持って背後に立っていました。何の用か問いかける間もなく、「少し休憩しましょう」と手を引かれて廊下へ出た直後。

「ノット、それ……!」

 右手の中指には、すっかり見慣れた銀の指輪がはめられていました。それも手袋越しに。
 先ほど一緒に踊った時は、つけていなかったはずですが。

「それ……? 何のことですか」

 その指輪は、右手の薬指用に作られたもののはず――そう言いかけて、ぎゅっと口を結びました。
 薬指用に作られたものが、手袋越しの中指へ通るのでしょうか。その指輪がもしノットのものでないとしたら、1か月半前の夜に拾ったこの指輪は――。
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