追いかけて

皆中明

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俺を救う人

7_2_ゆらぐ2

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◆◇◆


「隼人さん? 大丈夫? ねえ、起きて!」

 両肩を全力で叩きながら、孝哉が俺を呼んでいた。ぼんやりとした景色の中で、そのキレイな顔だけが鮮やかに見え始める。真っ白な肌に、青みがかった黒髪が揺れていて、その中心にほんの少しだけ色づいた口が、忙しなく動いているのが見えた。

 それをぼんやりと眺めていると、頬に軽い衝撃が走った。大粒の水滴が高い位置から落ちてきたことで、夢から完全に抜け出せるほどの刺激が生まれていく。

「……孝哉、泣いてるのか? どうしたんだよ、お前」

 眠りから覚めたばかりで、まだぼんやりとしている俺がか細い声でそういうと、孝哉は、肩を叩いていた両手を宙に浮かせた状態で、ピタリと止まった。

 元々大きくてこぼれ落ちそうな目が、眼窩から飛び出しそうなほどに見開かれた。そして、きゅっと眉根を寄せたかと思うと、浮いていた両手で、俺の頬を挟む。その時、立ち上がりのいい音が、俺の目を完全に覚ましてくれた。

「いでっ!」

「突然倒れて眠り込んだ人が、何で人のこと心配してるんだよ! どこか悪いのかと思って心配したのに!」

 両手で挟まれた頬は、さらに力を込めて押しつぶされていて、答えようにも口が言葉を発せないような状態になっていた。どうやらかなり心配したようだ。無事だということを確認したら安心したのか、安堵の色が見える目に、また涙の粒が見え始めた。

「なんとか言えよ!」

 謝ろうにも言葉が話せる状態ではなく、でも何か言葉を返さないとこれはまだ続くという堂々巡りの状態だった。俺は、仕方なく孝哉の両手首を掴むと、それを顔から勢いよく引き離した。

 両手で等しく軽い力で引いたつもりだったが、左手に力が入りにくい高谷にはそれが強く感じたようで、左だけ思い切り外へと開いてしまった。そうなると、必然的にバランスを崩してしまう。

 なぜか孝哉は、俺の上に落ちてくるようになっているらしい。体力が必要な生活をしているために、俺も多少は鍛えてある。それが役に立ったようで、お互いにケガはせずに済んだ。そして、背中を軽く摩って、怒れる黒猫を宥めすかした。

「あー、悪かったな。ごめん、ごめん。いやでも、お前の歌声聞いてると、めちゃくちゃ眠くなって。あれ、睡眠導入効果? それとも……」

「え? 俺、歌ってたの? いつ?」

 すごく心地いい声で、あっという間に眠りに落とされたことを賞賛したかったのに、孝哉はまるでそんなことがあったなどとは信じられないという顔をしていた。

 俺に共感覚を目覚めさせるほどの衝撃的な経験だったのに、本人はそれをしたことすら覚えていない。そんなことがあるんだろうか。

「お前、覚えてないのか? 小さい声だったけど、はっきり歌ってたぞ。身体中の骨が震えるような気がしたくらい、気持ちのいい声しててびっくりした。しかも、聞いてたら急激に眠くなって……そのまま寝落ちしたんだよ」

 俺はただ、あんないい声の歌を身近に聞けたことに喜んでいて、それを褒めたいと思っただけだった。ただ、孝哉の顔を見る限り、本人は全く覚えていないようで、記憶がないということへの嫌悪感が勝ってしまったらしい。苦虫を噛み潰したような顔をして、黙り込んでしまった。

「俺、覚えてない。それに、体が……歌った後の状態じゃないよ」

 不満げにそう呟くと、のそのそと体を起こした。床に座った状態でベッドフレームに背を預け、遠くへ意識を飛ばすように何かに思いを馳せていた。その何かが、あまりいいものでないことは、俺にもなんとなくわかる。

「歌った後は、どうなってるはずなんだ?」

 俺には無い経験に好奇心が湧き起こり、そう訊いてみる。ただ、孝哉は口を引き結んでいて、答えが返ってくる様子が無い。話したくないのならそれでもいいかと思い、視線をデスクの方へと動かした。

 ふと、さっきまでそこで石田を説得し続けていたことを思い出し、チリッと胃が痛んだ。Tシャツの上から痛んだ箇所を握り込むと、思わずふうとため息をついた。後輩とはいえ、あんなに説得に骨の折れるやつとは、出来れば一緒に仕事をするのは避けたい。

 それでも、石田も悪人ではないため、コミュニケーションが理解しづらい性質であったとしても、パターンを覚えていけばそれなりにうまくやれるということを、教えてやりたいという気持ちもある。

 最近ではその思いに挟まれて、常に胃が痛んでいた。

 そんなことを考えていると、孝哉が俺のため息を自分に向けられた不満だと思ったらしく、申し訳なさそうに口を開いた。

「あ、ごめん。その、うまく説明出来なくて……」

 そして、俺と同じようにTシャツの胸元を握り込んで、押し黙ってしまった。

「あ、いや、今のため息お前にじゃないから。さっきまで電話してた相手が面倒くさかったなって思ってただけ。わりぃ」

「あ、そっか。それなら……こっちこそ、ごめん」

 勘違いで傷ついてしまった自分が恥ずかしくなったのか、少し頬を赤ながらそう答えると、膝を抱えて小さくなってしまった。その姿がまるで小動物にしか見えず、俺は思わず笑い声を漏らしてしまった。

「……なんで笑ってんの?」

「いや……なんか、よくわかんないけど、お前のその姿が、へそを曲げた猫みてーだなと思って」

 艶のある黒髪の中に埋もれている顔は、突然訳のわからない例え話を始めた俺を、不思議そうに眺めていた。おそらく、今孝哉の頭の中ではつんとしている猫の顔を思い浮かべているんだろう。

 孝哉は、頭の中の様子が簡単に予想がつきそうなほど、表情がくるくると変えていく。その姿が、とても愛らしかった。

「……へそ曲げた猫って、我儘ってこと?」

 考えた末の結論が悪口だと思ったのか、拗ねて俺を睨みつけた。

「そこまでは言ってねーよ」

 俺はそれを見て胸を撫で下ろした。

 艶のある長い前髪の奥にあるキラキラとした目には、もう涙は浮かんでいなかった。
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