新説 六界探訪譚

楕草晴子

文字の大きさ
131 / 133
14.第六界

15

しおりを挟む
 あれから一ヶ月が過ぎ。
 一体何だったんだろうと思い出しながら、コウダが来るのを上野公園のいつもの一角で待つ。
 あの日あの後どうしたかといえば。
 タオルで直ぐに体を拭いたあと、コウダと俺で、交互にシャワーを浴びーー『中』の汚れは消えるって聞いてたけど、一刻も早く落としたかったし、泥と雨で体が冷えてたしーー。
 コウダはクリームを落としただけの服をそのまま着て、来た時玄関先に放り出したという傘を差して立ち去った。
 覚えてないけど一応晩飯の準備と弁当の準備はしたらしい。
 うっすら残ってる記憶が確かなら、親父が帰って来る前に、風呂も入らず寝落ち。
 翌日は普通に学校。
 怪我もなく、影も濃く。
 洗濯忘れたタオルがあとから玄関の角っこで親父に発掘されて怒られたくらい。
 ああ、あと、その次の日、特売でもないのに材料を買い込みオムライス作って食った。
 大奮発だし、玉子焦がしちゃったし、適当にイメージレシピで作っちゃったけど、その割りにまあ悪くなかった。
 ただ、失敗したなぁと思った。
 ケチャップのみで米を炒めるべきじゃ無かった。なんかパンチが効いてない味だった。
 後で調べてご飯炒めるときにソースとかいろいろ隠し味した方が旨いらしい。次回の課題だ。
 それはさておき、土曜日・翌週土曜日…とコウダに会って確認したけど、影が薄くなる様子はなく。
 遂に今日で一ヶ月経過したというわけだ。
「よお」
 あのときカスタードまみれになってた帽子は大体元通り。
 クリーニングにでも出したんだろうか。ちょっと前より柔らかい感じになってるような。
 いや、消えたのか。
 シャワーを浴びた後の風呂掃除が大変そうだと思ってたけど、翌日親父が掃除したわけでもないのに風呂場の排水溝が詰まったりしてなかったし。クリーム拭いたはずタオルは、発掘されたとき泥しか付いてなかったし。
 それにしても、あれ、本当にあったことなんだろうか。
 そんなぼんやりしたものとともに、今日ももうちょっとしたら本当にあったのかあやふやになるだろうという、これもまたぼんやりしたものが、今朝からずっとふわふわ漂っていた。
 そんな中一つだけ、明確に、腑に落ちない事があった。
 あのときじゃんけんに勝てた理由がわからん。
 だって、あれ、『ズルだ~』っていちゃもんつけようと思えばつけれた気がする。
 相手を攪乱させるようなことしたし。自分が出す手を人に見せて貰ったって言えなくはないわけだし。
 でも勝った。
 だから今日ここにいる。
「一応こっち来い」
 導かれるまま日向に出る。
 影は濃く、いつもと変わらず濃く、俺の足から地面に貼りついて生えていた。
 手術前の外科医のように手を前に掲げ、指先をコウダに見せつける。
 どうだ。全部カンペキにあるだろ!
「…大丈夫そうだな」
 コウダは首を揉んでいる。
「じゃあ、これで」
「聞きたいこと、ある」
 踵を返してとっとと立ち去ろうとするコウダは、首を揉みっぱなしだ。
 きっと別れの言葉とかが照れくさくて、はぐらかしたままいなくなろうとしてたんだろう。
 首の手を離し、上半身だけちょっと振り向いた。
「じゃあ、上野駅まで」
 短い。
 しかもあの人込みだ。
 喋るなんて無理だろ。
「二谷堀駅まで」
 体ごと振り返るコウダ。
「わかった。
  出たらなんとか…ってお前が『中』で言いかけてたの、入り口で俺、止めたもんな」
 覚えてんじゃねえか。
 だったら最初からとっとと付き合え。なんの恥らいだよ。
 道すがらはまだ全然秋。落葉が凄い。
 縁石のすぐ横を踏んで遊ぶチビどもと散歩中の犬。大人。じじばば。などなど。
 博物館動物園駅の公開はとっくに終わり、緑色の扉は締め切られ、人は通りすぎるばかり。
 代わりに音楽堂の修理が終わったらしく、こっちに行列が。
「コウダはさ、なんで俺のこと助けたの?」
 一番聞きたいことを、一番先に。
「漠然とだけど、金になるんじゃないかと思ってな。
  それ以外そんな考えてなかった。
  焦ってたし」
 正直!
 納得感あるけどちょっと正直過ぎだろ。
 何となく落ち込んで、芸大前を通りすぎる。
 夏は夏でだったけど、秋は秋で不思議な格好の人が出入りしてるのを見て、季節が変わっても同じだなーと、面白がるというより多少呆れたような気分になった。
「あと、あえて言うなら、」
 コウダは続けた。
 十字路の信号が見えてきた。
 和菓子屋の『鬼まんじゅう』の張り紙に近づいていく。
 やろうと思えばあれも家で作れるな。
「消えられたら寝覚め悪りぃだろ」
「忘れるんじゃなかったの?」
「…忘れないこともまれにある」
 話が続かないまま、住宅と小さな店舗を通り過ぎ、さらに次の十字路。
 『ヨイナカコーヒー』の看板の前には既に行列ができていた。
 クラクションは聞こえないけど、道が込んでる。
 この車の結構な割合が、上野らへんの駐車場に車を止めて観光とかするんだろう。
 ご苦労なこった。
「借金は返せそうなの?」
「…まだはっきりとは」
 横断歩道を渡ると、香ばしい醤油の香り。
 出てきた誰かは、買った煎餅をそのままかじっている。
 喉ぱっさぱさになるだろうに、そんなのかんけぇねぇってか。根性あるなぁ。
「うまくいくと、だいぶお釣りが来る」
 うん? 前聞いたのと違うぞ。
「返しきれるだけじゃなかったの?」
 コウダがにやっとした。
 鞄から何か取り出してる。
 ジップロック。綿入り。
「車通り多いのに危ないよ」
 宵中霊園の入り口に向かう道を通り過ぎた角で止まってジップロックを開け、中身を取り出した。
 俺に向かって掲げる。
 薔薇だった。
 ピンクで丸っこくて、みっしりした花が咲いている。
 安藤さんのときの…じゃない。
 茎に黄色いのと白いのと赤いのが付いてる。
 じゃあこれ、俺の?
「プロを舐めるな」
 ドヤ顔でその茎を親指と人差し指でつまんでくるくる回転させるコウダ。
 あの最中にどうやったんだ。
 コウダがジップロックの中に、そして鞄の中に薔薇を仕舞いなおした。
 凄いよ、うん。でもそれ、
「自慢するためだけにわざわざ持ってきたのかよ」
 羨ましいかとでも言いたげに上から見下ろすコウダ。
「そんなに金欲しい?」
「欲しい。悪いかよ。大事なことだろ」 
 超真剣。
 でもね、そのせいで俺共々危険にさらされたんだぞ。特に俺の『中』で。
「マジで自分本位だな」
「お前もな」
 速攻切り返してきたけど、そんなこと、俺だってとっくに知ってるから。
 俺の『中』から出ようと踏ん張ったあのときの俺の原動力は、コウダを助ける為なんかじゃ絶対になかった。
 真っ直ぐ、俺の家の手前の、運動会のときの道で曲る。
 日陰で寒かったのか、皮肉な笑いを漏らしたコウダ。
「みんなそうだ。
  自分のために他人を利用して生きてるんだ。
  そうやってもたれ合ってんのをオブラートに包んで口あたり良くまとめて、直視したくない奴等が『人という字は支えあってるんだよ』とかいうんだ。
  実の所は別に麗しくも美しくもねぇ肥溜めだなんて事、お前分かってて聞いてんだろ」
 麗しくも美しくもねえのは分かってる。その通りだ。でもわかんない。
「コエダメって何?」
「うんこの溜池。畑のいい肥料になる」
 聞くんじゃなかったくそったれ。そんなの御免だ。
 コウダと出会ってからというもの、何度こんな言葉を思い浮かべたことだろう。
 茶色い気分に反して、空は青く澄んだ秋晴れ。
 ネオンの消えたラブホとスカイツリー。
 赤く染まった木の葉。
 墓場は彼岸過ぎという時期外れでも、喪服の人が絶えない。
 小道からコウダが俺の家のほうを覗いた。
「今日は親父仕事」
 休日出勤になった親父は朝からばたばたとおにぎりを自作して走っていったらしい。
 書き置きがあった。
「このまま駅まで真っ直ぐ行くからいい」
 そうだろう。
 積る話なんてない。
 もうコウダと俺の協調路線で解決すべき問題は全て無くなったんだから。
 これで、駅について別れたらもう、会うこともないんだろう。
「傷はどうだ」
 コルダ・ロハーネスの看板の前を通りすぎる。
 歩きながらコウダに前髪をめくって見せると、コウダの目がすっと細くなった。
「思ってたより目立たなくなってきたじゃないか」
 髪の毛も伸びて芝生を脱却。
 残ったら残ったでかっこいいかなとか思ってた傷も、薄ら線があるくらいしか見えなくなってきていた。
 コンビニの横を過ぎ、枯葉が地面から風で舞い上がる。
 半分禿始めた毛虫の居なくなった桜は、もう暫くで全部の葉が落ち切ってスッキリするんだろう。
 坂を下り、駅構内に降りる。
「あとなんか聞きたいことあるか?」
 思い浮ばない。
 いっぱいあるっちゃあるんだろうけど。
 口火を切ったのはコウダだった。
「じゃあ…ありがとう」
「え? なんで?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貧弱の英雄

カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。 貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。 自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる―― ※修正要請のコメントは対処後に削除します。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います

こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!=== ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。 でも別に最強なんて目指さない。 それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。 フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。 これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。

神スキル【絶対育成】で追放令嬢を餌付けしたら国ができた

黒崎隼人
ファンタジー
過労死した植物研究者が転生したのは、貧しい開拓村の少年アランだった。彼に与えられたのは、あらゆる植物を意のままに操る神スキル【絶対育成】だった。 そんな彼の元に、ある日、王都から追放されてきた「悪役令嬢」セラフィーナがやってくる。 「私があなたの知識となり、盾となりましょう。その代わり、この村を豊かにする力を貸してください」 前世の知識とチートスキルを持つ少年と、気高く理知的な元公爵令嬢。 二人が手を取り合った時、飢えた辺境の村は、やがて世界が羨む豊かで平和な楽園へと姿を変えていく。 辺境から始まる、農業革命ファンタジー&国家創成譚が、ここに開幕する。

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

【完結】ご都合主義で生きてます。-ストレージは最強の防御魔法。生活魔法を工夫し創生魔法で乗り切る-

ジェルミ
ファンタジー
鑑定サーチ?ストレージで防御?生活魔法を工夫し最強に!! 28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 しかし授かったのは鑑定や生活魔法など戦闘向きではなかった。 しかし生きていくために生活魔法を組合せ、工夫を重ね創生魔法に進化させ成り上がっていく。 え、鑑定サーチてなに? ストレージで収納防御て? お馬鹿な男と、それを支えるヒロインになれない3人の女性達。 スキルを試行錯誤で工夫し、お馬鹿な男女が幸せを掴むまでを描く。 ※この作品は「ご都合主義で生きてます。商売の力で世界を変える」を、もしも冒険者だったら、として内容を大きく変えスキルも制限し一部文章を流用し前作を読まなくても楽しめるように書いています。 またカクヨム様にも掲載しております。

処理中です...