新説 六界探訪譚

楕草晴子

文字の大きさ
70 / 133
9.閑話休題

1

しおりを挟む
あすこにある玉子焼は何と云っても、恋愛などよりも衛生的だからね。

『河童』芥川龍之介 より

**********

 かつて土曜日がここまで落ち着かない事があったろうか。
 もちろん悪い意味で。
 武藤さんの『お母様』とあのダンスシーン。
 弐藤さんへのあの仕草。
 佐藤の『地球からじゃ手が届かない』発言。
 コウダのあの目。
 そして、『まだ続きあるぞ』。
 あの日の帰りから睡眠時間を挟んで今の今までずーーーっと頭ん中をぐるぐるぐるぐる。
 マジ明日来なきゃいいのに。
 武藤さんの『中』があるせいでもともと薄かったその翌日の体育祭の存在感が、さらに薄れる嫌さ加減。
 じいちゃんが逝ったときはベクトル違ったからなぁ。
 金曜日の昼に四月一日ん家に行く予定を断ったの、失敗だったわまじで。
 心から後悔しはじめて早30分。
 学習机の上に置かれた基盤ーーこの前拾ったーーの掃除は全く捗ってない。
 それどころか、デカい埃に多少近づけてエアダスターを噴射したところ、時々出ちゃう変な白い塊が命中。
 ますます取れにくくなってしまって今に至る。
 母さんが来る秋休みが来週からで本当によかった。
 親父は多分俺の悩みに気付く余裕なんてないはず。
 落ち込むオレとは逆に、例年通り変に盛り上がって昨日の夜からせっせと部屋中掃除しだしてたから。
 けど、母さんは違う。
 多分根掘り葉掘り聞かれて変な気遣いが始まり、そしてきっと言い出すだろう。
『お昼ご飯つくってあげる』って。
 苦手な料理を頑張ってるとこを見せることで息子の気持ちを少しでも元気づけようというあれが。
 メニューはラーメンか素麺か、麺類なのは間違いない。
 どうせ茹で過ぎか半生で、ところどころくっついてるんだろうけど。
 それだけならまだいいんだけど。
 母さんはこういうとき頑張ってしまう。
 そして地雷を踏む。
 一風変わったトッピングにしようとか、スープに隠し味しようとかいう、料理下手な奴が絶対やっちゃダメなあの地雷を。
 さらに大体晩御飯の時間に準備が間に合わず、食べだしてからも母さんが台所で立ちっぱなしになる。
 そのまま初回の失敗を挽回するべく複数回リアルタイムトライして更なる失敗を生み出していく。
 結果的にわんこ蕎麦ならぬ、わんこラーメン、わんこ冷麦に。
 普通なら『う~んイマイチ』以上に不味くなりようがない料理が、アレンジの違いで何種類もの異次元を演出する阿鼻叫喚の刺激的なエンタメになっていく。
 最後にあれに挑戦するはめになったのは小学校6年生の夏、わんこ素麺だった。
 当時の友達連中とネトゲのアイテム集め失敗が原因でケンカして、くさくさしてた時だった。
 『期待しといて!』。
 あの一言が地獄の一丁目に差し掛かった合図だったんだよな…。
 当時をしみじみと思い出す。
 一袋198円、二つで300円というお買い得品の普通の素麺。
 それは母さんのマジックハンドによって『こ、こんなの見たことねぇ!』って感じにメタモルフォーズし、食卓を制圧していった。
 立ち向かうは相羽家男子一同。
 取り皿に投下されたブツーーオリジナルレシピによってもはや『白い麺』とは言えなくなっていたーーを、『なかなかイケるじゃないかコレ』みたいな顔して黙々と取り込んでいく親父。
 漢だな、と思った。
 あれは今まででも数少ない、親父を心から尊敬した瞬間だった。
 じいちゃんは『ちょっと胃の調子が悪くて…』。
 そして茹で上がったばかりの麺にお湯割りした麺つゆをかけて多少食べ。
『ごちそうさま』と、母さんに作ってくれたことへのお礼、そして食べられないことへの謝罪をしてから、席を離れて寝室へ。
 大正解!! と思った。
 じいちゃんの誰も傷つけずに丸く収める配慮に感動した瞬間だった。
 俺は親父ほどではないものの、頑張って飲んだ。
 母さんにありがとうも言った。
 そしてリベンジを誓って母さんが帰った後、暫く食卓を極端に和食さっぱり系に寄せ、親父の胃袋が時間をかけて落ち着き、揚げ物が出せるようになると収束宣言となる。
 2週間近く要ったからなぁ。
 食べるのもしんどいし、気持ちもしんどいし、後の献立もしんどいし。
 発端が真面目な親心ってのもよろしくない。
 そのうえ母さんは変なところで押しが強く、こうと思いこんだら最後。あの手この手で説得にかかって来た上、絶対折れない。
 経営者ってやつだからだろうか…いや、ただ単にそういう性格なだけだろ。うん。
『やらせてください』って母さんから頭下げてまでの押しの一手、もう要求を飲むしかなくなり、結果じいちゃんと親父ーー特にじいちゃんーーが文句言い辛い状況が余計申し訳なかった。
 だから極力そういう雰囲気は出すまいと、そのためだけに母さんが来る前に凹みそうな予定を入れないという計算までしてた昨今。
 今回のは不可効力だ。
 どうしたもんか…。
 一番いいのは明日コウダに謝って、向こうもまあいいよってなって、スッキリすること。
 でもなぁ。
 正直、頭下げる下げないっていうより、もう『中』に入りたくないってのが今の気持ち。
 自分が気にしてなかったってのはそうだけど。
 でも、だって、やっちゃダメだよ。やっぱり。
 こそっと裏口から覗くなんて。
 だからって他に代案ないんだけど。でもさ。
 あいつがゲス野郎なのだって、間違っちゃいないわけだろ?
 癪に触るのだって確かなわけで。
 そんなこんなでぐずぐずと。
 一度禁じ手って自覚しちゃったらもう雪崩式。
 『中』に入った時を思い出す度、『駄目だめダメvvvv』『くそったれがぁああーーーー!』『てかウザイまじで』的なセリフが2chのテロップの如く大量にその光景に被さって流れ、それらをかき消していった。
 なんか別の画像でも見たら今のイメージ上書き出来るかなぁ。
 のろのろと1階に降りてPCの前に座って電源を入れる。
 いつものオレンジの円が表示された。
 矢島ん家に行くといつも思うけど、みんな普通これじゃないんだよなー。
 四角いマークのやつなんて学校でしか使わないって小学校の途中まで勝手に信じてた。
 普段ブラウザで動画なんかをだらだら見るくらいしかしないから、別に不便もない。
 親父が安いPC買ってきて色々いじったやつで、ネトゲ非対応スペックってとこだけは玉に瑕なんだけど。
 ない袖は振れないってことだからしょうがない。
 黄緑の狸のマークのブラウザを起動すると、YourTubeの上昇リストの一番上を取り敢えず再生。
 いつもはもうちょっと気乗りするのに、何だかそぞろな感じが消えない。
 がらがらと引き戸を開けて親父が帰って来る音で何故かホッとするくらいには、集中できていなかった。
 よっこらせ、と荷物を下ろした親父。
 チラリとこちらを見ると、休日出勤の荷物を置いて着替え、作業着を風呂場で洗い出す。
 何となく俺も風呂場の方に行ってみた。
 親父の背中が丸まって揺れている。
 ブラシで襟を擦る音とリンクするそれを見ていると、頭ん中のおかしなブレもそれに沿ってリズミカルになっていった。
 洗面台の鏡を見る。
 午前中に抜糸した後の額の傷は真っ直ぐな線になっていた。
 糸の跡も多少残るかも。
 ああ、だめだまた色々ぶり返してきた。
 何となくその場で首を横に振ってみる。
「傷、痛むのか?」
 いつの間にか横で洗濯機に作業着を放り込んでた親父は不信に思ったらしい。
 じっと親父を見て止まり、NOの意味で軽くまた首を横に振る。
 親父は、ん、と了解の一声を出して居なくなった。
 かと思いきや辺りを見回している。
 はー、掃除漏れチェックか。御苦労様。
 てかなんでそんな掃除好きなの?
 親父がPCの前に座ってしまったけど、スマホは空いてる模様。
「スマホ貸して」
「ん」
 手元のスマホを俺に差し出し、軽く猫背のいつもの姿勢に戻ると、マウスに右手をそっと置いた。
 Wifi&スマホで見る動画はPCよりも快適。
 SNSチェックをし出すけど、やっぱり気もそぞろ。
 そもそも苦手だから。
 つぶやいたり会話したりっていうのがリアルで苦手な人間でも、ウェブならできるだろうなんて一体誰が決めたんだ。
 あれもこれも苦手、そういう奴だっているんだぞ。
 流れるスレを追いながら、苛立ちを転嫁、いやそっち方面にも分割増幅させていく。
 さっきよりも苛立ちの本質が相対的に小さくなったような?
 あー、もう根っこからくさりそうだ。
 時間だけが過ぎて行く。
 だいぶ早い晩飯の支度しようか?
 うー。
 どうしよう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

転生したら異世界最強ホストになってました〜お客様の“心”に寄り添う接客、始めます

中岡 始
ファンタジー
39歳、社畜人生まっしぐらの男・佐藤健二。 過労死の果てに目覚めたのは、剣と魔法が息づく異世界。 しかも――自分は“絶世の美青年”に転生していた! スキルも魔法も戦闘力もゼロ。 けれど社畜時代に培った“超気遣い力”と“営業トーク”を武器に、レオンと名を変え、異世界のホストクラブ「ルミナス」で働くことに。 お客様の心を読む観察力、地獄の飲み会で得た異常な酒耐性、クレーム対応で磨いたメンタル。 「顔だけのホスト」と嘲られながらも、レオンは仲間と共に、激動の歓楽街を駆け上がっていく。 やがて待ち受けるのは、影の評議会との裏社会抗争、ホスト頂上決戦、そして…“ホスト帝国”の創業! ──これは、異世界で夜を照らす男が、“ただの転生者”から“誰かの人生を支える存在”へと変わる物語。 心を売る時代は、もう終わりだ。 これからは、“心で寄り添うホスト”が、世界を変える。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

この争いの絶えない世界で ~魔王になって平和の為に戦いますR

ばたっちゅ
ファンタジー
相和義輝(あいわよしき)は新たな魔王として現代から召喚される。 だがその世界は、世界の殆どを支配した人類が、僅かに残る魔族を滅ぼす戦いを始めていた。 無為に死に逝く人間達、荒廃する自然……こんな無駄な争いは止めなければいけない。だが人類にもまた、戦うべき理由と、戦いを止められない事情があった。 人類を会話のテーブルまで引っ張り出すには、結局戦争に勝利するしかない。 だが魔王として用意された力は、死を予感する力と全ての文字と言葉を理解する力のみ。 自分一人の力で戦う事は出来ないが、強力な魔人や個性豊かな魔族たちの力を借りて戦う事を決意する。 殺戮の果てに、互いが共存する未来があると信じて。

異世界で農業を -異世界編-

半道海豚
SF
地球温暖化が進んだ近未来のお話しです。世界は食糧難に陥っていますが、日本はどうにか食糧の確保に成功しています。しかし、その裏で、食糧マフィアが暗躍。誰もが食費の高騰に悩み、危機に陥っています。 そんな世界で自給自足で乗り越えようとした男性がいました。彼は農地を作るため、祖先が残した管理されていない荒れた山に戻ります。そして、異世界への通路を発見するのです。異常気象の元世界ではなく、気候が安定した異世界での農業に活路を見出そうとしますが、異世界は理不尽な封建制社会でした。

処理中です...