人魚皇子

けろけろ

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25.失われた記憶

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 俺は夢を見ていた。
 だから周囲には何一つ背景が無い。海も空も。
 ほんのり明るいだけの空間で、穏やかに微笑むエドと二人きり――俺はそんな幸せが満ち溢れる夢の中にいた。
「エド! 俺の夢に、よく来てくれたな!」
 俺はエドの傍まで泳ぎ、そっと身体を寄せた。少しだけエドと触れてしまった肌は、相変わらずの熱さだ。俺はそれに対して何を言うでもない。何をするでもない。ただ温かな時間だけが過ぎていく。
 こんな簡単で単純な事が、夢でしか叶わないほどに遠くなったのは何故だろう。
 俺は隣のエドに視線をやり、夢ならば許される事を言おうと思った。
「愛しているぞ。本当は婚姻などして欲しくない。いつまでも俺と一緒に居てくれないか?」
 エドの返事は無い。その表情からは優しげな微笑みも消えている。なるほど、この夢には俺の微妙な心理状態が反映されているらしい。エドはこの件で俺に対し、決して甘い事を言ってはならなかった。理性で守られた普段の俺が、それを強く望んでいるのだから。
 そのうち、俺たちを包んでいた明かりが落ちる。俺は直感的に、この夢が終わるのだと悟った。それをとても寂しく感じ、慌てて握ったエドの腕が、さらさらと白い砂になっていく。この喪失感たるや。
「エド……! 待ってくれ……!」
 俺は、そんな言葉と共に目を覚ました。その途端、誰かが悲鳴のような声を上げて去っていく。見知らぬ女性型だ。
 それからすぐに、金髪と同じ色の鱗を持つ、かなり大柄な男性型がやってきた。俺の手を取り非常に喜んでいる。
「……泡から身体が戻ったね! 本当に良かった!」
「そ、そうか、ありがとう……いや、泡とは一体?」
「泡は泡だよ! ああ、尾びれもしっかりと……! 陛下が保存してくれていて助かった……!」
「ほ、ほう、それはそれは」
「尾びれの泡を合わせて元通りになるかは、本当に判らなかったんだ! これで殿下の尾びれが……今日から泳ぐ事も出来る!」
「あ、ああ」
 俺は金髪の男性型の勢いに圧されて頷いた。しかしその金髪が、大きな手のひらで俺の髪を撫でてくる事には驚くしかない。そんな俺の様子に金髪は眉を寄せた。
「……何か変だ」
「変なのは貴方だ。初対面の人魚の髪を触るとは……」
 俺がそう言った瞬間、金髪の顔色は蒼白になる。金髪はその顔色のまま、大声で『ドロイ』とやらを呼んだ。それからすぐに入室してきたのは、やたら痩身の男性型。こいつがドロイなのだろう。
 ドロイは俺の様子を見ながら幾つかの質問をしてきた。まずは俺の名前について聞かれたが、驚くべき事に何も答えられない。家族構成の知識もゼロだ。他、今まで熱心に取り組んでいたらしい研究の成果も脳内から消えている。つまりこれは、判り易い記憶喪失だった。
 ドロイは質問の最後に『エド』という固有名詞を出した。俺の親族の事だろうか。それだったら、思い出せる訳も無いのだが――なのにドロイはしつこく聞いてくる。
「殿下、本当に聞き覚えが無いんですか~?」
「無理だな、すまない」
 俺がそう返事すると、金髪が大げさに嘆いた。一体エドとやらが何だというのか。
 そのうちドロイは部屋から出て、後には金髪と俺だけが残った。金髪は俺の記憶を探るようにしながら、状況の説明に入る。
 まず、この場所は人魚の都にある、俺の屋敷だそうだ。そして俺の名はトニアラン=ヴィ=シーキングというらしい。人魚の国の皇族で、金髪はその騎士ロージオ。父は皇帝ゴッドフリー、母はマリア、妹はナルネルという名前だが、全然心当たりが無い。エドに関してもだ。ロージオによれば、命よりも大事にしていた俺の恋人だそうだが、残念ながら欠片ほども覚えていなかった。
 それからロージオは、俺が目覚めた時に言っていた、泡についての話をしてくれた。俺は恋人エドを助ける為に、ドロイの薬で身体と魂を分断し、最終的には各々が泡になってしまったのだそうだ。
 そこでロージオが、とても申し訳無さそうな表情をした。何事かと思ったら、俺に対する命令違反を犯したと詫び始める。
「戦が終わったあの時、本当はエド皇子に何も言わず泳ぎ去れって命じられたんだけど……エド皇子から『泡の件で』って甲板に呼ばれてね。それが魂の泡だと理解した私は、彼の誘いに乗ってしまったんだ。ぜひ殿下の魂と身体の泡を、同じ場所に葬りたくて……」
 ロージオは当時、混乱しながらも様々な言い訳をして、エドから泡を回収したそうだ。その段階では、よもや俺が泡から復活できるとは思っていなかったらしい。
 だが、ドロイに再会してそれを知ったロージオは、父が保存していた俺の尾びれをも入手した。
 そこまで聞いた俺は、脳内に疑問符を浮かべる。
「……俺の尾びれを父が保存していたとは、何を意味するんだ?」
「そのままの意味だよ。色々あってね……」
「なんだと……?」
 俺はロージオの説明を受け驚いた。父が俺を軟禁するため、俺の尾びれを落としたというのだ。つまり、当時の俺はまったく泳げなかったという事になる。人魚として致命的だ。どういう事情があれば、そんな状況になるのか――俺には理解できない。
「……俺の父は、恐ろしい男だな」
「そうだね、殿下に固執してるかも。殿下はそれを『過保護』と表現していたけれど」
「なるほど。俺も一応は、それが親としての愛だと認めていたか」
「その愛で尾びれを保存してくれていたから助かったよ」
 俺の尾びれは無駄に豪華な箱の中で泡になっていたそうだ。それで父も、ロージオの突飛な話を信じてくれたらしい。
 こうして回収された俺の泡は、ドロイの監修のもと混ぜ合わされ――ぴったり一週間後、俺は無事に人魚として復活を遂げた。ドロイの薬の仕様は元々こんな感じだったようだが、説明を聞き終わる前に俺とロージオが移動を開始してしまったとか何とか。当時の俺は、よほど焦っていたに違いない。
「薬の仕様を知らなかった俺は、泡になった時に今生の別れのような態度を取ったのだろうな……恥ずかしい」
 俺は独り言と共に、慌てて移動した事を反省する。その途中で気が遠くなりふらついた為、ロージオが驚き支えてくれた。
「殿下、平気!?」
「あ、ああ……気にしないでくれ」
 そう言い強がると、どこかに行っていたドロイがすいっと近寄ってきて口を挟む。
「ロージオ君、今日はこの辺にしといた方がいいかもねぇ。ほら、殿下は泡から戻ったばかりだから」
「そうだった! うっかりしていたよ!」
 ロージオは一瞬だけ眉を寄せるが、次に浮かべた表情は笑顔だった。
「今日は休んで。また明日から、少しずつ話そうね」
「いや待ってくれ、まだ聞きたい事がある。エドの件だ。そいつは俺の恋人なんだろう? だったらもっと、話を聞かせてくれないか?」
 俺の要望に対し、何故だろう――ロージオがとても辛そうな顔をする。それには少しだけ違和感を覚えた。
「ロージオ、もしかして俺とエドは、上手く行っていなかったのか?」
「追々で話すよ、今は休もう……ね?」
 ロージオがとても困っていたので、俺は言われるがまま寝床に入った。軽く瞼を閉じれば、先ほど入手した情報がごちゃごちゃに並んで騒ぎ出す。記憶の無い俺にはそれらを纏める事も、その情報から推測する事も出来なかった。なので、何も考えないように務め、静かに眠る――。
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