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階段での出会い
4_2_生きてる2
しおりを挟む「ふぅん。そんな仕事しながら副業でスタジオミュージシャンか。気を遣ってばっかりで大変だね」と言いながら、孝哉は味噌汁を啜った。
確かに、一日中誰かのサポートをしている生活は、精神的にきつい部分が多い。だから時々、外階段でタバコを燻らせながら、どこかへ逃げ出したくなることもある。でも、現実的にそれは不可能だから、趣味で音楽をやることもやめていない。
俺が幸せを感じられる時間は、自分の体から解放された音が鳴り響いて、その音が満ちた場所にいられる時間だけだから。
「まあな。でも、下手は下手なりにギターが弾ける環境があれば、俺は幸せでいられるからな。ここも、お前が弾き語りしてた部屋があるだろ? あれが使えるだけで、全然違うよ」
この家には、友人の少ない孝哉が唯一笑顔になれることだからと言って、思う存分弾き語りを出来るようにと、親父さんが買った防音室が設置してある部屋がある。
学校でいじめられてケガをして帰ってきた日に、突然それが家に設置してあったのを見た孝哉は、傷をほったらかしたまま数時間そこで歌い続けたという思い出があるそうだ。
「せっかくだし、ここにいる間は使ってやってね。俺はもう必要ないから……」
そう言った孝哉の目の奥に、あの日と同じ色が、じわりと滲み出てくるような感じがした。それが広がれば、孝哉はまた消えてしまおうとするかも知れない。
こんなに美味そうに朝食を食っていても、次の瞬間には散歩するようにいなくなってしまうかも知れない。そんな儚さが孝哉にはついてまわっている。
一緒に暮らしていても、それが消える気配が一向に見えず、時折俺の胃のあたりがズキンと痛んだ。
「でも、弾けないだけなんだよな?」
俺の問いかけに、孝哉は「え?」と目を丸くした。「そうだけど、弾けないと歌うだけじゃちょっと……」そう言いながら、俯いてしまう。
長いまつ毛に覆われて、その世界は半分見えなくなっている。弾けなくなったら、歌えないわけじゃない。弾いてくれる人を探せばいいだけだ。そして、それをする努力は、今の孝哉には必要ない。
「じゃあ、俺が弾けばいいだろう?」
目の前に、ギターを弾くしか楽しみがない男がいるのだから。
「え?」
「俺が弾けば、お前は歌えるんじゃないか?」
それでも、言われている意味が理解できないと言った顔で、孝哉はひたすらに困惑していた。無意識に腕の傷をさすりながら、何かを考え込んでいる。
「でも……誰かの演奏で歌うと、俺、色々と不都合が起きるんだ……」
しばらく傷を触っていた手は、僅かに震え始めていた。何かに怯え、必死になって自分を守ろうとしている。あっという間に、その目の中には、あのドロリとした色がへばりつくようになっていた
「そこになんか問題があるんだな。そんなにいい声してるのに、バンドとかやってないなんてなんでだろうって思ってたんだ」
「うん……。いつも誘われるんだけど、必ずバンド崩壊させるんだよ、俺。だから、もう誰ともやらないことにしたんだ。それで弾き語り始めて、それで十分幸せだったんだけど……最後にどうしても俺じゃないとって言われて、参加したバンドで……」
孝哉は握り込んだ左手に、右手の爪が食い込んでいることにも気がつけないくらいに、怯えて震え始めた。俺は、別に孝哉の詳しい事情を聞きたいわけではない。
でも、こいつを唯一幸せに出来るものを奪われたままにはしたくないと思っていた。
握り込んでいる右手の指を、一本一本ほどきながら、なるべく優しい音になるように心がけながら、孝哉に声をかけ続けた。
「それはバンドメンバーみんながアーティスト気質だったからじゃないか? まあ、他にも理由があったとしても、そこにいた全員の意思が絡まってしまった結果だよな、きっと。でも、俺は大丈夫だ。俺には、表現したいものは何もない。ただ、音の中にいたいだけだから」
誰かと共に音を鳴らすことに、相当な恐怖があるのか、孝哉は涙を流していた。いつの間にか震えは全身に周り、ガタガタと震えている。
「お、音の中にいたいだけ? 言いなりになってでも、弾ければいいってこと?」
「そう。だって、それがスタジオミュージシャンに求められることだからな。たまに自分らしく弾いて欲しいって言われることもあるけど、その時はお断りする。そうなると、日中の仕事に差し支えるくらい悩むからな。だから」
俺は孝哉の頬を、両手で挟み込んだ。パンっと肌が当たる衝撃で生まれた音に、孝哉は目を丸く見開いた。その顔は、目が覚めるほど美しい顔の中に、色の違う魅力を浮き立たせた。
「お前の歌の邪魔をしないように弾いてやるよ」
食卓の向こう側で、孝哉は俯いたままになった。しばらくそうしていたかと思うと、ポロポロと涙の粒を落とし始めた。
「歌ってるとさ……」
泣きながら話し始めたからか、声は揺れていた。ただ、嗚咽を漏らし始めてもなお、その声はまだ美しい。
「いいところから声が出せて、いい高さに当てられて、いいタイミングで始末ができて、いい色が出せた時に……うまくいくと、身体中の肌が泡立つんだよ。足の裏から頭の先まで、体の中に金色の泡が駆け抜けていくみたいにね。俺はそれが大好きなんだ。でも、もう二度と経験できないかと思ってたんだ。だから……」
そう言って、泣き濡れた顔をぱっとこちらへ向けた。その顔はぐしゃぐしゃで、いつもの人形のような美しさとはかけ離れていた。そこにいたのは、きちんと血の通った、二十歳の青年そのものだった。
「俺、また生きてるって思える時が来るんだね」
そうやってみっともないところを曝け出せるようになった関係性が、俺の胸の中に小さく灯りを灯した。俺は孝哉の腕の傷に手を乗せて、真っ直ぐになきぬれた目を見つめた。
「思わせてやるよ。必ず」
孝哉は、何度か俺の言葉に小さく頷くと、そのままテーブルに突っ伏して大声をあげて泣き始めた。
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