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第六章 違い

四節 覚悟

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「天使の巫であるということに肩が張っているな?」

 イネスはそれを否定することも肯定することもできなかった。

「おにい・・・」

 答えが違うだろと言いたかったラジエラだが、右手で制されてしまった。
 イネスからすると、国に戻って以降はほぼ放置されていたに等しい。エイナウディ共和国の元大統領が押し掛けてきた一件以外で、頼られた覚えはないのだ。

「申し訳ござ・・・」
「なぜ謝る?」

 これはルシフェルの言うとおりだ。これに関して誰が悪いだとかはない。何せ実害がないからだ。

「イネス様、深呼吸を。マリ、体を使ったやつを教えてあげて」
「う、うん」

 ルシフェルには教える余裕がなかった。
 ラジエラは彼の意図が読めず困惑しつつもイネスの傍によって深呼吸の方法を教えた。
 数回の深呼吸の後、彼女は落ち着きを取り戻した。

「イネス様、俺が巫にした理由はわかる?」
「立場、でしょうか」
「そう。一番面倒事を被らずに連絡を付けやすいと思った、それだけ。欲を言えば政治にかかわりがない方がよかった。ただ、二人を正式に預かってからは外交補佐であってくれてよかったと思っている。他国にもある程度の見地があれば相談もしやすい」
「つまり、便利、だと」
「ええ」

 忌憚きたんのない答えに、ようやく便利な人族としか思われていなかったことに気づいたのだった。

「マリ」
「何?」
「人として好きか嫌いかは、恋愛での好きか嫌いかと同義じゃない。履き違えるな」
「ごめん」

 嫌いなのはほぼ同義と言ってもいいだろう。人として嫌いな人に恋愛感情は湧かない。
 とは言え、人として好きだとしても恋愛に発展するかと言えば、そうとは言えない。その最たる例が家族である。

「さて、告白と言うのは勇気のいるものだ。回答がどうであれふり絞られた勇気に答えないのはどうかと思っている」

 辛そうではあるが、真剣なまなざしを向けられ、イネスは湧き上がる恐怖心と羞恥心を抑え込んで見つめ返した。

「ただ、あの言動では、何も進まないのは分かってる?」

 これにはラジエラも驚いてしまった。ここまで甲斐性がないのかと。同時に言いたいことも気持ちもよく分かった。
 これはルシフェルにとって気持ちを表明されただけでしかなく、どうしてあげることもできないのだ。勿論、先を読んで何かしらの言葉や行動を起こしてもいいが、彼の場合は相手が子供でない限り、絶対にそのようなことはしない。
 イネスは聖女であり外交補佐、歳も二十歳になろうかと言う歳で当然成人済み、社交界に出る経験もしている彼女が、舌足らずはどうなのかということなのだ。
 また、先読みが外れると軋轢きれつが生じかねない。軍にいた彼にとって、それは御法度の行為でもある。なぜなら容易に死を招くからである。
 とは言え、イネスは軍人ではない、だからこそ言葉を導き出す為にある程度譲歩をしている。本当なら「そうですか」で終わるのだ。

「・・・」

 イネスはうつむいてしまって答えなかった。

「だから、肩が張っていると言ったんだ。攻めているわけじゃない。もう一度さっきの呼吸法をやって落ち着くんだ。あなたなら、できることでしょ?」

 そう言われて、体を使って大きく一呼吸すると、イネスは自身が震えていることに気づいた。自分の状態すら把握できていなかったのだ。
 何が稀代の外交補佐だ。何が次期外交官候補の有力才女だ。
 両手で握り拳を作り、顔を上げると、ルシフェルから笑顔が投げかけられた。

「いつものあなたになりましたね」

 そう言われ、彼に対して今までに抱かなかった感情である『この人しかいない』と言う思いが溢れた。
 同時に彼に対して跪き、両手を組んでまっすぐに見上げた。
 これを受け、ルシフェルは天族隠蔽を解除して立ち上がった。

「私、イネス・グーティメルはルシフェル様に恐れ多くも大いなる好意を抱いています。天使様の仕来りは聞いております。つきまして、婚約を申し込みたく存じます」
「その想い聞き届けました。婚約を受け入れます」
「ありがとうございます!」

 彼女は大きく頭を下げた。その所為でルシフェルが近づいていることに気付くのが遅れてしまった。

「よくできましたね」

 抱きしめられ、翼で包まれ、それはあまりにも優しく、温かく、おだやかであった。

「はい」

 そこに恥ずかしさなど湧くこともなく、返事と共に自然と組んだ手を離して抱きしめ返していた。

「これが真の恋をするということなのですね。私は恋に恋していたのかもしれません」
「貴女がそう言うのであるのならそうなのでしょうね」

 ラジエラは二人の様子にほっとすると共に、イネスの変化に気付けず、気持ちを本当の意味で見抜けなかったことに悔しさを感じた。
 相手が相手だから何も思わないのだが、他人なら何を見せられているのだろうと思っただろう。それに、双子を預かってからルシフェルの父性は加速度的に強くなっており、今見せられているそれも、仲のいい親子のそれにしか見えない。イネスは相当苦労するんだろうなと目をそらすのだった。

「結界の外に出てくる。戻るまで絶対に出るなよ」
「はい」「わかった」

 いつの間か二人は離れており、ルシフェルは技能を解除したままになっている。
 ふらふらの足取りで外に出ていくのを二人で見送り、同時に溜息をついた。

「セレちゃんもイムちゃんも相当な魔力量を持っているのですね」
「イネスがやったらあれじゃ済まないね。最悪死ぬね」
「そんなにですか・・・そういえば、私の時もと仰ってましたよね?ということはマリもユンカース様にやってもらったのですか?」
「うん。本当はお母さんにやってもらうはずだったんだけどね」

 魔力制御訓練の初期段階は、同性で年上の家族とやるのが基本原則になっている。物心つく前には家族が兄であるルシフェルしかいなかったラジエラはその基本に沿うことができなかった。
 なぜそのような基本原則があるのかと言うと、魔力の受け渡し以外によい方法がなく、その方法にはある重大な問題があるからだ。
 双子は暖かい、冷たいと真逆の感じ方をしたように、十人十色の感じ方をし、双子から感じ取れたのも真逆だったように相手によっても変わってくる。
 ただ、どんな感じ方をしようと、絶対的に共通する感じ方がある。それは双子がいった『くすぐったい』である。
 相手によって不快に感じるのも『くすぐったさ』が原因である。
 これは波長が関係しており、波長に乖離があればあるほど不快に感じ、逆に同質性が高ければ高いほど快楽に代わってしまう。知識や気分に関係なく、一定のところで生理反応が必ず起こるので、これを利用して交際初期などに相性を図る方法として利用される。
 重大な問題とはこれのことであり、これを利用した性犯罪も存在する。
 しかし、代わる方法がないので、同性で年上の家族とするのが基本原則になっているのだ。

「これは、よくない質問でしたね」
「ああ、いいの、いいの。お兄ちゃんが全部やってくれたし、顔を知らないからうらやましいとか寂しいとか思ったことないんだよね。何かないと顔を合わせない親戚みたいな」

 要するに彼女にとっては他人なのだ。ずいぶん淡白に言うはずである。

「そうでしたか。しかし、お母様にですか?」
「あれ?魔力制御訓練って年上の同性の家族にやってもらうのが基本じゃないの?」
「私たちは、専門の家庭教師や学校の教師、神殿や教会の神官の指導の元、子供同士でやります。時間をかけてやりますから、なかなかあのような状態にはなりません。勿論事故やそもそもの魔力量が多いなどの理由でなることはありますが」
「あー、子供同士だからわかんないのか・・・ということは魔力酔いっていう言葉はないのかな?」
「ありませんね」

 魔力酔いとは、魔力波長の同質性が高い者同士で受け渡しを行った際になる、快楽を享受し恍惚としてしまう状態のことを言う。
 双子が面白がって流しすぎたせいでルシフェルは今この状態なのだ。波長は自己同一性を映すので、身近にいたことで双子との同質性が高く、それほど懐いているという証明でもある。
 訓練中は快楽を押さえつけていたので症状が長く続いており、解消する方法は一つしかない。だから、彼は結界の外に行ったのである。

「だから、そういうことだね」
「それで、事故を起こした子たちがもじもじしていたり、精神が不安定になったりするのですね」
「そ、だから、その扶助ができる、やりやすい同性の家族なの。基本的に年上の方が魔力量多いでしょ?だから影響を受け難いっていうのもあるね。セレちゃんもイムちゃんも魔力量は一人で天族に匹敵するんだよね」
「それでマリの時よりもきついと」
「うん。あの時は私が流しすぎた上にいきなりだったからお兄ちゃんびっくりしちゃって、同じ量を返されちゃったんだよね。で、それでその時はやめちゃった」

 この時は同量を流し返しているので今回のように症状は重くなかったのだが、

「返されたってことは、マリも大変だったのでは?」

 そう、この時はマリも大変な目にあっている。
 性教育は受けておらず、少女漫画もまだ読んでいなかったので、その方向の知識が全くなく、生理反応に年齢は関係がないので自分の体に何が起こっているのか分からずにいた。

「確かに大変だったけど、本当に大変だったのはお兄ちゃんの方じゃないかな?」

 当時、一緒にお風呂に入るぐらいの歳で、不安な気持ちが先行してもいたので、遠慮も羞恥心も関係なしにルシフェルを頼った。
 それで困り果てたのが彼である。
 訓練は続けなければならない。事故を怖がっていると中途半端になり、訓練期間が間延びする。間延びすると彼女の時間も減り、やる気の問題で中途半端になりやすくなる。だからと言って、彼女の年齢で教えていいものなのか悩んだのだ。
 気をそらすことも考えたのだが上手く行かず、結局、泣く彼女を見ていられずに解消の仕方を教えたのだった。

「あの時、六つだったから、お兄ちゃんは十三だね。年頃の男の子だったからだいぶ困ってたんじゃないかな?」
「お前の月ものよりも困ったぞ」
「だよねー。おかえり」
「おかえりなさい」

 戻ってきた彼にすっきりした様子はなく、疲労困憊で目も半分しか開いていない。
 初経の時は恥ずかしくて言えず、様子がおかしいことに気付いた彼が彼女の友達や先生から聞きだし、それとなくお祝いして月のお小遣いを増やし、深く追求しなかった。

「あのー、双子の魔力制御訓練はどうしてユンカース様が?」

 あれだけ話しておいて疑問に思わない方がおかしいだろう。イネスの問いに顔を見合わせた兄妹は頷きあい、ラジエラが答えを言った。

「私がまだ訓練中だからだよ」
「えっ!」
「私が漸近覚醒して魔力量が増えた時にちゃんと訓練できなかったの。だから細かい制御がまだ苦手でね。流される分にはこっちが耐えてしまえばいい話なんだけど、流してしまった時が怖くてお兄ちゃんにお願いしたの。どうせ扶助は私がやるんだから、ちゃんとできるように、ってのもあるね」

 理屈は分かる。ラジエラは状況上仕方なく被ったに過ぎない。同じ思いをさせたくないのもわかる。
 ただ、訓練中であることが衝撃的過ぎた。

「訓練中ですか?」

 訝しげに聞くのも仕方がない。それが彼女らの天使に対する先入観でもある。

「うん。あのね、お兄ちゃんもそうなんだけど、魔力が尋常じゃない量増えてるの。私たち呪いがあったから、生まれてきた時っていうのは、普通の人族ほどしかなかった。でも、覚醒で呪いの一部が解除されてね、私は数千倍になってるわけ。私は、器用さなら誰にも負けないけど、さすがに手に負えないよ」
「それでも事故を起こさずに生きているのだからわからないものなのですよ」

 イネスはこのルシフェル一言で、どれだけ彼が苦悩し、苦労してきたのかよく分かった。

「お疲れ様ですと言うには早いですか?」
「早いですね。しかし、少し楽になりましたよ」

 翌朝、元気いっぱいの双子に三人とも起こされたのだった。
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