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第六話:元カノと温泉旅行 part3
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街は前評判通りの様子だった。
シャッターの降りている店の方が多いくらいで、かつての隆盛と現在の衰退をまざまざと感じさせられた。
それでも今なお残っているお店はそれなりに賑わっている。
その中の一つである酒屋に入ってみると、旅館の売店では高かった地酒が比較的安く売られていた。
後で部屋で飲もうということで、四合瓶を一つ購入した。
旅館に帰って部屋に戻る。
まだ一七時だ。
夕飯までは少し時間がある。
「風呂、入ってこようかな」
「いいね。なら、私も行ってこようかな」
夕飯は部屋で食べることになっている。
お酒も飲むだろう。
そのあとでお風呂に入るのは面倒になりそうだし、なにより危険だ。
楽しむために来た旅行でぶっ倒れて病院送りとか、普通に笑えない。
「どうする? もう浴衣に着替えちゃう?」
「そうだなー……」
少し考えるが、もう外に出る用事もないし、着替えない理由がなかった。
「よし、着替えるか」
「じゃあ私もそうしよ」
――さて、どうするか。
このまま同じ部屋で着替えてもいいものだろうか。
この前は下着を見られても気にしないと言っていたし別にいい気もするけど、偶然見えてしまうのと必然的に見えるのとはやっぱり違うんじゃないか。
――うん、考えるの面倒になった。
「じゃあ俺、洗面所の方に行くから。着替え終わったら呼んでくれ。一緒に行こうぜ」
「え、あ、うん」
そう言って、浴衣を持ってさっさと洗面所へと向かった。
和室と廊下を隔てる襖を後ろ手に閉める際に、紗香が何か言った気がしたが、うまく聞きとれなかった。
「終わったよ」
声がかかり、部屋へと戻る。
当然紗香は着替え終わっており、浴衣姿となっていた。
花火大会などで着る華やかな柄の浴衣ではなく、温泉旅館備え付けらしい地味目の浴衣ではあるものの、やはり私服とでは雰囲気ががらりと変わる。
紗香の背中まで流れる黒髪にはとてもよく似合っていた。
「その恰好、なんかいいな」
「へへ。そうかな。智樹も似合ってるよ」
「サンキュ」
日常的に関わってるとついつい意識から外れがちになるが、かつて一目惚れしただけあって、紗香はかなりの美人だ。
よく『美人は三日で飽きる』と言うが、あれは嘘だと思う。
見慣れはしても、そう簡単に見飽きたりなんかしない。
「じゃあ行くか」
「うん。──あ、部屋の鍵、一つしかないね」
「そういやそうだな。俺が持つか? 俺の方が早いだろうし」
「うーん……それだと智樹、急いじゃうでしょ。せっかくだからゆっくり入って欲しい」
「紗香が持ってても同じじゃん」
「それはそうだけど」
俺たちは「うーん」と考える。
こういうとき地味に面倒だよな。
風呂に入ってるからスマホも見ないし。
すると紗香が「あ、そうだ」と手を打った。
「同じ階にラウンジみたいなところあったでしょ。あそこで待ち合わせにしよ。たしかテレビもコーヒーサーバーもあったよ」
言われて「ああ、あそこか」と思い出す。
部屋の前で待ちぼうけを食らうよりはずっといい。
「わかった。それでいいよ」
頷くと、俺たちは部屋を後にした。
△▼△▼△
温泉は格別だった。
案内によれば、弱アルカリ性で肌に優しい「美肌の湯」らしい。
色は無色透明ながら硬度が違うのか、家の風呂よりも明らかに滑らかだ。
浸かっているだけで身体の芯から温まっていく気がする。
「あ~。気持ちいい~~~」
たまたま露天風呂の方には誰もいなかったため、口に出してしまった。
我ながらおっさんくさいとは思うが、誰もいないので不問にしていただきたい。
山ということもあって、ここら辺は平地よりもやや気温が低い。
緑も豊富で、なんだか匂いも違う気がする。
たった数時間、車を走らせただけで別の世界に来たみたいだ。
しかもこの後には美味しいご飯まで待っている。
何もしなくてもご飯が出てくる。しかも片付けもいらない。
──温泉最高。
すっかりテンションのあがった俺は、その後内湯をしっかり楽しんだ後、サウナまで入ってからまた露天に戻り、一時間ほど経ってからようやく風呂を出た。
△▼△▼△
「あ、おかえり、智樹」
約束していた待ち合わせのラウンジへ行くと、紗香はすでに待っていた。
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん、私も二、三分前くらいに来たばかりだよ」
首を横に振る紗香に安心する。
しかし──。
──この紗香は少々目に毒だな。
アップにされているが、しっとりと艶がある髪も。
普段はあまり見ることのないうなじも。
化粧を落として火照った素顔も。
もうそんな目で見てはいけない。
そうわかっているのに、全てが本能を的確に刺激してくる。
「智樹?」
「……ああ、どうした?」
「どうしたっていうか、智樹こそどうしたの?」
「ん?」
「なんだかぼーっとしてたみたいだから」
訝しむ、と言うよりは不思議がっているといった種類の視線を向けられた。
小首を傾げてきょとんとした顔をしている。
「えっと……」
素直に言ってもいいかな。
「──見惚れてた」
「──……っな……!」
紗香が言葉を詰まらせ、目を丸くした。
想像以上に驚いたっぽい。
「……びっくりさせないでよ。まさかお酒飲んでないよね?」
「…………悪い、なんか湯にあてられたみたいだ」
言うと、紗香は心配そうに眉尻を下げた。
「本当、大丈夫? 水買ってきてあげるから、ここで少し休んでてね」
願ってもない提案に「頼んだ」と頷く。
俺が椅子に座ったのを見届けると、紗香は少し離れたところにある自動販売機のところまで歩いて行った。
助かった。
今は少しだけ、離れたかった。
うっかり、間違えてしまいそうになるから。
△▼△▼△
水を買った紗香が戻ってきた。
受け取って、一口飲み干す。
身体にじんわりと染みわたっていくのを感じる。
頭も冷えてきた。
「サンキュ。もう大丈夫」
「本当に? 無理しないでね。まだ夕飯まで少し余裕あるから、一休みしていこ」
「助かる」
紗香と並んで、既についていたテレビ見る。
リモコンも置いてあるが、何か目的があって見ているわけではないからそのままだ。
「見慣れないキャスターだと思ったら、ここ県外だったね」
「テレビ見ないからわからん」
「あはは。私もニュースくらいかな」
「ニュース見てるだけえらい」
「智樹も見ておいた方がいいかもよ。私たちももうすぐ就活だし。時事ネタは抑えとかなきゃ」
「就活かー」
急に現実に戻された。
まあでも、いい機会か。
「なあ、紗香はどうすんだ?」
「ん?」
「ほら、志望してる業界とか」
「んー……」
紗香は少し考え──
「まだ、わかんない。地元で探そうかな、とは思ってるけど」
「帰るのか」
「うん、こっちに残っても仕方ないしね」
と、苦笑した。
「智樹はどうするの?」
「俺はまだ何も決めてないな。このご時世だし、漠然と公務員か固そうな企業がいいかなとは思ってたけど」
「そっか。じゃあ私とおんなじだ」
「そうか?」
「うん、だって何も決まってないってことでしょ?」
「……まあ、そうだな」
未来の自分に想いを馳せようとするも、全く形となってはくれなかった。
どこにいて、何をして、そして誰といるのか。
ぼんやりとすらまとまらず、ただただ霧散していく。
「なあ、紗香」
「なに?」
「俺たち、いつまで一緒にいられるんだろうな」
「…………さあね」
――しまった。
これでは一緒にいたいと言っているようなものだ。
まだ未練があると思われたかもしれない。
だけど一緒にいたいと思っていることは紛れもない事実で。
それが未練からくるのか、居心地の良さからくるのか、はたまた別の感情からくるのかは見当もつかないけれども。
自分のことなのに、自分の気持ちがわからない。
だから言い訳も何も出来なかった。
紗香も何も言っては来なかった。
何を考えているのか、何も考えていないのか。
前を向いて、じっとテレビを見たままだ。
──カチ、カチ、カチ。
背後の柱にかかった時計の秒針を刻む音が、妙に強く耳に響いた。
「────そろそろ行こっか。夕飯、遅れちゃったらまずいし」
「……そうだな」
シャッターの降りている店の方が多いくらいで、かつての隆盛と現在の衰退をまざまざと感じさせられた。
それでも今なお残っているお店はそれなりに賑わっている。
その中の一つである酒屋に入ってみると、旅館の売店では高かった地酒が比較的安く売られていた。
後で部屋で飲もうということで、四合瓶を一つ購入した。
旅館に帰って部屋に戻る。
まだ一七時だ。
夕飯までは少し時間がある。
「風呂、入ってこようかな」
「いいね。なら、私も行ってこようかな」
夕飯は部屋で食べることになっている。
お酒も飲むだろう。
そのあとでお風呂に入るのは面倒になりそうだし、なにより危険だ。
楽しむために来た旅行でぶっ倒れて病院送りとか、普通に笑えない。
「どうする? もう浴衣に着替えちゃう?」
「そうだなー……」
少し考えるが、もう外に出る用事もないし、着替えない理由がなかった。
「よし、着替えるか」
「じゃあ私もそうしよ」
――さて、どうするか。
このまま同じ部屋で着替えてもいいものだろうか。
この前は下着を見られても気にしないと言っていたし別にいい気もするけど、偶然見えてしまうのと必然的に見えるのとはやっぱり違うんじゃないか。
――うん、考えるの面倒になった。
「じゃあ俺、洗面所の方に行くから。着替え終わったら呼んでくれ。一緒に行こうぜ」
「え、あ、うん」
そう言って、浴衣を持ってさっさと洗面所へと向かった。
和室と廊下を隔てる襖を後ろ手に閉める際に、紗香が何か言った気がしたが、うまく聞きとれなかった。
「終わったよ」
声がかかり、部屋へと戻る。
当然紗香は着替え終わっており、浴衣姿となっていた。
花火大会などで着る華やかな柄の浴衣ではなく、温泉旅館備え付けらしい地味目の浴衣ではあるものの、やはり私服とでは雰囲気ががらりと変わる。
紗香の背中まで流れる黒髪にはとてもよく似合っていた。
「その恰好、なんかいいな」
「へへ。そうかな。智樹も似合ってるよ」
「サンキュ」
日常的に関わってるとついつい意識から外れがちになるが、かつて一目惚れしただけあって、紗香はかなりの美人だ。
よく『美人は三日で飽きる』と言うが、あれは嘘だと思う。
見慣れはしても、そう簡単に見飽きたりなんかしない。
「じゃあ行くか」
「うん。──あ、部屋の鍵、一つしかないね」
「そういやそうだな。俺が持つか? 俺の方が早いだろうし」
「うーん……それだと智樹、急いじゃうでしょ。せっかくだからゆっくり入って欲しい」
「紗香が持ってても同じじゃん」
「それはそうだけど」
俺たちは「うーん」と考える。
こういうとき地味に面倒だよな。
風呂に入ってるからスマホも見ないし。
すると紗香が「あ、そうだ」と手を打った。
「同じ階にラウンジみたいなところあったでしょ。あそこで待ち合わせにしよ。たしかテレビもコーヒーサーバーもあったよ」
言われて「ああ、あそこか」と思い出す。
部屋の前で待ちぼうけを食らうよりはずっといい。
「わかった。それでいいよ」
頷くと、俺たちは部屋を後にした。
△▼△▼△
温泉は格別だった。
案内によれば、弱アルカリ性で肌に優しい「美肌の湯」らしい。
色は無色透明ながら硬度が違うのか、家の風呂よりも明らかに滑らかだ。
浸かっているだけで身体の芯から温まっていく気がする。
「あ~。気持ちいい~~~」
たまたま露天風呂の方には誰もいなかったため、口に出してしまった。
我ながらおっさんくさいとは思うが、誰もいないので不問にしていただきたい。
山ということもあって、ここら辺は平地よりもやや気温が低い。
緑も豊富で、なんだか匂いも違う気がする。
たった数時間、車を走らせただけで別の世界に来たみたいだ。
しかもこの後には美味しいご飯まで待っている。
何もしなくてもご飯が出てくる。しかも片付けもいらない。
──温泉最高。
すっかりテンションのあがった俺は、その後内湯をしっかり楽しんだ後、サウナまで入ってからまた露天に戻り、一時間ほど経ってからようやく風呂を出た。
△▼△▼△
「あ、おかえり、智樹」
約束していた待ち合わせのラウンジへ行くと、紗香はすでに待っていた。
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん、私も二、三分前くらいに来たばかりだよ」
首を横に振る紗香に安心する。
しかし──。
──この紗香は少々目に毒だな。
アップにされているが、しっとりと艶がある髪も。
普段はあまり見ることのないうなじも。
化粧を落として火照った素顔も。
もうそんな目で見てはいけない。
そうわかっているのに、全てが本能を的確に刺激してくる。
「智樹?」
「……ああ、どうした?」
「どうしたっていうか、智樹こそどうしたの?」
「ん?」
「なんだかぼーっとしてたみたいだから」
訝しむ、と言うよりは不思議がっているといった種類の視線を向けられた。
小首を傾げてきょとんとした顔をしている。
「えっと……」
素直に言ってもいいかな。
「──見惚れてた」
「──……っな……!」
紗香が言葉を詰まらせ、目を丸くした。
想像以上に驚いたっぽい。
「……びっくりさせないでよ。まさかお酒飲んでないよね?」
「…………悪い、なんか湯にあてられたみたいだ」
言うと、紗香は心配そうに眉尻を下げた。
「本当、大丈夫? 水買ってきてあげるから、ここで少し休んでてね」
願ってもない提案に「頼んだ」と頷く。
俺が椅子に座ったのを見届けると、紗香は少し離れたところにある自動販売機のところまで歩いて行った。
助かった。
今は少しだけ、離れたかった。
うっかり、間違えてしまいそうになるから。
△▼△▼△
水を買った紗香が戻ってきた。
受け取って、一口飲み干す。
身体にじんわりと染みわたっていくのを感じる。
頭も冷えてきた。
「サンキュ。もう大丈夫」
「本当に? 無理しないでね。まだ夕飯まで少し余裕あるから、一休みしていこ」
「助かる」
紗香と並んで、既についていたテレビ見る。
リモコンも置いてあるが、何か目的があって見ているわけではないからそのままだ。
「見慣れないキャスターだと思ったら、ここ県外だったね」
「テレビ見ないからわからん」
「あはは。私もニュースくらいかな」
「ニュース見てるだけえらい」
「智樹も見ておいた方がいいかもよ。私たちももうすぐ就活だし。時事ネタは抑えとかなきゃ」
「就活かー」
急に現実に戻された。
まあでも、いい機会か。
「なあ、紗香はどうすんだ?」
「ん?」
「ほら、志望してる業界とか」
「んー……」
紗香は少し考え──
「まだ、わかんない。地元で探そうかな、とは思ってるけど」
「帰るのか」
「うん、こっちに残っても仕方ないしね」
と、苦笑した。
「智樹はどうするの?」
「俺はまだ何も決めてないな。このご時世だし、漠然と公務員か固そうな企業がいいかなとは思ってたけど」
「そっか。じゃあ私とおんなじだ」
「そうか?」
「うん、だって何も決まってないってことでしょ?」
「……まあ、そうだな」
未来の自分に想いを馳せようとするも、全く形となってはくれなかった。
どこにいて、何をして、そして誰といるのか。
ぼんやりとすらまとまらず、ただただ霧散していく。
「なあ、紗香」
「なに?」
「俺たち、いつまで一緒にいられるんだろうな」
「…………さあね」
――しまった。
これでは一緒にいたいと言っているようなものだ。
まだ未練があると思われたかもしれない。
だけど一緒にいたいと思っていることは紛れもない事実で。
それが未練からくるのか、居心地の良さからくるのか、はたまた別の感情からくるのかは見当もつかないけれども。
自分のことなのに、自分の気持ちがわからない。
だから言い訳も何も出来なかった。
紗香も何も言っては来なかった。
何を考えているのか、何も考えていないのか。
前を向いて、じっとテレビを見たままだ。
──カチ、カチ、カチ。
背後の柱にかかった時計の秒針を刻む音が、妙に強く耳に響いた。
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