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綺麗事
しおりを挟む恵美さんは学生時代の友人・麻友子さんと、仕事帰りに飲みに行く約束をした。
幸いノー残業デーだったので、割と早い時間にお店に入る事が出来た。
お店から出ても、まだまだお酒も会話も足りない気分。
翌日はお互いに仕事は休み。
このまま駅から近い麻友子さんの部屋で飲み直そうと話がまとまった。
途中にあるコンビニで缶ビールやチューハイ、おつまみをしこたま買い込み、彼女の部屋へと向かう。
お互いの近況報告や恋愛話、仕事の愚痴など話の種は尽きない。
いい感じに酔いもまわり、恵美さんは見るともなく点きっぱなしになっていたテレビの画面へ視線を流した。
画面の中では2時間サスペンスがクライマックスを迎えており、刃物を構えた女性が崖の上で刑事達に追い詰められているシーンだった。
『亡くなった娘さんがこんな事を望んでいるはずがない』
『これ以上、罪を犯すのはやめるんだ』
『犯人を殺したからといって、娘さんは喜ばない』
よくある、お馴染みの展開だ。
テーブルに肘をつき、見るともなしにテレビ画面を見ていると、麻友子さんがポツリと呟いた。
「こんなのさ、綺麗事だよね。死んだ人の気持ちなんか、死んだ本人にしか分からないじゃん」
「何よ、そんな事言うなんて。何かあった?」
恵美さんが問いかけると、麻友子さんは手にしていたスナック菓子を口の中に放り込み、それを飲み下してから話し始めた。
麻友子さんが中学生の頃。
修学旅行を終えた麻友子さんが心地よい疲れに包まれて帰宅の途についていると、自宅近くの家に鯨幕がかかっているのに気がついた。
そういえば、帰り道の電柱に指の形をした案内の張り紙が何枚もしてあった。
何だか自分の楽しい気分に水を差されたようで、足早にその家の前を通り過ぎた。
帰宅してから家人に確認すると、麻友子さんが修学旅行に出たその日に、件の家──仮にWさん宅とする──の娘さんが交通事故で亡くなったのだという。
確かにW宅には小学校低学年の娘さんがいて、麻友子さんも投稿時や休日に出かける時など、何度か見かけたことがあった。
顔を合わせれば挨拶をするくらいの間柄だが、小柄で元気な女の子だったと記憶している。
轢き逃げだったそうだ。
一人娘を失った両親の悲しみは相当なもので、母親は葬儀の間もずっと泣き通しだったという。
それからと言うもの、麻友子さんは不思議な光景を良く目にするようになった。
学校の行き帰り、買物へ出かける時、友人宅から帰ってきた時。
Wさん夫妻の背後におぼろげな少女の姿が見えるようになったのだ。
やつれた奥さんの背中に、虚ろな表情をした旦那さんの足元に。
悲しそうな、怒ったような顔をした少女の姿がつきまとう。
「あれはきっと、死んでしまった少女の霊なんだ」と麻友子さんは理解していた。
あの明るく、弾けるように元気だった少女は、ぼんやりとした影となって両親の背後について回った。
それを見るのが嫌で、道端でWさんに出会うと、うつむいて足早に通り過ぎるようにしていた。
足を引きずるようにノタノタと歩くWさんの背後に、べったりと張り付いている少女の影。
麻友子さんは、自分が見ているモノについて誰にも相談する事はなかった。
自分にしか見えていない、それを知っていたからだ。
葬儀から半年程して、轢き逃げの犯人が捕まった。
犯人は隣の市に住む大学生で、事故後、車を自動車工場に勤める後輩に押しつけ、自分は家を出て逃げまわっていたという。
車を押しつけられた後輩からの通報で犯人の情報は既に警察に寄せられていたが、所在が掴めずに逮捕までに時間がかかってしまったとの事だった。
結局は所持金が失くなり、こっそりと自宅に戻ってきたところで御用となったようだ。
犯人逮捕の話を耳にした麻友子さんは、これで少女の霊も安心して成仏するだろうと考えていた。
だが麻友子さんの期待は裏切られる事になる。
自分を轢き逃げした犯人が捕まっても、少女の霊が消える気配はなかったのだ。
それどころか、影はいよいよ濃さを増し、少女の表情も更に恐ろしいものへと変貌していった。
この頃になると、すれ違いざまに麻友子さんの耳に少女のものらしき声が聞こえるようになった。
『どうして……?』
『お父さん、どうしてなの……?』
自分の声が父親に届かない事に苛立っているのだろうか?
そう思って知らず耳を澄ましてしまった瞬間、彼女の脳裏に衝撃的な言葉が弾けた。
『お父さん、どうしてあの男を殺してくれないの!? 私を殺したあの男を殺してよ!!』
麻友子さんはそのまま全速力で走りだした。
少女は自分を轢き殺した犯人を殺してくれと、父親にずっと訴え続けていたのだ。
「死んだ人間の事なんか、死んだ本人にしか分からないの。生きてる人間が死者の言葉を代弁するなんて、あり得ない。大人だろうが、子供だろうが、自分の人生をいきなり終了させられた人が、その相手を憎まない訳がないんだよ。だから……」
テレビの中で、涙を流しながら警察に連行される犯人を目で追いながら、麻友子さんは残っていたビールを一気にあおって吐き出した。
「こんなの、綺麗事なんだよ」
了
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