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第三章

暴君 その名の由来

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 注意! 今回少し残酷表現が入ります。




「リーダーさんっ!?」

 呆然自失といった風のネルより先にピーターに駆け寄ったのは、ピーターより一拍遅れてこの場に駆け付けたガーベラだった。

「……かふっ……ごふっ!?」
「しっかりっ!? 意識と邪因子をしっかり保つのですリーダーさんっ!?」

 ガーベラは自慢の髪が血に塗れるのも厭わず、慌てた様子で止血態勢に入った。しかし、すぐに事態の危険さに顔色を変える。

「……くっ!? 私の力だけでは応急処置が手いっぱいですわね。しっかりしなさいな我がライバルっ!? いつまでそこで呆け……っ!?」

 先ほどから一言も発さないネルに発破をかけるべく、ガーベラはその表情を窺い……息を吞んだ。そこに居たのは、

 キュオオオオン!

 その一瞬の沈黙を好機と捉えたのか、或いは先ほど上手く行ったからもう一度と思ったのか。もはや身を隠す事もないと、咆哮と共に再び超高圧の水流を吐き出す青色の大蛇。

 その一撃は先ほどの再現のようにまっすぐネルの顔面目掛けて伸び、


 ボシュっ!


 そんな小さく情けない音を立て、

 気が付けば、ネルの周囲には邪因子がまるで陽炎のように妖しく揺らめいていた。

 しかしそれは陽炎のようなあやふやな物に見えるだけで、あまりに高濃度に過ぎた。それこそ在るだけで周囲を侵し、触れるだけで並大抵の物であれば霧散するほどに。

「……ガーベラ。ピーターをお願い。その馬鹿を絶対に死なせないで」
「任されましたわ。ですがあくまで出来るのは応急処置。一刻も早くこの煙を抜けて、管理センターの医師に診せなくては」
「それなら大丈夫。……すぐに終わらせるから」

 そう静かに言うネルに対し、ガーベラはそれ以上何も言わなかった。……いや、言えなかった。もし更に何か言おうものなら、最悪からだ。

(参りましたわね。先ほどちらりと垣間見えたネルの表情。あれは今この瞬間にも爆発しかねない自分を必死に抑え込んでいる顔でした。……なら、私のすべき事は)

 素早く思考を巡らせると、ガーベラは止血をしながらそっと髪をピーターの身体に絡ませ、極力負担を掛けないよう細心の注意をしつつ少しずつその場を離れる。

 暴君の巻き添えを食わないために。




 ボシュっ! ボシュっ!

 ザッ。ザッ。

 先ほどから飛んでくる水流を意にも介さず、ネルはただまっすぐ大蛇に向けて歩いていた。

 一歩。また一歩。近づいてくる暴虐に、大蛇はまるで狂ったように水流を浴びせ続ける。

 それは本能で理解したのだ。ここに辿り着かれた時点で自分の死だと。

 大蛇は致命的に間違えていた。ネル本人ならまだしも、時点で追撃を止め、即座に全身全霊全力で逃げるべきだったのだ。

 そうすれば自らに訪れる破滅が、ほんの僅かにでも先延ばしになったのに。

 しかしそれすらも間に合わず、

 ガンっ!

「…………ハハっ。そうだよね。あたしならこのくらい、程度で済んだんだよ。それなのにピーターと来たら、まったく弱っちいんだから」

 わざと周囲を覆う邪因子を少しだけ解き、ネルは自分から水流を額で受け止めて肌が少し切れる。だが次の瞬間傷は塞がり、一筋だけ流れた血をぺろりと舐めて凄絶に嗤う。

 そして、ネルは大蛇の元まで辿り着くと、

「遅い」

 なおも水流を吐こうとした大蛇の喉元を掴み、ギリギリと音が鳴るほどに締め上げた。いくら暴走個体でもこれにはたまらず、水流をあらぬ方向へと飛ばしながら大蛇はパカリと口を開ける。

「……へぇ~。どうやって圧力を掛けていたのかと思えば、舌にそれ用の穴が空いてる」

 それを覗き込むネルは、よっと何の気負いもなくもう片方の手を口の中に突っ込み、その舌を握り締めた。

 大蛇はもがき苦しんで尾を振り回すが、いくらやってもネルの邪因子に阻まれ当たる事もなく、万力のような手に捕まれて逃れる事も出来ない。

「……あのさぁ。これでもね。あたし色々と我慢してたんだ」

 ネルのその声は、表面上は穏やかだった。

「これは試験で、暴走したとはいえアンタ達も参加者。ガーベラが言うには、他の候補生は競争相手であって敵じゃないらしいし? 将来的には同僚になるかもだし? なるべく穏便に終わらせてやろうって思ってた訳。……だけどさ」

 ギリッ。


「アンタ。あたしのピーター壊そう殺そうとしたよね?」


 しかし、それは一皮むけばドロドロの感情に満ち溢れていた。

 これまで日常的に覚えていたイラつきなど比較にならない。愛されていなかった時の八つ当たりなど可愛らしい物。

「ピーターはさ。あたしの下僕第二号兼スパーリング相手兼暇潰し相手なのよ。正直邪因子量は候補生連中の中じゃ真ん中ぐらいだし、体術じゃあもう負ける気しないくらい差が付いちゃったけどさ。それでもそこそこ色々できて役に立つし、なんだかんだあたしにきちんとついてくるしさ。本人の前じゃ言わないけど、結構気に入ってるんだよね」

 一言。また一言。言葉を告げる度に、その手は掴んでいる物に対して圧力を強めていく。その末路が想像できたのか、大蛇の瞳に恐怖が浮かぶ。対して

「そのお気に入りを……アンタは殺そうとした。あたしから盗ろうとした。ならさぁ」

 ネルの表情は正しく暴君の形相だった。その目は今にも爆発しそうな憤怒と、濃厚な殺意を湛えているのに、口元は笑っていた。……敵と己を嗤う事しか出来なかったのだ。そして、



?」



 ブチッ。グシャ。

 ネルの両手は、的確に大蛇の舌を引きちぎり、喉元を肉と皮ごと握り潰していた。

 大蛇は一度大きく震えると、そのまま力なくだらりと振るっていた尾を垂らす。傷口から噴き出す邪因子混じりの血が、ネルの手と顔にかかって赤く染め、すぐに肌から邪因子ごと吸収されていく。

「……ネル。貴女は」

 その凄惨さに、治療中だったガーベラも思わず声を漏らす。だが、

「……まあ、何が一番腹立つかって言われたら。当たったら危ないほど弱っちい癖に、ピーターに庇わなきゃいけないと思わせたなんだけどさ。だから、反省の意を込めて。しばらくは喋る事も食べる事も出来ない点滴生活だろうけどね」

 ポイっと投げ捨てられた大蛇は、痙攣しているもののごく僅かに息があった。常人なら命に関わる重傷だが、暴走個体は邪因子が異常活性しているため耐久性と生命力だけなら折り紙付き。後遺症は残るだろうが、命だけならこのままでも助かるだろう。

(終わった。……でも、まだ煙の壁は解除されてないみたいね)

 これで今度こそ最後の個体だと思い辺りを見渡すネルだが、センターを覆う煙はまるで消える気配がない。

(ここらの個体を全部やっつけたら通れるようになると思ったのに。……もしかしたら二、三体死んだふりでもしてた? だったら念を入れて全員もう一発ずつ死なない程度にぶん殴って、それでもだめなら煙の壁を力づくで)

 そんな物騒な事を考えつつ、急いでガーベラ達の所へ走り出そうとした時、



「……標的を発見。これより、作戦を遂行する」
「っ!?」



 周囲の煙に紛れるように、フードを被った何者かが凄まじい勢いでネルを急襲した。




 ◇◆◇◆◇◆

 ガチギレ暴君の回でした。

 実は前回水流を撃たれた時に直撃していれば多少のダメージは通っていたのですが、ガチギレ暴君モードのネル相手だと次の瞬間治る程度にしかならないという。

 それもこれも、蛇(龍の一歩手前)のくせしてネルの逆鱗に触れたのが悪い。(死んでないけど)成仏せよ。

 次回は(多分もうバレてるだろうけど)衝撃の展開に。お楽しみに。
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