夜影の蛍火

黒野ユウマ

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短編集

夜影の蛍火 バレンタイン2021

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※ノベルアッププラス「三題噺コンテスト」に応募した作品です。
 軸としては最低でも「第三.五章 文化祭編」終了後のものですが、ネタバレ(笑)が気にならない方は読んでなくても大丈夫です。


 



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 世間のバレンタインは早い。1月後半の時点で、店頭は既にピンク一色の甘色世界だ。
乙女の戦いというのは、こんなに早くゴングが鳴るものなのだろうか。作る側にも貰う側にもなったことのないボクにはよく分からないけれど。

「この時期は美味しそうなチョコがたくさん売られますよね~。トリュフとか、ガトーショコラとか。ちょっとお高いですけど」
「うん」

 ある登校日の帰り道。影人さんと共にスーパーに足を踏み入れると、入ってすぐ左手のバレンタインコーナーが目に入る。
普段から売られている安い板チョコの他、冬季限定の生チョコや有名(らしい)パティシエが作った高級チョコレートまで……これだけ多種多様なチョコが売られるのも、この時期ならではだろう。
チョココーナーの下を見れば、手作りをするためのキットや板チョコまでご丁寧に並べられていて。市販派、手作り派、どちらにもバッチリ対応できる用意周到さにはいつも感心してしまうものだ。


 ……まぁ、もらう側でもあげる側でもないボクには関係ないが。
ボクと影人さんはチョコを手に取ることもなく淡々と買い物を済ませ、また帰路に戻った。

「……バレンタインっていえばさ」
「はい?」
「怖い話、一つしてあげよっか」

 ゆっくりな足取りはそのままに、歩みを止めることなく影人さんが言う。
バレンタインにまつわる怖い話、とは何だろう。そんな怪談があるなんて聞いたことが無いが。

 ……ただ、ボクよりたくさんのことを知っている影人さんなら知っているかもしれない。ボクの知らない怖い話の一つや二つなど。
怖いのは正直得意ではないが、明るいうちに話を聞くだけなら多少は平気だ。少し怖いと思いながらも、「どうぞ」と答えを返した。

「……去年の今頃の話なんだけどさ……」



◇ ◇ ◇



 ──それは、蛍と知り合ってから初めての冬。
夜の街を一人歩いていた影人のもとに、ふわりと香水の香りが漂う女性が近づいていた。

「みーつけた。ねぇ、君でしょ? 黒崎 影人君って」

 金色の巻き髪に胸元の開いた白いシャツ、下着が見えそうなほどに短い黒のタイトスカート。
今時流行りのナチュラルメイクが施された顔は多少幼く見えるものの、肩にかけた通勤カバンや服装から見て高校生で無いことは確かだ。

「……誰、お前」
「あぁ、ごめんね。いきなりじゃびっくりしちゃうよね。あたし、ミツキっていうんだ。カナコの友達って言えばわかるかな、影人君一緒に遊んだでしょ?」

 ほらこの子、と言いながら女性──ミツキがスマホの画面を向ける。そこに映っているのは、笑顔で隣り合う女性二人のツーショットだ。
正直言えば、影人は援交相手のことをいちいち細かく覚えていない。カナコ、と名前を言われただけでは「誰だっけ……」と首を傾げて数秒は考える程度の真剣さである。

 ただ、彼の視覚は覚えていて。写真を見せられてようやく「あぁ……」と、頷けた。
つまり、この女性は以前相手してやった女の友達で──恐らく、自分のこともその女から聞いたのだろう。
女性同士の話の周りは早い。大方、カナコとやらがミツキにべらべら喋って、ミツキ自身も興味を示して自分に会いに来た……というのが妥当なところだろうか。

「この辺よく歩いてるから~って話には聞いてたんだけど、実際見たら想像以上にイケメンでびっくり! あたしの好みド直球! ……ね、影人君って彼女いるの?」
「……別にいないけど。で、お前俺に何の用なの?」
「えへへ~やっぱり! カナコから話は聞いてたけど、彼女いたならカナコとか他の女の子とだって遊ばないもんね! 私もね、影人君と遊びたいな~と思ってここで君を探してたんだ!」

 ほら、お金だってあるよ! と、自信満々にミツキが財布から万札を5枚取り出す。
迷うことなく5万円をサッと出せるとなると、彼女はそれなりにいい職にはついているのだろうか。誰だか分からないし、大した興味もないが。

「影人君、あたしともデートしようよ。食事代でもホテル代でも、いくらでも出すからさ」
「……。……別にいいけど」

 まぁ、何にせよ金出してくれるならいいや──目の前の女性の事など片隅にも置かないまま、影人が怠そうに頷く。
目の前にいる女も結局はただの金蔓。満足すれば女は勝手にどこかへ行くし、自分も生活費を稼げる。一夜限りのウィンウィンの関係だ。

 やったぁ! と満面の笑みで喜ぶ女性を目の前に、この時間が早く終わることを影人は祈っていた。

 ──これが、悪夢の始まりとは知らずに。



* * *



 ファミレスで食事、カラオケ、普通のデートを楽しんだ後はホテルに行って一夜を共にする。ミツキとのデートは他の女性と似たような流れで終わった。
体の相性はさほど悪くはなく、自身の体もそれなりに満足を得ることは出来ていた。大金も貰えたし、結果はまずまずだ。

 そうして高校生らしかぬひとときを過ごし、密夜が明けた翌々日。
ミツキのことなどすっかり忘却の彼方へ飛ばした影人は、しれっといつも通りの学校生活に戻っていた。

「今日も無事終わりましたね~」
「……うん」

 あくびをしながら気怠そうに言葉を返す帰り道。目の前にいる友人は、まさか自分がこんなことをしているなんて知る由もないだろう。
たった一人の友人である彼は、自分が知る限りでも純粋で真面目な人間だ。そう、……自分とは正反対で、ドがつくほどの。
そんなまっさらな人間相手に、何事も無かったかのように隣り合う自分はどんな風に見えたものだろうか。

「あ、そういえば体育の先生が呆れてたみたいですよ。このままだと単位不足で進級も危ぶまれるだろうって。影人さん、そろそろ真面目に出席しないとダメですよ」
「えぇ……今やってるのって柔道じゃん、クソ面倒なんだけど……」
「アナタの場合は柔道じゃなくても面倒くさがっているでしょうが! 留年したって知りませんからね!」

 もしこれがマンガの世界であったなら、今の友人からはきっと「ぷんぷん」なんて効果音が出ていたことだろう。普段から健康意識の高い彼だ、自分の体を真剣に心配してくれているのはよく分かる。
ただ、可愛い顔つきをした彼が怒ったところで怖さなど露ほども無く。影人も影人で、あくびをしながらの軽返事で受け流していた。



「……?」

 ふと、「何か」を感じた影人が後ろを振り返る。
電柱の後ろ、垣根の向こう、自分よりずっと遠くの地平線──誰かが潜んでいそうな場所をあちこち見渡してみるが、どこにも人の姿はない。
今この場にいるのは、目に見える限りでは確実に友人と自分だけ。……の、はずなのに。

(……。……誰かにけられてる……?)

 ただ、確かに感じるのだ。誰のものかは知らないが、じっ……と、突き刺さるような視線が。
試しに早足で歩いて遠回りをしてみるも、状況は変わらない。戸惑う友人の声を無視して歩けど、正体不明の気配がどこまでも自分を追いかけてくる。
振り返っても人の姿は見えない……が、「誰か」がいる気配はある。この感覚は嘘ではないと信じたい。


(まさか)

 ふと思い立った影人はスマホを取り出し、カメラを起動した。撮影モードをインカメラに切り替え、ゆっくりとスマホを動かす。
影人の顔を映していた画面もそれと同時に動き、背後の風景を捉え、


(……やっぱり)

 ――そうして、ようやく気がついた。

 インカメラに映った電柱、はみ出ている左半身。
スマホをいじる振りはしているものの、視線はじっとこちらを見ている。
少し進んでみれば、向こうも動き。こっちが止まれば向こうも止まる。

 スマホのカメラが捉えたのは、見覚えのある姿だった。
金髪の巻き髪、胸の開いたワンピース──影人の記憶から消えかかっていた「ミツキ」だ。

(しかも何、この間のあいつじゃん……何で?)

 突然変わった状況に、恐怖心を抱く。ミツキには、自分の家も自分の通ってる学校も教えていないはずだった。
それなのに、何故ミツキが影人の後ろをついてきているのだろうか。

(昨日はこんなこと無かったのに……)

 どこかで自分の情報が漏れたのか、はたまたミツキが探り出したのか──思考を巡らせど、答えは出ない。
影人の中にあるのは、突然ストーカーを始めたミツキへの恐怖心。彼女の笑みから見えるドロドロとした「何か」が、背をまとわりつく。
そんな気味の悪い感覚に、影人は戦慄を覚えていた。

「ちょっと影人さん、本当にどうしたんですか? 急に早足で歩いたり、止まったり……」

 影人の動きの真意が分からず、心配そうに眉を顰める友人。そんな彼の顔を見た影人は、あることに気がついた。

……もしかしたら、隣にいる友人のこともミツキは観察しているかもしれない。
ストーカーするということは、自分に対して面倒くさい形の好意を抱いているに等しい。おぞましいほどの執念がなければ、なし得ないことなのだ。


「……蛍、ちょっとこっち」
「え? あの、影人さん……こっちってまたいつもと違う道」
「いいから」

 何がなんだか訳がわからない、そう言いたげに戸惑う友人の腕を引き、走り出す。
いつ何処で自分の登校先を知ったのか、そんな細かいことはこの際どうだっていい。とにかくこの気配から逃れたいし、友人を巻き込むわけにもいかない。

 いつもとは違う道を、普段は発揮することの無い全速力で駆け出した。





* * *




 ミツキの付き纏いが始まってから数日。外出中常に感じる気配に辟易し、体が濡れた綿のように重たくなっていた。
友人との登下校時も、常にその気配と共にある。幸い友人はミツキの気配に全く気づいていないようだが、ここ最近は自己都合で彼を振り回してばかりだ。

 しかし、かといって本当のことも言えないままだった。
ミツキと自分の間にあったことどころか、ミツキの存在自体も友人は知らない。知り合って一年も満たない彼に現状を話すには、事が重すぎるのだ。
……事の経緯の説明が面倒臭い、というのももちろんあるが。


(あいつに話したところで、余計な不安を煽るだけだし……)

 ごろん、と寝転がりながら天井を仰ぐ。
「友達」である自分に対し、いつも心配しては世話を焼こうとする彼だ。もしかしたら、自分のために身を削ることだってしかねないかもしれない。
恐らく、ミツキは俗に言う「メンヘラ女」だ。今まで自分に好意を抱く女は数知れずいたが、ストーカーをするまでの奴はそうそういない。
そこまで執着心のある女というのは、正直言って危険すぎる。事を知った友人が何らかのアクションを起こそうものなら、ミツキが逆上して彼を危険な目に遭わせる可能性もあるだろう。

 これ以上事態を大きくしたくない、出来るなら静かに解決してほしい――平穏な暮らしを望む彼にとって、友人を巻き込むことだけは最低限避けたい事項だった。

 最悪、警察にでも行こうか。しかし、警察に相談したところで取り合ってくれない、または相手の逆恨みを買って事態が余計悪化する――そんな話も、よく聞いたことがある。
警察を動かすには証拠を集めるのが一番なのだが、今のところ有力な証拠が何一つない。そして、身の回りの家事や日頃の勉強すら面倒臭がる彼にとって「証拠集め」という根気のいる作業は中々にハードルが高い。
そもそも警察沙汰にすることだって、出来ることなら避けたいくらいなのだ。

 さて、事の結末をどうしてくれよう――寝返りを打った瞬間、インターホンの音が響いた。

(……誰だろ)

 よいしょ、と重たい体を無理やり起こして歩き出す。
自分のテリトリーたる家の住所を知っているのは、彼と関わる人物の中でほんの一握りだ。ゆえに、インターホンを鳴らす人物もかなり限定されている。
彼が属するバンドのメンバーか、親族の一部か、はたまた興味のない営業か。ただ、バンドのメンバーが来るのもかなり稀であるし、親族も余程の用がなければ来ることはない。

 まぁ、多分営業か何かだろう――そう思いながら、インターホンへ向かう。



『影人くーん! えへへ、来ちゃった!』

 小さな手提げ袋を携え、恍惚な表情を浮かべる金色の巻き髪――視界に入った瞬間、影人の背筋が凍り付いた。

 インターホンのディスプレイに映る人物が誰かは分かるが、事の処理が追いつかない。頭の中は真っ白で、心臓は忙しなく鼓動を刻んでいる。
一体全体、何がどうなってこんなことに。気を張りながら登下校をしていたつもりだが、ここにいるということはまさか家まで特定して――。

 ただ、一つだけ分かることがある。……この女を家に入れるのは、確実に危険な行為だ。
震える指でインターホンの通話ボタンを押し、画面越しにミツキと向き合い始めた。

「あぁ……はい……」
『ねぇ影人君、今ってちょっと時間ある? 渡したいものがあるの! だからここ開けて?』

 はつらつとした声で、手提げ袋を見せてくるミツキ。100%の好意を見せているその表情は、少女漫画の恋する乙女のようにまっすぐで愛らしい。
ただ、それが影人にとって害のない女性であったなら――の、話だが。

 残念ながら、彼にとってミツキはただの"メンヘラストーカー女"であり、好意のある相手ではない。ゆえに彼女が向けてくる好意はただの重りで、見せられた手提げ袋は念の込められた呪殺用アイテム同然だ。
ここまで自分に対して執着心のある相手が持ってくるものが何なのか――想像はできるものの、一切考えたくはない。

 とにかく、まずはこの状況をどうにかしたい。影人の頭にあるのはそのことだけだった。

「え……無理。今ちょっと風邪気味だし……」
『そうなの? 大変じゃない! だったらあたし、影人君看病するよ! あたし家事には自信あるからご飯も作ってあげられるし、何だったら体を拭いてあげても……えへへ』

 えへへ、と言いながら感情が加速していくミツキ。ディスプレイ越しの彼女の目に宿っているのは、影人への一方的な恋情とあからさまな下心。
どうにかしてでも自分と接点を持ちたがるミツキの執念深さには、ただただ震え上がるばかりだ。

「無理だって、うつしたくないから勘弁してよ……」
『え? やだ、影人君ってばやっさし~!! 自分だって大変なのにあたしの心配してくれるんだ!』

 さっさと帰って欲しい――そんな影人の心情など露知らず、一層目を輝かせてくねくねと体を動かす。遠回しな拒否の言葉を、彼女は都合良く捉えているようだ。
「可愛い」を通り越してもはや「気持ち悪い」。その域まで達した愛情表現に、鳥肌が立った。

「……渡したい物があるなら、ドアにかけといて。頼むから」
『ん~……本当なら直接話したかったけど、仕方ないなぁ。影人君の風邪だったら喜んでうつしてもらいたいくらいだけど、影人君の気遣いを無下にするのも良くないもんね!』
「何でもいいから、もう帰って……」

 もう相手したくない、怖い、勘弁してほしい、さっさと帰れ。様々な想いを、たった一言に込める。
「そうだね」と言いながら、ミツキは手提げ袋をドアに引っかける。その想いが伝わったかどうかはわからない――否、一ミリも伝わってはいないだろうが、とりあえずは帰ってくれる様だ。

『じゃあね、影人君! 今度はおうちデートしようね!』

 恐怖で震え上がる影人とは正反対に、朗らかな表情を浮かべながらミツキはインターホンから姿を消した。



* * *



 ――ミツキが出て行ってから、一時間後。インターホンのカメラやドア窓を覗きながら、外の様子をうかがう。
付近にミツキがいないことを確認した影人はようやくドアを開け、ドアにさげられていた手提げ袋を手早く回収した。

(あいつ、何置いてったんだろ……)

 急いでドアを閉め、リビングに戻る。
あの手の女が置いて行った荷物など、ろくなものではないだろう。それは容易に想像できるのだが、念のための確認だ。
物によっては、後でとんでもない事態を引き起こしかねない――手提げ袋から感じるじっとりとした雰囲気に震えつつ、影人は中身を取り出した。

 ピンク色基調の可愛らしいラッピング、四つ折りに畳まれた小さな紙。そして、もう一つ――


「……は……!?」


 ――「妊娠検査薬」と書かれたパッケージ。
普通のプレゼントならまずありえないチョイスが、影人の恐怖心を加速させていく。

 妊娠検査薬? どうしてこんなものが? 
まさか、いや、それは流石に考えすぎか――ぐちゃぐちゃに絡まり合う思考回路を抱えたまま、影人は四つ折りの紙を広げた。

【大好きな影人君へ
この間のデート、すごく楽しかったね。一緒にいてずっとドキドキしちゃった。
あのまま、いつまでも一緒にいたくて……ホテルのチェックアウトの時間も来ないでほしいって、ずっと祈ってた。
驚くと思うけど、あたし、あの時間の中で影人君のこと本気で好きになっちゃったんだ。】

 ただ、じっと文面に目を向ける。社会人らしかぬ丸文字で綴られたそれは、影人への気持ちを純粋に綴ったラブレターのようだった。
今までのストーカー行為さえなければ、これもただの可愛いラブレター……で、処理できたかもしれない。影人にとっては、"面倒臭い"が追加されるが。

 いや、あの行動でもう嫌ってほど分かるんだけど――ため息をつきながら、手紙を読み進める。

【だからね】

 影人への愛を延々と綴る手紙に書かれた、そんな四文字。その先は――




【この間ホテルでヤッた時、ゴムに穴開けたんだ】


 ――影人の心臓が凍りつく。
ミツキとデートをしていた時のことを回想しながら文を辿ると、彼女の手で綴られた言葉が一層色鮮やかに強調されていく。

 ファミレスで興味の無い話に付き合って、やりたくもないカラオケにも渋々付き合って、極めつけは言われるままにホテルでその体を抱いてやった。
ひとしきりその体に触れた後、確かに避妊具を渡された覚えがある。その時は「用意周到だな」と、そんな軽い感想しかなかったのだが。

(……あれ使って、普通にヤッちゃったじゃん……)

 ミツキに渡された避妊具を装着し、やることはやった。この間まで忘れかけていたミツキとの記憶が、走馬灯のように脳内を巡る。避妊具とは、女性の体内に精子が入るのを防ぐための大事な道具だ。快楽は欲しい、けれど妊娠はさせたくない――そのために使うはずのものだった。
特に影人は未成年で学生だ、何かあった時に大手を振って「責任取ります」と言える立場ではない。金稼ぎのためとはいえ、女性と「そういうこと」をする時には、避妊具は必須アイテムのはず……なのだが。

【そしたらね、なんと妊娠しちゃった! 影人君との間に赤ちゃんできたよ!】

 その避妊具に穴を開けられたということは、影人の精子がミツキに流れ込んだということで。
ミツキの巧みな罠に気付かなかった影人の身に、"絶対に起こしたくないこと"が起こってしまったのだ。

 手紙を床に投げ、焦燥感に苛まれながら妊娠検査薬のパッケージを開く。
その中身は――

「……嘘でしょ……」

 ――ぽつりと呟く影人の言葉と正反対の、「陽性」を示す検査薬だった。
妊娠検査薬の陽性=女が妊娠=責任取って結婚、の方程式が濃いこの世界において、この検査薬の反応はほぼ影人のゲームオーバーを突きつけるも同然の出来事だった。

 検査薬を床に投げ捨て、再度手紙を拾い上げる。

【これでずっと一緒にいられるね、影人君。いつも隣にいる女なんてやめて、あたしのところにおいでよ。
生活のことなら、あたしが全部なんとかしてあげるから!】

 いつも隣にいる女――恐らく、女っぽい顔つきをしたあの友人のことだろう。
あれだけ付き纏われれば当然ではあるが、友人の顔も完全にミツキに割れている。もしかしたら、友人の身も危ぶまれるのではないだろうか。
様々な可能性が、影人の脳内を巡る。これはもう「面倒くさい」なんて言っている場合ではない。

【一緒に入ってるラッピングは影人君への愛情をたっぷり込めたチョコレートだよ。食べてね! ミツキより】

 きっと、このチョコレートだってろくなものじゃない――そう察知した影人は即座にラッピングを捨て、スマホを手に取った


「……善也? 急に電話かけてごめん……」


「……たすけて……」




◇ ◇ ◇



「あー、そういえば何かやたら遠回りして帰った日があったのは覚えてますけど……そんな壮絶なことがあったんですか!?」
「うん」

 ひとしきり語った影人に、声を震わせる蛍。淡々と紡がれたその物語は、蛍にとって下手な怪談よりも怖い話だった。
しかも、傍にいながら全く知らなかった――その事実に、恐怖と戸惑いを隠せずにいる。

「言ってくれればボクだって協力したのに……それで、その後はどうなったんですか?」
「ん……善也って覚えてる? バンドのドラムなんだけど、あいつの父親が警察官だからさ。どうしたら警察が動いてくれるか色々聞いて、バンドのメンバーと協力して証拠集めて……それで、警察に頼った」
「へぇ、そうだったんですか。それは凄く心強かったですね……あの、その女性の妊娠だどうだっていうのは……?」
「あー、アレはね……結局、マジの妊娠まではいかなかったみたい。妊娠検査薬は陽性出てたけど、精子が定着しなかったらしくてさ……産婦人科で検査したら陰性だったって。まぁ、責任取って結婚しろは何とか免れたよ」

 そんなこともあったね、とでも言いたそうな調子で語る影人の横で、蛍はただひたすら恐怖を口にする。
自分がのうのうと学校生活を送る横で、大切な友人は波瀾万丈に巻き込まれていた。あまりにも規模が大きすぎる話に、肝が潰れそうだ。

「どうにか警察に介入してもらって、今後一切俺に接触しない様に誓約書も書かせて……で、今。その女も俺に近づくことはなくなったし、とりあえず平和にはなったね」
「はぁ……それなら良かったです。妊娠なんてワード聞いちゃったから一瞬肝が冷えましたけど、万事解決したなら何よりです」
「うん。……それで、蛍には一つ言っておこうかなと思うけど」

 ぴたりと足を止め、蛍の方を向く。
一歩遅れて足を止めた蛍も影人に目を向け、彼の言葉を待った。


「……女とヤる時はさ、自分でコンドーム用意しなよ。俺でさえ嵌められかけたんだから、純粋な蛍なんて余計狙われやすいと思う」

 たまに見せる真剣な表情で紡いだのは、友人に対する重々しい忠告の言葉だった。
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