人魚皇子

けろけろ

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29.一目でも

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「……まったく、俺は大馬鹿者だな!」
 本当にそうだ。ロージオに挑発されたせいか、屋敷での孤独が寂しかったのか、気持ちと尾びれが止まらない。俺は少しでもエドの近くに居たくなり、例の浜辺に泳いでいた。
 遠くの海上には派手に飾りつけた軍艦が出て、祝砲を上げている。あの辺りに行けば、エドの姿が一目でも見える可能性があるだろう。だが、俺は敢えてこの浜辺を選んだ。
 ロージオは「婚礼の様子を見て来い」と言っていたが――今、幸せそうなエドを見てしまったら、自分でもどういった行動を起こすか解らないし、そのせいでエドに迷惑を掛けるのも申し訳ない。俺との関係は終わったのだから。
 俺はすっかり罠が無くなった海中を進む。もうすぐ懐かしい浜辺。
 我慢しきれず海面から顔を出した俺の目に、意外なものが映った。
「……どういう事だ?」
 浜辺には何故か、あの別荘が修復された状態で存在している。すっかり以前の風情だ。もちろん人魚用の出入り口も。不思議に思ったが、様子を伺いつつ中に入った。
 そこには。
「うわあっ!」
 俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。人間用のスペースに、懐かしい、愛しい、そんな言葉で言い表せない程に大切な人物が居たのだ。
 それはエド。
 エドもこちらを見ているから、視線が合った。合ってしまった。
 俺が慌てて水に沈んだところを、強引なエドの手に掴まれる。久し振りの熱さ。夢にまで見たエドの熱さだった。
 どくん、と俺の胸が跳ねる。手と尾びれの先が震えて動けない。俺に現れている発情期の症状だ。
「エ、エ、エド……! なぜ、ここに……!」
「……待ってたんだ、君を。泳げなくなったとか、深海で女性型と……なんてのも、全部ぜんぶ嘘だったんだね!」
 エドにぎゅっと抱き締められた俺の頭に、何かがこつんとぶつかる。それは美しい真珠で出来た王冠。エドは最初からこれを装着していたらしいが、ちっとも目に入らなかった。もしかしたらこの王冠は、俺の涙から出来たもの――。
「エド……んっ!」
 エドは俺の唇を奪い、無茶苦茶に求めてくる。だから、王冠の材料がどうのなどという、そんな考えは波に攫われていった。
「エド、俺は……」
「話しは後で、必ず聞く」
 エドは鮫のように俺の肌を噛む。痛みに眉を寄せると、今度は優しく舐められた。
「……ご、めんトニー、余裕、が、無い」
 エドがめりめりと俺の中に入ってくる。俺は、ばしゃりと海水を掻いた。その行動の理由は、いきなりの挿入による辛さだけではなく――。
「う、ああっ、エド……俺!」
 発情期に入っているため、前方の鱗が開き、桃色の性器が露出してくる。どんどん膨張するそれに俺は恥じ入ったが、海水の中だし、エドは背中側に居るので見えないはずだ。少しだけ安心し、快楽に浸る。
 馬鹿な俺は、うっかり忘れていたのだ。俺たち人魚は達した途端、必ず気を失ってしまうという習性を。
 だから――次に目を覚ました時には、仰向けになってぷかりと海面に浮いていた。しかも、ある一点をエドの口内で舐られて。
「……っ! んっ!」
「トニー、目が覚めた? ね、気持ちいい?」
「あっ、あ、ああっ……!」
 一年に一日しか表出しない、俺の性器にエドの舌が這っていた。もう本当に気が狂いそうだ。女性型と繋いだ時とは何倍も違う快楽が俺を襲う。
 その間もエドはちゅっ、ちゅと俺を吸っていた。
「人魚のアレなんか初めて見た。つるりとしてて美味しいかも」
「そう、なのか……俺にはよく判らん……あっ」
「……トニー、硬くなった。ねぇ、ここから射精するの……?」
「そのはずだ、が……あっ!」
 エドが俺の性器を指でなぞる。その刺激を受け、俺は達してしまった。ぞくぞくする悦楽の後は、何も感じない真っ暗だ。ただ、エドが傍に居てくれる安心感の中だから悪くない。
 その闇の中に、闖入者が現れた。
 俺の後ろに加わる刺激、それから性器をこすられる感覚。そんな事をされたら、多分だが俺の見知らぬ場所まで落ちてしまう。怖くて震えていると、後ろにエドでしかありえない熱さが挿入された。
 そこで思わず、意識を取り戻す。いや、取り戻させられたと言おうか。
「エ、エド、やめ、俺は……」
「ごめんトニー、これで今は終わるから……っ!」
「……あっ、あ、あー!」
 俺が真珠をぽろぽろ零すと同時に、後ろへエドの迸りを感じる。俺の精液もびゅるびゅると飛んで、俺の頬を濡らした。
 一瞬落ちた俺を引き上げたエドが、謝罪しながら精液で濡れた頬を舐めてくる。
「トニーの精液って、白子みたいな味だ。ガーリックバターと合いそう」
「そ、れはどういう意味だ……」
 へとへとに疲れているのに、見知らぬ単語へ反応してしまうのは研究者の性だ。
 エドが言うには、俺の精液は魚分が混じっていて、食用としてもいけるのではないかという事だった。ガーリックは薬味、バターは乳製品だそうだ。
 一通り知的好奇心を満たしたところで、俺はがっくりと体力を失う。エドは慌てて俺の身体全体を海水に浸した。そのせいか体調は少し良くなり、会話程度なら出来そうだ。
「なぁ、エド、久し振りだな……」
「ほんと……。ねぇ、何で僕がここに居るか、話してもいい?」
「構わん、俺から説明を願い出ようかと思っていたくらいだ」
 それからエドに聞いたのは、かなり驚いてしまう事実だった。エドは今、流行り病と嘘を吐いて、寝食をここで済ませているらしい。本日――婚姻の儀の当日までもだ。
 エドは外で響いている祝砲を聞きながら言った。
「そろそろ時間的にギリギリだ。サラが僕を迎えに来ると思う。でも……」
 それ以上の言葉は要らないとばかりに、俺の身体をエドが抱き締める。しかし俺は心を鬼にした。
「エド、ここまでお膳立てされているんだ。また戦にならないよう、婚姻してこい」
「イヤだよ! だって君の騎士の責任で、僕はここに住んでいるんだから!」
「……ロージオが?」
 エドは例の船上で、泡を欲しがるロージオを見て、「何かあるな」と思ったそうだ。そこでロージオには知らせず、少々の泡を保管した。
 城に帰って観察してみれば――形はあるが、決して消えぬ不思議な泡。怪しすぎて怪しすぎて笑える程だったと言っている。
 その上、この別荘の残骸に、真珠が詰まった宝石箱が置いてあった。宛先はエド。『手持ちの泡と交換して欲しい』というメッセージ付きで。
 そういえばロージオは、俺がエドのために真珠を集めていたのを知っており――つまりエドも、それを欲しがっていると考えたのだろう。なので、記憶の泡を取り戻す材料に使った。
 様子を見つつも泡と真珠を交換したエドは、こんな風に感じる。『なぜトニーの騎士は、真珠を用意してまで、僕が保管していた少量の泡に拘るんだろうか?』と。
 まぁ、確かにそうだ。
 そこでエドは俺の吐いた嘘を感じ、婚姻の儀ギリギリまで待っていた。俺を無理やりに探さなかったのは、俺の気持ちを思いやっての事で――ああ、聞いてみれば、なんと間抜けな話か。
 俺は苦笑しつつ、エドにこちらの事情を伝え始めた。
「確かに俺は泡になったが、数日すると元の身体に戻る事が出来た。例の薬の発明者――ドロイからは、その仕様を聞き損ねていてな……。だから、泡になった瞬間の俺は、エドとの今生の別れが来たと信じていた訳だが」
「そんな状態なのに、自分が悪者になって僕や僕の国の事を……!? 何なの君は! もういい! 人魚でも何でも君を后にする!」
 そこに、忙しそうな馬の音が響いた。もちろんサラだろう。

 少し経って現れたサラは、俺を見ると一瞬だけ息を呑み、慌てて膝をつく。そんな必要は無いというのに。
「エド皇子、こうなったら皇子は危篤という事にしましょう」
 サラが開口一番、そう言った。
 俺は即座に反論する。
「いや待てサラよ、せっかく婚姻する事で平和を得たんだぞ! それを無駄にする気か!」
「皇子の流行り病には説得力があります! トニー殿下が戻った今、数日、いや一日だけでも婚姻を遅らせて、その間に案を練りましょう! いいですか、皇子!?」
「うん、サラ、そうして!」
 エドの同意を得たサラが、駆けて来た勢いで戻っていく。
 俺は未だエドを婚姻させるつもりだったけれど、二度と離れぬというばかりのエドに根負けしてしまった。
「……どうする気だ? 婚姻を引き延ばして、何か妙案でも浮かぶというのか?」
「前向きな君と一緒なら、絶対に!」
 相変わらずの自信家だ。皇子ならではという所か。
 そこに、この事態の元凶とも思われる人魚が現れた。ロージオだ。交尾を終えてすぐにこちらへ向かって来たらしい。
「殿下! やっぱりここに来てたんだね、良かった」
「……総て計算ずくという訳か?」
「まぁ九割方この浜辺に来るとは思ってたけど」
 ロージオは無邪気に笑いつつ、エドに会釈する。
「泡の件ではお世話になりました」
「いや、大丈夫。そのお陰でトニーの気持ちを確認できたし」
 ちなみに、この段階でもエドは俺を放さない。べっとりと抱き締めたままだ。だからロージオが苦笑している。
「……うん。一度離れて、再び出逢った二人を引き裂くのは酷な話だ」
 そう言いながら、ロージオはすいすいと外へ出てしまった。俺に行き先を告げないので気に掛かる。
「ロージオ、どこへ?」
「んー、秘密!」
「秘密ってお前! おい、待て!」
 追いかけようとする俺を、エドがぎゅっと抱き締めた。
「ねぇトニー、どこにも行かないで……!」
 切なそうな表情を見せるエドだったから、俺は大人しくその胸に身を寄せた。
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