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27.思い出せたエド
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その夜。
寝床に入った俺は、久し振りに夢を見た。登場人物は優しい表情をした人間の男性。ふわふわした栗色の髪と、翠の瞳が特徴といえば特徴だろうか。
彼は俺の名を呼んだ。何度も呼んだ。俺も彼の名を呼んでやりたいと思ったのに、言葉が一つも出てこない。
すると、人間の男性が俺の事を抱きしめた。人間だけあって体温が熱い。彼はその温度のまま囁いた。
「いい? 僕の名前はね――」
俺は男性の名前が知りたかったので、じっと聞き入る。けれど男性は名前を告げる事なく、その体温を消してしまった。慌てて周囲を見回すと、俺の傍には誰一人居ない。
代わりに賑やかになったのは、遠くに見える人間の城だ。上がるは祝砲、飛び立っていく白い鳩、着飾った国民、その中心には先ほどの男性、隣に見えるのは美しい姫君。思い出した、今日はめでたい結婚式だ。だが、俺はそれを祝う気になれない。何故だろうか。
そこへ生憎の雨が降って来た。俺は灰色の空を見つめ、ふいっと海に戻ろうとする。
その瞬間、強い嵐が起こった。荒れた水面に、先ほどの男性がぷかりと浮いている。こうして俺の目の前にいきなり現れ、俺の心を根こそぎ奪っていったのは誰だったか。いや、今はそんな事を考えるより、男性を助けなくては。
そんな行動をした俺に、空からぽたぽたと雫が落ちてくる。雨ではない。俺の心の中に、温かい何かが一滴ずつ。この幸せな感覚は何だったか。
雫はゆっくりと、しかし着実に俺の心を満たしていった。俺の胸は一杯になり、苦しいほどだ。その感覚に押し潰されそうになった時、俺は総てを思い出した。ああ、そうだ、俺たちはこうやって嵐に遭い、出逢ったはずだ。
「エ……エ、エド、俺はお前を、愛して」
意識の無いエドを抱きかかえた俺の頭上で、婚礼の祝砲が何度も鳴った。同時に、ばぁっと強い風が吹きつけてくる。吹き飛ばされそうになった俺が頼ったのは大きな岩礁。俺はその岩肌にぎゅっと掴まり――覚醒した。
「はぁっ、は、はあ……!」
ああ、どこまでも息苦しい。その日、目覚めの気分は最悪の部類だった。
「……殿下、うなされてたけど平気?」
俺のすぐ隣にロージオが居る。俺は彼に肩を抱かれており、あの岩礁はロージオだったのだと確信した。
「……ロージオ、感謝する」
「な、何が?」
「エドの記憶が戻った。いや、正しくは全ての記憶が戻ったと言うべきか。こう認識しているという事は、記憶を失っていた時の行動も覚えているという証拠だな……説明の手間が省けて楽だろう?」
ロージオは何も言わずに俺を抱きしめる。嗚咽が聞こえてくるので、俺も釣られて同じような声を出してしまった。辺りは真珠だらけになってえらい騒ぎだ。それに侍女が気づき、周囲は騒然としてくる。
そのせいか、暫くすると――父母とナルネル、その他にもわらわらと親族がやって来た。数時間後にはヴィ家の一族大集合という風情になってしまう。
俺はまったく知らなかったのだが、一応はヴィ家の跡継ぎである俺は多大なる心配をかけていたらしい。普段は疎ましかったりする親族だが、なかなかありがたいじゃないか。なので、エドに渡したい真珠が増えてしまった。もう、その任は俺に無いけれど。
翌日から俺は、いつもの生活に戻った。研究と読書に勤しむ日々だ。折に触れてエドの件を考えてしまうのは仕方ない事だろう。エドも辛い思いをしているらしいからお互い様だ。
それでも涙が止まらない時は、ドロイの研究室に邪魔をした。大抵は灯りが点いているし、彼との議論は気が紛れる。そのせいでいつの間にか薬学にも詳しくなり、最近はちょっとした薬も作れるようになった。
その事をロージオは『いい傾向』と捉えている。人間ばかりに興味が行くと、どうしてもエドの事が連想されるからだろう。だから、俺が作った一時的に声を失う薬などを飲ませても、仕方ないなと笑って済ませてくれる。
そんな風に、少しずつエドの居ない日常へ慣れてきた頃だった。
「婚姻!? 俺が!?」
「うん、これが陛下からの通達。エド皇子の件が無いなら、連れ合いが必要だろうって」
ロージオが俺に差し出すのは、何の前触れも無く届けられた一通の書状。それには父からの「婚姻せよ」という命令が含まれているらしい。
俺は思う。
相も変わらず油断できない男だ、と。
俺はロージオから手紙を受け取り、すぐに目を通した。なるほど、確かにそんな内容が書いてある。お相手は、いつぞやの公爵家の令嬢だそうだ。彼女は人魚狩りの怪我を癒し、すっかり元気を取り戻したようだが、少しだけ傷跡が残ってしまっているとか。つまり俺は、傷ものにした責任を取れと言われている。とはいえ――俺の想いは相変わらずエドへ向かっており、婚姻などする気分になれない。
「……参ったな」
書状には婚姻の日付けまで記載されていた。今度の発情期の中で、一番欲情が強く現れる日だ。俺は書状をじっくり読んだあと、ロージオを伴い母のもとへ向かった。使える手は使わせていただこうというのだ。
俺は母に切々と自分の思いを伝えた。母は単純に同情してくれるような人魚ではないが――今回の一連に関してなら、父に悪い印象を持ってくれている。俺はその辺りを頻りに突き、何とか公爵家との話を破談にするよう働きかけた。その甲斐あって、母は父に意見すると返答を寄越す。これで恐らく大丈夫だろう。安堵した俺は、再びロージオを伴い屋敷に戻った。
寝床に入った俺は、久し振りに夢を見た。登場人物は優しい表情をした人間の男性。ふわふわした栗色の髪と、翠の瞳が特徴といえば特徴だろうか。
彼は俺の名を呼んだ。何度も呼んだ。俺も彼の名を呼んでやりたいと思ったのに、言葉が一つも出てこない。
すると、人間の男性が俺の事を抱きしめた。人間だけあって体温が熱い。彼はその温度のまま囁いた。
「いい? 僕の名前はね――」
俺は男性の名前が知りたかったので、じっと聞き入る。けれど男性は名前を告げる事なく、その体温を消してしまった。慌てて周囲を見回すと、俺の傍には誰一人居ない。
代わりに賑やかになったのは、遠くに見える人間の城だ。上がるは祝砲、飛び立っていく白い鳩、着飾った国民、その中心には先ほどの男性、隣に見えるのは美しい姫君。思い出した、今日はめでたい結婚式だ。だが、俺はそれを祝う気になれない。何故だろうか。
そこへ生憎の雨が降って来た。俺は灰色の空を見つめ、ふいっと海に戻ろうとする。
その瞬間、強い嵐が起こった。荒れた水面に、先ほどの男性がぷかりと浮いている。こうして俺の目の前にいきなり現れ、俺の心を根こそぎ奪っていったのは誰だったか。いや、今はそんな事を考えるより、男性を助けなくては。
そんな行動をした俺に、空からぽたぽたと雫が落ちてくる。雨ではない。俺の心の中に、温かい何かが一滴ずつ。この幸せな感覚は何だったか。
雫はゆっくりと、しかし着実に俺の心を満たしていった。俺の胸は一杯になり、苦しいほどだ。その感覚に押し潰されそうになった時、俺は総てを思い出した。ああ、そうだ、俺たちはこうやって嵐に遭い、出逢ったはずだ。
「エ……エ、エド、俺はお前を、愛して」
意識の無いエドを抱きかかえた俺の頭上で、婚礼の祝砲が何度も鳴った。同時に、ばぁっと強い風が吹きつけてくる。吹き飛ばされそうになった俺が頼ったのは大きな岩礁。俺はその岩肌にぎゅっと掴まり――覚醒した。
「はぁっ、は、はあ……!」
ああ、どこまでも息苦しい。その日、目覚めの気分は最悪の部類だった。
「……殿下、うなされてたけど平気?」
俺のすぐ隣にロージオが居る。俺は彼に肩を抱かれており、あの岩礁はロージオだったのだと確信した。
「……ロージオ、感謝する」
「な、何が?」
「エドの記憶が戻った。いや、正しくは全ての記憶が戻ったと言うべきか。こう認識しているという事は、記憶を失っていた時の行動も覚えているという証拠だな……説明の手間が省けて楽だろう?」
ロージオは何も言わずに俺を抱きしめる。嗚咽が聞こえてくるので、俺も釣られて同じような声を出してしまった。辺りは真珠だらけになってえらい騒ぎだ。それに侍女が気づき、周囲は騒然としてくる。
そのせいか、暫くすると――父母とナルネル、その他にもわらわらと親族がやって来た。数時間後にはヴィ家の一族大集合という風情になってしまう。
俺はまったく知らなかったのだが、一応はヴィ家の跡継ぎである俺は多大なる心配をかけていたらしい。普段は疎ましかったりする親族だが、なかなかありがたいじゃないか。なので、エドに渡したい真珠が増えてしまった。もう、その任は俺に無いけれど。
翌日から俺は、いつもの生活に戻った。研究と読書に勤しむ日々だ。折に触れてエドの件を考えてしまうのは仕方ない事だろう。エドも辛い思いをしているらしいからお互い様だ。
それでも涙が止まらない時は、ドロイの研究室に邪魔をした。大抵は灯りが点いているし、彼との議論は気が紛れる。そのせいでいつの間にか薬学にも詳しくなり、最近はちょっとした薬も作れるようになった。
その事をロージオは『いい傾向』と捉えている。人間ばかりに興味が行くと、どうしてもエドの事が連想されるからだろう。だから、俺が作った一時的に声を失う薬などを飲ませても、仕方ないなと笑って済ませてくれる。
そんな風に、少しずつエドの居ない日常へ慣れてきた頃だった。
「婚姻!? 俺が!?」
「うん、これが陛下からの通達。エド皇子の件が無いなら、連れ合いが必要だろうって」
ロージオが俺に差し出すのは、何の前触れも無く届けられた一通の書状。それには父からの「婚姻せよ」という命令が含まれているらしい。
俺は思う。
相も変わらず油断できない男だ、と。
俺はロージオから手紙を受け取り、すぐに目を通した。なるほど、確かにそんな内容が書いてある。お相手は、いつぞやの公爵家の令嬢だそうだ。彼女は人魚狩りの怪我を癒し、すっかり元気を取り戻したようだが、少しだけ傷跡が残ってしまっているとか。つまり俺は、傷ものにした責任を取れと言われている。とはいえ――俺の想いは相変わらずエドへ向かっており、婚姻などする気分になれない。
「……参ったな」
書状には婚姻の日付けまで記載されていた。今度の発情期の中で、一番欲情が強く現れる日だ。俺は書状をじっくり読んだあと、ロージオを伴い母のもとへ向かった。使える手は使わせていただこうというのだ。
俺は母に切々と自分の思いを伝えた。母は単純に同情してくれるような人魚ではないが――今回の一連に関してなら、父に悪い印象を持ってくれている。俺はその辺りを頻りに突き、何とか公爵家との話を破談にするよう働きかけた。その甲斐あって、母は父に意見すると返答を寄越す。これで恐らく大丈夫だろう。安堵した俺は、再びロージオを伴い屋敷に戻った。
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