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空に浮かぶ『壺』
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方角が、ちょうど良かった。
窓は、街の中央に向いていた。
地図を見れば分かることだが、この街の中心は、今夜襲撃した4つの屋敷の中心と重なっている。
『壺』は、その上空に浮かんでいた。
巨大だ。数キロは離れたここから見ても、近くにあるどんな建物より大きかった。もちろん、それが本当の壺であるはずがない。壺のように見えるモノ――いや、現象だ。
4つの屋敷にある石版を破壊し、結界が機能しなくなったなら。
そのとき、どんなことが起こるのか?
宿での作戦会議で、イゼルダとルゴシはこう説明した。
まるで、実際に見たことがあるかのように――
●
『喩えるなら、影ってところかしらね。『スネイル』の幹部たちが見てる『壺』と、自然の現象と化した『スネイル』は、同じ姿をしている。そして『壺』が幹部たちの意識に留まってる限り、実際の『スネイル』の姿は隠蔽され続ける』
『影である『壺』が幹部の意識に隠される。だから遡って――『スネイル』の本体もまたどこにも、誰にも見えないってわけです。もちろん、実際に存在しているのは『スネイル』という現象であり、『壺』の方は幹部たちの脳味噌に貼り付く幻覚にすぎない。しかしこの『影』と『実体』という関係性を、結界が現実として作用させてしまってるんですよ。だから、結界が機能しなくなれば――』
●
『スネイル』の本体――魔術を極め、自然と合一した『スネイル』そのものが姿を現す。その姿が『壺』なのだ。いまや仮初の人格を失ったそれは、どんな意志に依ってるわけでもない、単純なる現象として、そこにあった。
ただ見たままを言うなら、渦を巻くエネルギーの奔流だ。
空に浮かぶ『壺』は、しゃぶしゃぶ鍋の中央の筒状になった部分のようでもあった。そしてその周囲を、きらきらした光の糸が周っている。溶けて風に舞う、綿菓子になる直前の砂糖みたいに。もっとも、そんな風に見えているのは、ここからあまりに距離が離れているせいだ。
『鎖』の力を借り、目を見開けばよく分かった。
次々と『壺』の表面に貼り付き取り込まれていく光の糸――それは、文字や人や動物、建物の姿。それとこの街で行われているありとあらゆる行いの映像。無数のそれらが連なったものだった。
ひと目見て、俺は直感した。
あれは、情報なのだと。
エネルギーとなった情報。21世紀に生きてた俺でなければ、理解し難い概念に違いない。ルゴシは言ってた。『実際に存在しているのは『スネイル』という現象』なのだと。悪いが違う。幹部の頭にある『壺』も『スネイル』本体も、どちらも存在としては同じ――どちらも情報であるという意味では等価な存在なのだ。
情報を取り込むことで構造を成し、更に情報を取り込むことで強度を増し、更に更に情報をとりこむことでエネルギーとする――ということはだ。魔術というものの本質が、俺には掴めた気がした。魔術を極めた先にあるのがああいった情報そのものになることなのだとしたら、その前段階である魔術とは――
「情報を操作する技術――ってことか」
――対象は、何だっていい。人、モノ、動物、建物。火、水、土、風。それを成す情報に干渉し、操作する技術。
例えば、いま空の『壺』から無数の手が生えて、地上に伸ばされんとしている。あの手の一つ一つが、『壺』が空間の情報を操作することで出現してるのだとしたらどうだろう? その手のひらや指先が仄かに光っているのは、街を通る風や空気が保つ温度すら、情報として取り込んでいるからなのかもしれない。
と、そこまで考えて俺は呆れた。要するに、アレだ。いまさら『魔術とは』なんて気付くまでもなく。俺は、既に学んでいたじゃないか。万物の情報に干渉して現実を操作する技術。龍皇のところで学んだアレ――龍韻。
「ボス……!?」
シンダリが、呻いた。
俺は訊いた。
「あれが『スネイル』か?」
『壺』の上端から、顔が現れていた。巨大な『壺』に見合った、巨大な『顔』だ。それが真っ直ぐ現れてたなら、笑うことも出来たかも知れない。しかし『顔』は、傾いでいた。斜めに傾いだ巨大な『顔』が、壺の上にせり上がってきていた。
「『スネイル』は、女だったのか?」
頷くシンダリに訊ねると、奴はまた頷いた。
年齢は、20になったかならないかといったところ。赤毛でそばかすの目立つ、特別に美しいわけでもなければ可愛いわけでもない――『壺』から現れたのは、そんなどこにでもいそうな、ありふれて平凡な若い女の顔だった。
シンダリと、目が合った。
俺が、合わせたのだ。
「くっ……」
途端に、奴の頬が赤くなる。
顔を背けようとするのを、目力で許さず、俺は言った。
「なあ、シンダリ」
名前を呼んだ途端、奴の身体がぶるりと震えた。
本人は気付いているのだろうか――蕩けた目付きになってる伊達男に、俺は訊いた。
「予定では、脅しあげるつもりだった。でもなんだか、お前を見てたら『お願い』でもいいんじゃないかな、って思えてきたんだけど……どうかなあ?」
見つめ返すだけの瞳に、俺は言った。
「金が要るんだよ。すっごく沢山の金が」
●
先に説明した通り、この街の中心は、今夜襲撃した4つの屋敷の中心とちょうど重なる。
『壺』が浮かんでるのは、その上空だ。
そして、俺たちが作戦本部として使ってる宿は、4つの屋敷のほぼ中央。
つまり『壺』は、宿のほぼ上空に浮かんでいるということになる。
宿の屋根に立つ、人影があった。
美しい、女の姿をしている。
イゼルダだ。
いま彼女は『壺』を見上げている。そして『壺』の彼女の視線が指した部分から伸びた『手』が、次々と斬り落とされていた。
『前払いでOK』
目的を達成するために必要な金額を払うと、過程をすっとばして、実際にそれを行ったのと同じ結果だけを得ることが出来る、彼女の能力。
その能力で、イゼルダは『壺』から伸びた『手』を斬り飛ばしているのだ。
彼女の足元には、いくつも袋が並んでいる。ぱんぱんに中身の詰まったそれが、ひとつ、またひとつと萎んでぺしゃんこになる。袋に詰まってたのが何かは、言うまでもないだろう。金だ。それが、彼女が『手』を斬るたびに消費されているのだ。新しい袋が、階下から次々と運ばれてはいるが、それも、いつまでも保つわけではないだろう。
そこでだ。
●
「だからさ、出してくれないか? いまお前が出せるだけの金を」
窓は、街の中央に向いていた。
地図を見れば分かることだが、この街の中心は、今夜襲撃した4つの屋敷の中心と重なっている。
『壺』は、その上空に浮かんでいた。
巨大だ。数キロは離れたここから見ても、近くにあるどんな建物より大きかった。もちろん、それが本当の壺であるはずがない。壺のように見えるモノ――いや、現象だ。
4つの屋敷にある石版を破壊し、結界が機能しなくなったなら。
そのとき、どんなことが起こるのか?
宿での作戦会議で、イゼルダとルゴシはこう説明した。
まるで、実際に見たことがあるかのように――
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『喩えるなら、影ってところかしらね。『スネイル』の幹部たちが見てる『壺』と、自然の現象と化した『スネイル』は、同じ姿をしている。そして『壺』が幹部たちの意識に留まってる限り、実際の『スネイル』の姿は隠蔽され続ける』
『影である『壺』が幹部の意識に隠される。だから遡って――『スネイル』の本体もまたどこにも、誰にも見えないってわけです。もちろん、実際に存在しているのは『スネイル』という現象であり、『壺』の方は幹部たちの脳味噌に貼り付く幻覚にすぎない。しかしこの『影』と『実体』という関係性を、結界が現実として作用させてしまってるんですよ。だから、結界が機能しなくなれば――』
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『スネイル』の本体――魔術を極め、自然と合一した『スネイル』そのものが姿を現す。その姿が『壺』なのだ。いまや仮初の人格を失ったそれは、どんな意志に依ってるわけでもない、単純なる現象として、そこにあった。
ただ見たままを言うなら、渦を巻くエネルギーの奔流だ。
空に浮かぶ『壺』は、しゃぶしゃぶ鍋の中央の筒状になった部分のようでもあった。そしてその周囲を、きらきらした光の糸が周っている。溶けて風に舞う、綿菓子になる直前の砂糖みたいに。もっとも、そんな風に見えているのは、ここからあまりに距離が離れているせいだ。
『鎖』の力を借り、目を見開けばよく分かった。
次々と『壺』の表面に貼り付き取り込まれていく光の糸――それは、文字や人や動物、建物の姿。それとこの街で行われているありとあらゆる行いの映像。無数のそれらが連なったものだった。
ひと目見て、俺は直感した。
あれは、情報なのだと。
エネルギーとなった情報。21世紀に生きてた俺でなければ、理解し難い概念に違いない。ルゴシは言ってた。『実際に存在しているのは『スネイル』という現象』なのだと。悪いが違う。幹部の頭にある『壺』も『スネイル』本体も、どちらも存在としては同じ――どちらも情報であるという意味では等価な存在なのだ。
情報を取り込むことで構造を成し、更に情報を取り込むことで強度を増し、更に更に情報をとりこむことでエネルギーとする――ということはだ。魔術というものの本質が、俺には掴めた気がした。魔術を極めた先にあるのがああいった情報そのものになることなのだとしたら、その前段階である魔術とは――
「情報を操作する技術――ってことか」
――対象は、何だっていい。人、モノ、動物、建物。火、水、土、風。それを成す情報に干渉し、操作する技術。
例えば、いま空の『壺』から無数の手が生えて、地上に伸ばされんとしている。あの手の一つ一つが、『壺』が空間の情報を操作することで出現してるのだとしたらどうだろう? その手のひらや指先が仄かに光っているのは、街を通る風や空気が保つ温度すら、情報として取り込んでいるからなのかもしれない。
と、そこまで考えて俺は呆れた。要するに、アレだ。いまさら『魔術とは』なんて気付くまでもなく。俺は、既に学んでいたじゃないか。万物の情報に干渉して現実を操作する技術。龍皇のところで学んだアレ――龍韻。
「ボス……!?」
シンダリが、呻いた。
俺は訊いた。
「あれが『スネイル』か?」
『壺』の上端から、顔が現れていた。巨大な『壺』に見合った、巨大な『顔』だ。それが真っ直ぐ現れてたなら、笑うことも出来たかも知れない。しかし『顔』は、傾いでいた。斜めに傾いだ巨大な『顔』が、壺の上にせり上がってきていた。
「『スネイル』は、女だったのか?」
頷くシンダリに訊ねると、奴はまた頷いた。
年齢は、20になったかならないかといったところ。赤毛でそばかすの目立つ、特別に美しいわけでもなければ可愛いわけでもない――『壺』から現れたのは、そんなどこにでもいそうな、ありふれて平凡な若い女の顔だった。
シンダリと、目が合った。
俺が、合わせたのだ。
「くっ……」
途端に、奴の頬が赤くなる。
顔を背けようとするのを、目力で許さず、俺は言った。
「なあ、シンダリ」
名前を呼んだ途端、奴の身体がぶるりと震えた。
本人は気付いているのだろうか――蕩けた目付きになってる伊達男に、俺は訊いた。
「予定では、脅しあげるつもりだった。でもなんだか、お前を見てたら『お願い』でもいいんじゃないかな、って思えてきたんだけど……どうかなあ?」
見つめ返すだけの瞳に、俺は言った。
「金が要るんだよ。すっごく沢山の金が」
●
先に説明した通り、この街の中心は、今夜襲撃した4つの屋敷の中心とちょうど重なる。
『壺』が浮かんでるのは、その上空だ。
そして、俺たちが作戦本部として使ってる宿は、4つの屋敷のほぼ中央。
つまり『壺』は、宿のほぼ上空に浮かんでいるということになる。
宿の屋根に立つ、人影があった。
美しい、女の姿をしている。
イゼルダだ。
いま彼女は『壺』を見上げている。そして『壺』の彼女の視線が指した部分から伸びた『手』が、次々と斬り落とされていた。
『前払いでOK』
目的を達成するために必要な金額を払うと、過程をすっとばして、実際にそれを行ったのと同じ結果だけを得ることが出来る、彼女の能力。
その能力で、イゼルダは『壺』から伸びた『手』を斬り飛ばしているのだ。
彼女の足元には、いくつも袋が並んでいる。ぱんぱんに中身の詰まったそれが、ひとつ、またひとつと萎んでぺしゃんこになる。袋に詰まってたのが何かは、言うまでもないだろう。金だ。それが、彼女が『手』を斬るたびに消費されているのだ。新しい袋が、階下から次々と運ばれてはいるが、それも、いつまでも保つわけではないだろう。
そこでだ。
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「だからさ、出してくれないか? いまお前が出せるだけの金を」
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