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愛の巣

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 梅香とらいちは、俺とドラゴンさんのシェアハウスに着くなり、押し黙ってしまった。
「どしたの? ガールズ」
 ドラゴンさんが独特な呼び方で声をかけた。
「えっと……これ……」
「何? この部屋……お花模様のフリフリカーテンに、ピンクのハートクッションは誰の趣味?」
 言葉を見つけられないらいちを尻目に、見たままの感想を言い放つ梅香。
「そうよ、ここはアタシの愛の巣。マイ・スイート・ホームにようこそ」
 ドラゴンさんは優雅に微笑んだ。酒の勢いもあるのか、梅香はなおもズバズバ続ける。
「シェアハウスっていうか、ただのマンションの一室に二人暮らしじゃない。しかも、こんな乙女チックな趣味全開の3LDKマンションなんて……もう同棲っていうか新婚さんじゃん」
「だよね……付き合ってないとか言ってたけど……それって、もっと進んだ関係だったってことかな?」
 女子2人の疑問にドラゴンさんはニヤニヤしながら応える。
「えー? 2人の関係? まぁ、そうね。杏はアタシのペット。みたいな?」
 何を言っているんだ。このおっさんは。さらに誤解を深めようとしているじゃないか。
「杏ちゃん? 確かに、誰を好きになってもいいし付き合っても自由だけど……なんかそのペットとかそういうのはだめ! なんかだめ!」
 と、梅香。
「……きょーちゃん、何か悪いことしたの? お金とか?」
 らいちは意外とリアル方面に妄想を膨らませたらしい。
「いや……」
「拾ってあげたのよ。ねえ?」
 そして、それを煙に巻くおっさん。

 うわーめんどくさい。
 もう、なんかだめだ……。こんなんモテ期じゃない。ただの酔っ払いのおもちゃだ。
「なんか俺、今日は疲れたから寝るね。布団とかタオルとか、わかんなかったらドラゴンさんに聞いて。じゃあおやすみ。シャワーだけ先にもらうね」
 早口で言い捨て、会話を終わらせる。
「おやすみ……」
「きょーちゃん……おやすみ」
「後はアタシに任せてゆっくりおやすみなさい」
「あのさ。ドラゴンさん、もう余計なこと言わないでくれる? もともとこの部屋はこんなだったし、訳あって俺が間借りしてるだけだから。ほんと、それだけ」
 最後の力を振り絞って釈明をして、リビングを後にした。ものすごい疲れた。シャワって寝よう。情報と気持ちの整理が追いつかなくて、強制シャットダウンすることにした。

「杏ちゃん……起きて……ほんとやばいかも」
 肩を揺すられて半分覚醒する。ベッドの枕元に寝間着の梅香が立っていた。
「……うめか? どしたん?」
「ちょっとやばいからこっち来て」
「ねむい……むり」
「困る。起きてよぉ」
 両手を引っ張り上げられ、上半身だけ起き上がった。辺りは真っ暗なので、きっとまだ夜中だと思うけれど、一体何があったんだろうか。
「よーしよしよし、次は立ち上がろうか?」
 そのまま梅香に軽く手を引かれ、介護されるお年寄りのように、梅香とらいちが2人で眠っていた和室へと連れてこられる。二つ並んだ布団の片方には、らいちがすやすやと眠っていた。
「見てよこれ」
「……よく寝てるらいちだね」
 梅香に軽く後頭部をどつかれる。
「私、今ね。好きな女の子と布団を並べて、お泊まりイベント発生中なのよ。しかも3年振りの再会。寝る直前まで手とか繋いでた」
「……確かにやばいね」
「……しかもキスされた」
「誰に?」
「らいちに決まってるでしょ?」
 一気に目が覚めた。
「エモいな」
「うん。多分ただの酔っ払ったノリだとは思うよ? でもさ、こっちはそれどころじゃないわけよ」
「そうだね……ノリじゃすまないよね」
 らいちの無邪気な寝顔を眺めながら、梅香の葛藤を慮る。
「寝れないんだけど……どうしたらいい?」
「リビングで起きてたら?」
「眠いのよ」
「どうしろと?」
「おしゃべりに付き合ってよ。結局らいちとばかり話してて、杏ちゃんとはあまり話せてなかったし」
「結構話した気もするけど……あと、俺めちゃくちゃ眠いんだけど」
「私もよ。だから大丈夫」
「そっか……」
 何が大丈夫なのかわからないが、梅香が頼りがいのある笑顔で頷くので、なんとなく納得してしまった。

「はい、どうぞ。ミルクと砂糖は?」
 マグカップいっぱいに入ったコーヒーを差し出す。
「ブラックで大丈夫。ありがと」
 梅香はそれを一口啜って、深いため息をついた。少し落ち着いた様子を確認して、水を向ける。
「で?」
「何? キス? キスのこと聞きたい? やっぱり? すっごいよ。とてつもなく素晴らしい感触よ。召されるかと思ったわ」
「そりゃすげーな」
 それから梅香は、らいちが寝るまでの間の武勇伝を語ってくれた。話の9割は大人らいちの魅力についてだったが、百合紳士の俺にとってはとても興味深い内容だった。特に裸エプロンローション妄想のくだりは、大変楽しく拝聴させていただいた。
 しばらく話したあと、たぎる気持ちが落ちついてきたのか、梅香は大人しく床とこに就いた。逆に俺はすっかり目が冴えてしまったので、仕方なく朝ごはんの支度を始める。何を作ろうかと何気なく窓に目を向けると、外はうっすらと明るくなっていた。
 洗濯機のスイッチを入れ、米を研ぎ炊飯器にセットする。まだ寝ている人を気にして、床はペーパーモップで掃除した。洗濯物を干しにベランダに出ると、すっかり朝になっていた。

「きょーちゃん、おはよん」
 和室の引き戸を開けて、らいちが顔を出す。部屋の奥には梅香がまだ布団に収まっているのが見えた。
「おはよ。らいち。昨日結構飲んでたけど、早いね?」
「なんかきょーちゃんさー、お母さんみたいだね~人の気配で目が覚めちゃった」
「あら、ごめんなさいね」
「ドラゴンさん語が移ってる。ふふ」
 らいちが何か言いたそうに、困った顔をした。
「もしかして、夜中の梅香の話聞こえてた?」
 無言で頷くらいち。
「ええと……どの辺りから?」
「裸エプロンローションのあたり……」
 よりにもよってだ。
 よりにもよって、梅香が盛り上がって妄想がクライマックスになってたあたりだ。梅香に心から同情した。
「それはそれは……」
 居た堪れなくて言葉が出ない俺に、らいちはピッタリと体を寄せて耳打ちした。
「お散歩行かない?」

 まあ、俺も聞きたいことは山ほどある。らいちの誘いに乗って、出かけることにした。
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