夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第六章

第二話 厭悪

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 始業式から三日後。
新学期の興奮が少しだけ落ち着いたこの日、学校中が異様な空気を纏っていた。

「ねぇ、あれ……」
「ちょっと、やめなよ。話しかけられたらどうすんの」

 得体の知れない生物を見たかのように眉を顰める周囲の生徒達。その視線は、玄関前まで来たボクと影人さんに集中している。
「あの人でしょ?」「あー、なんか噂は聞いたことあるけどさぁ」……ざわざわとした空気の中聞こえてくるひそひそ話。そうして話している人たちの視線も、ボクらに一点集中だ。


「何なんですかね……ボクら、何かしましたっけ?」
「さぁ……」

 もっと悪く表現するなら、犯罪者を見るかのようだ。何もしてないはずなのに、本当に悪いことをしたかのような錯覚に陥りそうで。
もしかしたら影人さんと誰かがまた揉めたのかとも一瞬考えたけれど、新学期始まってから三日間彼はずっとボクと一緒だ。
ボクのいないところで誰かと不穏な空気を漂わせた様子は見ていない。

(なんか居心地悪いな……)

 ボクらだけがなぜか悪者にされてるかのような、そんな不快な空気の中玄関へ入ると――






「「……えっ……」」


 ――ボクと影人さんの声が重なる。
目の前に広がる光景に、ボクらはただ愕然としていた。


 壁中に張られた影人さん――と、見知らぬ女の写真。眠る彼の隣で女が幸せそうに微笑んでいる、そんな写真ばかりだ。
その隣には、写真の異常性を強調するように「DVヤローの子ども」「夜のお相手募集中」「美少女から熟女まで幅広く対応します」……と、心ない言葉が飾られている。


 ――なんだ、これは。
驚愕、嫉妬、嫌悪、殺意……色んな感情が渦巻いて、息が苦しい。

 許せない――抑えきれない激情が、ボクをひたすら突き動かす。
目に入ったビラをひたすら引きちぎり、周りにいる人間全員に目を向けた。

「……誰ですか」

 ざわついていたあの空気が一変して、この場に沈黙が訪れる。

「こんなことしたのは誰ですか? そこで見てるアナタですか?」
「ち、違う! 俺はやってない……」

「じゃあ! そこのアナタですか!? それともお前か!?」
「ち、違、違います! 私じゃないです!」

 目に入った人間に人差し指を向け、尋ねる。けれど、どいつもこいつも決まって答えは「違う」「やってない」ばかりだ。

 ……普通に考えてみれば、ここで犯人が正直に「俺がやりました」なんて名乗り出るわけもないだろう。けれど、今のボクにそこまで考える余裕はなかった。

「蛍……いいよ、そこまでしなくても。俺は別に気にしてな」
「どうしてですか! こんなの、立派な名誉毀損ですよ!」

 ――ただひたすら、犯人が憎い。
影人さんに対してこんな不名誉な言葉を書き連ねて、不愉快な写真を載せて。
それも、不特定多数の人が見る中で。

 こんなにひどいことをされてるのに「気にしてない」だなんて、そんなことあるはずがない。影人さんだって人間だ。
穏やかな学校生活を送りたい彼が、学校中から後ろ指さされるような真似をされて本当に平気なわけがないだろう。

「ボクは、影人さんにこんなことする人を絶対に許しません。だから……なんか知ってる人がもしこの中にいるなら、今すぐに吐いてください」

 ――ここにいる全員が、真っ黒。
そう思い始めている自分の心をどうにか抑えつつ、周りを見渡す。

 今も変わらず、周りは恐怖におののくような表情でボクを見ている。
……けれど、誰かが何かを言おうとする気配はない。

 本当に知らないのか、知っていても黙っているだけなのか。
真意は本人たちにしか分からないけれど、この名誉毀損極まりない嫌がらせの真実を今は得られそうにない。



「――あのさぁ、今にも人殺しそうな目すんのやめてくんない?」


 代わりに得たのは、冷めた声色の黒葛原つづらはらさんからのローキックだった……。





◇ ◇ ◇





「……なんか、すごいことになっちゃったね」
「そうね。つか、何なのあの写真。あたし別にあんたと女の絡みなんて見たくないんだけど」
「俺だって見せたいわけじゃないよ……」


 ――昼休みの空き教室。
ボクと影人さん、窓雪さんと黒葛原つづらはらさん。
いつもなら賑やかで楽しいこのメンバーも、今日ばかりは楽しくお昼ご飯を食べられる気分にはなれなかった。

 不名誉なビラと写真の噂はクラス中にも既に広まっており、それらを相手にしてないのはもうこの二人の女子だけだ。
あとの人たちはもう、授業中も休み時間も影人さんをチラチラ見ながら内緒話をするばかり。

 あんな低俗なビラを鵜呑みにして、影人さんを傷つけるつもりか。今にも暴れ出しそうになったボクを、黒葛原つづらはらさんは何度抑えてくれたことだろう……。

「というか黒崎君、あの女の子たちは……元カノさん?」
「……。……昔、適当に遊んでやった女だと思う。いちいち覚えてないけど」
「うっわ、最低。女の敵だわー……というかケイちゃん、今の話はちょっと」
「あ、そっか」

 不破君ごめんね、と言いながら窓雪さんがボクに両手を合わせる。
何がごめんねなんだろう?と思いつつ、頭を切り替える。
そんなことより、今はあの不愉快なビラの方が大事おおごとだ。

「昨日まではなかったわよね、アレ」
「うん。もしかしたら昨日の夜か、今日の朝早くにでも貼ったのかな」
「どっちにしろ、随分暇人だなとは思うけどね……」
「あんたは当事者なんだからもうちょっと警戒しなさいよ、そのうち後ろから刺されるわよ」

 黒葛原つづらはらさんが影人さんの背に、人差し指をドスッと突く。
当事者の割にあまり気に留めてなさそう……に見える影人さんには、少しだけ不安を覚える。

「それに……このまま放っておくと、不破君も人ひとりブッ殺しかねないし。あたしらもちょっと探り入れてみましょ、ケイちゃん」
「うん、そうだね。このままじゃ、黒崎君も不破君も大変だもん」
「俺のせいで蛍が殺人者になったらシャレにならないよ……」
「いやだからあんた自身もちょっとは警戒しろってんのよ」

 再び影人さんの背を突く黒葛原つづらはらさん。いや、そもそもなんでボクが人殺しする体で話を進めているんだと突っ込みたくなる。

 ……まぁ、確かに犯人のことは殺したいほど憎い。それは否定できないけれど。

「何か情報得られたら、あんたらに教えるわよ。……ってことで、黒崎。スマホ出しな」
「え、なんで? 別にやましいものは入ってないけど」
「あんたあたしと漫才したいの? 連絡先交換しろって言ってんのよ!」
「えー……」
「えーじゃない! ほら、ケイちゃんも!」

 黒葛原つづらはらさんが強めの口調で押すと、影人さんが渋々スマホを取り出す。窓雪さんもそれに続き、三人でQRコードの読み取り作業をし始める。

 ……そういえば、影人さんは二人と連絡先を交換していなかったのか。
他人に興味のない彼らしいと思えば、違和感はないのだけれど。

「……これでよし。不破君もスマホ出して」
「あ、はい」

 黒葛原つづらはらさんに言われるままスマホを取り出すと、メッセージアプリの通知音とバイブレーションが鳴る。
アプリを開くと、黒葛原つづらはらさんからトークルームの招待が届いていた。

 「影人」「ケイ」「美影みえ」、そしてボク――今いるメンバーのみで構成されたグループトーク。
なんだかんだよく集うことのあるこのメンバーだ、こういう連絡の場があればなにかと便利だろう。

 ……なにより、とても心強い。
ボク以外にも影人さんの味方がいる、それをより確かに感じられるものだから。



「あとは……黒崎君、本当気をつけてね。
生徒のみんなもそうだけど……先生たちも、どう出てくるかわからないから」
「……うん。まぁ、覚悟はしとくよ」

 影人さんが重々しく頷く。
その横で、ボクは窓雪さんの言葉にただひたすら不安ばかりを感じていた――。
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