1 / 51
ルシファー
それは兄弟の日常だった
しおりを挟む
ルシファーは、地面に届かない両足をふらふらと彷徨わせる。鏡面の如く磨きあげられたタイルに、その影が揺れた。
「兄さんは家族を大切にするからだと思うぜ」
ジャックは彼にそう答えた。
しかしルシファーは、親愛なる弟の言葉にも表情を曇らせる。
彼があまりにも深く苦悩していることは、誰の目にも明らかだった。
「……あの子は私を信用してくれない」
「信用してるさ。俺には分からなくもない。ただ兄さんに心配かけたくないんだよ」
「それだけだと思うか? あの子が、私に悩みを打ち明けない理由は?」
「そうさ。それ以外に何があるんだ?」
ジャックは厚い踵でカコンと床を蹴った。
軽快な音は、水音とともに静かな空間に広がり、引き延ばされて消える。
ルシファーは幼い顔に、より暗い影を浮かべた。
「……今や私は一国の支配者となってしまった。私はただ、あの子の良い父でありたかっただけなのに。レビィのことだってそうじゃないか。私は、私はただ私の弟に自由に生きて欲しかった。幸せな毎日を送って欲しかった。それだけなのに、どうしてこうなってしまったんだ?」
「幸せさ。俺もレビィも、あの可愛いブロウもな」
ジャックは紅茶を片手にそう笑って、兄を慰めたが、ルシファーは呻き声を上げた。
その表情は晴れない。
「あの子たちを見て、本当にそう言えるかジャック? まるで覚めない悪夢の中にいるみたいに苦しんでるのに?」
「悪夢だろうがなんだろうが、幸福なのには変わりない」
苛立ったのだろうか。いっそ叱るように、ジャックは言った。
ルシファーはようやく少しだけ笑みを見せた。そうだなと口の中で呟く。
「私は精一杯やったよ。この教会が王城となって、もう久しい。私達はなんの不自由もなく暮らしてゆけるようになった」
「五十年経っても見た目には幼児にしか見えないもんな、兄さんは。崇められるのも頷ける話だよ。俺だって、もし兄さんの弟じゃなかったとしたら、熱心な信者の一人だったに違いないぜ」
ジャックはそこで一旦言葉を切った。
手元のカップを傾け、彼は行儀悪く喉を鳴らした。
しかしルシファーはそんなジャックを咎めることもなく、空になったカップを再び満たす。
「ああ、そうだ。私ほど糸の長い者は、歴史上類を見ない。私は怖くて仕方がないんだ」
「怖い? 何が? 兄さんが恐れるのは、夜中にトイレに行くことくらいだろ?」
ジャックはそう言って茶化したが、ルシファーはまた呻いた。
ジャックはしまったという風に苦笑いした。苦悩するのが兄の趣味なのだと、理解はしていたが決して歓迎しているわけではない。
「ブロウもレビィも、私の両腕で抱えられるほど小さかったあの子たちが成長していく様を見るのは幸せではあったが、同時に不幸でもあった。あの子たちは成長すると同時に、酷く思い悩み、苦しむようになってしまった」
「兄さんほどじゃねぇよ」
ジャックは皮肉めいたことを言ったが、ルシファーは気に留めず、何も言わなかった。
溜め息と共に、ジャックは最後にするつもりでカップを手に取った。
「そりゃ、俺だって我が子のように可愛がってきたあいつらの苦しんでるとこなんざ、できることなら見たくねぇよ。特に近頃はレビィが心配だ。あの可愛いレビィに何かあったら……俺は生きてられるかな」
ジャックは小さな静寂と共に、指先でスコーンを摘んだ。
ルシファーは微笑んでいた。なんでも話してごらんなさいと言わんばかりだ。
全く、ルシファーは苦悩することは自分の特権だと勘違いしている。
ジャックは何か言われる前に、紅茶を飲み干した。
「ま、俺達は双子で、糸が繋がってるんだ。この結界の中では、兄さんが生きてる限り俺は死なない。俺だけは兄さんの側にいるぜ。二人に何があっても、どんなに思い悩んでても、どんな結果を迎えたとしても。双子の呪いって言われてるくらいなんだからな、間違いねーよ」
ジャックがそう言うと、ルシファーは少しだけ楽しそうに笑った。
その表情は憂いを払いきれていなかったが、それでも明るかった。
「そうだな。お前が誰かの恨みを買って国を追われるようなことにならなければ」
「おい、笑えねえこと言うなよ兄さん。ただでさえ、研究所の奴らに目の敵にされてるってのに」
「研究所の?」
「そうそう、レビィの奴がやってるところだ」
「出入りしているのか?」
「ま、それなりにな。ブロウもいるし、あの二人を心配してんのは兄さんだけじゃないってことだよ」
「……そうか」
ルシファーは少しだけ考えるような素振りを見せた。
ジャックは、カップを置くと同時に立ち上がった。
「そうだな!」
そしてルシファーは、幼い声を上げて笑った。
さらさらと砂のように、変わらず水は流れていた。
「兄さんは家族を大切にするからだと思うぜ」
ジャックは彼にそう答えた。
しかしルシファーは、親愛なる弟の言葉にも表情を曇らせる。
彼があまりにも深く苦悩していることは、誰の目にも明らかだった。
「……あの子は私を信用してくれない」
「信用してるさ。俺には分からなくもない。ただ兄さんに心配かけたくないんだよ」
「それだけだと思うか? あの子が、私に悩みを打ち明けない理由は?」
「そうさ。それ以外に何があるんだ?」
ジャックは厚い踵でカコンと床を蹴った。
軽快な音は、水音とともに静かな空間に広がり、引き延ばされて消える。
ルシファーは幼い顔に、より暗い影を浮かべた。
「……今や私は一国の支配者となってしまった。私はただ、あの子の良い父でありたかっただけなのに。レビィのことだってそうじゃないか。私は、私はただ私の弟に自由に生きて欲しかった。幸せな毎日を送って欲しかった。それだけなのに、どうしてこうなってしまったんだ?」
「幸せさ。俺もレビィも、あの可愛いブロウもな」
ジャックは紅茶を片手にそう笑って、兄を慰めたが、ルシファーは呻き声を上げた。
その表情は晴れない。
「あの子たちを見て、本当にそう言えるかジャック? まるで覚めない悪夢の中にいるみたいに苦しんでるのに?」
「悪夢だろうがなんだろうが、幸福なのには変わりない」
苛立ったのだろうか。いっそ叱るように、ジャックは言った。
ルシファーはようやく少しだけ笑みを見せた。そうだなと口の中で呟く。
「私は精一杯やったよ。この教会が王城となって、もう久しい。私達はなんの不自由もなく暮らしてゆけるようになった」
「五十年経っても見た目には幼児にしか見えないもんな、兄さんは。崇められるのも頷ける話だよ。俺だって、もし兄さんの弟じゃなかったとしたら、熱心な信者の一人だったに違いないぜ」
ジャックはそこで一旦言葉を切った。
手元のカップを傾け、彼は行儀悪く喉を鳴らした。
しかしルシファーはそんなジャックを咎めることもなく、空になったカップを再び満たす。
「ああ、そうだ。私ほど糸の長い者は、歴史上類を見ない。私は怖くて仕方がないんだ」
「怖い? 何が? 兄さんが恐れるのは、夜中にトイレに行くことくらいだろ?」
ジャックはそう言って茶化したが、ルシファーはまた呻いた。
ジャックはしまったという風に苦笑いした。苦悩するのが兄の趣味なのだと、理解はしていたが決して歓迎しているわけではない。
「ブロウもレビィも、私の両腕で抱えられるほど小さかったあの子たちが成長していく様を見るのは幸せではあったが、同時に不幸でもあった。あの子たちは成長すると同時に、酷く思い悩み、苦しむようになってしまった」
「兄さんほどじゃねぇよ」
ジャックは皮肉めいたことを言ったが、ルシファーは気に留めず、何も言わなかった。
溜め息と共に、ジャックは最後にするつもりでカップを手に取った。
「そりゃ、俺だって我が子のように可愛がってきたあいつらの苦しんでるとこなんざ、できることなら見たくねぇよ。特に近頃はレビィが心配だ。あの可愛いレビィに何かあったら……俺は生きてられるかな」
ジャックは小さな静寂と共に、指先でスコーンを摘んだ。
ルシファーは微笑んでいた。なんでも話してごらんなさいと言わんばかりだ。
全く、ルシファーは苦悩することは自分の特権だと勘違いしている。
ジャックは何か言われる前に、紅茶を飲み干した。
「ま、俺達は双子で、糸が繋がってるんだ。この結界の中では、兄さんが生きてる限り俺は死なない。俺だけは兄さんの側にいるぜ。二人に何があっても、どんなに思い悩んでても、どんな結果を迎えたとしても。双子の呪いって言われてるくらいなんだからな、間違いねーよ」
ジャックがそう言うと、ルシファーは少しだけ楽しそうに笑った。
その表情は憂いを払いきれていなかったが、それでも明るかった。
「そうだな。お前が誰かの恨みを買って国を追われるようなことにならなければ」
「おい、笑えねえこと言うなよ兄さん。ただでさえ、研究所の奴らに目の敵にされてるってのに」
「研究所の?」
「そうそう、レビィの奴がやってるところだ」
「出入りしているのか?」
「ま、それなりにな。ブロウもいるし、あの二人を心配してんのは兄さんだけじゃないってことだよ」
「……そうか」
ルシファーは少しだけ考えるような素振りを見せた。
ジャックは、カップを置くと同時に立ち上がった。
「そうだな!」
そしてルシファーは、幼い声を上げて笑った。
さらさらと砂のように、変わらず水は流れていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
手を伸ばした先にいるのは誰ですか~愛しくて切なくて…憎らしいほど愛してる~【完結】
まぁ
恋愛
ワイン、ホテルの企画業務など大人の仕事、そして大人に切り離せない恋愛と…
「Ninagawa Queen's Hotel」
若きホテル王 蜷川朱鷺
妹 蜷川美鳥
人気美容家 佐井友理奈
「オークワイナリー」
国内ワイナリー最大手創業者一族 柏木龍之介
血縁関係のない兄妹と、その周辺の何角関係…?
華やかな人々が繰り広げる、フィクションです。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
《完結》追放令嬢は氷の将軍に嫁ぐ ―25年の呪いを掘り当てた私―
月輝晃
恋愛
25年前、王国の空を覆った“黒い光”。
その日を境に、豊かな鉱脈は枯れ、
人々は「25年ごとに国が凍る」という不吉な伝承を語り継ぐようになった。
そして、今――再びその年が巡ってきた。
王太子の陰謀により、「呪われた鉱石を研究した罪」で断罪された公爵令嬢リゼル。
彼女は追放され、氷原にある北の砦へと送られる。
そこで出会ったのは、感情を失った“氷の将軍”セドリック。
無愛想な将軍、凍てつく土地、崩れゆく国。
けれど、リゼルの手で再び輝きを取り戻した一つの鉱石が、
25年続いた絶望の輪を、少しずつ断ち切っていく。
それは――愛と希望をも掘り当てる、運命の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる