夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第四.五章 クリスマス編

第二話 約束の時間

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 ── 12月25日当日、11:00。
黒葛原つづらはらさんと約束した正午まで、あと一時間。

「影人さん、起きてるかな……」

 現在位置、影人さんの家の前。インターホンを鳴らし、ドアの前で待機する。
昼頃や夜だったら、少し間を置いてからいつもの気怠げな声が聞こえてくるものだが


(……もしかして、まだ寝てる?)

 ピンポーン、という音がしてから優に5分は超えている。けれど、何も返ってこない。
もう一度押して様子を見るも音一つ立たず、ただドアの前に立たされているだけだ。

 あのお寝坊影人さんのことだ、万一のこともある。こんなことしたくないんだけど……と思いつつ、合鍵でドアを開けた。
中に入るなり、わざと「お邪魔しまーす!」と大きめの声を出してみるが……しん、とした空気がボクの声を飲み込むだけで。

 互いの家にお泊まりした時、確かに彼はこの時間も泥のように寝ていたが……まさか。
そう思いながら、恐る恐るリビングに入ってみると──


「まだ寝とんのかいぃぃぃいい!!」

 ── 布団の中に、膨らみ一つ。彼はまだ夢の中にいるようだった。

 寝起きがかなり悪い影人さんは、目が覚めてから本格的に動き出すまでとにかく長い。30分はかかっていたように思う。
一時間前の時点でこれだと、高確率で遅刻だ。ここから30分体を起こすまでに使ってしまえば、あとの30分で支度からコンビニまで急がなければならない。
あまりにもギリギリすぎる。早く行き過ぎたら……なんて遠慮するんじゃなかった。

 ああ、でも、後悔するのは後だ。今ははとにかく彼を起こさなければ。
布団の膨らみまで近づき、ボクは戦闘態勢に入った。


「影人さん、起きてください」
「…………」
「影人さん! もうあと一時間で黒葛原つづらはらさん……「うるさい女」が来ちゃいますよ!」
「……んー……」

 第一弾、まずは声をかけてみる。「うるさい女」というワードを使ってのっそのっそ起きてくることを期待してみたが、緩い返事が返って来るだけだった。
モグラかハムスターのようにもぞもぞとした動きはあるものの、布団の膨らみから顔は出てこない。未だ彼は冬眠中だ。

「遅刻をしたらうるさい女がガンガン怒鳴り散らしてきますよ!? 影人さんそういうの嫌いでしょう!?」
「……あと……十二時間……」
「どんだけ寝るつもりだこの三年寝太郎!! 睡眠だけで一日終わるでしょうが!!」

 第二弾、布団の上から体を揺らす。先ほどと同じ、大きめの声量での声かけも忘れずに。
とにかく起きろと念じながら思い切り揺らすと、布団をがっしりと掴む動きで応えてきた。少しは目が覚めてきたのだろう。
流石朝に弱いダウナー男子、絶対に起きまいという意思が強い。否──体がボクの行動を全面拒否しているのだろう。

 こうなったら、最終手段──

「い い 加 減 起 き ろ ! !」

 彼を包んでいた優しい温もりを、力づくで全て奪い取る。これぞ、第三弾「布団剥がし」だ。
ボクが朝中々起きられない時、叔母さんによくやられていた手だ。冬だろうが夏だろうが、そこに季節は関係ない。

 今は12月の真冬、影人さんの部屋も少々の肌寒さが残っている。
こんな中で布団を剥がされようものなら、もう起きるしかないだろう。……よほどの人でなければ。

「寒……蛍の鬼、人でなし……」
「鬼でも人でなしでも結構! とりあえず待ち合わせの時間まで一時間切りましたから、早く起きて支度してください!!」

 布団を剥がし、ようやく現れた膨らみの正体。暖かそうな黒のトレーナーにズボンと、至ってシンプルな寝巻き姿。
意識はじわじわと現実世界へ戻りつつあるように見えるが、肝心の瞼がまだ開かない。うつらうつらとしながら、ボクと言葉を交わしている。

「えぇ……。……じゃあさ……」
「……何ですか?」

 夢とうつつの間を彷徨っているであろう影人さんが、小さく唇を動かす。

「キスしてくれたら起きてあげる……」

 ── 眠れる森の美女みたいにさ。
本気なのか冗談なのか……どちらとも捉え難い言葉に、顔の熱が急上昇。

「バカ言ってないでとっとと起きろ!!!!!!」


 うるさく鳴り響く鼓動に蓋をするように、思い切りチョップをくらわせた。



◇ ◇    ◇



「起こすならもっと優しく起こしてよ……」
「だったら声かけた時点で起きろこのグッドルッキングクソ野郎!」

 あれからどうにか30分以内で身支度を整わせ、いつものコンビニ前。
朝に弱すぎる彼は、未だ寝ぼけ眼。マスクの向こうで時々気の抜けたあくびをしては眠そうに目を閉じていた。
世の中の人間はもう大体活動を始めている時間だというのに、さてはこの男、夜更かしでもしていたのだろうか。

「つか、今日めっちゃ寒くない……?」
「いいんじゃないんですか? 少し冷えればシャキッとするでしょう、影人さんも」
「蛍冷たい……」
「冬ですからねぇ」

 眠そうにしつつ、抗議の目を向ける影人さん。ボクはあえて知らんぷりをして、周りを見渡した。
今日の空気は氷のように鋭く冷え切っている、この寒さなら影人さんもそのうち目を覚ますだろう……と、信じたいところだ。
寧ろ低体温の彼がこのまま寝たら多分死ぬ。だから頑張って起きていてほしい。

 黒葛原つづらはらさんは「どこかで待ってて」と言ってはいたけれど、もしかしたら迎えにでも来るつもりなのだろうか。
あっちかな、こっちかな、それとも……と、辺りをきょろきょろ見渡していると。

「ひゃっ!?」
「あー……朝からいい声出すね……」

 突然、うなじに冷たさが触れる。冷所保存された瀬戸物のように冷えた影人さんの指が、ボクのうなじをつぅ……となぞるように這う。
すぐさま振り返って影人さんの手首を掴み、動きを止める。マスクと顔の境界線の上、唯一露出された目元は少しだけ三日月に近い形をしていた。
ボクの反応を面白がっている時によくする目付きだ。嫌というほど見慣れていて、この余裕な感じがまた憎たらしい。

「朝っぱらから何かましてくれてんですかコンチクショウ! 公共の面前で変なことすんな!」
「何? 二人きりだったらいいの? じゃあ今日の用事もサボッて俺ん家帰る……?」
「ち、違、そうじゃなくて……」

 ニヤニヤと笑みを浮かべた目付きで距離を詰めてくる影人さん。
二人きりならいい、そういう問題ではない。理由はちゃんとあるはずなのだが、上手く言葉が出てこない。
あまり近づかれすぎないように身を引きながら、必死に言葉を探す。ボクの反応を伺うかのような視線に、緊張で体が強張ってしまう。

 そうして答えに詰まっていたところ――一つの影が、ボクらの横に止まる。

「昼間っから何コンビニの前でベタベタしてんのよ、あんたら」

 陽光に照らされて輝く、傷一つない艶のある黒いボディ。そこら辺では滅多に見れないような高級感漂う車からバタンと音を立て、こちらへ歩み寄る。

「つ、黒葛原つづらはらさん!? いや、ベタベタなんてしてませんよ!?」
「どうだか、随分距離が近いように見えたけど」

 プラチナブロンドのショートヘアにコバルトブルーの釣り目。珍奇な物を見るような目で見てくるのは、昨日の電話の主・黒葛原つづらはらさんだった。
それに続くように、反対側のドアからも人影が現れる。見慣れたピンクブラウンの髪を揺らしながら、もう一人がボクらへ歩み寄った。

「相変わらず仲が良くていいね~、二人とも!」
「窓雪さん! あの、この車って誰の……」
「ふふ、凄いでしょ? 私も見た時びっくりしたもん、こんな高級車に乗ってたなんて知らなかったし。……あ、言っておくけど私んちのでも美影ちゃんちのでも無いよ」

 いつもと変わらない、花のようなふわふわとした笑顔を浮かべて語るピンクブラウンの髪──窓雪さん。
窓雪さんか黒葛原つづらはらさんの家族のものかと思ったが、今の言い分だと恐らく違う誰かのものなのだろう。

 しかし、他人の……だとしても、どういうことなのか。
二人は可愛い女子ではあるけれど、影人さんのように援助交際とやらをしているとも思えない。そもそもそんな相手をボクらに引き合せることはしないだろう。
かといって、高級車を乗り回すような身内が二人にいるとも聞いてはいない。検討がつかないままだ。

 何となく、影人さんに目を向けてみる。
すると、先程のにやけはどこへやら──眉間に皺を寄せ、不愉快さを全面的に主張したような顔つきを浮かべていた。

「何であいつが窓なんとかとかうるさい女連れて来てんの……」

 ……ぼそり、と小さく一言。マスク越しのぼやきはボクにしか届いていなかったようで、目の前にいる女子二人は気にする素振りも見せていなかった。
そんな彼の毒吐きに応えるかのように、運転席の窓がゆっくりと開かれ──

「影人、不破。久しいのう、息災だったか?」

 ──影人さんの眉間の皺の正体が、微笑みながらこちらに手を振っていた。
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