妄想から解き放たれる詩 イン

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妄想から解放の詩

デジャブ

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そもそもデジャブというものはなんなのだろう


昔のアニメやドラマではよくあった


なんか一度前に体験したようなことがある

そういう感覚のことを言っているのだろう


余計な話だとデジャブはフランス語で

すでにみたものという意味だという


私個人的にはデジャブはまあある種の錯覚だとは思う


人の記憶はあいまいで主観的な作用もあって

いろいろ改ざんといって言い過ぎだが

脚色をされた形で保存されているのだろう


それに目から入るものであれば自分の体験でなくても

脚色次第では自己の規制体験にもなることもあるだろう


みたテレビやアニメなど映像的なものはすべてそうなる


つまりある出来事をデジャブと感じても

それが過去に本当に体験されたものなのかはわからない


よくある過去世とかそういうのからくるものだとか

そういうものだと完全に否定はできないかもしれないが


そもそもあいまいな認識ばかりの積み重ねの人間が

そう都合よく一部分鮮明に覚えているとするなら

それはとても大変な出来事であるはずなのに

デジャブとして使われるときはそうでもないように

感じられるからだ


もしかしたらこれらは人間の認識の段階による錯誤ではないだろうか


頭ではわかったけど実際認識されるのにあまりにも長時間だったため、

その出来事を忘れてしまい起こった勘違いなのかもしれない


似たような出来事の勘違いかもしれない


それに何かすべきことを心の中で感じた過去の出来事における

心残りがデジャブとして人に注意を促しているのかもしれない



人間の精神には時間とは関係ないものがあって

生きている間理解する理性や、感情には目の前のことが現実として

とらえることだけをいうなら


限定された感覚だけから受けたものを存在というなら

デジャブは余程の偶然でないと起こらないだろう


経験が積み上げられていく精神にとっては

10年前も今日も同じ日かもしれないし

それにある程度積み上げられないとわからないことも多い


そういう時間差がデジャブを生み出すのだろうか


ーーー

注釈

デジャブというのは脳内の錯誤作用として

一般的には認識されることが多い。つまり錯覚

忘れていた記憶が呼び起こされたということ


だからその呼び起こされたということを

どう解釈するかによってそれが妄想になるのか

どうかの分かれ目なのだ。


そもそも妄想とは
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