夜影の蛍火

黒野ユウマ

文字の大きさ
111 / 190
第五章

第八話 抱えた想い

しおりを挟む
 懐かしいな、と複雑な笑みを浮かべながら語り終える。
自分と形は違えど、母親から非道な扱いを受けていた。そんな蛍の話に、影人は一瞬だけ目を逸らした。

 実の親からちゃんとした愛情をもらっていなかったのは、あいつも一緒か――なんて。

「母親も、父親も、実の兄も信じられなくなった蛍だ。こっちで一緒に住むようになってからもずっと心配で……いつか、蛍のことをちゃんと分かってくれる人に出会えればと、俺達は願ってた」
「………………」

「けど、俺の心配は、どうやら杞憂に終わりそうだ。俺が思った以上に、影人君は蛍にとっていい友達で安心したし、何より……」

 優しい笑みを浮かべながら、頭を撫でようと手を伸ばす……が、すぐに手を引っ込める。
いつの日か、自分が触れたことでおかしな様子を見せた影人を思い出したからだ。


「そのままの蛍でいいと言ってくれたことが、俺は自分の事のように嬉しい」

 ――それが一番聞きたかった。
そう言いながら行き場のない手をテーブルの上で組み直し、再度影人を見つめる。

 実の息子のように可愛い甥は、ずっと劣等感をくすぶらせていた。
不出来な面ばかり母親に責められ、父親にも守ってもらえず、そして兄を見るたびにコンプレックスを刺激されて。

 ずっと苦しかった人生の中、こんな風に蛍をまっすぐ見つめてくれる「友人」が出来ていた──叔父さんにとってそれは何より愛おしく、喜ばしい事実だった。


「……影人君」
「……?」
「落ち着くまで、しばらくうちにいなさい。今までと同じように、自分の家のように寛いでくれていい。蛍にとって大事な友達である君のことも、おじさんは大人として全力で守るよ」

 きっとおばさんもそのつもりだろうし、とビールを一口含む。
両親を始め、大人から純粋な好意を向けられたことに不慣れな影人は戸惑いを覚え、視線を落としてしまった。

 こんな時、どう反応したらいいのだろう。
返す言葉も見つからず、ただ投げられた言葉を咀嚼することしか出来ない。


「……蛍と友達になってくれてありがとう、影人君」

 そんな風に黙り込んでしまった影人の気持ちを、何となく察したのだろうか。特に言及をすることはせず、叔父さんは穏やかな笑みを浮かべて影人に告げる。

 誰かと比べられてばかりの苦しみを、ずっと味わってきた蛍。その蛍が、影人の存在によって救われる日も近いかもしれない。
……否、もう救われているだろう。叔父さんはそんな想いを胸に、心の中でそっと影人の頭を撫でていた。






(……とも、だち…………?)


 その言葉に影人が違和感を抱いたことなど、露も知らずに。






◇ ◇ ◇






 ──その夜。
 同じ布団の中ですやすやと寝息を立てる蛍を抱きしめたまま、影人は思考を巡らせていた。

「…………」

 自分に向けられた、蛍の背中を見つめる。
いつからか、彼はかたくなに自分に背を向けて寝るようになっていた。
こっち向けばいいじゃん、と言ったところで「恥ずかしいから嫌です」なんて拒否されて。



(……分かりやすい奴)

 文化祭でメイクを施していた時、自分と長時間目を合わせることが出来なくなっていた蛍。
思えば、あの時からだ。自分と目が合うたびに頬を染め、ひとたび触れれば緊張した様子を見せ。自分と誰かの話をすれば、どことなく不機嫌な雰囲気を醸し出す。

 そんな彼の行動を思い出せば、すぐ納得のいく行動だ。
自分のことが本当に嫌ならば、こうして同じ布団に入ることだってしないだろう。

 何気なく人のことをよく観察している影人にとって、いつも傍にいる蛍のことなどすぐ分かる。
きっと、照れて顔を向けることが出来ないのだろう──そう思うと、自然と心の中に火が灯るような暖かさが湧き出ていた。

(…………蛍)

 肩を上下させて寝息を立てる蛍の髪にそっと触れる。
前までなら「初心ウブで面白い」──なんて思っていたのだが、今の自分は違う。
今まで誰に対しても抱いたことのなかった感情を、自分は蛍に向けている。

 からかう意味でなく、心の底から「可愛い」と。



『……蛍と友達になってくれてありがとう、影人君』

 叔父さんからの言葉を脳内で繰り返し再生する。
「友達」という言葉に、影人の中の違和感はどんどん膨れ上がっていくばかりだった。


(……違う)

(今までだったら、それで頷けただろうけど)


 ──叔父さんの言葉には、心の底から頷くことが出来なかった。

 本当にただの「友達」だったら、こんなふうに触れていたいと思うだろうか。
この温もりを、感触を、独り占めしていたいと思うだろうか。

 あの時黒葛原つづらはらにされたように、他の誰かに蛍を取られたくない──そんな風に、誰かを激しく妬むだろうか。


 "友達"という言葉で片付けるには、この感情は重すぎる。
今まで誰にも興味を示さず、誰とも深く関わらず生きてきた影人にとって、初めて抱えた大荷物だった。

 ぎゅっと強く抱き寄せて、顔を埋める。ほどよい温かさと心地いい柔らかさが、芽生えてしまった感情を刺激する。
母親から逃れるために咄嗟にしたキスの瞬間を思い出しては、また蛍を焦がれてしまう。

(…………)

 あの時触れ合わせた自分の唇に、指で触れる。
未だに鮮明に思い出せるあの柔らかな感触を、自分は彼に求めている。
自覚をしてしまったが最後、欲しくて欲しくてたまらなくなってしまっていた。




『俺は、あのままの蛍が――』

 叔父さんと対談した時、自分が言いかけた言葉が、一体何だったのか。あの時は戸惑いが勝って、その先を言うことが出来なかった。
けれど、今なら理解出来る。そして、胸を張って彼に告げることだって出来る。


(あのままの蛍が―― "好き"なんだ)



 無防備に晒された蛍のうなじに、そっと唇を寄せる。
ちゅ、と音を立てて吸い付くと、蛍は「んっ……」と小さな声を漏らし、身じろぐ。
漏れた甘い響きに刺激された心臓は小さく鼓動を鳴らし、内に秘めていた独占欲を更に煽っていく。

(……蛍)

 もう一度、蛍とキスをしたい。
男としての欲求を満たすためじゃなく、乾いた心を満たすため。

 ──愛おしいと思ってしまった彼の存在を、誰よりも近くに感じるため。



「……俺だけのものになってよ、蛍」

 うなじにうっすらと咲いた赤い花を指でなぞり、夢の中にいる愛おしい存在に、影人は乞う。
その声に返ってきたのは、時を刻む針の音だけだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

処理中です...