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短編集
Last Birthday
しおりを挟む※第四章ネタバレがあります。
──高校に上がってから、初めてこの日が来た。
リビングにある日めくりカレンダーを切り離し、「27」の数字を眺める。
ボクにとって、本当なら特別な日。誰にでも訪れる、一年に一度の自分が生まれた日。
(……誕生日……)
世間一般、人が生まれた日というのはめでたいこと。
自分の親しい人を巻き込んでパーティーをしたり、誰かと二人きりでひっそりとお祝いをしたり……そんな一日であることが「普通」だ。
けれど、今のボクにとってはもう何でもない日。
盛大に祝ってもらえたのも、小さい頃のうちだけ。学力や成績で人との差が明確になる頃には、大きなケーキが出てくることはなくなった。
その頃には母の口から誕生日の言及すらなく、母に弱い父もボクを祝おうとはしない。唯一祝ってくれたのは、兄さんだけだった。
『蛍、おめでとう! 本当なら、もっとでかいケーキを買いたかったんだけど……俺の小遣いじゃこれが精一杯だ』
『いいよ、兄さん。兄さんの気持ちだけで、ボクは十分嬉しいから』
少ないお小遣いを捻り出し、4号の一番小さなホールケーキを用意してくれた兄さん。自分だけでも弟の誕生日を、という気持ちが強かったのだろう。
プレゼントも「細やかなものだけどさ……」なんて言いながら、ちょっとお高めのシャーペンやボールペンを出してくれたのを覚えている。
今はもう、全て実家に置いてきてしまったけれど──
(……そろそろ行こう、影人さんとの待ち合わせに遅れる)
持っていた「26」のカレンダーをゴミ箱に投げ、さっさと家を出た。
◇ ◇ ◇
──学校終わりの下校道。
「じゃあ影人さん、明日の提出物、絶対忘れちゃダメですよ。単位やらねーぞ!!って先生怒ってましたからね」
「面倒くさ……古文のプリントでしょ? 渡すから蛍やっといて」
「やらねーよ! 0点でもいいから出せって先生言ってましたし! 全部間違えてもいいから自分でやってください、いいですか?」
「えぇ……気が向いたらやるよ」
そんな他愛ない話をしながら帰路を辿って、いつものコンビニに辿り着く。
新天地で新しい友達──影人さんと出会ってからというもの、学校で過ごす毎日が以前よりも短いように感じられていた。
小・中学生時代のように、兄さんと比べられることも、兄さんと通ずるための中間地点にされることもない──「不破 蛍」個人として息ができている。
ボクとしては、たったそれだけのことでもありがたい。ボクをボク個人として見てもらえるだけでも、儲けものだ。
「進級かかってんだから気ィ向かせろ!! 意地でも!! ……それじゃあ、また明日」
「うん、じゃあね」
「また明日」と言いながらもボクは途中で振り返り、影人さんの背中を黙って見送っていた。
どこまでも変わりなく、いつも通り。何の変哲も特別もない、至って普通の学校生活。
影人さんの背中が見えなくなるまでずっと、今日という日は普通に終わった。
(……まぁ、仕方ない。誰にも教えてないから、知らなくて当たり前だ)
つつがなく終わった一日の中で、「誕生日おめでとう」という言葉をかけられることはなかった。
影人さんからも、クラスの誰からも、先生からも。勉強して、お昼を食べて、また勉強して……本当に、それだけだ。
寂しくないと言えば、少しだけ嘘になる。「おめでとう」と言われれば、もちろん嬉しくはなるけれど。
だからといって、「今日はボクの誕生日なんで祝ってください」なんて、口が裂けても言えない。
誰かが気にして聞かない限り、こっちからは教えられない。ボク一個人の情報など、誰が聞いたって特などしない。
なにより、ボク自身がもう「おめでたい日だ」なんて思えてないのだ。
(教えたところで、何だって話だしね)
影人さんは、高校に上がってからやっと出来た友達だ。兄さんの存在のない世界でようやく自分で紡いだ糸、その先に彼がいる。
けれど、彼とボクは遠い。手を伸ばせばすぐ届くくらい近い距離にいるのに、伸ばした手はきっと彼に届かない──そんな気がして。
現に、彼はボクのことを何も聞いてはこない。気にする素振りもなければ、どこかボクの一方通行な気さえしてしまう時もある。
それでも、ようやく新しい世界で出来た友達だ。大切にしたいし、何かあれば助けにはなりたい。ずっと、そうして傍にいたのだ。
(一緒にいてくれるだけで、十分だ)
入学早々、ぼっちになりたくない──そんな願いを叶えてくれた、唯一の存在が彼だった。
ただ、それだけ。それだけで、ボクにとっては十分なプレゼントだ。
◇ ◇ ◇
「ただい……」
「「Happy birthday! 蛍!!」」
いつものように「ただいま」と言いながらリビングに入ると、破裂音のような音が突然眼前で鳴り響く。
唐突に聴覚と視覚を刺激された体はびくりと震え、ほんの一瞬動きを止めてしまった。
「お、叔父さん、叔母さん……一体何事ですか?」
「何事も何も、今日はお前の誕生日だろう? これを祝わずしてどうするんだ!」
「あんなに小さかった蛍が17歳なんてねぇ……本当、月日が経つのは早いわぁ」
破裂音の正体は、叔父さんと叔母さんの二人が手に持っているクラッカー。お祝い事でよく使う、三角錐型のパーティーグッズだ。
ボクの誕生日なんて別に大したものじゃ──そんな風に思っていたボクにとって、今の光景には嬉しさよりも戸惑いの方が勝っていた。
テーブルの上にはボクの大好きな叔母さん特製ハンバーグやスープ、春雨サラダ、ポテトフライ……と、いつもより品数の多いご飯がずらりと並べられている。
「蛍、今日は叔母さんが腕によりをかけてごちそうを作ってくれたからな! 遠慮なく食えよ!」
「ふふっ、父さんってば……そうそう、今日はケーキも手作りしてみたのよ。簡単なものだけど、蛍はヘルシーなのが好きそうだから……ほら、キャロットケーキ!」
じゃーん、と言いながらお披露目されたのは、オレンジの色味が強いパウンドケーキ。その上にシュガーパウダーとアラザンでデコレーションされており、真ん中には「お誕生日おめでとう 蛍」と書かれたチョコプレートが乗せられていた。
シンプルで素朴だけれど、温かみのある手作りケーキ。食べてみろと二人に勧められるまま口にすれば、仄かな甘味がふわりと口内に広がった。
「美味しい……」
「本当!? お菓子なんて滅多に作らないから、すごくドキドキしたのよね~!」
「お前の作った物が不味いわけないだろ、いつだって料理には本気で向き合ってんだから! ほら、俺たちも食うぞ!」
がははと豪快な笑みを浮かべながら、叔父さんがご飯を食べ始める。
主役? のボクより先に食べ始めたことに叔母さんは「もう」と苦笑しつつ、叔父さんの隣に座り──ボクに向かって、優しい微笑みを向ける。
「ごめんなさいね、この人ってばずっとお腹空かせてたみたいだから……」
「いえ、いいんですよ。寧ろ待たせてしまって申し訳ないです」
「もう、「申し訳ない」だなんて畏まらないでちょうだい。私たちは貴方の家族なんだから」
「そうだぞ、お前は俺たちの息子も同然なんだからな!」
「家族」──そんな一言がなんだか温かく感じて、じわりと目頭が熱くなる。
実家での扱いが、段々粗末なものになってきたからか。唯一愛していたはずの兄に、殺伐とした感情を抱いてしまったからか。
「家族」というものに疑念を抱きつつあった、そんなボクに愛情をたくさん注いでくれる二人からの「家族」という言葉は、激しく胸を揺れ動かすものがあって。
「……ありがとう、叔父さん、叔母さん」
視界が滲んで、声も震えて。込み上がってくる感情をどうしようか悩むほどに、ボクの心は温かな気持ちで溢れていた。
……その夜。
布団を被っていざ寝ようと思ったところに、小さく通知音が鳴る。
(影人さん……?)
「黒崎 影人」──通知バナーに表示された名前に、少しだけ目が覚める。
彼からメッセージを寄越して来るなんて珍しい。知り合って連絡先を交換してはいたが、学校で毎日会ってるのもあってこうして連絡を取り合うことは滅多に無い。
ボクの方から課題やテスト範囲のことで連絡をすることはたまにあれど、それくらいで。
こんな時間にどうしたんだろう。そう思って開いてみたら──
『今日誕生日なんだって?』
『おめでと』
たった二行の、短いメッセージだった。嬉しいと同時に、これまた驚きと戸惑いが沸き上がる。
影人さんには誕生日がいつかなんて教えてないし、聞かれてもいないのに。一体どこで知ったのだろう。
『えっ』
『影人さんに教えましたっけ?』
『お前が誕生日だって通知来たから』
『友達欄とこ見てみ』
言われるままにメッセージアプリの友達欄を覗いてみれば、「今日誕生日の人」という欄にボクの名前が載っている。
そういえば、叔父さんと叔母さんの誕生日の時も「今日は○○さんの誕生日です!」なんて通知が来たなと思い出す。恐らく、ボクの誕生日であることも影人さんの端末に知らされたのだろう。
「なるほどねぇ……」
影人さんから来た「おめでと」の言葉に、思わず口角が上がる。
アプリの通知で知って、まあ適当に送っておくか……なんて、そんな軽い感覚だったかもしれない。
それでも十分だった。新しく始めた新生活で出来た友達に、「おめでとう」と伝えられただけで、こんなにも嬉しいのだから。
『ありがとうございます』
『今度は、影人さんの誕生日も祝わせてくださいね』
『うん』
『プレゼントは現金ね』
『おい』
新しく出来た「家族」と「友達」に、「おめでとう」と祝って貰えたこと。
新天地で迎えた誕生日の夜は、きっといい夢が見られることだろう。
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