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クリスマス編

獣の瞳

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 家政婦さんと別れ、俺は一人タクシーでお屋敷に戻った。
 裏口のインターフォンを押すと店長が出て来て、すぐに中へと入れてくれる。

「大した怪我がなくて良かったね」

「はい。パーティの方は大丈夫ですか?」

「開始時間は遅れたけど……なんとか、ね」

 厨房内は後から追加で出す予定の料理が整然と並んでいて、店長の手際の良さを感じさせる。

「俺、給仕係でパーティルームに入りましょうか?」

「あぁ、いや……今、ゲームタイムだから三十分くらいは必要なさそうだよ」

 言いながら店長は壁際にあった小さな椅子を持ってきて、俺の前に置いてくれる。
 俺は苦笑しつつ椅子に腰かけた。

「ありがとうございます、でも……本当に怪我は大したことないんですよ」

「パトラッシュのおかげだよ。でなけりゃ、都築くんも家政婦さん同様、大怪我……いや、死んでた」

「――…え?」

 ドキンと鼓動がはねた。
 顔を上げると、店長の厳しい瞳と目が合う。

「都築くんと家政婦さんが転がり落ちた場所に、玄関ホールの大きなシャンデリアが落下するところだったんだ。パトラッシュがシャンデリアを支えなかったら、君たちはぺちゃんこだったよ」

 俺は血の気が引くのを感じた。
 全身が冷たくなる。

「パトラッシュ……ありがとな」

 俺は横を向いて見えない愛犬に礼を言った。

「……都築くん、パトラッシュがいるのは反対側だよ」

「んがっ! 見えないんだから仕方ないでしょう!」

 俺は真っ赤になって、ぶぅと頬を膨らませた。
 店長が小さく笑みを漏らし、ほんの少し空気が和らぐ。

「あの……さっき、家政婦さんから聞いたんです。ここの使用人が次々怪我するって……。それって、さっき店長とアレクが感じた『何か』の仕業なんですか?」

「うん、そうだと思う」

「特に家庭教師は一週間もたないそうです……。家政婦さん、ここの坊ちゃんに勉強するようにって言った後に、あんな事故が……あの子に『何か』が憑いてるんですよね?」

 突っ込んで問う俺に、店長は口元に手をあてて何やら少し考えてから口を開いた。

「とにかく、ここに居るモノは人間の体に直接不調をもたらすようなやり方はしない。偶然を操って、不幸な事故を起こすんだ。そういうタイプはとても珍しいし、対応も難しい。だから――…」

 店長は小さく一息おいてから、俺の顔を覗き込む。

「都築くんは無敵じゃない。さっきみたいに物理的にはしっかりダメージを受けるだろ? 今日のパーティが終わるまで、くれぐれも気をつけて」

 つまり、俺と家政婦さんが階段から落ちたのは、その『何か』が偶然を操って起こした事故……。

「……わ、分かりました」



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 その後、給仕係としてパーティルームに戻った俺は料理の取り分けや飲み物の補充で忙しく、店長は厨房で追加の料理を用意して運び、なんとかパーティ終了までトラブルなく過ごすことができた。
 パーティルームの端っこに並ぶ椅子で、誰からも話しかけられずぼんやり座っている坊ちゃんが気になりつつも、俺は忙しく動き回っていた。



 パーティが終わり、旦那様と奥様が客人たちを見送りに玄関ホールへと移動したので、店長と俺は残った料理や食器類の片づけに取りかかった。
 店長と手分けして皿やグラスをまとめていく。食器は店に戻ってからゆっくり洗うため、汚れている皿も気にせず重ね、効率良くテキパキ片付ける。

 ピンポン!

 厨房の方から呼び鈴のような音がした。

「アレクが片付けの手伝いに来たんじゃないかな……都築くん、裏口を開けてきて」

「はーい」

 俺はパーティルームから厨房へ、そして裏口のドアを開いた。

「都築っ!? どうしたんだ、その怪我!!」

 湿布だらけの俺を見た瞬間、アレクは驚きの声をあげた。

「あー、ちょっと階段から落っこちちゃってさ……でも、打ち身だけだから大丈夫」

「いや、でも……しかし、……本当に打ち身だけで済んだのか?」

 ものすごーく心配そうに、俺の体中あちこちをじろじろ見てくるアレク……ちょっと居心地が悪い。

「片付けの手伝いに来てくれたんだろ? ほら入れよ、寒いし」

「あぁ……」

 アレクと一緒にパーティルームへ戻ると、店長は最後の皿をまとめているところだった。

「尾張、この辺の物は車に積んでいいんだよな?」

「うん、……頼む」

 俺とアレクは手分けして、残った料理や皿などを車に運び始めた。二人で車とパーティルームを何度か行き来していたが、急にアレクの足が止まった。

「アレク?」

 見れば、いつの間にか坊ちゃんがパーティルームに戻ってきている。
 ご両親と一緒に玄関ホールで客人の見送りをしていたはずだが……。

 坊ちゃんはアレクに近づき、可愛く小首を傾げた。

「不思議な服だね」

「え?……あ、あぁ……これはカソックといって、教会で働く人の制服みたいなものだよ」

 アレクは優しくゆっくりと説明した。
 しかし明らかに顔が強張っている。もの凄く緊張しているようだ。

「ふぅん……教会の人、なんだ」

 青く澄んだ瞳が、アレクをじっと見つめている。

「父さまと母さまが日曜に行ってるとこだよね?」

 張りつめた空気……なんだ、これ。
 チラリと店長を見れば、じっと様子を伺っている。

 その時、玄関ホールへのドアが開いた。
 お見送りが終わったのだろう、旦那様と奥様が戻って来る。
 一気に場の空気が変わった。

「本日はありがとうございました」

 営業スマイルの店長が会釈すると、旦那様は満足気な表情かおで店長へと歩み寄った。奥様は坊ちゃんへと近づき「ここに居たのね」と小さく声をかけた。
 握手を求める旦那様に、店長はほんの少しだけ躊躇ちゅうちょして、差し出された手を握る。
 旦那様はにこにこ笑顔でご機嫌だ。

「こちらこそ、ありがとう! ハロウィンパーティのホテルのレストランのものより、ずっと味も見た目も良かった。アレクさんには良いお店を紹介していただきました」

「ご満足いただけて、良かったです」

 料理を褒められれば店長はいつだってもっと嬉しそうにするのに、今回はどこかよそよそしい……ちょっと上の空のようにも見える。

「正月に親戚の集まりがあるんですが、ぜひその料理もお願いしたい……!」

「喜んで承ります」

 親戚で集まるお正月料理なんて、ものすごい大口注文なのに店長は全然嬉しそうじゃない……。
 坊ちゃんの手を引き、奥様も店長へと近づいた。

「せっかくなら、おせち料理のようなスタイルのものをお願いしたいわ。料理の詳細と予算などご相談したいのだけど……この後、お時間は大丈夫かしら?」

 奥様の提案にすぐには答えず、店長は俺とアレクの方へちらりと視線を向けた。
 アレクが頷くと、店長は奥様に微笑み返す。

「大丈夫です、よろしくお願い致します」



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 厨房の片付けと掃除も済ませた店長は、最後に一通り見渡して忘れ物がないか確認した。

「それじゃ、僕はお正月料理の打ち合わせをしてくる。アレクと都築くんはその荷物を車に積んだら先に店に戻っておいて」

 俺は最後のゴミ袋の口をしっかり縛ってから、店長に返事をする。

「分かりました……店長、一人で大丈夫ですか?」

「……?」

 店長は一瞬きょとんとしてから、小さく笑みを漏らした。

「都築くんのくせに、僕の心配するなんて生意気!」

「都築、行こう」

 アレクの声に急かされ、俺は店長に言い返す間もなく裏口から外へ出た。
 車に最後の荷物とゴミ袋を積み込み、俺は助手席へと乗り込む。

「店長、本当に大丈夫かな……」

 思わず零れた言葉に、運転席のアレクがシートベルトを締めながら答えた。

「気をつけないといけないのは俺たちの方だ。たぶん、俺は完全にロックオンされてる」

 アレクがエンジンをかけた。

「………え? それって、どういう――…」

 ゆっくりと車が走り出す。

「ロックオンって何だよ?」

 流れる車窓の景色はクリスマスの雰囲気たっぷりの街並みだが、俺にはそれを楽しむ余裕もない。食い下がるようにアレクに問いかけた。
 アレクは前を見つめたまま、厳しい表情かおで重い口を開く。

「俺が教会の人間だと分かった時の、あの子の瞳の色……都築は見たか?」

「瞳? あの子の瞳は……綺麗な青色じゃなかったか?」

「あの時、俺には金色に見えた……『獣の瞳』だ」

「けもの――…?」

 金色の『獣の瞳』……それがどういう意味なのか俺には分からない。
 アレクに説明を求めようとして、ふいにアレクの体が強張っていることに気づいた。顔色も真っ青だ。

「アレク、具合でも悪いのか?」

「……おかしい、……この辺の道は良く知ってるはずなのに……っ、……」

「あっ! 今のとこ左折しないと……!」

「え? えっ!? 待ってくれ、全然知らない場所を走ってるような……なんだ、これっ!」

 大混乱のアレクに、俺もいまいち状況が理解できない。

「道が分からないのかっ!? なんでっ!?」

 慌てて窓の外へと目をやる。俺にとっては良く知っている街並みだ。
 アレクにはどう見えてるっていうんだ?
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