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26.嘘をついた責任
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その翌日から、ロージオは俺の傍に付いて回った。今は俺の趣味について語っている。俺は研究する事が好きで、テーマは人間だったようだ。確かに人魚は人間と魚の中間だから、興味を持つのも当然だろう。何かのキッカケになるようにと、ロージオは俺の研究用ノートを持って来た。中には几帳面そうな筆跡と丁寧な図がぎっちり詰めてある。俺がどれだけ真剣に取り組んでいたのかが解る内容だった。
幸い文字は忘れていない様で、それからの俺は暇さえあれば研究ノートを読んだ。どうせやる事は静養しか無いのだから、時間つぶしに丁度いい。
読み進めた俺は、ノートの中にエドの名を見つけた。どうやらエドは実験対象だったようだ。そこから恋に進展したという所だろうか。交尾までしているのだから相当だ。俺はまるで他人事のように研究成果を眺める。
ロージオはそんな俺をよく支えてくれた。人魚として暮らす為の知識が足りない部分はフォローを忘れないし、俺がやるべき仕事を片づけてくれているのもロージオだ。
ただ、そのロージオが意識的に避ける話題が存在しており、俺はとても気になっていた。それは『エド』の件だ。初日に名を出して以降、一切触れて来ないし尋ねても逃げていく。
そこで俺にも、何となく解った。俺とエドは悲恋に終わったのだ。ならばロージオが俺へ情報を与えない件にも納得できる。心労を増やしたくないのだろう。俺はロージオからの労わりなのだと思い、その日からエドの話題を出さず、胸の中に留めた。
そこから、数週間。
俺は穏やかで平和な日々を送っていた。朝に起き、昼は研究、それから夕食と睡眠。規則正しい生活だ。
その一方で、ロージオは妙な動きを見せている。夜中になると屋敷を出て行き、朝まで帰って来ないのだ。いつもべったりと俺に貼りついて寝床まで並べている存在が、俺に何も言わず消える様子は少々だが不審だった。俺がロージオにその件を尋ねると、「寝ぼけていたのでは?」とはぐらかす。ますますおかしい。
そんな、ある日。
「……何なんだ、この物体は?」
いつもの様にロージオと夕食を摂ろうとした俺の前に現れたのは、もこもことした大量の泡だった。不思議と消えないその泡は、皿の上で形を保ち続けている。その不気味さに固まってしまった俺へ、ロージオは微笑んだ。そこに何故かドロイも現れる。それからロージオとドロイが、口々に言った。この泡が俺の魂の一部だと。
「殿下に記憶が無い理由はコレだよ。だから全部食べて欲しい」
「そうですよぉ、この泡さえ食べれば多分戻りますよぉ~」
「どういう意味だ?」
事情が飲み込めない俺に対し、ロージオとドロイは説明を始めた。泡から復活を遂げた俺の記憶が無い理由についてだ。二匹はこの現象に対し、かなり真剣に取り組んでいたらしい。
「魂の泡が不足しているという点に関しては、わりと早い段階で推測できたんですよねぇ~。でも、それがどこにあるのか不明で……苦労しましたよぉ」
苦労したと言いつつ、ドロイは薄ら笑んでいる。それもそのはず、実際に探し当てたのはロージオだった。夜な夜な出かけて行く理由が判明し、俺は何となく安心してしまう。
そのロージオが、泡の載った皿の淵をこんこんと叩いた。
「この泡はね、エド皇子がこっそりと保存していたんだよ。私は当時のエド皇子に、泡を全部寄越すようにお願いしたんだけどね。なんとなく彼も、これがただ事でないと感じてたみたいだ」
ロージオはやれやれと肩を竦める。俺が黙っていたところ、尚も続けた。
「これをエド皇子から返却してもらうのは、本当に大変で……だって殿下が泡になったとか、記憶を戻すのに必要とか、そんな事が正直に言えないんだからね」
「……なぜエドは、悲恋に終わった俺の泡を保存していたんだ? まだエドの気持ちは残っているのか? それなのに、俺の復活を告げられない理由が存在するとは……つまり、俺がエドを嫌っていたのか?」
俺はロージオが逃げ回っていた内容に触れる。心に溜めていたので矢継ぎ早だ。するとロージオは『しまった』という表情を見せた。
「お願い、殿下。あまり難しく考えないで、この泡を食べて」
「ロージオよ……お前は俺から判断材料を奪い、ただただ押しつけるのか?」
「押しつける? な、何を?」
「記憶を戻す件だ」
言い切った俺に対し、ロージオは厳しい面持ちになった。さらには目を伏せ、溜息まで吐く。そのロージオの肩をドロイが叩いた。
「不安が的中したねぇ、ロージオ君」
ロージオは、主君である俺が、記憶の回復を拒否するかもしれないと考えていたようだ。逃げ回ってでも、マイナス要因になりそうな『エド』の情報を与えなかったのは、その為だろうか。
しかし、その策は失敗だ。敗因は、最初『エド』に拘っていた事と、そのあと避けた事、俺に研究ノートを見せていた事の三点。我が騎士ながら、情けない。
「……エドと俺の事を全て話せ。考えるのは、それからだ」
俺が静かにそう告げると、ロージオはドロイの方をちらりと仰ぐ。ドロイがそれを受けて頷いたため、どうやら観念したようだ。
「仕方ない、じゃあ……」
ロージオが渋々語ってくれた話は、なかなか複雑な内容だった。エドとの出会いから別れに関して言うのなら、さすが俺の起こした行動であると納得するばかりだ。残されていた研究ノートとも矛盾しなかったので、俺は二人の話を信じた。
そして、じっくり考えた俺が出した結論は――。
「この泡だが、遠慮しておこう」
俺は皿に載った泡を物理的に遠ざけた。途端にロージオが悲しげな声を上げる。
「……何で? せっかく苦労して持って来たのに……!」
「俺は運良く恋を忘れたんじゃないか! 記憶を取り戻して、わざわざ苦しむ事はないだろう?」
「でも! エド皇子以外の事も忘れてしまってる! これじゃあ今までの殿下は戻って来ない!」
「構わん! 記憶は、これからまた積み上げる!」
すぱっと返答した俺だったが、ロージオは諦めない。
「エド皇子だって殿下の判断のせいで辛いんだよ? エド皇子はね、殿下に嫌われたと思った上に、殿下が深海の屋敷で女性型と仲良く暮らしていると思ってるんだ!」
「……我ながら、なかなかいい嘘じゃないか」
「エド皇子がそんな状況なのに、殿下だけが楽になるなんて酷い裏切りだ! 殿下は嘘を吐いた責任を負うべきだろ!?」
「……っ」
俺は言葉を失った。確かにロージオの言う通りだからだ。今の状況では俺だけが救われている。
俺は一旦遠ざけた皿を、また目の前に戻した。そしてスプーンを取り、一匙ずつ口に入れる。味が無くふわふわしているだけの泡は美味しくもない。ロージオはそんな俺を心配そうに、ドロイは興味深げに見守った。
やがて、すべての泡が俺の胃に入る。だが、記憶への変化は何も感じない。それをロージオに伝えたら、焦る事は無いよと微笑んでいた。
幸い文字は忘れていない様で、それからの俺は暇さえあれば研究ノートを読んだ。どうせやる事は静養しか無いのだから、時間つぶしに丁度いい。
読み進めた俺は、ノートの中にエドの名を見つけた。どうやらエドは実験対象だったようだ。そこから恋に進展したという所だろうか。交尾までしているのだから相当だ。俺はまるで他人事のように研究成果を眺める。
ロージオはそんな俺をよく支えてくれた。人魚として暮らす為の知識が足りない部分はフォローを忘れないし、俺がやるべき仕事を片づけてくれているのもロージオだ。
ただ、そのロージオが意識的に避ける話題が存在しており、俺はとても気になっていた。それは『エド』の件だ。初日に名を出して以降、一切触れて来ないし尋ねても逃げていく。
そこで俺にも、何となく解った。俺とエドは悲恋に終わったのだ。ならばロージオが俺へ情報を与えない件にも納得できる。心労を増やしたくないのだろう。俺はロージオからの労わりなのだと思い、その日からエドの話題を出さず、胸の中に留めた。
そこから、数週間。
俺は穏やかで平和な日々を送っていた。朝に起き、昼は研究、それから夕食と睡眠。規則正しい生活だ。
その一方で、ロージオは妙な動きを見せている。夜中になると屋敷を出て行き、朝まで帰って来ないのだ。いつもべったりと俺に貼りついて寝床まで並べている存在が、俺に何も言わず消える様子は少々だが不審だった。俺がロージオにその件を尋ねると、「寝ぼけていたのでは?」とはぐらかす。ますますおかしい。
そんな、ある日。
「……何なんだ、この物体は?」
いつもの様にロージオと夕食を摂ろうとした俺の前に現れたのは、もこもことした大量の泡だった。不思議と消えないその泡は、皿の上で形を保ち続けている。その不気味さに固まってしまった俺へ、ロージオは微笑んだ。そこに何故かドロイも現れる。それからロージオとドロイが、口々に言った。この泡が俺の魂の一部だと。
「殿下に記憶が無い理由はコレだよ。だから全部食べて欲しい」
「そうですよぉ、この泡さえ食べれば多分戻りますよぉ~」
「どういう意味だ?」
事情が飲み込めない俺に対し、ロージオとドロイは説明を始めた。泡から復活を遂げた俺の記憶が無い理由についてだ。二匹はこの現象に対し、かなり真剣に取り組んでいたらしい。
「魂の泡が不足しているという点に関しては、わりと早い段階で推測できたんですよねぇ~。でも、それがどこにあるのか不明で……苦労しましたよぉ」
苦労したと言いつつ、ドロイは薄ら笑んでいる。それもそのはず、実際に探し当てたのはロージオだった。夜な夜な出かけて行く理由が判明し、俺は何となく安心してしまう。
そのロージオが、泡の載った皿の淵をこんこんと叩いた。
「この泡はね、エド皇子がこっそりと保存していたんだよ。私は当時のエド皇子に、泡を全部寄越すようにお願いしたんだけどね。なんとなく彼も、これがただ事でないと感じてたみたいだ」
ロージオはやれやれと肩を竦める。俺が黙っていたところ、尚も続けた。
「これをエド皇子から返却してもらうのは、本当に大変で……だって殿下が泡になったとか、記憶を戻すのに必要とか、そんな事が正直に言えないんだからね」
「……なぜエドは、悲恋に終わった俺の泡を保存していたんだ? まだエドの気持ちは残っているのか? それなのに、俺の復活を告げられない理由が存在するとは……つまり、俺がエドを嫌っていたのか?」
俺はロージオが逃げ回っていた内容に触れる。心に溜めていたので矢継ぎ早だ。するとロージオは『しまった』という表情を見せた。
「お願い、殿下。あまり難しく考えないで、この泡を食べて」
「ロージオよ……お前は俺から判断材料を奪い、ただただ押しつけるのか?」
「押しつける? な、何を?」
「記憶を戻す件だ」
言い切った俺に対し、ロージオは厳しい面持ちになった。さらには目を伏せ、溜息まで吐く。そのロージオの肩をドロイが叩いた。
「不安が的中したねぇ、ロージオ君」
ロージオは、主君である俺が、記憶の回復を拒否するかもしれないと考えていたようだ。逃げ回ってでも、マイナス要因になりそうな『エド』の情報を与えなかったのは、その為だろうか。
しかし、その策は失敗だ。敗因は、最初『エド』に拘っていた事と、そのあと避けた事、俺に研究ノートを見せていた事の三点。我が騎士ながら、情けない。
「……エドと俺の事を全て話せ。考えるのは、それからだ」
俺が静かにそう告げると、ロージオはドロイの方をちらりと仰ぐ。ドロイがそれを受けて頷いたため、どうやら観念したようだ。
「仕方ない、じゃあ……」
ロージオが渋々語ってくれた話は、なかなか複雑な内容だった。エドとの出会いから別れに関して言うのなら、さすが俺の起こした行動であると納得するばかりだ。残されていた研究ノートとも矛盾しなかったので、俺は二人の話を信じた。
そして、じっくり考えた俺が出した結論は――。
「この泡だが、遠慮しておこう」
俺は皿に載った泡を物理的に遠ざけた。途端にロージオが悲しげな声を上げる。
「……何で? せっかく苦労して持って来たのに……!」
「俺は運良く恋を忘れたんじゃないか! 記憶を取り戻して、わざわざ苦しむ事はないだろう?」
「でも! エド皇子以外の事も忘れてしまってる! これじゃあ今までの殿下は戻って来ない!」
「構わん! 記憶は、これからまた積み上げる!」
すぱっと返答した俺だったが、ロージオは諦めない。
「エド皇子だって殿下の判断のせいで辛いんだよ? エド皇子はね、殿下に嫌われたと思った上に、殿下が深海の屋敷で女性型と仲良く暮らしていると思ってるんだ!」
「……我ながら、なかなかいい嘘じゃないか」
「エド皇子がそんな状況なのに、殿下だけが楽になるなんて酷い裏切りだ! 殿下は嘘を吐いた責任を負うべきだろ!?」
「……っ」
俺は言葉を失った。確かにロージオの言う通りだからだ。今の状況では俺だけが救われている。
俺は一旦遠ざけた皿を、また目の前に戻した。そしてスプーンを取り、一匙ずつ口に入れる。味が無くふわふわしているだけの泡は美味しくもない。ロージオはそんな俺を心配そうに、ドロイは興味深げに見守った。
やがて、すべての泡が俺の胃に入る。だが、記憶への変化は何も感じない。それをロージオに伝えたら、焦る事は無いよと微笑んでいた。
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