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第一章 鞘の内の刃
五話 赫燕将軍 2
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「はい、お名前とその戦果と、そして……」
玉蓮が言い淀む。
大陸最強とも言われる、強力な騎馬隊を擁する赫燕軍がおさめる戦果は、突出していた。彼の指揮する騎馬隊は、嵐のように敵を蹂躙し、瞬く間に戦局を覆すと言われている。だが——
「——その、非道」
玉蓮の心を見透かしたかのように、劉義は言葉を継いだ。
「あやつは、碁を嫌った。『ぬるい』とな。石を置いて地を囲うなど、まどろっこしいと。奴が好むのは、碁ではない。——『象棋』だ」
「なぜ、将軍は象棋を好まれるのですか?」
「奴にとって戦場は、地を広げる場ではない。敵の『帥(王)』の首を狩るためだけの狩り場。自らの駒さえも平然と使い捨て、一直線に敵の喉笛に喰らいつく」
声が、低く、地を這うように響く。
「我々が盤上の石をどう囲むか思案している間に、奴は盤そのものを火に放り込む。敵も、味方も、民も、土地さえも。勝利のためならば、全てを灰に帰すことを厭わぬ。奴が通った後に、残るのは草一本残らぬ焦土」
劉義の指が、盤上の黒石を無造作に弾き飛ばした。パチン、と乾いた音を立てて、石が床に転がる。まるで、首を斬り落とされた兵のように。
「その冷酷なまでに徹底した戦略は、究極の合理。その才はまさしく、光。しかし、その道は紛れもなく、闇だ」
師の言葉と共に、古い墨の香りが、ふと、鉄錆のような血の臭いに変わった気がした。玉蓮の指先がぴくりと跳ね、次の瞬間には拳を握り込む。伏せていたその顔をゆっくりと上げる。
「……先生」
声が震える。恐怖ではなく、喜びで。
「その闇は……未だ一度も、負けたことがないのですね?」
劉義が息を呑む気配がした。
(残酷? 非道? それが、どうした)
綺麗な正義などこの世に暖か。礼節と慈悲で、あの男を殺せるか。——否。断じて、否だ。地獄にいる怪物を殺すことができるのは、それ以上に凶悪な怪物だけ。
劉義の視線が一度、盤に落とされ再び玉蓮をとらえる。
「時に常識では考えられぬ奇策を弄し、絶望的な状況からすら勝利を掴み取る。その智謀は、まさに天賦のもの」
「それでは——!」
「だが、忘れるな、玉蓮。その力がいかに輝かしくとも、それが破壊の刃である限り、必ず持ち主をも貫くのだ」
玉蓮は沈黙したまま、師の顔を見つめた。劉義の言葉が、熱い砂のように頭の中に流れ込んでくるのに、掴もうとしても、指の間からこぼれ落ちていく。
「我々は、勇敢なる騎馬民族を祖に持つ国。武勇が何よりも尊ばれる。だが、あやつは——」
そう、武勇も知略も正義だ。それがなければ、この世界を生きていけないのだから。赫燕将軍は、何よりも正義ではないか。
「私は、その才を愛し、その危うさを知りながら、修羅の道へ行く背中を見送ってしまった」
劉義は自嘲気味に笑い、そして真剣な眼差しで玉蓮を射抜いた。
「……玉蓮。お前はまだ、光の道を選ぶことができるはず。どちらの道を行くかは、お前次第だ」
玉蓮は、わずかに眉根を寄せ、問い返そうとして微かに開いた唇を、きつく結び直す。盤の中央の一点、天元。その孤独な石に、玉蓮の視線が吸い寄せられ、しばし離れなかった。赫燕の名の熱だけが、喉の奥に残ってひりつく。
玉蓮が言い淀む。
大陸最強とも言われる、強力な騎馬隊を擁する赫燕軍がおさめる戦果は、突出していた。彼の指揮する騎馬隊は、嵐のように敵を蹂躙し、瞬く間に戦局を覆すと言われている。だが——
「——その、非道」
玉蓮の心を見透かしたかのように、劉義は言葉を継いだ。
「あやつは、碁を嫌った。『ぬるい』とな。石を置いて地を囲うなど、まどろっこしいと。奴が好むのは、碁ではない。——『象棋』だ」
「なぜ、将軍は象棋を好まれるのですか?」
「奴にとって戦場は、地を広げる場ではない。敵の『帥(王)』の首を狩るためだけの狩り場。自らの駒さえも平然と使い捨て、一直線に敵の喉笛に喰らいつく」
声が、低く、地を這うように響く。
「我々が盤上の石をどう囲むか思案している間に、奴は盤そのものを火に放り込む。敵も、味方も、民も、土地さえも。勝利のためならば、全てを灰に帰すことを厭わぬ。奴が通った後に、残るのは草一本残らぬ焦土」
劉義の指が、盤上の黒石を無造作に弾き飛ばした。パチン、と乾いた音を立てて、石が床に転がる。まるで、首を斬り落とされた兵のように。
「その冷酷なまでに徹底した戦略は、究極の合理。その才はまさしく、光。しかし、その道は紛れもなく、闇だ」
師の言葉と共に、古い墨の香りが、ふと、鉄錆のような血の臭いに変わった気がした。玉蓮の指先がぴくりと跳ね、次の瞬間には拳を握り込む。伏せていたその顔をゆっくりと上げる。
「……先生」
声が震える。恐怖ではなく、喜びで。
「その闇は……未だ一度も、負けたことがないのですね?」
劉義が息を呑む気配がした。
(残酷? 非道? それが、どうした)
綺麗な正義などこの世に暖か。礼節と慈悲で、あの男を殺せるか。——否。断じて、否だ。地獄にいる怪物を殺すことができるのは、それ以上に凶悪な怪物だけ。
劉義の視線が一度、盤に落とされ再び玉蓮をとらえる。
「時に常識では考えられぬ奇策を弄し、絶望的な状況からすら勝利を掴み取る。その智謀は、まさに天賦のもの」
「それでは——!」
「だが、忘れるな、玉蓮。その力がいかに輝かしくとも、それが破壊の刃である限り、必ず持ち主をも貫くのだ」
玉蓮は沈黙したまま、師の顔を見つめた。劉義の言葉が、熱い砂のように頭の中に流れ込んでくるのに、掴もうとしても、指の間からこぼれ落ちていく。
「我々は、勇敢なる騎馬民族を祖に持つ国。武勇が何よりも尊ばれる。だが、あやつは——」
そう、武勇も知略も正義だ。それがなければ、この世界を生きていけないのだから。赫燕将軍は、何よりも正義ではないか。
「私は、その才を愛し、その危うさを知りながら、修羅の道へ行く背中を見送ってしまった」
劉義は自嘲気味に笑い、そして真剣な眼差しで玉蓮を射抜いた。
「……玉蓮。お前はまだ、光の道を選ぶことができるはず。どちらの道を行くかは、お前次第だ」
玉蓮は、わずかに眉根を寄せ、問い返そうとして微かに開いた唇を、きつく結び直す。盤の中央の一点、天元。その孤独な石に、玉蓮の視線が吸い寄せられ、しばし離れなかった。赫燕の名の熱だけが、喉の奥に残ってひりつく。
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