鳴るはずも無い小さなシンバル

けろけろ

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鳴るはずも無い小さなシンバル

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 俺の瞼は産まれた時から開かない。顔や身体にも無数の傷が走っている。年老いた医者が言うには何かの呪いだそうだ。俺は一日に五回も聖地に向かい祈っているのだが、どういう事だろう。信心が足りないのかと思った時期もあったけれど、最近は「この真っ暗な世界の代わりに、王と呼ばれる立場に居るのかもしれねぇなぁ」と考えていた。

 そう、俺は一国の王だ。大臣が言うには『風光明媚で水豊か、由緒正しいアラビアの大国』らしいが、それを丸ごと信じる子供ではない。せいぜい『景色が普通、水も普通、ここいら辺の国では中くらいの位置づけ』という感じだろうか。

 そんな俺が水煙草を楽しんでいたところ、大臣の一人から「大粒の真珠が採れまして」との報告を得る。俺は「そうか」で済ませ、水煙草を吸う作業に戻った。俺は金に興味が無い。もっと言ってしまえば政治にも。その辺は大臣たちが上手くやってくれているようなので、快楽に耽るのが俺の日課だ。まぁ自発的なのは水煙草と戒律で禁止されている酒。あとはいつの間にか揃っていた第一婦人以下がぞろぞろと現れて、俺の子種を搾り取ろうとするのを断る作業。彼女らは妊娠すればデカいツラが出来るので必死だ。しかし指一本触れる気にも、触れさせる気にもなれない。何故なのか少し考え、俺は結論を出した。
(ああ、こんな生活に飽き飽きしているんだな……)
 誰かが扇ぐ風に浸りながらそんな事を反芻していると、大臣が珍しい事を言ってきた。東洋人の旅一座が謁見を申し出ているらしいのだ。なんでも、付き物である踊り子が、女性の割に力強く動き、変わっているとか。
 そういえば他の一座では、しゃらしゃらと装身具が鳴る音に合わせ、甘くねっとりした香が漂って来ていた。同時に俺を誘惑するべく頑張ったようだが、俺には音と匂いしか解らないので無意味と言えるし笑えもする。まぁ一番目立つだろう踊り子が王に気に入られれば、一座の待遇は安定という意味だろうか。そうしたいのなら、王が盲目であるという情報くらい事前に仕入れておけと言いたい。
 さて、今回の一座は何を感じさせてくれるのか。もともと退屈だった俺は、大臣に謁見を受ける意思を伝えた。ついでに寝た姿勢のまま広間へ移動して、再び扇がれる。
 そこへ、やけに通る声が響いた。旅の一座の長は女性らしい。彼女は長々かつペラペラと伝統的な挨拶を始めたけれど「もう、いい」と俺が遮った。
「お前が日本人でコハルという名、これで充分だ」
「飲み込みがお早い! 素晴らしいです王様!!」
 コハルはそれだけで喜び、俺の周囲を回る。同じタイミングで幾つかの太鼓も鳴って、コハルが随分と色気のある声で歌い始めた。合間には装身具の音が使われ、それはコハルが女性の割に力強い。しゃらしゃらではなく『しゃん!』という感じだ。香も東洋の物だろう。変わった匂いで、甘くもなく爽やかだった。
(……なんだこりゃ、不思議な気分だな……特に音、装身具の音がいい……)
 そう思っていたら、太鼓が派手に鳴り出した。振動で脚と尻がむずむずする。
 ふと気づけば俺は立ち上がり、コハル一座の出す音と共に踊っていた。そちら方面にはちっとも詳しくないのにだ。つまりコハルが踊りを教えるのが上手いので、俺はすっかりこの一座に乗せられている。でもまぁ悪い気分じゃない。いや、それどころか――。
(楽しい……こんな風に思うのは久しぶりだ)
 この結果、コハル一座は王宮に客として迎えられる事になった。



 『しゃん! しゃん!』と今日もコハルが鳴らす装身具の音が鳴っている。俺が大好きな音だ。
 あれから二週間ほど経つが、夕食前に三十分一緒に踊り、たまには俺も歌ったりするのが習慣になっていた。
 その間、俺とすっかり仲良くなったコハルは、俺をたびたび王宮から連れ出してくれた。もちろんお互い変装はしっかりと。案内される庶民の町に興味は無いが、コハルと二人きりというのには何故かどきどきした。
 それを邪魔するのは庶民たちの嘆きだ。みな一様に『税金の取立てがきつい』と声を揃えている。はて、俺は先王である父親の世代から、税金の事については何も変えていないはずだが。
 思い当たるのは大臣たちだ。俺が目も見えず政治に興味を持たないので、かなり好き勝手しているのだろう。
「……近いうちに大臣たちを集めねぇとな」
「それをやったら王様の命が危ないよ。ちょっとずつでいいでしょ」
「おい、道端で王様とか言うな。アヴダでいい」
「じゃあアヴダ、そろそろ戻りましょう」
 俺は頷き、場所を王宮内の中庭に移した。ここには噴水と東屋があるそうだ。どうりで涼しい。あっという間にお気に入りの場所になった。
 コハルはそこで様々な話をしてくれた。ゲイシャの母を持つコハルは仲間を募り、日本から旅芸人として出港し、中国や中央アジアを通って俺の国に来たらしい。言葉は現地で覚え、芸もゲイシャの踊りからその国で受けるものに変えて移動したとか。俺は世の中がそんなに広い事へ衝撃を受けた。俺は井の中の蛙と表現できるそうだ。こう言われたら怒っても良さそうだが、俺はコハルをそのままにしてしまう。

 その件については後からよくよく考え『もしかしたら惚れたかな』と驚く。だとすれば、最初の切っ掛けはコハルが奏でる『しゃん!』という音だろう。アレで俺は一目置いたのだから。
 そう気づけば話は早い。俺は寝所にコハルを呼んだ。
「どうしたの? アヴダ」
「俺はお前に惚れた。なので睦み合う」
「ちょっと待って、私の気持ちは無視? ……そういう所は王族だね」
 あからさまにコハルは不機嫌だ。俺は自らの妙な癖というか、刷り込まれた考え方に辟易する。
「すまん、コハル」
「ったく、柄にも無くしゅんとしないで。仕方ないなぁ!」
 そうしてコハルは俺のベッドに入った。俺はコハルに覆い被さるが、この先どうしたらいいのか判らない事に今さら気づく。
「睦み合いとは一体……女には辟易していたから何も解らん。子種を出すのが重要というのは解っているんだが」
「ふふふ、面白いから自分で勉強してみて、まずはキスから」
「キス?」
「唇と唇を合わせる事よ」
「今キスしてもいいか?」
「だーめ、勉強してから!」
「うう……そうだな、コハルとの記念になると思うし、頑張ってみよう」
 俺はありがたくコハルの案を頂戴し、その日は添い寝だけ。でも大変に幸せだった。だから気づかなかったのだ。大臣が密偵を放って俺たちの言動を観察している事に。

 翌朝、俺はコハルと一緒に食事を摂ろうと思い、隣で寝ているコハルの身体を揺すった。そこである違和感を覚える。コハルがやけに冷えているし、いつもの香と違うものを付けているのだ。
 俺は部屋付きの召使いにコハルの様子を調べさせた。その召使いは医者を呼んだほうがいいと訴え、もちろん俺はそう命じる。
 お抱えの医者は、五分と待たず現れた。そしてコハルを診察している。
「おい、コハルはどうしたんだ?」
「残念ながら亡くなっております……安らかなお顔で」
「……っ! では、この香の匂いは何だ! 死者の匂いだとでもいうのか!」
「……恐れながら申し上げます。これは毒薬――」
 ここで医者の声が途絶え、辺りが一気に血生臭くなる。うんと遠くから「余計な事を喋りおって」という大臣の声も聞こえた。俺は魂を失ったコハルを抱きしめ、大臣を呼ぶ。大臣は来ない訳にも行かず、俺の目の前までやってきた。
「大臣」
「ははっ」
「『余計な事を喋りおって』とはどういう意味だ? コハルに毒を盛ったのが露見したという事か?」
「いえ、その……」
「まぁ良い。お前は民に重税を課したり好き勝手やっていたようだからな。コハルの分も含めて死ね」
「僭越ながら申し上げます! 税も踊り子の件も国に必要で御座いました……! どうかお赦しを……!」
 大臣曰く、税はこの国を保つ為に仕方なく――コハルの件は、外国人の身分違いで世継ぎとしては問題が出ると。コハルが死ねば諦めると思ったと。
 まぁ確かに、政治に無頓着だった俺が、税に関して色々は言えまい。これから改善していけば良い。しかしコハルの件は別だ。コハルは二度と帰って来ないのだから。
「俺が子を作らんでも、親類縁者が居るだろう! そいつに即位させればいい!」
 それを聞き、大臣は黙った。俺はその理由を考えていたのだが、誰かが小さな声で「権力を失うから……」という答えをくれる。
「確かにな。俺が居てこそ今の地位。やはり死ね」
 そこで「うおお!」という雄叫びが上がった。非常に騒がしくなり、キン、キン、という刀や槍が触れ合う音もする。俺は誰かにその場から連れ出されたが、冷たいコハルだけは抱き上げて離さなかった。

 やがて、物騒な音が聞こえない場所まで移動する。そこでやっと、俺をここに連れてきたのは扇係の女だと知った。
「いま、大臣派と王派が激しく闘っています。この場所は中庭の隅、木々で隠れていますからご安心ください」
「そうか、感謝する」
「いえ、そんな……王様、ここで待っていて下さいね。もっと安全な場所を探してきます」
 そうして俺はコハルと二人きりになる。更には俺がぼたぼた涙を流している事にも初めて気づいた。瞼が開かぬ俺が、今までの人生で泣いた事があっただろうか。
「コハル……コハル……!」
 それに対する返事は無い。ある訳が無い。だが、嘆く俺に不思議な事が起こった。まずは視界がぼんやりとして、その内くっきりコハルの姿を見て取ったのだ。
 初めて見る人間――コハルは、しなやかな筋肉を持つ女性だった。なので、あの力強い音を出す事が出来たのだ。亡くなったコハルの表情は誰と比べた訳でもないが、俺にとっては大粒の真珠より美しく――音を立てていた装身具も、纏っている薄く透けた布も、何もかもが愛おしい。俺はコハルをぎゅうっと抱きしめる。それからやっと周囲を見た。扇係の女が言ったとおり、木とかいう植物に囲まれている。ただ、少し先に人が座れるような空間と噴きだす水があった。あれは多分、コハルが教えてくれた東屋だ。
 そこに移動しようかと思った所で、扇係の女が戻ってきた。俺の目が見えている事に驚いていたが――そんな俺にもたらされたのは王側一派の勝利報告。扇係の女は「死体や血痕等の掃除に少し時間をください」と言い、また去って行った。俺は『死体』と聞いてどきりとする。俺の腕の中のコハルも死んでいるからだ。
(死体はいつか、土に還さねばならない……)
 本当は腐ろうが何だろうが手元に置いておきたいが、美しいコハルをそのようにするのは不敬に思えた。だったらこれが最後かと思い、俺はコハルに初めての冷たい口づけをする。こんな事になるのなら、あの時コハルに懇願して教えて貰い、子種が出るまで抱けばよかったと号泣した。
「コハル、コハル、コハル……!」
 俺は泣きながらコハルの装身具――小さなシンバルを一つだけもぎ取る。そうしてコハルを抱き上げ、夜が明けるまで一緒にいた。脚がちょっと痺れたけれど、それすら愛しさの象徴だ。
 初めて見た太陽は、コハルと同じくらい眩しかった。



 その後。
 コハルはあの闘いで俺に味方し、命を落とした人間と共に国葬とした。ただ、コハルを埋めたのは中庭の東屋近く。ここはコハルが教えてくれた風の気持ちいい場所であり、コハルが色々な国の事を教えてくれた場所であり、俺とコハルが口づけた場所でもあるからだ。
 それから俺は王位を親類に譲り、供も付けずにおっかなびっくりの旅へ出た。行き先はコハルが教えてくれた国々で、最後は日本がいい。コハルが産まれた国をこの目で見てみたいのだ。
 俺はペンダントにしたコハルの形見の小さなシンバルを握り、口づける。
(この旅を守ってくれな、コハル)
 その時、握っているから鳴るはずも無い小さなシンバルが、間違いなく『しゃん!』と音を立てた。
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