役立たずの雑用係は、用済みの実験体に恋をする。――神域結界の余り者

白夢

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#5 海と島人

43 傾国、エキゾチックの衝撃

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 それから数日が経ち、彼は少々疲弊していた。

 私は何度か所長様の病室にいる彼を見たけれど、もれなく虐待されていた。
 もしかしたら愛情表現なのかもしれないけど、傍から見たら虐待だった。


 そんなある日のこと、院内を散策していた私は茶髪の女性に鉢合わせた。
 曲がり角を曲がると、彼女が目の前にいたのだ。

「きゃっ!」

 驚いて思わず尻もちをつきそうになった私の腕は掴まれて、ぐいっと引っ張られた。
 勢いでそのまま彼女の方に倒れ込み、おかげで私は彼女の胸元に飛び込む形となってしまう。

「大丈夫?」
「あ、きゃ、ご、ごめんなさい!」

 反射的に私は慌てて彼女から離れようと、その胸を思いっきり掴んでしまった。

 お、大きい……私にはない包容力を感じる……

「私ったら、ごめんなさい、その、あの、お、お怪我は……」

 大きい、すごく大きい。女の私でも釘付けになるくらい大きい。
 私にもこんなものがあったら、ブロウは喜んでくれたのかな……

「別に平気。アンタは?」

 彼女は私よりいくらか背が高くて、私は彼女を見上げるような格好になる。
 胸ばかり見ていたので、私は初めて彼女の顔を見た。

 そこで私はまた息を呑んでしまった。
 彼女は……まるで女神みたいに綺麗な人だったから。

「あ、わ、私は……」

 こんなに綺麗な女性、生まれて初めて見た。

 メイクとかそういうものでは誤魔化せない顔の造形。
 らんらんとした力強い瞳。
 引き締まった唇。
 形のよい眉。
 一部は包帯で覆われていたけれど、それにしたって美しい。

 あまりの衝撃に私はへたりと座った。

「大丈夫?」

 彼女は怪訝そうに私を覗き込んだ。

「だ、大丈夫です……その、えっと……」

 思わず赤面して俯く。美しすぎて。

「アタシはアイン。アンタがブライド?」
「えっ、あ、ど、どうして私の名を……?」

 顔を上げると、彼女は腕組みして私を見ていた。

「アンタの恋人からアンタの話を聞いたの。確かにアンタ、可愛い子だね」
「えっ、あっ……」

 う、嬉しい。可愛いだなんて嬉しい。
 こんな美人さんに可愛いって言われちゃった。
 嬉しい。泣きそう。

 なんでだろう、ブロウに言われるより嬉しい。

「……ふぅん、アンタも色々苦労してるんだ」
「えっ?」
「ブロウだっけ? あの男と付き合うなんて大変でしょ」
「か、彼をご存じなんですか?」
「会ったよ。好ましい男じゃなかったけど」

 アインさんは顔をしかめて言った。

「えっ?」
「歪んだ男だった」

 彼女は私の手を掴んで再び引き上げた。

 私はそこで初めて、よく見れば彼女には右腕がないことに気が付いた。
 いや、そもそも最初に目につくべき場所だろうけれど、あまりにも綺麗すぎて。

 気づいた後ですら、そんなに気にならなかった。
 彼女は凛として強く芯を持ち、片腕ごときを失ったくらいでは、彼女のその魂の一片も曇らせることはできない。

「おいアイン!」

 突如、私の背後からアインさんを呼ぶ声が聞こえた。

 驚いてビクッと肩を震わせて、私はそちらを振り返る。
 そこには私の知識通りの姿形をした所長様がいた。

「勝手に出歩くな!」

 足早に歩いて来た所長様はそのまま彼女の腕を掴む。
 表情は無表情で感情は不明だが、怒っているのか大声だった。

 私は萎縮してしまって縮こまったが、彼女は飄々としている。

「この子が怖がってる、大きな声出さないで」

 所長様は私の方を見た。

 酷薄な蛇のように鋭い眼光、知識よりもいくらか、エメラルドグリーンの髪は薄い色をしているように見えた。

「……実験体5924か。随分丸くなったな」

 彼はその蛇のような目を細め、私を見て低い声でそう言った。

「えっ、あ、はい、所長様。ブロウは料理が得意で」
「それは知っている。私はお前の雰囲気が変わったと言ったんだ」

「所長様は私をご存じでいらしたんですか……?」
「お前の開発命令を出した私がお前のことを知らないはずがないだろう。……元気そうで良かった」

 呟くように、所長様はそう言った。
 無表情で抑揚がなく、全然何を考えているのかは分からなかった。

「よく分かんないけど、もう離してくれない?」
「離したら逃げるだろうが」
「ベッドの上が暇」

 アインさんはするりといつの間にか抜け出して、ひらひらと片方しかない腕を振った。
 所長様は首を振って再びその腕を掴む。

「暇だというから、私が色々持ってきているんだろう。それなのに帰ってきたらお前がいない、私はいつもこうして奔走している!」
「そうなんだ。大変だね」

 まるで他人事の様に言うアインさんは、また手を振り払って所長様の頭をぽんぽんと撫でた。なんて恐れ多いことを。

 案の定所長様は激高し、その手を掴もうとする。

「分かっているなら、どこにも行かず私の視界内にいろ!」
「アンタがアタシを視界に収めておけばいいでしょ」
「私とてそれができるならこんな風に怒鳴らない!」
「ふぅん」

「病室に戻れ。お前は本来、動けるような体調ではない!」

 アインさんは大人しく連行されることにしたらしい。
 私はその背中に向かって、「あの!」と呼びかける。

 思ったよりも大きな声が出て、そして彼女は振り返った。

「アインさんと……お呼びしても構いませんか?」
「……別にいいけど」

 アインさんは不思議そうにそう答えた。
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