人魚皇子

けろけろ

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32.婚姻の儀

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 翌日。
 俺が目を覚ますと、少し瞼が腫れてしまったナルネルが随分とお洒落している。珍しい貝で作ったネックレス、揃いのイヤリング。腰には桃色の真珠を何層か巻き、尾びれの先のチェックにも余念が無い。
「どうしたんだナルネル、どこかへ出かけるのか?」
「お兄様の婚姻の儀に決まっています!」
「……そうだったのか、わざわざ悪いな」
「お兄様の一世一代の晴れ舞台。私も絶対に参加させていただきます! お相手の方もじっくり拝見したいですし!」
 なんだろう、ナルネルに少しだけ迫力がある。だがまぁ、可愛い妹が参加してくれるのは、俺にとっても喜びだ。
 俺はナルネルの屋敷でそのまま時間が来るのを待っていた。午後が近づくにつれて落ち着かないのは仕方ないだろう。
 そんな中、時計が十二時を回る。そろそろ出かけてもいい頃合だ。俺とナルネルは屋敷の外へ出た。
 するとどうだろう。ナルネルと同じく、いやそれ以上に着飾った沢山の人魚が整列していた。中には父と母、ロージオやヴィ家の面々、ドロイにリリカ――その他、一般の人魚たちも。
 俺は父に問うた。
「これは……皆で婚姻の儀に来るつもりですか?」
「当然だろうトニアランよ。それともこの儂に権利が無いと申すか!」
「いえっ、そんな事は全然! ただ、あの会場に入りきるかどうかと!」
「お前の花嫁姿だけでも見られれば良い、ここに集った者共は皆そう思っておる」
 俺は父の言葉にじいんとしてしまい、数粒の真珠を零してしまった。父とは色々あったが、それでも。
 しばらく真珠が止まるのを待ち、俺はなるべく大きな声で言った。
「では、参りましょう!」
 俺の後に、数十匹の人魚がついてくる。エドは多分驚くだろうな――そう思っていたら。
「な、なんだ、どうした、これは……!」
 例の浜辺には、ぎっしりと民衆が集っている。中には飾り立てた人間も。これは親戚やら関係者だろうか。
 俺が屋敷に顔を出すと、真っ白な服装をしたエドが出迎えた。
「良かった、時間どおりだ。さ、まずはこれを」
「ん? 何だ? この真珠の山は」
「君の嬉し涙で作ったアクセサリーだよ」
「そ、そうか……では」
 俺はまず、腰に巻く真珠のベルトを身に着ける。デザインはナルネルが着けていた物と近いが、色だけ純白だ。次にネックレス。これも同じ色の真珠。派手なイヤリングもそうだった。
「あと、これね」
 真珠の王冠を被ったエドが、俺に同じ素材のティアラを被せる。それと、薄いヴェールも。ふわりと風を孕む、見た事も無い美しい生地だ。
「なぁエド、なんで服も装飾品も何もかもが白なんだ? 人間は真珠の色加工を知らないのか?」
「白でいいの! 花婿と花嫁ってのは、そういう物なの!」
「ほう……人間はやはり面白いな」
 そこに、侍女らしき女性から声が掛かる。エドは屋敷を出て、波打ち際に案内した。
「これだけ人数が居ると、屋敷が壊れちゃいそうだから……婚姻の場所は、ここでもいい?」
「もちろんだ。俺のほうも数十匹連れて来てしまったし」
 俺は、すいすいと波打ち際を進んでいく。エドはせっかくの靴を水浸しにして、俺と手を繋いでいた。でも、笑顔。
 そのうち、派手な格好をした知らないお年寄りがやって来る。ごちゃごちゃ言っているが、どうやら神に愛を誓うか否か聞いていたらしい。
 俺は神など信じていない。だが、エドが誓って欲しそうなので了承した。
 それから、指輪の交換。
 これも真珠で出来ているが、エドのものには黒、俺の方には薄緑の宝石が上品にあしらってあった。この宝石が海水に耐えられるかどうかは知らないが、いまそれを言うのは野暮というものだろう。
 俺がきらきらした指輪を眺めていると、エドはいきなり俺のヴェールを半分だけ剥いだ。
「どうした、エド――」
 聞き終わる前に、エドが軽く口づけしてくる。その後はがんがん鐘が鳴ったり、わぁっという大歓声と共に米という農作物を飛ばされたりしてえらい事になった。
「これが人間式の婚姻の儀なんだな」
「王族だと本当はもっと色々面倒な事があるんだけど、トニーが浜辺にずっと居るのも大変だと思って……略式!」
「そ、そうだったのか。すまんエド、気遣いに感謝する」
「いや、僕こそ人間式を押し付けちゃってごめんね。人魚式でも挙げようか?」
「ああ、それは必要ない。なぜなら――」
 俺はエドに、人魚はお互いに婚姻の意思を疎通すれば済んでしまう事を伝えた。エドは驚いていたが、事実なので仕方ない。
 ただ、めでたい事があると鱗を鳴らす習慣だけは教えてみた。するとエドはざばざばと海に入り、人魚の群れに向かっていく。そして頭のてっぺんまで海に潜り、ぷはっと水面に出た。
「今日はありがとうございます。聞こえました、鱗の音!」
 その言葉に、あの父までもが笑顔。
 俺は幸せを感じていた。これで俺とエドは一生一緒に生きていける。誰に憚る事もなく。
 そう思ったら、自然にエドの手を握っていた。エドは、それ以上の力強さで返してくる。
 さぁ、あとは屋敷に向かうだけ――そう思っていた俺たちに、珍事が起こった。
 どうやら砂浜に、赤髪の魔女が現れたらしいのだ。魔女は西の森に住み、何も悪さをしていないが、ただ『魔女』という響きだけで遠巻きにされている。
 それに対し、エドは何も気にしていないようだった。面識があるのかもしれない。だからエドは、波打ち際に立っている魔女のもとへ移動する。もちろん、手を繋いでいる俺も。
「西の森の魔女、よく来てくれたね」
「私にはキャリーという名がある」
「そうか、キャリー。今日は俺たちを祝いに来てくれたのか?」
「無論だ。そのエド皇子には、ルパートの件で世話になったからな」
 そう言った後、キャリーは俺の顔をじいっと覗き込んだ。人魚が珍しいのかもしれないが、俺にとっては魔女が珍しい。結果、互いに見つめ合う形になる。
 やがてキャリーは、ぽつりと呟いた。
「人魚とは美しいものだな?」
「そうか? 魔女も悪くないぞ」
 そこにエドが、ささっと介入する。
「ちょっと! 僕のトニーに何するの!?」
 俺の事をエドが抱え込むので、魔女は「冗談だ」と笑った。笑い終わるまでにはしばらく掛かりそうで、俺とエドは祝いに来てくれた礼だけ言って立ち去ろうとした。
 そこに、キャリーから声が掛かる。
「おい、まだ私からの祝いを贈っていないぞ」
「僕は君が来てくれただけで十分だよ」
「いや待て待て、お前たちが望んでも手に入らないものを贈ろうというんだ。黙って受け取っておけ」
 キャリーがそう言い終わるや否や、波打ち際にぼわんと、本当にぼわんと赤ん坊が現れた。その数は三十にも届こうか。半分は人魚型で、もう半分は人間型だ。全員が、ほわぁほわぁと泣いている。
「なっなにこれ! ちょっとキャリー!!」
 驚いたエドが叫んでいる。俺の方は赤ん坊をどうしたらいいのかとパニックになっていた。
 すると、人間の中から赤ん坊連れの女性たちがやってくる。彼女らは人間型の赤ん坊をひょいと抱きあげ、乳を飲ませてくれた。それを見て、参加していた一般の人魚も赤ん坊へ近づいてくる。たまたま発情期が早かった女性型が数名居たらしく、同じように乳をやってくれた。
 ぽかんとしてしまった俺とエドに、キャリーが悪戯げな笑みを浮かべる。
「先日、人魚は交尾の時期だったようだな。その時にお前たちが睦み合った数だけ赤ん坊を作ったんだが……たった一日でこの人数とは恐れ入ったぞ」
 俺とエドは真っ赤になるしかない。
 そこに、エドの父君と俺の父が寄って来る。
「おお、この子は利発そうだ! ぜひアスター王朝の世継ぎにしよう!」
「それ見た目がトニーの人間だよね? 父さんは僕の顔に利発さを感じてないの!?」
 エドが妙なところに噛みついている。その一方で、俺の父も一匹の赤ん坊を抱き上げた。
「おー、よちよち。マリア、この子は人魚の国に連れて行こう。トニアランが人間に奪われた代わりだ」
「俺そっくりの人魚を誘拐しないでください! だいいち、そんな簡単には渡せません!!」
 いきなり抱き上げられ驚いてしまったのか、赤ん坊二人がぎゃーっと泣き出す。慌てて俺とエドが奪い返すと、なぜか泣き声が収まった。
「……可愛いものだな、赤ん坊とは」
「同感。こうなったら、何とかして育てよう!」
「十五人、十五人魚か。大変だぞ?」
「乳母軍団と、この事態を引き起こしたキャリーにも協力してもらおう」
 エドがキャリーをじろっと睨む。その間、俺はドロイを見ていた。ぜひ人間と人魚の乳を分析し、乳母が居なくても飲ませられる乳作りに役立って貰いたいからだ。何も伝えていないがドロイは俺の考えを理解したのか、OKサインを送ってくる。
 俺はエドの腕をちょんちょんと突き、意識をこちらへ向けさせた。
「これから忙しくなりそうだな」
「ほんとだよ! 僕の新婚気分を返して欲しい!」
「はは、しかし賑やかなのも悪くないと思うぞ?」
「その為にはこの屋敷を全面的に建て替えなくちゃ! もっともっと広くしないと間に合わない!」
 それについては同感だ。俺はだんだん出来上がってくる屋敷を楽しみに待っていた事を思い出し、懐かしさに耽る。
「俺とお前の場所が、また新しく出来る。今度は子供たちと一緒の」
 思わず呟いた俺の言葉。エドはそれを、口づけと共に肯定してくれた。

END
次は、その後の二人を描きます。
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