夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第三章

第四話 窓際の影

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 ── 黒葛原 美影つづらはら みえが転入してきて一週間が経った、ある日の事だった。

 初対面から蛍を何故か気に入り、彼を連れ回している黒葛原つづらはら。それからというもの、影人が傍にいようといなかろうと、彼女は蛍の手を引きあちこちに連れ出し続けていた。
──まるで、影人がその場にいないかのような振る舞いで。

(あいつ、今日も連れてかれたな……)

 蛍と影人が唯一話せる時間といえば、最近は曲がり角までの登校時間だけで。そこからは、決まって黒葛原つづらはらのターンになっていた。
「一緒に学校行こ!」と言われては、彼女の押しに負けて蛍が手を引かれて走る。ここ一週間はずっとそのパターンだ。

 彼女の態度は明らかにおかしい。あからさまに自分を無視していると、影人は薄々感じていた。
自分は生きていて生身の肉体もある。誰にでも見えるはずなのに、彼女は影人にだけは一切触れてこない。


 そして極めつけにもう一点。以前、登校中の蛍の手を引いて走り出す間際、一瞬だけ自分に向けられた──不敵な笑み。
明らかに、あれは自分に対してのものだった。敵意か何かを感じられるような、不穏な視線をたった一瞬向けてきていた。

(……俺、あいつに何かしたっけな。まあいいけど)

 名前も見た目も、どこか見覚えはあるけれど──誰だったっけ。朧気な記憶の中、影人はその存在を探し出そうとすら思わない。
寧ろ、ああいう女は関わるのが面倒くさそうだ……蛍が自分と離れている時間が長くとも特にアクションを起こしていないのは、そういった影人の本音があったからだった。
何人もの女を相手してきた影人だからこそ判断出来たもので、きっと蛍であればそこまでの考えには至らなかっただろう。


「……黒崎君、ちょっと」

 眠い……と、うつ伏せ気味になっていた影人の頭上から降ってきた声。
囁くように小さな声量で、影人の声よりずっと高音の──

「……何。つか、誰だっけおまえ」
「え、もしかして名前覚えてないの? 窓雪だよ、窓雪」
「あぁ、窓なんとか」
「なんとかって……あはは。まあ、いいけどね。私の名前はそれでいいとして……」

 ── 窓雪 ケイ。
いつもは友人である女子二人とトリオでいるか、蛍に話しかけるかのどちらかなのだが。今回は、中々に珍しいケースだ。
 影人と窓雪、あまりに珍しいツーショットに、周りも少しだけちらちらと目を向けている。
特に気にしているのは女子だが、窓雪はそんな視線をものともせず影人の前の席に(勝手に)座る。
少しだけ身を乗り出し、内緒話をするように片手を口元に当てながら彼女は話を始めた。

「……あの転入生ちゃん、どう思う?」

 彼女は至って真剣……なのだろう。眉を顰めながら、小さめの声で話している。まるで、密告をするスパイのようだ。
……対して影人は全く興味が無さそうというか、中々に冷めた目をしているが。

「どうって、別に」
「別にって……転入してきてから、ずーっと不破君連れ回されてるじゃない。ここのところ、黒崎君も一人っきりだし。……寂しくないの?」

 じっと、真剣な目つきで窓雪が問いかける。

『―― 今は、不破君と黒崎君のコンビに注目してるからね!』

 あぁ、いつだか言っていたような気がする。だからだろうか、一週間も蛍は連れ回され、自分がその間ずっと一人でいると知っていたのは。他の奴なら、そこまで見ないだろうに。
基本的に他人に興味を示すことの無い影人からしたら、ご苦労なこった……と、言いたくなるような言動だろう。あくびをしながら、影人は窓雪に一瞬だけ目を向ける。

「……別に寂しいとかないよ。あいつが誰といようが、それはあいつの勝手だし」
「まあ、それはそう……だけどね」
「そもそも何でお前が俺とあいつのこと気にすんの? 別に関係ないでしょ」
「それを言ったらおしまいだよ、黒崎君。うーん、なんて言うかね……あの子、なんか変な気がするんだよねえ、私」
「何が」
「何って、具体的には言いづらいけど……うーんと…………女の勘?というか、直感? ここだけの話、なんか怪しいなあって」

 ……出た、女の勘。科学的根拠は無いのに妙に当たったりする、面倒くさいシロモノ……と、影人は心の中で呟きながら黙って話を聞いていた。

「確かに不破君は良い人だよ? ヘタレくさいけど優しいし、悪い人じゃないし。っていうか、将来心配なくらい純粋で良い人だし。……初めて会った時に優しくされるのは嬉しいのは分かる、んだけど……」
「何が言いたいのお前」
「……百戦錬磨の黒崎君なら多少は女の子を見る目もありそうだし、察してくれそうな気がしたんだけどなぁ。ただ単に不破くんのことをめちゃくちゃ気に入ったのだとしても、なんか、こう……不自然? というか……」

 ……裏がありそうだな、って。
窓雪は誰にも聞こえないように、かなり小さな声で呟く。
影人の耳にも、それはきちんと届いて。そしてついでに言えば、彼女──黒葛原つづらはらは腹の中に何かを抱えてそうな気配も、何となく感じてはいる。
ただ──関わると面倒くさそう、その理由一つで自分からアクションを起こしていないだけで。

「……いいの? このままで」
「いいよ別に……あいつがいなきゃいないで、一人で静かにしてられる時間が増えるし……落ち着くから」

 ──うるさいのがいなくて清々する。人によってはそう捉えられかねない言葉を、影人が吐き捨てる。
けれど、窓雪は眉をハの字に下げて「そっかぁ」と笑うだけ。他のクラスメイトよりは二人に理解がある彼女の耳には、そんな風には聞こえなかったようだ。

「それなら仕方ないなぁ、確かに私は部外者だからね。……。……あぁ、でもね、黒崎君」
「今度は何」

「── ふとした時に思い出しちゃったら、黒崎君の負けだよ」



◇ ◇ ◇



「不破君! 一緒に帰ろ!」

 今日も今日とて、黒葛原つづらはらは蛍の手を引いて強引に連れ出した。
彼女は蛍が影人に声をかける前に、先手を打って自分から蛍に近づいている。……そのことに、影人が気づいているか否かは、定かではないが。

「…………」

 蛍がいない影人の隣は、あれからずっと空白。蛍がいない隙を狙って声をかけてくる女子はいれど、彼が首を縦に振ることはしなかった。
影人さん、影人さんと一日に何度も彼の名を呼んでいたあの声が、今は無い。

(また元通り)

 一年越しに、彼と出会う前の自分に戻っただけ。心の中で、ぽつりと呟く。
これが、影人にとっての日常だった。蛍と出会う前の自分の周りは、たまに雑音が入るくらいの静寂しかなくて。
一人でぼーっと過ごすことが多かった自分にとって、蛍がいない時間はそこまで苦ではない。……そう思っていた。


 学校にいても一人。家に帰っても一人。
荷を降ろし、ベッドに横になりながらぼーっと天井を見上げる。今日も静かな一日だった。

(そもそも、アレは俺がどうこう言えることじゃないし)

 黒葛原つづらはらに手を引かれるままの蛍。彼女がどういう訳で蛍を連れ回してるのかは知らないが、蛍から何の言及も無いところを見るに、彼も満更でもないのかもしれない。
もし本当に嫌なのであれば、その腕を振り切ってでも戻ってくるはずである。……ヘタレな彼がそこまで強く出られるかと言えば、それも微妙であるが。

 こうして自分が静かにしている今も、あそこの二人は仲良くしていることだろうか。あの勢いなら、黒葛原つづらはらの方から連絡先を教えてくれと強く出る可能性なんて容易に想像出来る。

 蛍の方はどうだか分からないが、黒葛原つづらはらの態度は明らかに蛍に好意がある……ように見えても、おかしくない。
蛍の気持ちさえあれば、二人が付き合うのも時間の問題だろう。


(──そしたら、あいつは多分幸せになれるんだろうね)


【ボク自身を愛してくれる人が、いつか現れますように】

 それが、彼にとっての願いで。

『この先出会う中で、もしボクを「好き」って言ってくれる人が、……誰かとの繋がりを得るための存在じゃない、ただの「不破 蛍」としてボクを好きでいてくれる人がいるなら── ボクも、その人と添い遂げたいな……なんて、思っちゃいますかね』

 ──それが、彼にとっての幸せで。
もしかしたら、今はその幸せのための一歩を踏み出そうとしているかもしれない。

 ただ、その幸せが叶ってしまったら──彼はあのまま手を引かれ続けて、自分の元には戻ってこないかもしれない。

(……あいつが決めることだし、別にいいけどね)

 ふあ……と、あくびをしながらカーテンが閉まっていない窓の外を見る。
青と赤のグラデーションをした夕方の空──誰かに似た色を、影人はじっと眺めていた。
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